2008年05月01日
王子特殊紙と藤原銀次郎
石狩川に接して、江別の産業を代表する工場である王子製紙の江別工場は1908年(明治41年)に操業を開始している。従って、2008年は江別工場の創業100周年に当たる。現在この工場は王子製紙特殊事業本部とグループ会社であった富士製紙が統合して2004年に新しくできた王子特殊紙となっている。
この長い歴史で、敷地内には百年の年月を経た建物を見ることができ、レンガ造りの変電所などがある。工場で使う電気は江別村にも供給されたようで、その委任状が残っている。委任状には「札幌郡江別市街地ニ電燈及び電力ヲ供給スルニ付其取扱ヲ岡田伊太郎ニ委託シタルヲ以テ之ニ関スル契約ヲ締結スル一切ノ行為」となっていて、日付は大正三年(1914年)で王子製紙の専務藤原銀次郎の名前が見える。
ここで藤原は三井財閥の中心人物の一人で、王子製紙の社長を務め、日本における製紙業に貢献した。貴族院議員にも勅選されて、商工大臣や軍需大臣も歴任している。後に慶応大学工学部になる藤原工業大学を私財を投じて創っている。
王子製紙と深く関わる藤原銀次郎の事跡の展示でもあるかと、江別郷土資料館を訪ねてみたけれど、なにも見つけることができなかった。こんな経緯があって、その後調べもせずに放っておいた。
春になり、江別の秘境の取材を再開して江別市役所を訪れた時、何気なく庁舎内の市民に開放している小さな史料室で「新江別市史」が目に留まった。思い出したように索引で藤原銀次郎を探し、記述を見つけたので名前の出ている部分を読んでみる。
記述によれば、昭和恐慌で生産設備の整理と国内の産業界の再編が急がれ、富士製紙の筆頭株主の死も契機となり、王子製紙、富士製紙、樺太製紙の合併が行われ、新王子製紙が誕生する。この時合併の任に当たったのが藤原である。
同市史には不況の中の富士製紙江別工場の写真も掲載されていて、王子製紙と合併する前には富士製紙の工場であったことが分る。戦時中は木製戦闘機も作られた工場であり、キ106戦闘機のモデルが同社の応接室に飾られてあった。百周年を迎えたこの工場はいろいろな出来事があったのだとの思いが強かった。
- by 秘境探検隊長
- at 03:37
comments
不慣れな者で、藤原さんというお名前、初めて知りました。大学まで御自身で創られたんですね。素晴らしい功績をおさめた方なんですね。
朝起きでブログ書いていますね。朝起きは三文の得です。