都市秘境の条件の一つとして、自由にアクセス出来る場所や対象というのがあり、言葉を変えていえば無料で見られる場所ということである。公的な場所や施設でも、有料のものは原則都市秘境の対象から除いている。そこで無料のギャラリーで、大家と未だ世に出ているとは言い難い(ここでは「未世出」の造語を用いている)アーティストの好対照のギャラリーを採り上げてみる。
本田明二は札幌市内の公共的場所でもその作品を見ることができる彫刻の大家である。一九一九年に空知館内月形村に生まれている。札幌第二中学校(現西校)を卒業して上京、彫刻家を志し、その後札幌に定住して創作活動を続け、北海道文化賞を受賞している。一九八九年に享年六十九歳で亡くなっている。
本田明二ギャラリーは南十五条西十三丁目の住宅街にある。内に入ると入り口のところに本田明二の顔のブロンズ像がある。これは札幌を代表する彫刻家本郷新が制作している。本田が六十歳になったのを記念して開いた彫刻展に寄せた本郷の一文が、ブロンズ像の後ろの壁に掲げられている。これを読むと、おおらかな性格であったようである。
ギャラリー内部は一階に「スタルヒンよ永遠に」の大きな石膏像があり、そのブロンズ像は旭川市総合体育館前に設置されている。五輪大橋に設置されている「栄光」の男女像のミニチュアの石膏像もある。「栄光」像の方は顔がデフォルメされていて、顔からは男女の区別がつかないけれど、身体の特徴から区別をつけることができる。五輪大橋に設置されている像は石の像である。
螺旋階段を登ると二階には事務机があり、パソコンに向かっている女性がいる。本田明二の娘さんで、このギャラリーの管理者でもあるようだ。彫刻の大家といっても、どこからか運営資金が出て来る訳でもなさそうで、入館無料のギャラリーを維持するのも大変だろうと、いった感想をちっと述べただけで、突っ込んだ質問はしていない。
大家の対極にある未世出の画家の卵、奥井理(みがく)の作品を展示したギャラリーは中央区旭ヶ丘五丁目にある。彼は札幌西校卒業後美大を目指して東京で勉強中に交通事故で亡くなっている。十九歳の短い命であった。両親が遺作の展示場として二〇〇三年「奥井理ギャラリー」を創立している。
ギャラリーに入ると、奥井理著の画文集が机に積んである。十年前に出版された「十九才の叫び」と最近出版された「地球人生はすばらしい」が目につく。画文集の背後にある人物画は自画像であろうか。この部屋はカフェにもなっている。ただ、ギャラリーは時々コンサートホールとして貸し出されるようで、訪れた土曜日は、明日のコンサートの練習が行われていて、カフェはお休みであった。このコンサートは三十六回目を数えるそうである。
ギャラリーには画文集「十九才の叫び」の表紙になった大きな油絵も飾られている。その他未世出の画家の遺作がこのギャラリーに存在場所を確保している。美術評論家ではないので、作品についての適当な批評が出てこない。しかし、肉体が消えても作品がこのように残るのは、彼の良き理解者の両親がいたればこそ、であるとの思いが強かった。
彫刻の大家と未世出の画家の卵のギャラリーが、歩いてもさほど苦にならない距離にあるとは、その対照の妙が都市の秘境のテーマになるものであると思えた。