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2007年10月14日

「子供盆おどり唄」歌碑

 子供を集めた盆踊りが廃れていっている、との新聞記事を見た。これは夏休み期間中の朝の風物詩ラジオ体操も同様で、少子化がその原因の大きなものであるらしい。地域の活力の低下、娯楽の多様化、個の生活様式の強まり等々もこの傾向に拍車をかけているのだろう。

 筆者も盆踊りを見に行くことは無くなっている。しかし、お盆の頃には近くの広場から盆踊りの曲が流れてくる。夕闇が迫る頃は「子供盆おどり唄」で、その後は大人の部に変わって「北海盆唄」の勇ましい囃子唄が響いてくる。踊りは見に行かなくても、これらの盆踊り唄を耳にするとああ、お盆なのだ、の季節感が強まる。

 「この子供盆おどり唄」の作詞者が江別で教員をしていた坪松一郎であることを知った。野幌グリーンモールと呼ばれている、国道12号線から湯川公園までの約1kmのレンガの遊歩道があって、これまたレンガ造りの野幌公民館の横を過ぎたところに坪松一郎の歌碑がある。この歌碑には「この子供盆おどり唄」の一番と二番が掘り込まれている。その一番は

そよろそよ風 牧場(まきば)に町に
吹けばちらちら 灯(ひ)がともる
赤くほんのり 灯がともる ほら灯がともる
シャンコシャンコシャンコ
シャシャンがシャン
手拍子そろえて シャシャンがシャン

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 筆者も子供の頃、この盆踊り唄にあわせて片田舎の会場で盆踊りに参加した記憶がある。同じ歌詞とメロディーが繰り返し耳に入ってくるので、今でも歌詞は頭にこびりついている。この唄を思い出すと、盆踊りの会場は中心のやぐらの部分の明るさと周囲の暗さが際立っていた印象が蘇る。

 坪松一郎は1910年(明治43年)茨城県に生まれ、その後渡道、童謡作家で活躍していて北海道教育委員会の依頼で1952年ごろこの盆踊り唄を完成させたといわれている。作曲は山本雅之で全道に、さらには本州にも広まった。坪松は江別第三中学校を始め、道内各地の校歌の作詞も行っている。1969年五十八歳で亡くなった。

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 この歌碑は黒の御影石で出来ていて鏡のようになっていて、写真を撮ると碑面の文字よりは周囲の景色が写り込んでしまう。それはそれで面白い。近くにあるステンドグラスのオブジェのある噴水公園の景色も写っている。夏も過ぎてこの公園の噴水は止まっていて水抜きがされている。この公園で噴水を見ることと、どこかの会場で「子供盆おどり唄」に合わせて子供達が踊っているのを見るのが残された課題となった。

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