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2011年04月14日

北大と縁の深いニッポノサウルス

 博物館の展示室の入口のところに、ニッポノサウルスの骨格標本がある。この恐竜に日本の名前がついているのは、当時日本領土であった南樺太の豊栄郡川上村で発掘されたことに由来する。命名者は長尾巧北大教授で、日本人により研究された初めての恐竜である。北大と縁の深いこの恐竜の模式標本が北大に保存されていて、復元骨格が展示されている。NHKの取材に同行して展示室に入った時、後からカメラを抱えて入室しようとしているSプロデューサーが標本の背後に写っている。

北大と 縁ある化石 日本竜

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入室者 ニッポノサウルス 見張りたり

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追記:NHKの新番組のブログ子の出番は、4月19日(火)の午前11:30~12:00の間です。

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私の手許に樺太に関する180ページ程の冊子がありますので、恐竜が発掘された位置を調べました。
冊子の題名は、大正2年に発刊された「北門の宝庫(樺太移住案)」です。
内容は、日本とロシヤの交戦による樺太と千島列島を巡る領有権転移の経緯について詳細に述べており、樺太の豊富な資源調査と、移民による将来への可能性などについての具体的な調査報告書です。
この冊子の末尾に添付されている南樺太島全域の詳図からプログの恐竜標本が発掘された位置を調べましたら
当時樺太庁が設置されていた豊原市から約20km程度の西北地域に川上の地名がありました。
お陰さまで、樺太と北方四島を巡る歴史的な経緯を知る事が出来ました。
北大総合博物館へは暫らくご無沙汰しておりますので、すっかり暖かくなり運動不足解消も兼ねて都市秘境としての北大恐竜標本の見学に出かけます。


  • 伊東 裕
  • 2011年04月14日 14:15

伊東さん 古い資料をお持ちですね。樺太(今はサハリンか)の地図をじっくり見ることもありません。北海道の直ぐ隣の外国なのに、直接船で行く機会もない隣国で、歴史の経緯がそうさせているのを実感します。

  • 探検隊長
  • 2011年04月14日 14:36
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