2007年01月31日
2007年01月30日
染織工房Kazu
小樽・石狩の秘境探検で、札幌の秘境と同じカテゴリーを無理に探すと候補がある程度揃えられる。しかし、小樽・石狩の都市としての特色を出そうとすれば、それは札幌とは異なる切り口で考えるのがよいと思われる。札幌に無くて小樽・石狩にあるもの、それは一つには海である。さらに、小樽の特色で言うと物つくりを行う人や場所、つまり職人や工房が挙げられるだろう。
観光都市小樽では職人や工房は観光産業に組み込まれていて、都市の秘境の定義、意外な場所で、アクセスが容易で無料で見ることが出来、考えさせられる対象や場所から外れるものが多い。しかし、著者のように小樽外から訪れる者にとっては、上記の条件をある程度満たすものであれば都市の秘境に組み入れてもよいかな、とも考えている。
染織アトリエKazuと銘打った手染め、手織りのこの工房は堺町通りに面して金融資料館(旧日銀小樽支店)の近くにあり、観光客相手に売り場を設けていて、観光客が訪れる場所である。雪のちらつく週末にこの工房まで足を運んでみる。ここでKazuとは工房主の寺岡和子さんの名前から採られているらしい。
石蔵内部を改造して工房と売り場になっていて、手染めや手織りの仕事場を見ることが出来る。一階部分に手染めの工場があり、紡いだ糸などが染料の入ったボールに吊るされて浸されている。説明は受けなかったので詳しいことは分からないけれど、染色や水洗いの工程を経て織りに回す糸が染め上げられるようである。
手織りのための機織機(道具)が置かれていて、染色された糸がここで織りの工程に入る。中国で見た絨毯の手織りは工場の雰囲気で、出来上がったものは製品という感じだった。これに対して、ここでの手織りの機織機はこじんまりとしていて、手織りで出来上がって来るものは、製品というより工芸品の部類に入れられるという感じが強くする。
二階はこの工房の製品(というよりは作品)の展示と販売場になっている。石蔵の建物の内部はどこも立派な木の造りとなっていて、年季の入った梁や柱は重厚感があって、そこに柔らかな糸や布が並べられている。その取り合わせの妙が生かされていて、観光客相手に工房と作品を見せる工夫が凝らされていることが感じられた。
2007年01月29日
笛を吹く 少女着飾る 雪衣(ころも)
2007年01月28日
幻聴か のびゆく子等の 遊び声
2007年01月27日
双つ帽 躍動目にする 部屋の内
2007年01月26日
栄光の 像女性なり 乳房あり
2007年01月25日
シオンとは いかなる女性ぞ 新聞社
2007年01月24日
三馬ゴムの思い出
このテーマは取材の途中である。で、ちょっとした思い出があるだけで、秘境のテーマになるのかどうか今のところ確かなものではない。
銭函駅近くの石蔵の喫茶店については以前に書いている。この店内で三馬ゴム株式会社の社名入りの写真の壁掛け時計を目にした。三馬ゴムの長靴(ゴム長)を履いた記憶のある著者には、これは秘境の舞台の小道具に見えた。
今でも三馬ゴムのブランドでゴム長が作られ売られているのだろうか。そこら辺を取材してみたいのだが、ゴム長を履く季節で、小樽までの遠出にはブレーキがかかって、そのままになっている。
ただ、小樽の街で道路を跨ぐ写真の看板を目にした。文字通り馬が三頭並んでいる。この近辺の小樽市民には見慣れた看板なのだろうけれど、札幌市民の著者には珍しいものを発見した気持ちであった。
「創造をささえる技術」のコピーが看板にあるところをみると、今でも物作りの先端を行っている会社のようである。それが本当なのかどうか、次の機会に取材してみようと思っている。
2007年01月22日
冬曇天 墨絵の世界の 希望なり
2007年01月21日
やすらかな 傾きありて 歩道脇
2007年01月20日
伸びやかに 乙女かざす手に ライラック
2007年01月19日
小樽の小学校の二宮金次郎像
秘境探検も追い求めるテーマがあると取材への行動に移り易く、発見の楽しみもある。札幌秘境探検の例でいうと“シェー・パンダ”像というのがあった。あちらこちらの公園に同じポーズ(漫画「おそ松くん」のキャラクター「いやみ」のお得意ポーズ)があり、これをテレビ局の取材班に加わって探して歩いた。
