2011年02月14日
仮種皮が残っているツルウメモドキ
ツルウメモドキ(蔓梅擬き)は秋には黄色い仮種皮で覆われた実をつける。この仮種皮が3裂して、中から赤い実が顔を出す。実が落ちても仮種皮が枝に残っていて、ドライフラワーのようである。大通公園の植栽にこのツルウメモドキがあり、雪まつりの時期に近寄ってみると、仮種皮が真冬に咲いた花のように見えてくる。梅の名前が樹名についているのは、葉や若枝が梅に似ているからとの解説を読んだけれど、仮種皮が枝に残っている様は何となく梅の花に似ていなくもない。
実の落ちて ツルウメモドキ 皮残り
仮種皮(かりしゅひ)が 花にも見えて 雪まつり
- by 秘境探検隊長
- at 04:12
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晩秋の山歩きが好きでした頃、道端の3メートル程度の樹に絡んで居るのを、たまに見かけたもので、小学校唱歌にも載っておりましたから懐かしい木花ですが、中の赤い実が落ちた後に残った花のような仮種皮を見るのは初めてです。
上記の唱歌歌詞は、「山で赤いは夜明けの霜に照らされて枝に燃え立つ梅もどき」で、替え歌もありました。
「山で赤いは夜明けの霜にしょぼくれて袷欲しがる猿の顔」でした。
60年以上も前の、冬枝に残された葉跡程の痕跡も無く、脳裏からすっかり消え去った筈の「唱歌の歌詞とメロデー」が爪句で甦りました。
歳をとると最近のことは片端から忘れても、遠い昔の事は良く覚えているとは広く言われて居りますが、古い記憶が今に甦るのは、特に最近受け入れた情報量と、消え去った計り知れない膨大な情報量とを比較すると、ほんの痕跡程度にも満たないと思います。
とすれば、旧い記憶をしっかりと覚えていると言うのは定性法的な思い込みであって定量法の%で比較するならばコンマ以下の限りなくゼロに近い情報量と思うわけです。
最近のスーパーコンピューターは、人が一生の間に受けた情報量を記録出来るとの研究発表がありましたが実際に脳が受け入れた情報量は膨大で計測不能と思います。
最近の脳科学で定説になっている「脳細胞のエミリンを支えているマクログリア細胞が、ミトコンドリアが生産する生体のエネルギー通貨と言われているアデノシン三リン酸(ATP)のエネルギーを使ってエミリン部分をを刺激して活性化させる」との学説を立証してくれたと思えるのが今朝の爪句です。
遥か彼方の記憶を呼び覚まし追憶に繋げるのは驚きであり、有難く、最近の健忘症に直ぐに役立つ即効性の食品は無いものだろうか?
「爪句は劣化した脳を活性化する特効薬」は明快に治験立証出来ましたが何故かの理由解明と併せて「後期高齢期の現在の脳の活性化」の研究にも通ずると思います。
まだ発表の段階ではありませんが、近々「ひまわり」がその解を示してくれると期待しております。
コメントと言うよりも、夢物語になって仕舞い誠に申し訳ありませんが、爪句の為せる業としてご容赦下さい。
ツルウメモドキが詠い込まれた唱歌があったとは知りませんでした。私の記憶には、どこを探しても見つかりません。伊東さんはよく覚えていますね。それも替え歌まで・・・
記憶は、確かに最近のものは直ぐ忘れます。遠い記憶は本当にそうだったのか、記憶の演出が加わっているのか、判別がつかないところがあるのですが、よく同じ記憶が呼び起されます。
ひどいのは、数分前の記憶もなくなっていることです。白内障の手術後、目薬を5分おきに3種類点眼するのですが、5分前のことなのに、どの目薬を点眼したかの記憶も無くなっていることがあります。まあ、他のことに没頭していたりする理由にもよるのでしょうが、海馬体の衰えはかくの如しです。