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2007年06月24日

三社神社と張碓神社

 神社は元の場所で、年月が経るままに境内で大きくなった木々に囲まれて古さを醸し出しているのがよい。しかし、建物が古くなったり、お守り役の住民が居なくなったり、開発で境内そのものが無くなったりで、神社も昔の姿でいられない場合も多い。張碓の町で昔ながらの神社と、新しく建て替えられた神社があったのでその対比を見て来た。

 国道5号線から張碓の町に入るとすぐに三社神社が現れる。冬の期間はこの神社は雪の中に埋もれている。雪がなくなって出かけてみると、大木のある境内に古そうな感じの神社がある。三社と呼ばれるように異なる神様が祀られているようで、社の一つには「波切不動尊」の額が掲げられていた。

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 波切(なみきり、浪切)不動尊は高野山真言宗から来ている。空海(弘法大師)が留学先の唐から帰国時に船が難破しかかってとき、霊木に「不動明王」を刻んで祈念すると、不動明王が火炎を発しながら右手に利剣を持って波を切り裂いき、船を導いたと言い伝えられている。境内にはこの利剣が刻まれた石碑があり、奉納年として明治27年(1894年)と刻まれているので、石碑だけからも百年以上前の神社であることが分かる。

 波切不動尊の額の横に大きな下駄とわらじが奉納されている。この大きな下駄は太平山碑の祠に中にあった大きな下駄にも通じるもので、どうして下駄なのか分からない。昔、真言宗のお寺にお参りするとき下駄やわらじを脱いだことから来ている、天狗も祀っていて天狗の履く下駄、不動明王の大きさを示すため(下駄を履いた不動明王は目にしていないけれど)などの説が考えられるけれど、確かめてはいない。

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 この三社神社よりもっと歴史の古い神社が張碓神社であると耳にして、さぞや古色豊かな境内を持つ神社かと張碓神社を張碓の町で探してみる。しかし、これが見つからない。それは国道5号線が張碓の町を分断していて、国道沿いの山側に新しい境内となっているためである。この境内は国道脇にはあるのだが、よほど注意していないと車では神社前を瞬間に通り過ぎてしまう。

 張碓に住む人から350年ぐらいの歴史はあるだろうと聞いて来た神社は真新しいものである。神社の標柱には平成14年建立の文字があったから、出来立ての神社である。狛犬(お稲荷さんか)さえも未だ置かれていない。これでは神社の有り難味が湧かない。多分、国道を含めて新しい道路建設のために境内が移動したのだろうと推測されるけれど、「村の鎮守の神様の、今日はめでたいお祭りだ」の神様も車がひっきりなしに通る国道沿いの新居では、気分が年中落ち着かないのではないかと思われる。

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