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2008年05月26日

外輪船上川丸の模型を探して

 北海道に鉄道が無かった時代に人や物の輸送の大動脈は石狩川で、船腹に取り付けた水車により進む外輪船が活躍した。外輪船の始まりの契機は、樺戸(現月形町)集治鑑に囚人と物資を運ぶためで、1884年(明治17年)に神威丸と安心丸が就航している。

 航路の延長と一般旅客利用の拡大で、1891年(明治24年)には江別-空知太(現砂川市)と石狩川に江別で合流する千歳川を利用して江別-漁太(現恵庭市)の航路も整備され、神威丸と安心丸に上川丸も加わっている。後に「空知丸」も加わることになる。

 外輪船が活躍した時代、江別は石狩川の交通の要衝であった。千歳川河口付近に江別の行政、金融、運送等の機能が集まっていたのはこのためである。現在は元の機能を失ってしまった石造り倉庫群が千歳川の岸に並んでいる。川を挟んで、向こう側には河川防災ステーションの名前がついた、現代の河川行政の申し子の場所がある。

 このステーションの二階が石狩川や千歳川に関する展示場となっていて、実物大の上川丸の模型がある。上川丸は江別のかつての江別の繁栄のシンボルともいえ、この模型を散見する。上川丸の模型を探すささやかなプロジェクトは進行中で、今まで目にしたものを載せておく。他にも模型の存在の情報があればご一報いただくと有難い。

 江別市の郷土資料館に上川丸の模型が展示されている。模型の説明には、1889年(明治22年)東京石川島造船所で造られ、総トン数60トン、長さ23.3m、幅4.1m、67馬力、定員60名とある。東京で造られ、海を航海して石狩川までやって来て、約二年後に本来の仕事に本格的に就くことになったのだろう。

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 江別市長の部屋を訪れる機会があって、ふと部屋の窓際をみると上川丸の模型があった。ガラスのケースに入ったべっ甲製の立派なものである。三好昇江別市長にケースの戸をはずしてもらって写真を撮った。誰がどんな状況でこのモデルを製作し、市に寄贈したのか知る由も無いけれど、上川丸の模型が市長の応接室にあるのが、この船と江別市の関係を表している。

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