2011年04月06日
早朝の燃える太陽
太陽の写真を撮って、燃えている表現が適用できるのは陽の出の時間帯である。あるいは陽が沈む夕暮れ時である。これは陽の光が十分強くないので、地にあるものが暗い中で、対称的に、陽が燃える炎の色を見せるからである。木立のシルエットを通して撮った写真では、木々に延焼しているかのような陽が写っている。陽が高くなれば、直視できないほど輝く太陽が天空にあっても、燃えている表現にはならない。早朝の燃える太陽は、散歩道で場所を変えて何度撮っても飽きない。
記録撮り 雑木延焼 陽の出時
ビルの上 燃える火の玉 日の開始
- by 秘境探検隊長
- at 00:57
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私の狭い研究室のパソコンに向かい、真横のガラス戸から見える景色は、今朝のプログ光景と同じように、上から空と山並みと街並みが真横に3等分されており、日々変化が見えるのは、流れる雲だけで、最近やっと眩しい朝日が真横に移動してきました。
それでも、春を思わす朝日ですから眩しくはありますが、プログの燃えるような輝きにはとても及びもつきません。
さらに決定的に違うのは、手前の様々な枝振りの木々が織り成す黒いシルエットは、純白のシラカバの織り為す光景とはまた違った意味で絶妙です。。
特に今朝の、まるで人手を加えたように真横に張り出した二本の枝は、燃えるような朝日を恰も額縁のように切り取り、プログ流に言えば、何度見ても飽きません。
日を追って次第に全容を現わしてきた原発事故の恐るべき実態記事で疲れ果て混濁した脳細胞が、かなり癒されております。
本日は北大博物館まで取材に行って、前館長の松枝先生から色々お話を聴いた中に、地熱発電の話もあり、脱原発のため、北海道でもっと本腰をいれて研究すべきではないかとの感想を持ちました。
鉱石の標本の中には放射能を出すものもあり、これを鉛の箱の中に保管してあるのを見せてもらい、博物館のバックヤードでしか見られないものを目にしてきました。
この2,3日は良い天気が続き、雪も解けて、本格的な朝の散歩の季節に突入の感じです。