2015年02月28日
シリーズ1776・「パノラマ写真」ここはどこ
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- by 秘境探検隊長
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2015年02月28日
リスが逃げ 毛皮コートの イタチなり
ヒマワリの種を食べていたリスが逃げる。その後を見慣れない毛皮の動物が追いかける。瞬間のことでやっと1枚写真を撮る。イタチらしい。家の周囲でイタチを見たのは初めてである。雑食性の動物で、これに狙われたらリスも大変である。
2015年02月27日
2015年02月26日
パソコンと 窓際リスを 重ね撮り
ベランダに来るリスのアップの写真ばかりでは芸がないかと、パソコンに表示したリスと窓際の実物のリスとを重ね撮りしてみる。実物のリスが小さく写って、リスと説明しないと何が写っているのかはっきりしない。今朝は良い天気である。
2015年02月25日
2015年02月24日
列車待つ 木に河豚の居て エナガかな
パノラマ写真を撮影するため列車待ちをしている時、手持無沙汰で近くの木に留まる野鳥を撮る。河豚のように丸々とした体形を見せているのはエナガである。名の由来の長い尾羽が球体の身体から伸びている。この尾羽で種類の確認である。
確認は 車体拡大 カシオペア
駅や列車のパノラマ写真撮影が終わっても大仕事が残る。魚眼レンズで撮った写真を貼り合わせて1枚のパノラマ写真にする作業である。今日は3日前に撮影したパノラマ写真の合成を行う。日にちが経過してからの作業では記憶が曖昧になる。(パノラマ写真)
2015年02月23日
2015年02月22日
撮り鉄に 見送られ行く 北斗星
早朝にトワイライトエクスプレスを「礼文華の大カーブ」で撮ってから、長万部駅前で本舗かなやの「かにめし」を開店と同時に買って朝食となる。その後3月に運転取り止めとなる寝台特急「北斗星」を長万部駅と静狩駅の中間辺りで撮る。(パノラマ写真)
2015年02月21日
湯船から 駒ヶ岳見る 最後なり
昨日、流山温泉が今月中で営業停止となるのを知る。この温泉に入る最後のチャンスを生かさねばと、パノ鉄取材隊の面々と同温泉に浸かる。露店風呂の湯船の横には雪塊があり、雪の駒ヶ岳が眼前に迫る。この絶景の温泉が無くなるのは惜しい。(パノラマ写真)
2015年02月20日
駅残り 温泉消えて 駒ヶ岳
駒ヶ岳の裾野を走る函館本線のパノラマ写真の撮影旅行初日である。駒ヶ岳は頂上がくっきり見えたり、雲で隠れたりである。流山温泉駅のところで頂上から雲が消えたところをパンラマ写真に撮る。流山温泉は今月で営業を停止し無くなる。
2015年02月19日
寸評は 女性が元気 朝食会
月1回ホテルで朝食を摂りながら各界の方々からお話を聞く「無名会」がある。主宰者は石黒直文氏である。今朝は「エコ・モビリティ サッポロ」代表の栗田敬子さんからベロタクシーと太田明子さんからサッポロバイクプロジェクトの話を聞く。(パノラマ写真)
2015年02月18日
2015年02月17日
天気連れ 庭に来たるか カワラヒワ
雲の無い青空が広がり、昨日までの荒れた天気が嘘のようである。見慣れない鳥が来ていて、写真に撮って拡大してみるとカワラヒワである。夏にはよく見かけるけれど、冬の庭では珍しい。強風で飛び散った枝のある雪面で餌を探している。
三日月に 邪魔の電線 明けの空
月の円弧の一部が天空にある。いつもは手持ちのカメラで撮影でも、この三日月を相手にしては三脚が必要である。道路に三脚を据えて三日月を撮ると、幾条もの電線が写り込んでくる。住宅街で電線の見えないところなどないので仕方がない。
取材時は 人の多くて デッキ駅
駅の北側で線路と道路が交差し踏切がある。踏切の傍にブロックの待合所があった。待合所といっても利用されている形跡がない。取材で訪れた時、駅のある町役場の職員が同駅の宣伝のためわざわざ出迎えてくれた。待合所はその後新しくなった。
2015年02月16日
排雪後 どか雪無しと 祈念なり