小樽・石狩秘境探検でもこのようなテーマはないかと探していて、「二宮金次郎像」というのが浮かんで来た。戦前ほとんどの小学校にあったこの刻苦勉励・質素勤勉の権化のような人物の、薪の束を背負い、歩きながら本を読む姿の銅像である。
しかし、太平洋戦争が激しくなり、金属不足の状況に遭遇した国家が、小学校のこれらの銅像の供出を命じて、この偉人像は学校の校庭から姿を消した。しかし、今回探検してみると金次郎像がかなり残っているのである。札幌の小学校にはほとんど見られないのに、小樽市内の学校には散見される。
これは供出を免れたか、戦後に新しく作り直したかのどちらかなのだろう。札幌の小学校にほとんどなく、小樽の小学校に多いのは、戦後から拡大して来た札幌の多くの小中学校にはもともと金次郎像がなく、これに対して小樽の学校では歴史が古く、多くの金次郎像があったためなのだろう。また、伝統の学校では金次郎像を復元する動きが活発であったという理由も考えられる。
ともあれ、小樽の小学校の庭に金次郎像を探しに行くことにする。国道5号線で張碓の町に入る付近の山側に張碓小学校がある。少し小高いところに校舎があり、車を乗り入れるとグラウンドの入り口のところに写真の金次郎像がある。二宮尊徳像のプレートがはめ込まれた台の上に置かれた、薪負い読書型の典型的金次郎像である。
小樽市内に入って、昨年閉校になった東雲町の堺小学校の金次郎像は前にもレポートしている。学校が閉校になって、グラウンドの脇に金次郎像が残っているのも、感慨深いものがある。閉校で金次郎像が残るより、金次郎像が供出されたとしても、学校が、つまりは生徒が残っている方がなんぼか希望が持てる。ただ、戦争はご免である。
JR小樽駅の近くで5号線から697号線に入り少し山の方向に進むと、稲穂小学校がある。ここの金次郎像は写真のような草履を差し出している姿のものである。戦後の教育を受けている著者にはこの姿の物語を教えられていない。金次郎が家計を助けるため草履を売っているのか、それとも道行く人のために草履のサービスを行っているのか、はっきりしたことは分からない。
この稲穂小学校は石原慎太郎東京都知事と弟の裕次郎が学んでいた小学校としても知られている。裕次郎記念館は小樽の港の方にある。稲穂小学校の名前は「実るほど 頭をたれる 稲穂かな」から名前が採られているらしい。これは金次郎の精神に通じるものである。
国道5号線を進んで、手宮の町に入り、小高いところに手宮小学校がある。学校の入り口に金次郎像がある。生憎の天候で写真を撮っても暗い写真にしかならなかった。ここから手宮の町を俯瞰した写真も風景が霞んで、再度来てよい写真をとろうと思いながらこの小学校を後にした。
- Permalink
- by 秘境探検隊長
- at 04:16
2007年01月18日
時刻来て 従者追いかけ ドン・キホーテ
2007年01月16日
雪流を 遡る鮭 橋の上
2007年01月15日
ハーモニカ 吹く猫の居て 雪の公園
2007年01月14日
ホテルノルド小樽の壁面化石
ノルドとはイタリア語で「北」を意味する。このホテルは観光名所小樽運河に沿って走る臨港通と小樽駅から運河に向かう中央通が交差する場所にある。観光地のど真ん中にある名の知れたホテルで、ホテルだけに目を向けると秘境の対極にある。しかし、ある事柄でここを秘境に組込みたくなった。
その事柄とは化石である。このホテルの外壁は平面加工のされていないものと、表面を平らにして磨いたイスラエル産の大理石で化粧されている。ここに多くの化石を見つけることができる。
ホテルの外側にあるホテル名の入ったプレートからこのホテルが1996年に建てられているのが分かり、比較的新しいホテルである。このプレーとの回りの荒削りの大理石にも化石を見つけることができ、化石の話をしたらホテルのフロントに居た従業員が熱心に化石探しに加わってくれた。
ホテルの玄関のところに小樽の運河をデザインしたステンドグラスがあって、内側から見ると洒落た雰囲気を作り出している。この玄関部分の大理石の壁に多くの巻貝の化石を見ることができる。この巻貝はネリネアと呼ばれているもので、化粧板として大理石がスライスされる時に切り取られ方で各種の模様が浮き出て、探していて面白いものがある。
