2011年06月23日
テレビ生放送的人生
早朝ホテルで朝食を摂り、その道の専門家の話を聞く会に出席している。会が始まるまで少し時間があったので、大通公園の写真を撮っていると、テレビの生中継が行われている。アナログ時計も写っていて、針は7時44分 を示している。のこり30秒のQが出ていて、女性のリポーターも緊張しているだろう。
放送は温度も映像に出されるようで、大きな温度計が写っている。朝の慌しいなかで家庭のテレビで今日の天気や温度のチェックが行われているのだ。
朝食会では、たまたま民放のS社長の隣になる。ブログ子のNHK番組の生放送に話が及び、
ブログ子「生放送は難しい。あれもこれもと失敗だらけだ。」
S社長「生放送は後であれこれ考える人には向いていない。終わればそれを忘れてしまう人向きだ。」
うーむ、核心を突いている。ここからはブログ子の考察である。人生という生放送をうまく演じるためには、過去の失敗をくよくよ考えていてはいけない。終わったことはすぐに忘れることである。でも、それって薄っぺらな人生では、との反論もあろう。これはテレビ生放送的人生論で、テレビはもともと表層的な(薄っぺらなと書きたいところだけれど、テレビ関係者もこのブログを読んでいるようなので、ここは言葉を選んで)メディアなのである。
- by 秘境探検隊長
- at 15:21
comments
コメントを入力してください
先日の初めてのFM放送では事前準備も全くなく、終った後も放送中も、あれこれ冗長で失敗しているのに、けろっと忘れてしまった。
プロの放送関係の優れたパーソナリテーとかインタービユア‐などの共通点は、質問の仕方や言葉が完璧なまでに正鵠を得ており的外れの質問など無く深く印象に残った。
では伊東さんは生放送に向いています。プロの司会者は馴れているので、ボロを出さないしゃべり方ですが、その内容が“正鵠を得て”いるかどうかは、さてどうでしょうか。