月曜日で土、日に休んでいた排雪作業が始まる。雪ロータリー車からの雪がトラックに吐き出される。自宅からの足に自動車を使うので道幅が広くなると助かる。排雪作業の後にどか雪の年もあり、今年はそうならないことを祈るばかりである。
2015年02月15日
ヒマワリの 種舌に見え シメの口
朝から荒れた天気である。このような日は外出するかどうかの選択に気を使わなくてもよいので、意外と落ち着いて仕事に打ち込める。その代りこれといった写真は撮れない。ベランダに来てヒマワリの種を咥えたシメを撮って拡大してみる。
2015年02月14日
ヤマガラや チョコの色なり 聖人日
家人は朝からA市に出掛ける。録画してあった高倉健主演の映画「海峡」を観ていると、板を叩く音が聞こえて来る。野鳥が来てヒマワリの種を突いている。写したヤマガラの体毛の一部の色は、バレンタインデーのチョコレートを連想させる。
2015年02月13日
2015年02月12日
雪まつり サザエさん消え 終わりなり
サザエさんの大雪像の解体作業を、遠くから望遠レンズで撮る。周囲の家族の姿が重機によって次々と消えていくのに、サザエさんは大きな口を開けて笑っている。歌にある通り本当に“陽気な”サザエさんである。雪まつりも終わりである。
2015年02月11日
団らんを 過ごし明日には 雪小山
家族団らんを演出した大雪像のサザエさん一家を、祭の期間中どれだけの人が見て楽しみ、写真を撮ったことか。雪まつり最終日から一晩経てば大雪像はただちに解体される。午前中には終わる作業で、解体後には雪の小山が残るだけである。(パノラマ写真)
2015年02月10日
徐軍君は1966年7月に中国赤城県で生まれている。赤城県第一高校から瀋陽工業大学計算機学院に入学している。この計算機学院の創立に力を貸した経緯があり、同大学から北大の博士課程に5,6名の留学生や研究生を招いて、筆者の研究室で面倒をみたことがある。
徐君は1990年に来日し、研究生となり、1991年の4月から博士糧に進学した。博士課程での研究テーマは「“化身話”コミュニケーション」に関するものである。ここで“化身話”というのはコンピュータ空間でのアバター(化身)が会話する言語(Avatar Language)といった意味で、筆者の造語である。このテーマで研究室の博士課程の留学生の何人かが博士号を取得しており、徐君もその内の一人である。
外国人留学生を受け入れると生活費等の手当てに頭を使うことになる。徐君の場合、博士課程1年目で国際電気通信(KDD)の外郭団体である国際コミュニケーション基金の研究助成金支給者に選ばれて助かったことがある。この助成金の余禄で、徐君と一緒に九州旅行をした記憶があるのだが、場所ははっきり覚えていない。
徐君は博士課程入学の3年後の1994年に博士号を取得している。学位論文題目は「知的通信方式による手話画像伝送の研究」である。この時研究室に同期生として居た中国人留学生の張善俊君の指導も行っていて、徐君と同時に博士号を取得している。張君の博士論文題目は「A Study on Two/Three Dimensional Medical Image Processing」であった。
徐君は博士号取得後NTTグループ企業に就職し、東京で勤務し、その後外資系のアクセンチュアに入社し、大連で2年間ほど仕事をする。同社の上海にある会社に移り現在に至っている。大連に勤めている頃大連で会ったおぼろげな記憶があるだけで、その後徐君との音信は途絶えていた。
その状況で急にメールが届く。やはり研究室で博士号を取得してニコンに勤めている劉真さんから筆者のメールアドレスを聞いてメールを出したということで、2日後に札幌に行くので会いたい旨のメッセージがある。家族と一緒に「さっぽろ雪まつり」見物を兼ねているようである。
待ち合わせ場所は札幌グランドホテルのロビーを指定する。お互いかなり変わっていて、当方も徐君を見てすぐには気がつかず、徐君も同様である。しかし、改めて見ると確かに徐君である。グランドホテルのロビーで開かれていたデザインの個展の会場を借りて、徐君一家のパノラマ写真を撮る。