大理石は堆積岩である石灰岩が地下の深いところで熱や圧力を受けて結晶をつくり、磨くときれいな石の表面となるため、建材として利用される。この石灰岩には生物の遺骸が含まれる場合があるので、これが建材の大理石の表面に現れることになる。ヨーロッパ産の大理石は化石が含まれているものが多い。
化石は小さなものなので写真に撮る場合接写となる。照明や三脚無しで、手で持ったデジカメで接写モードで化石の撮影を試みたけれど、今ひとつ鮮明な写真が撮れなかった。もう少し撮影方法を工夫して、化石の調査も念入りにして、色々な化石の写真を撮ることは課題として、ホテルを後にした。
2007年01月11日
白雪に 翼黒くて 女神NIKE
2007年01月10日
海宝楼
閉校になった旧堺小学校の横を通り、堺町通に抜ける道沿いの少し高いところにこの建物がある。旧板谷邸であったものが現在はレストラン兼風呂の商業施設となっている。石蔵を利用した資料室もあり、小樽市の歴史的建造物の指定と組み合わせて、食事無し、入浴無しの観光客の見学のみにも対応している。
旧堺小学校の取材のため、海宝楼の門の横から入れる、空いている駐車場に車を止める。この駐車場からは小樽の街をすぐ下に見下ろすことができ、坂道を降りたところに寿司屋の「多喜二」がある。冬場で海宝楼自慢の庭も殺風景である。ここは緑が豊かになって訪れると印象もまた違ったものになると思われる。
車を駐車したことでもあり、秘境探検の番外編で、この建物の中を覗いていくことにする。冬場のオフシーズンであるせいか、客もほとんど居ない。大人千円の入館料を玄関先に置いてあるチケットの自動販売機で購入して邸内に入ってみる。
この建物は一九二六年(大正十五年)から一九二七年(昭和二年)にかけて、戦前には日本有数の船会社を経営していた板谷家の私邸として建築されている。和風と洋風の建物がつながっていて、石蔵内が資料館になっている。頑丈な石蔵の扉から石蔵の内に入ると、古い小樽の写真や文献が並んでいる。
展示されている小樽のかつての栄華を誇る写真には、おたもい海岸にあった竜宮閣、手宮や入船町にあった遊郭のおいらん、百人は居る芸者衆の集合写真などが目に入る。女子学生のスキー姿の写真もあって、編み上げスキー靴、カンダハー、竹製ノストックは著者の若かった頃を思い出すと違和感はない。
二階にはラッパ付きの蓄音機、ブリキ製のおもちゃ、年代物のアコーディオン、ランプ、箪笥といろいろ並べてある。それほど点数が多くはなく、資料のための資料館というよりは資料館の雰囲気を演出して石蔵内を見せようという方にウエイトが置かれているようである。
この建物から防空壕にも行くことができ、写真のレンガ造りの防空壕内にも入って見る。この防空壕がどのように使われたのかは傍に聞く人もいないので分からない。防空壕の内に宝船の模型が置かれてあって、使われなくなった空間にアクセントを持たせると同時に、平和な時代を演出している。
海宝楼が無料で見学できるなら、これは秘境に組み入れてもよいかとは思ったけれど、入館料だけでも千円をとられるなら、秘境の候補からは外さなければならないだろう、と思っている。ただ、二千円(探検隊長+助手分)も払って見学したからには、ここを没原稿にするのもおしいような気もしている。
2007年01月09日
NANMOSAは なんも、なんもの ストーブ名
2007年01月08日
眼差しか 騙される脳 ふと思い
2007年01月07日
これなんじゃ 色即是空 無可有(むかう)かな
2007年01月06日
田中酒造・亀甲蔵
小樽は種々の業種で石蔵を利用している。レストラン、工房、美術館等々とある。これに酒造りも加わる。小樽の臨港線沿いにある田中酒造の日本酒の製造も「亀甲蔵」と名前のついた石蔵の中で行われている。観光ルートに組み込まれていて、観光バスで観光客が訪れて、秘境の候補にはならない。ただ、ここは無料で石蔵内と酒造りを見学できるので、酒造りが石蔵内で行われている意外性もあるだろうと、見学を試みた。
