2007年06月04日
ハママシケ陣屋跡と川下八幡神社
現在は石狩市と合併したかつての浜益村にハママシケ陣屋跡があるのをインターネットで見つけて見に行くことにする。国道231号線を浜益に向かって走り、安瀬(やそすけ)と、最初はまずは正しく読めない地名の標識の写真を撮り、長い太島内トンネルを通過して濃昼(ごきびる)と、これも難読の地名のところを通過する。さらにこれまた長い送毛(おくりげ)トンネルを抜けて浜益の町に入る。
史跡の標識ぐらいはあるだろうとたかをくくり、浜益の海水浴場を横目にみながらさらに北上する。郡別を越え幌の村落あたりで脇道に入り、地元の人に陣屋跡の場所を聞いてみる。案の定通り越してしまっている。戻る途中で「はまます郷土資料館」に寄った時に行き方を聞いてもらった手書きの地図を頼りに、途中標識のひとつもないこの史跡に辿り着いた。
この史跡は川下八幡神社の横にある。この神社は陣屋の鎮護の役目を担って建立されたものである。初代と思われる狛犬は形が崩れかかっていて、地面に置かれている。その代わり新しい狛犬が、年季の入った台の上に鎮座していた。
この神社の横を通って陣屋の大手門跡に近づいてみる。大手門脇にこの史跡の説明の看板がある。1859年(安政6年)幕府は奥州六藩に蝦夷地を分け与え、その警備を命じている。ハママシケ(浜益)の地は荘内藩の拝領地となり、奉行所、寺、神社、長屋等が設けられている。この陣屋建設と警備のため荘内藩は莫大な金を注ぎ込んでいる。しかし、戊辰戦争で荘内藩による警備の役目は終わり、陣屋は引き上げられ、わずかに復元された大手門が残されているだけとなった。
大手門をくぐってみても何もなく、「足軽」の文字だけが見える標柱が目についただけである。これだけなら史跡の標識が国道沿いに無いのもうなずける。ただし、この史跡は1988年に国指定になっていて、史跡としては重要なものと認定されている。唯一史跡を説明する説明の看板の文字は薄れかかっていて、これも新しくするような予定もないようだ。ただ、浜益村から石狩市に変わったので、この説明看板の石狩市教育委員会の文字だけが新しくはっきりと書き直されていた。そこだけを書き直すのなら、説明板全体を新しくしてもさほどの経費はかからないと思うけれど、何か事情があるのかな、と思ってみる。
写真に撮る対象もないので、少し高いところにある陣屋跡から見下ろした川下地区の水田と、遠くに見える山が海岸に落ち込んでいる景観をパノラマ写真に収めた(パノラマ写真を拡大してご覧になるには こちら まで)。
- by 秘境探検隊長
- at 04:13
comments
はじめまして。私は、東京で「SOUKI」というパントマイムのグループの制作をしております、三五と申します。
突然ですが、お願い事がございまして、ご連絡させていただきました。
10月に開催予定の私どもの舞台公演があります。その広報物(フライヤーなど)の素材として、こちらのブログで使用されているお写真をご提供頂けませんでしょうか。
具体的には、ハママシケ陣屋・大手門のお写真を探しております。
撮影に行くことは叶わないので、どなたかがお持ちの写真を譲って頂くよう算段をしており、画像検索でこちらのブログにたどり着き、ご連絡差し上げた次第です。
管理人様は、こちらのハママシケ陣屋・大手門の撮影されたサイズのままのお写真をまだお持ちでしょうか?
また、そのお写真をご提供頂くことは出来ませんでしょうか?
写真は、素材としての使用となりますので、他の写真との合成・色加工などを致します。また、上演作品の都合上、撮影場所や名称などが分からない形での使用となります。
ご希望がある場合はお写真のご提供、ご協力という形でお名前を掲載させて頂きます。
以上の様な条件となります。もしもご協力頂ける場合は、こちらのメールアドレス宛にご連絡頂けますでしょうか。
sayak-35@nifty.com
誠に勝手なお願いでございますが、ご検討いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
*他にご連絡の手段がなかったため、コメント欄を使用させて頂きました。不適当と思われましたらお手数ですが、削除して頂けますよう、お願いいたします。
三五サヤカ様 メールを送っておきました。よろしくお願いします。
今朝(22-9-21)の秘境探検記で、朝日に輝きを増す真っ赤なバラを、朝日と同一画面に捕らえており、以前、春咲きバラのクリーム色の息を呑むひとコマの映像が今でも時々鮮明に目に浮かびますので先程から探しておりました。
そのバラはまだ見つかりませんが、偶然先日の[The Gate]の記事に遭遇しました。
三五氏の丁重なコメントも残っており、
まるで、勧進帳を観劇しているような感激の大発見です。
石狩市の秘境探検で、ハママシケの陣屋跡までよく行ったものだと、今になって思っています。浜益から増毛の雄冬を抜けて留萌市のコースは未だ通ったことがないのですが、さて将来通る機会があるのかな、と思っています。