2006年12月18日
小樽市立堺小学校跡
小樽市の地図を見ていると、東雲(しののめ)町の水天宮近くにかなりの広さの敷地と建屋を持った小樽市立堺小学校が描かれている。街の中にある歴史のありそうな小学校なので、この小学校が二〇〇六年三月に閉校になっていたとは思いもよらなかった。
この小学校に出向いたのは二宮金次郎の銅像が契機となっている。戦前にはどこの小中学校にも、柴を背負い本を読みながら歩く二宮金次郎の銅像があった。戦時中に銅が不足ということで、銅製のものの供出が行われ、全国の金次郎像も戦争被害者となった。しかし、この供出を免れた金次郎像もあったようで、現在でも金次郎像が残っている小中学校がある。旧堺小学校の金次郎像も戦争を生きぬいた例のようである。
小樽市が坂の街であるのは、この旧堺小学校付近で実感できる。冬季にこの辺りの場所を車で探すと、初めて訪れる状況では、細い雪道の坂には緊張する。駐車する場所を見つけるのも一苦労である。旧堺小学校から少し離れたところに車を止めて、歩いてこの小学校跡まで行ってみる。校舎につながった広い校庭(兼グラウンドか)は雪で埋まっている。校庭の端に目指す金次郎像があった。典型的姿の金次郎像で古そうには見えない。
この像の横に写真の閉校記念碑が建っている。碑文に「嗚呼、北の学習院」と書かれているので、この小学校は名門校学習院になぞらえられ、北海道における学習院の名誉を担っていたことになる。碑文にもそのことが記されていて、一九〇二年(明治三十五年)一月に開校し、一九一三年(大正二年)十月に火災での再建を経て、閉校までの百年を超す歴史で、多くの著名な経済人の子供達が学んだ小学校であった。
全盛期には在校生が千数百名も居たのに、閉校時の在校生は五十四名に激減していたとも碑文に書かれている。この生徒数の激減は、小樽の経済的衰退に近年の少子化が加わった結果なのだろう。それにしてもこの由緒ある、小樽市内の中心部近くの小学校が閉校に追い込まれる最近の世の中の変わり様はすさまじい。
校庭への入口の門柱のところに、旧堺小学校の校舎や跡地の利用者として、市立小樽病院高等看護学院、小樽市シルバー人材センター、職業訓練センターと並んでいる。それらの名前の最後に堺小学校記念室とあるので、ここがかつては小学校であったことを思い出させてくれる。
それにしても、世の中のこの流れが続いて行くと都会には秘境がどんどん増えてゆくのではなかろうかとの思いが強かった。
- by 秘境探検隊長
- at 05:36
comments
秘境ですか・・・
堺小学校で検索したところここに辿り着きました。
自分の母親も自分もここの卒業です。
そして自分の子供は最後の卒業生となりました・・・
m.k様 三代にわたった卒業生のご一家ですか。取材後この小学校に行っていませんが、校舎は昔のままだと思います。
秘境とか言わないでもらいたい!俺達卒業生達にとって大切な母校です。秘境とは人々がまだ知らない土地と言う意味でないでしょうか?あまり適切ではない言葉を使わないで頂きたい。
koike kazuma様 ご意見承っておきます。
懐かしい。
ふと気になって検索してたどり着きました。
実を言うと最後の卒業生だったりします。
みんな今なのしてんのかなーと思いにふけることができました
>K.M様 最後の卒業生ですか。今度ここに行くことがあればパノラマ写真を撮ってこようと思っています。
初めまして。
私は51年前、ここに入学しました。
翌年転校したので卒業生ではありませんが。
廃校になったとは知りませんでした。
>k.k様 この小学校の記事をブログに投稿してから年月が経って、札幌市民と再び訪ねて校舎内の記念室を見学しました。名門小学校の記念のものが展示されていました。
昭和27年、本校に入学、3年間就学。
その後、札幌市立幌西小学校に転校。
最終、地元大学を卒業し、製造メーカーに
勤務。
平成23年8月、役員退任、自宅千葉市に
在住です。
堺小学校は幼少時の思い出深き所です。
当時の同級生は如何におわす。コメントを入力してください
>Hiroshi Takizawa様 13年半ほど前の拙ブログ記事にコメントいただき有難うございます。この記事に時々コメントがあるのは卒業生が母校の事を気にかけている証左です。最近はこの場所に行っておらず、どうなっていますかね。
明後日3度目の小樽訪問を控えた者です。ご当地出身の作家小林多喜二氏の一読者として毎回氏にまつわる場所を訪れてますが「誰かに宛てた記録」という短編小説の書き出しの部分に堺小学校が出てきます。子供の作文形式のカタカナで読み難いですが内容は目頭が熱くなる当時の多くいた貧しい家庭や子供の状況を描いた作品です。今では蟹工船以外読み返されることも少ないですがけっして読む価値のない話じゃありません。氏はのちに自分の書いたものの中で特に気に入ってる小説としてこの作品の改作の「救援ニュースNo18付録」を挙げています。近くの水天宮も恋人の田口タキさんとよく訪れたらしいようです。
2重書き込みすいませんです。
蟹光線様 コメント有難うございます。16年前の拙ブログ記事にコメントがある事が一種の驚きです。旧堺小学校の卒業生の思いが強いのを感じます。小樽市の訪問で小林多喜二に関する収穫があると良いですね。2重書き込みは重複分を削っておきました。