玄関部分に、写真のように亀甲蔵の文字をあしらった大きな看板がある。この石蔵は小樽市指定の歴史的建造物であり、その説明板が玄関横にある。旧岡崎倉庫で、三棟の連続する倉庫で、一九〇五年(明治三十八年)から一九〇六年にかけて建築されたものである。建物下部にレンガを積み、その上に軟石を重ねて造ってある。
田中酒造の方は一八九九年(明治三十二年)の創業であるので、この石蔵よりは古く、百年以上の社歴がある。本店は小樽市内の別の場所にあり、小樽の地酒「寶川(たからがわ)」をブランドとして守り続けて来ている。
石蔵内で説明を受けている観光客のグループに付かず離れずで、酒造の現場を見て回る。米から麹が作られる過程や醸造タンク群をガラス越しに見る。大規模な生産ラインがある訳ではないので、生産量は限られる。製造された清酒は同社の販売を主に、小樽市内で売さばかれる、と同社のHPに書かれてあった。
石蔵内部にはここで造られる酒や関連商品の売店もあって、蔵直出しの各種日本酒が無料で試飲ができる。当然ながら未成年者と車を運転しての見学者には無料であっても試飲は出来ない。
運転手と秘境探検を行っている当方は、大きな顔で試飲を楽しめる。きき酒なんていう芸当とは無縁の著者は、どの日本酒を飲んでも同じ日本酒にしか思えない。はっきりと清酒との違いが分かったのは酒粕から造った甘酒で、これはなかなか美味しかった。
ウイスキーでもワインでも口に含んで酒の違いに薀蓄をかたむける粋人が時たま居るけれど、あれは天賦のものなのか、それとも経験の積み重ねなのか。ひょっとすると、美味しいと思って自分の味覚を信じているけれど、他の人はもっと美味しく感じているのかもしれない。
五感は他人との差を比べてみることができない秘境の部分であるけれど、味を細かく認識できる味覚を持った人はその分豊かな味の世界を持っているのかな、とは思ってみる。
2007年01月05日
本郷新「花束」
2007年01月04日
正月のすすきの街角
2007年01月03日
正月の街角
2007年01月01日
シーズンオフの銭函海岸
夏に海水浴客で賑わう海岸にシーズンオフに行ってみると、寂寞感が漂う。海水陽客のための海の家なんかが閉じられていて、誰一人居ない海岸に波が寄せては返している。単調な風景の中の自然のリズムで、それを乱す人間の営みがない。
銭函海岸はJR銭函駅から東に延びる海岸である。その先の東には「おたるドリームビーチ」と呼ばれている砂浜が続き、さらに石狩湾新港、石狩浜につながっていく。JR銭函駅から西は張碓の海に接する海岸となり、岩場の海岸が現れる。銭函海岸は張碓側の岩場の海岸から砂浜に変わっていくあたりにあり、小石や礫混じりの砂浜である。
銭函の海岸から南西方向を見ると、石狩湾に迫る山並みが望める。地図で確かめた位置関係から、スノークルーズオーンズと思われるスキー場のゲレンデが雪で白くなっていて、雪の季節の到来を告げている。石狩湾からの風雪がこの山並みにぶつかるので、この山裾を走る高速道路や国道は天候によっては冬場は難所の道となる。
海岸からの写真には沖合いに消波ブロックの堤が見える。消波ブロックは雪で覆われていて、ここも冬景色に変わっている。漁船が係留されている訳でもないので、漁業者のためのものでもないようである。それなら夏場の海水浴客のためかと思ってみるけれど、設置理由ははっきりしない。後で聞いたところでは、海水浴客のために消波ブロックの堤を造る予算はつかないので、これは海岸に住む住民のためのようである。
シーズンオフの銭函海岸を高いところから俯瞰したらどんな景観だろうか。桂岡町の小高い丘にある北海道薬科大学のキャンパスから銭函海岸を見てみることにする。冬休みに入り、学生の姿も見られないキャンパスに車を止めて銭函海岸の方向を望む。写真のように国道5号線に沿った銭函の町の向こう側に銭函海岸が見える。
上から消波ブロックの堤と海岸を見ると、消波ブロックの堤が潮の流れに影響を与え、海岸の砂浜を増やしているようにも観察できる。消波ブロックの堤は結果的には砂浜を造り出しているようである。この方面の知識は無いので、そうなのかどうかは分からないけれど、全国的に波の浸食が激しい海岸での砂浜保護上でこのような消波ブロックの堤は有効のようである。