2009年01月05日
日米加の雪
クラーク博士は札幌農学校教頭として、1876年(明治9年)7月から翌年4月まで札幌に滞在したので、札幌の冬を経験している。明治の札幌の雪は現在より多かったに違いない。クラーク博士の教えを直接受けなかった札幌農学校の二期生の新渡戸稲造は、国際連盟事務次長として国際的に活躍してカナダの地で没している。構内にある顕彰碑には「I wish to be a bridge across the Pacific.」の新渡戸の言葉が刻まれている。活動の地の米国やカナダの雪はいかなるものだったろうか。
博士見た 明治の雪は いかばかり
架け橋の 米国加国 雪いかに
- by 秘境探検隊長
- at 13:52
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