2011年10月01日
石狩の浜に異形を晒す無辜の民
本郷新は、札幌大通公園の「泉」の作家のイメージが強く、テーマが若い女性で具象的作品が代表作と思い込みがちである。しかし、反戦を半具象化した「無辜の民」シリーズとして15作品を制作している。その内の「虜われた人I」の小品を大きくしたものが「石狩」碑として石狩の浜に置かれている。ここでは、北海道の開拓で命を落としていった開拓民の鎮魂の意味を込めているようである。ススキが繁り人工物の無い荒涼とした砂浜は、この作品に相応しい舞台を提供している。
無辜の民 異形を晒し ススキ浜
石狩の 空海掴む 手が開き
- by 秘境探検隊長
- at 10:13
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無辜の民で、真っ先に思い浮かぶのは原爆とか住宅地の無差別爆撃など戦争の犠牲者への反戦を具象化した鎮魂の作品としての意味合いの他に、プログで説明のように開拓の苦難の蔭で命を落とした民への鎮魂の意味合いとなると、戦乱と言う根源的事情も背景にあるとは云え、農業面での失政の犠牲者でもあるように思います。
例えば明治維新に未開の北海道に全国から募った開拓者とか、戦前の満蒙開拓団とか終戦後極寒のシベリア抑留中の苦役で帰国の叶わなかった多くの兵士や、外地からの引き揚げ者に割り当てた不毛の荒地で開墾の辛酸を嘗めた人々を指すのか。
思想上の理由から樺戸監獄に収監された政治犯への鬱蒼とした森林開墾の労苦なども思い当たるのですが、最近の原発事故で転々とした避難先の劣悪な施設で病死した人はどうなのか。
荒涼とした石狩浜の異形を実際に見たとき、又別の感慨が浮かぶのかも知れません。
ブログ子は何度かこの異形の像を見ているので、情景が記憶に残っています。で、異形を知って見ているので、彫刻の異様さにそれほど驚きません。しかし、この像を最初に目にしたら、それも予想もしないで石狩の浜で出会ったら、かなり強い印象となって記憶に残ると思います。コメントにあるように、どの時代にも無辜の民は作られるものだ、という思いはぬぐえません。