2010年12月31日
街区神社の苗穂山農本神社
東苗穂に三角点通と呼ばれる真っすぐな道路が延びている。道路の名前のもとになった一等三角点がどこにあるのか探して歩いたことがあるけれど、結局は見つけることができなかった。この三角点通の東苗穂11条のところに、道路から西側に少し入ったところに東苗穂まゆみ公園という街区公園がある。この公園と住宅に挟まれるようにして苗穂山農本神社がある。街区公園にならって、街区神社とでも表現してよさそうな神社である。
公園と 住宅押して 街社(まちやしろ)
創祀は、1883(明治16)年に入植者が金毘羅稲荷を祀ったことにある。1933(昭和8)年に現在地より少し離れた場所に大山祇神、木花咲屋姫を合祀した神社になっている。現在地に遷座して社殿も新しくしたのが1997(平成9)年である。境内といっても、住宅と公園の間の社殿への通路だけといった感じである。新しい社殿の戸の隙間から内部を覗くと、小さな祠がある。この祠を神社の本体とすれば、社殿は大きな鞘堂ともみなせる。
鞘堂か 中に小さき 祠あり
神社が窮屈な空間にあるので、手水用石桶があるくらいで、他に神社の付属物は見当たらない。ただ、鳥居の横に「授爵記念」の文字の刻まれた石碑がある。授爵の当人は、北海道大学初代総長の佐藤昌介で、1928(昭和3)年に男爵を授けられている。佐藤昌介は学の人だと思っていたけれど、1890(明治23)年から農場経営にも取り組んでいて、佐藤農場の経営にも当たっている。社名の農本は、佐藤の「農業が人間生活の根本」という考えに基づくもので、神社の近くの集会場も農本会館の名前がついている。
農本に つながる授爵 碑に残り
- by 秘境探検隊長
- at 01:38
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これまで、神話や古事記や日本書紀など、その後の近代日本史をそれぞれ点のように切り離して認識して居りましたが、都市秘境に登場する神社や狛犬などを象徴的素材に据えて天照大神以降の神話に起因する秘境探検隊長による爪句形式探検記は、一見すると日々の断片的形式でありながらも一貫性を堅持しており、イリアスやホメロスなどの叙事詩に比肩する壮大な日本的叙事詩として毎朝の秘境探検記をネット上で興味深く引き込まれております。
爪句に軽妙に織り込まれている絶妙なウイットは俳句好きの年代ならずとも唸るばかりで、こんな芸当は、仕分け人による2番手のスパコンでは脱帽ものと思います。
今年の最後を締めくくる今朝の8時~10時までの2時間ものゴールデンタイムでは、出雲を基点とする熊野や伊勢等の神話信仰を、トップクラスの大物タレントを揃えて「日本人の謎の解明」として特集を組んでおりました。
出雲大社以降の明治神宮までを皇族の抗争なども交えて応仁の乱や元寇等を連綿とした延長線上で違和感を与えず繋げて見せると言う筋書でした。
神社の建築様式に拘わる独特の用語なども、毎日の秘境探検記で充分な予備知識が蓄積されておりましたので2時間番組のテレビにくぎ付けの有様でした。
古代エジプトとかマヤとかインカなどの神話と現代との間には海外からの侵略を受けて空白があり、考古学者による古墳発掘で解明出来ておりますが今朝の神社特集による「世界の中の日本の謎解き」は私達現代に生きる世代にとっては、なかんずく秘境探検記フアンへのテレビ局からの予想もしない特大年末プレゼントとなりました。
考えてみると、日本の神話、例えば国造り、天の岩戸の逸話、八岐大蛇退治などと神々の係りなどの話は、誰から聞いたのか判然としません。戦後教育を受けているので、学校でこれらの話が出てくるほずもなく、さて日本神話のおぼろげなる記憶はどこから仕入れてきているのだろうか、と自問しています。ともかく、神社(狛犬)取材で、日本の神々の名前を目にするようになり、よく出会う名前は、呼び方が頭に入るようになりました。テレビの神社の番組は視ていませんが、テレビ番組でも神社や神話が取りあげられているのですね。