2007年08月26日
クラーク先生訣別の地
ウイリアム・S・クラーク(北大関係者はクラーク先生と呼んでいる)が札幌農学校(後の北海道大学)に一八七六年に赴任して、八ヶ月の滞在後、農学校の一期生や教職員との訣別した地が島松である。どうしてここが訣別の地になるかというと、この地に駅逓所があったからである。駅での別れは昔も今も変わらない。
この別れに際して、クラーク先生の残した言葉「Boys, be ambitious.」は語り継がれて北大関係者のみならず、全国に広まった。それにしても、八ヶ月の滞在と、別れに際しての隻句が百三十年経った今もかくも有名な人物と言葉として残るとは、世の中不思議なものである。ただし、この言葉を詳しく辿ると「Boys, be ambitious like this old man」であったとも言われていて、これでは最初の言葉と比較するとかなり雰囲気が異なる。
松島駅逓所を通過する道が国道になったけれど、現在は道央の交通の大動脈国道36号線はここからわずか離れたところを走り、旧駅逓所は旧国道と共に36号線から切り離されて車もあまり通らない道となっている。かつての北広島村(クラーク先生訣別の頃は札幌郡月寒村島松)が北広島市となり、同市と恵庭市との境に松島川が流れていて、この川岸の北広島市側に旧駅逓所がある。その駅逓所の保存された建屋の横にクラーク先生訣別の地の記念碑がある。
この碑にはクラーク先生の肖像と前述の有名な言葉の日本語訳「青年よ大志を抱け」が刻み込まれている。碑文によれば、この碑は昭和二十五年(一九五〇年)クラーク奨学会により建立されて、その発起人代表は札幌農学校二期生の宮部金吾である。植物学者の宮部は碑が建立された翌年に没している。
駅逓所は北海道の米作の基を築いた中山久蔵の家でもあり、国の史跡として指定され保存されている。建物を覗くと土間の入口に料金表が出ている。入口から内を見れば料金を払って入るまでもないかとは思ったけれど、車でここまで出向いたからには入って見るのも損はなかろうと結局入館する。
昔の駅逓所の絵地図があるので写真に収める。道路と駅逓所の位置関係は現在のものと変わらない。クラーク先生関係の写真のコピーも展示さえているけれど、昔の集合写真で人物がはっきり写っていない。でも訣別の雰囲気は伝わってくる。それにしても、クラーク先生は馬上から“Boys・・・”と叫んだのであろうか。
- by 秘境探検隊長
- at 00:03
comments
秘境探検隊長の書かれましたクラークさんが赴任した年は、掲載段階で一九八七年となっております。ところで、車のあまり通らない道路の写真、クラークさんの苦楽を想像できますね!当時の別れ際では、暗(くら)ーく時間が過ぎていったのではと想像するばかりです〜。
覚え方作家さんの日頃の研鑽で年代には敏感ですね。クラーク先生の赴任の年は1876年です。どうして1987年と書いたのか自分でも分かりません。1987年には何があったのかな、と考えています。いずれにせよご指摘有難うございます。
いずれまた報告させていただきますが、今の新しいコンテンツは、特に女性にとっては知って損はないと思われる「食品のカロリー」の覚え方です!覚え方+エンターテインメントにむけて進行中です。
カロリー計算の覚え方はハンバーガーから始まりましたか。覚え方も対象やジャンルが多岐にわたると覚え方のテクニックというより別の何か、例えば語呂合わせの面白さを楽しむ、という方向になるのかも知れません。覚える対象が増えると、ハンバーガーのカロリーを覚える語呂合わせ(文)は何であったかを覚えなければならない、という事態が生じます。覚え方という目的を離れると、読んでこれは面白い、ということになれば、覚え方の目的に達しなくてもまあよいか、ということで収まるのでもよろしいかとは思います。