2008年06月24日
野幌開村記念碑
江別市は入植初期に屯田のため土地を直線で分割した名残で、碁盤の目状に道路が走り、道路名に丁目と番地がついている。例えば、石狩川に並行に走る道路は、3丁目通、4丁目通といった具合である。この道路の呼び名に従えば、6丁目通から10丁目通りまでには野幌屯田の入植が1885年(明治18年)に始まっている。江別屯田は野幌屯田より石狩川に寄った部分である。
当別の伊達家の例もあり、北海道の開拓は東北地方からの入植者が圧倒的かと思っていると、野幌屯田は九州・中国地方出身者がほとんどであったとは意外である。野幌開村から30年を経て開村記念碑が建立され、開村記念碑が8丁目通に面する野幌開村緑地に建っている。
碑には「開村記念碑」と「野幌兵村」の大きな文字がある。この地への入植者の出身県も碑の前面に彫られている。出身県を碑面の文字から判読すると鳥取、鹿児島、石川、佐賀、熊本の各県である。
この碑の横には「開村五十年比碑」があり、題字および碑文は北海道帝国大学初代総長佐藤昌介である。碑面の文字は消えかかっていて判読が困難であるけれど、最初の行の「正三位勲一等男爵 佐藤昌介 題並撰」は読める。昔の帝国大学の総長ともなれば肩書きも大層なものであった。
碑のある辺りは屯田の公共的場所であったらしい。兵場の史跡の標石もあるので、屯田兵の訓練が行われた場所でもある。この史跡の標石のそばに「ニセアカシア」の大木がある。江別市の保存樹木になっていて、樹高22m、直径80cm、樹齢100年と表記されていた。野幌屯田兵第二中隊本部や、野幌天満宮も開村記念碑の近くにある。
野幌開村緑地に接して野幌公会堂の建物がある。野幌の文化活動や産業振興のため1938年に建てられている。概観は縦長の格子窓の板壁に白ペンキ塗りの洋風なものである。期待して内に入ってみると集会室があるだけで、現在は集会場に用いられているのみとの説明を受けた。したがって、館内にはこれといってみるべきものはなかった。
- by 秘境探検隊長
- at 04:20
comments
開村五十年比碑に書かれている文章を正確に残すべきです。いまでも字は明瞭ですが、私は十分に読み下すことができません。既にどこかに記録があるのでしょうか。あればそれを知りたく思います。大麻新町14-6、延與三知夫(えんよみちお) 011-386-0028, enyom@sea.plala.or.jp
延與様 江別市に郷土資料館があり、そこに問い合わせると碑文についての情報が得られるかもしれません。