Search


Archives

2009年03月27日

札幌開祖志村鐡一碑-北海道豊平橋郵便局

 今でこそ豊平川には大きな橋がいくつもあり、自動車でも橋の歩道を歩いてでも、苦も無くこの川を横切ることができる。しかし、橋の無かった時代は渡し舟に頼る外なく、豊平川の最初の渡し守が、豊平橋の近くの碑に名前が残る志村鐡一である。志村は信州の剣客で、来道して渡し守になり、後に駅逓経営にも関わった。しかし、初代判官島義勇が札幌で開拓を進めるに際して、幕府との関係からか志村は役目を追われ、札幌の開祖の称号とは裏腹に、消息を絶ってしまった人物である。

%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E8%B1%8A%E5%B9%B3%E6%A9%8B%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B1%80.JPG

渡し守 札幌開祖の 名を残し

%E6%B8%A1%E3%81%97%E5%AE%88%E3%80%80%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E9%96%8B%E7%A5%96%E3%81%AE%E3%80%80%E5%90%8D%E3%82%92%E6%AE%8B%E3%81%97A.jpg

comments

comment form
comment form