2010年12月10日
国道横に残された小社女夫龍神
国道230号沿いで南署の近くを通ると、国道の西側に地蔵が並び、社殿というよりは祠の表現が合う建物と周囲にわずかばかりの空間のある一画がある。建物の上には額が架かっていて「女夫龍神」の文字が読み取れる。名前の由来は、病気の夫の快癒を祈った妻の願いがかなった、という言い伝えのある社との説明を読んだ。そのことが「女夫」の文字につながるのだろうが、この文字を当てはめたところは意味不明のところもある。龍神とあるからには龍神を祀った社であろう。
豊平川が藻岩山の裾から平野部に流れを変えていくところの、豊平川と藻岩山の間は山鼻地区となる。1876(明治9)年に、屯田兵制度によりこの地区に山鼻兵村が開かれている。社のある辺りは、山鼻地区への入植者の墓地のあったところである。しかし、札幌の発展に従って、墓所は1965(昭和40)年に平岸霊園に移されている。その時の区画整理で、墓地にあった小祠や地蔵が集められてここに置かれているようである。国道を見るように地蔵がおかれていて、供え物がある。信心深い住民が居るのだろう。
以前、この祠と並んで「油かけ大黒天」の社もあったのだが、改めで出向いてみるとこの社は無くなっている。社跡は、何かの新築工事が行われていた。国道に面していれば、小さな社などどんどん撤去される運命が待っているようである。女夫龍神もその運命の線上にあるのかもしれない。
国道の 横に残され 社(やしろ)かな
見上げれば 女夫龍神の 社名有り
南署の横には「山鼻屯田兵の像」のブロンズ像が立っている。制作者は彫刻家の山内壮夫である。軍服に身をかためて、鍬を手にした屯田兵が、ひっきりなしに国道を行き来する車を見つめている。農業従事者の高齢化、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)で自由貿易が行われると北海道の農業は壊滅的打撃をうけるとかの議論の喧しい現代、国際化戦争に対処した新しい屯田兵制度で、農業に志願する平成の屯田兵を募る時代に入っているのかもしれない。
鍬を手に 軍服姿 屯田兵
- by 秘境探検隊長
- at 00:50
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今日の秘境探検記に、北海道開拓の尖兵屯田兵が登場したのは秘境探検記の自然の流れですが、突然タイムスリップしたように目下北海道農業が壊滅的打撃を受けるとの賛否両論が激突している最大の話題TPP論議を国際的対処法として解決すべく、全く違和感なく秘境シリーズの俎上に載せて見せた手法は流石、探検隊長の独壇場!
「平成の屯田兵」は、爪句的直感から生まれた隊長ならではの究極の新語と思います。
ところで、私が以前フアイナンシャルプランナーの資格者として勤務先の窓口で株式投資家から相談を受けたのが、冷戦崩壊後のロシヤで起きたシャターリンの500日計画についてでした。
その緊急の事態でも餓死者が出なかった世界的な謎は、ロシヤ全土の家庭菜園で伝統的に見られるダーチャ方式では、ジャガイモなどロシヤ全土で必要な野菜や果物の90%以上が自給できたことを思い浮かべました。
さて、食糧自給率が危機的に低い39%程度の日本は、餓死者を出さないために将来どのように対処するのでしょうかか。
「平成の屯田兵」への腹構えや如何に?です。
先日テレビで視たのですが、日曜ファーマー、趣味の菜園、サラリーマン農民、タイトルを忘れてしまったのですが、趣味あるいはアルバイト的な野菜や農作物作りがはやっていて、農業人口の減少、農地の荒廃を救う手立てになるのではないかとのレポートでした。
これは説得力がありました。都市生活者も、生活の一部に食べ物の自給自足を組み込む必要があるのかも知れません。現在頭にあるのは「パラサイト農民」です。パラサイトですから寄生して農業を行うのです。歳で農業をする体力がないのでこれは無理としても、「パラサイトXXX」は試みてみようかと考えています。