2010年12月15日
道路脇の住宅然とした大天満神社
東区の環状通と並行して丘珠空港通が延びている。この道路が東苗穂から東雁来に入るところに、道路沿いに神社がある。周囲の住宅に鳥居がついたような感じである。大天満神社とはなっているけれど、ごく小さな神社である。神社の説明もないので、祭神はわからない。天満神社となっているので、天満宮の流れで菅原道真を祀ってあるか、それとも天津神(あまつかみ)が祭神なのだろう。
大の字が 小さき社殿に 架かりおり
千木は内削ぎで、地面に水平に削られ、玄関部分の屋根の鰹木は2本で、これだけなら祭神は女性である。女性とすれば菅原道真ということはなく、女性の神だろうともいわれている天津神が祭神の神社かな、と思われる。しかし屋根の上の鰹木は5本に見えて、こうなると男神で、菅原道真でもよいようにも思えてくる。
神様の性別はおくとして、住宅然とした神社の前を自動車がひっきりなしに通過していた。
内削ぎの 千木の推測 女神なり
- by 秘境探検隊長
- at 01:33
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今朝の道新で、先日の砂川市有地神社訴訟に対する札幌高裁の差し戻し控訴審判決に原告側が上告するとの記事についてですので、少し長くなりましたがご容赦下さい。
憲法の政教分離に関わる訴訟であり軽軽な判断は差し控えたい処ですが、札幌市を中心とした足元に位置する多くの秘境的神社や狛犬だけ見ても秘境探検記は神話を中心とした壮大な叙事詩の一形態と思って楽しんでおります
ので、この裁判は見過ごせません。
個々の神社の敷地は、元々は開拓者が千古の森を辛苦の末に豊穣の地に為し遂げた大切な私有地を、地域住民が豊作を祝い楽しむ最大の行事としての「村祭り」の主体であり、宗教性と言うよりも地域の守護神の象徴である神社対し寄付したのではないかと思います。
ならば、地域の開拓者から、その昔無償で受け取った神社敷地に対し、後世に至って、現状が政教分離の憲法の精神に違反しているとして、固定資産税的に借地料を取り立てる方に、むしろ強欲な違法性を感じます。
記事では、原告はご兄弟を当時の宗教的軍国思想により失ったと述べて居られますが、私の場合は、終戦直前に志願して三沢飛行場に赴きましたが、理由は大黒柱の父を職場の事故で失った後の家族を守る為だけでした。
原告は全くの戦後派と思いますので、戦後の学校教育などで、神社敷地無償貸与に至った遠因を無視して憲法違法として政教分離を訴えて来たとしても、独特の無宗教とも言える宗教感が一般的な日本では、むしろ違和感が拭えません。
差し戻し控訴審判決に対し政教分離に違憲として上告で訴えるのは、宗教を含めてあらゆる面がビジネス化する風潮が、氏子への過大な負担を強いる弊害を齎している現状への当然の帰結としても、本件に関して上告は釈然としません。
今朝の住宅然とした大天満神社を見て、そのように感じましたが、原告と私の年齢差もたった1歳ですので、10年以上前に、1歳違えば異邦人、3歳違えば異星人と言う言葉が流行りましたから、終戦時を挟んだ1歳の差は決定的のようです。
伊東さんは戦争を実体験として考えることができる世代なのですね。件(くだん)の訴訟の原告も同じ世代に属します。原告はキリスト者であるので、政教分離の問題に敏感なのだろうと思います。
砂川訴訟の問題は、宗教と世俗の間にある習俗というグレーゾーン内の問題で、なんともはっきりしたことが言えません。グレーゾーンにある問題については、常識(良識?)で対処しては、という他ないのですが、常識というものもこれまたグレーゾーンの話なので、まあすっきりした解決法が無いだろう、といったところが精々言えることかな、と考えています。