2010年12月30日
男女両神が祭神の中ノ沢神社
南区の砥石山から東方向に三つの川が流れていて、沢の地形に沿って街が形成されている。川は北側から北の沢川、中の沢川、南の沢川である。これらの沢の地域は、一緒にして八垂別と呼ばれていた時代があり、時代が下って中の沢川の地域は五号ノ沢と称されるようになった。五号ノ沢には1892(明治25)年入植が始まり、1895(明治28)年に山の神を祀ったのが神社の始まりである。
中の沢川沿いに、入植者によって1899(明治32)年に「山の神」碑が建立された。この碑が現社殿の前に置かれていて、少し古い道路地図には神社名として「山之神神社」が記されている。神社は1980(昭和55)年に現在地に移り、2003(平成15)年に新社殿が建てられた。祭神は山の神に加えて、豊受大神、猿田彦命である。
中ノ沢神社の鳥居と社殿
社殿の屋根には千木と鰹木が取り付けられており、千木は内削ぎで女神を、鰹木は5本の陽数で男神を祀ってあることを示している。山の神は多分男神だろうと思われるけれど、世俗で山の神と言えば女性でもある。性別がはっきりしているのは女神の豊受大神と男神の猿田彦命で、この二神のため千木と鰹木で異なる性別を表しているのだろう。
祭神は 千木と鰹木 異性神
中ノ沢神社は中の沢土地区画整理事業の結果、中ノ沢会館に隣接して境内がある。鳥居の横に整理事業完成の記念碑が建てられている。碑には絵が描かれていて、二つの山から川が流れていて、川は中の川で、山は砥石山と藻岩山だろうか。鳥は札幌市制定の鳥のカッコウだろう。星は開拓使の星マークかもしれない。三日月は何の象徴かわからない。記念碑の銘として「親和」とあり、事業が地域住民の協力の下に行われたことを表しているのだろう。
中の沢土地区画整理事業記念碑
- by 秘境探検隊長
- at 14:05
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中の沢の土地整理事業完成記念碑はエジプトの象形文字かマヤ文明の謎の文字のような印象で、都市秘境作家は秘境探検家と考古学者との二足の草鞋を履いているようです。
ここの記念碑は誰がデザインしたのでしょうかね。山形を三つ並べて、エジプト・ギザの三大ピラミッドを表しているようでもあり、三日月と五稜星ですから、スフィンクスから謎かけされている、なんていう白昼夢を見ているようだ、と表現は拡大します。