2010年12月29日
古い狛犬を見落としそうな豊平神社-続き
由緒ある神社では、新しい狛犬と以前の古い狛犬が同じ参道に並べて置かれるのが一般的はところ、豊平神社の場合、境内のスペースを確保するためか、古い狛犬は境内の脇に置かれている。気を配っていないと、狛犬は社殿の前に置かれたものだけかと、古い狛犬を見落としてしまうことになる。
古い狛犬は、新しいものと比べて、味がある。ずんぐりした身体に首のない頭がついていて、阿形犬の貌は、お座敷犬のペットの雰囲気である。尻尾のデザインも見事で、曲線で彫り込まれた毛の渦巻きが、模様の無い胴体との対比で効果的である。新しい狛犬と古いもののどちらを社殿の前に主役として置くかは、好みの問題ではあるけれど、筆者なら古い狛犬を選ぶ。古い狛犬の台座に奉納年が刻まれていて、明治32(1899)年と判読できる。
狛犬の 威厳を出すも 座敷犬
見せ所 尻尾の巻き毛 石工技
境内にはいくつか碑があり、その一つに針供養歌碑がある。使い込んだ縫い針に感謝し、裁縫技術の上達を祈るためのもので、歌碑には「裁ち縫ひにはげむをみなら数々の折れたる針をいとほしみつつ」が刻まれている。歌は、北海道の代表的な歌人であった小田観蛍が詠んでいる。
針供養歌碑
- by 秘境探検隊長
- at 18:06
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最近のテレビ番組では英会話教室の広告とか、石川遼ゴルファーの英語上達方などの番組が目立ち外人観光客へのアンケートなどは人気番組です。
その観光客に、日本の伝統的な「何々供養」の中でも特に日本的な「針供養」について質問して、日本の伝統文化を理解した上での明快な回答に出会ったならば、正真正銘の「日本通」と認定して良いよいのでは、と非常に興味が沸きました。
外国人ならずとも、日本人でも針供養の意味を知らない、特に若い人は多いのではないかと思っています。針と聞いて、縫い針を思い出す人より、注射器の針を思い出す人の方が多くて、針供養は医療関係者の行事だろうと推論する人も居そうですが・・・それはないか。