その後日本料理屋で夕食となる。徐君の奥さん崔蓉暉さんは日本で生活していた関係で、日本語会話には不自由しないようである。上海では絵を通して子ども達の能力を引き出す塾を持っていて、手持ちのPCで仕事の内容のデモを行ってくれた。
大きくなった息子が二人居て、長男思博君は東北大学の燕山分校で自動制御を専攻し、次男思楊君は中学生で高校受験を控えている。日本生まれで、日本で過ごした経験のある思博君は日本語会話には困らないようである。
かつての研究室の留学生の事や色々の日中の話題が出て話は尽きないところではあったけれど、未だ雪まつりを見ていないとのことで、夕食会は切り上げて大通公園の雪まつり会場まで行く。ここでも一家のパノラマ写真を撮ってみたけれど、ライトアップされた大雪像を背にしての写真では、顔が暗くなってよく写らなかった。
(札幌グランドホテルロビーのギャラリーでの徐軍君一家)
2015年02月09日
ガラス越し アイコンタクト シジュウカラ
リスはガラス戸を認識するようだが野鳥はガラス戸の存在を認識できないのではないかと思える。ガラス戸の内に人影を見つけるとすぐ飛び去ってしまう。そんな野鳥でも、ヒマワリの種を求めてベランダの近くまで寄ってきて止まることもある。
2015年02月08日
2015年02月07日
2015年02月06日
2015年02月05日
思い出は 日中巡りて 雪まつり
筆者が北大で研究指導を行い1994年に博士号を取得した徐軍君が奥さんと息子達を伴って札幌の雪まつり見物に来る。二人の息子は大学生と中学生に成長した。奥さんと大学生の息子は日本語が話せるので、夕食時に中国と日本の話題で話が弾む。(パノラマ写真)
2015年02月04日
「パノラマ写真で巡る北海道の駅」カレンダー30部のうちの売れ残り2部を紀伊国屋書店札幌本店に取りにゆく。ついでに、NHK札幌放送局ギャラリーで開かれている写真展「人類の進化と拡散の痕を訪ねて」を覗いてくる。写真家は名和昌介氏である。ついでという感じで、写真展会場で名和氏のパノラマ写真を撮る。
準備した上での取材ではなく、紙片はあっても筆記用具を持ち合わせていない。名和氏からボールペンを借りてメモする。名和氏はギャラリーに来る予定の客を待っていて、10分間にもならないインタビューである。当方の名刺も出さず、名も告げずの立ち話のようなインタビューとなる。
名和氏は1949年7月生まれで、2015年現在で65歳である。丸瀬布町(平成の大合併で遠軽町になる)出身で、北見高校から北大に進学している。理系の学部を卒業して北海道新聞社に入社する。理系から文系の新聞社に入社した動機の質問には、新聞社は大学でどんな専攻をしたかは問題しないで試験だけで採用するので、といったような答えであった。
紋別、帯広、釧路等の支局での記者生活を送り、この頃仕事で写真を撮るようになったとのことである。本社では学芸部や出版局でも仕事をして、道新退職後(早目の退職と聞いている)今回の写真展のテーマである人類の進化と拡散(グレート・ジャーニー)の痕を訪ねる海外旅行の生活に入り、これまで20数か国を訪ねて写真を撮っている。
この辺りまで聞いたところで名和氏の予約の客が会場に現われ、インタビューは終わりとなる。データ不足を補おうとして帰宅後名和氏の名前で検索すると、名和氏は「屯田兵の末裔が行く」というタイトルのブログの主であり、今回の写真展に関する投稿記事がある。紋別郷土史研究会「郷土誌」の表紙になった名和氏制作の“きり絵”も見つけた。
北海道新聞の夕刊コラム「魚眼図」の世話役であったらしく、このコラムに関する執筆依頼者とのやり取りのメールがネットに載っている。ここまで来て思い出したのは、名和氏は筆者が「魚眼図」の執筆者だった頃、一時期担当者ではなかったか、である。名和氏の名前は記憶にあるような無いようなといった塩梅で、随分昔のことではっきりしない。なお、筆者が「魚眼図」を書き始めたのは1979年の11月からである。
尻切れトンボのようなインタビューであったけれど、会場に貼られていた写真展に関する名和氏のコメントが印象的だった。「地球上のヒトの文化は多様性に富んでいます。その一方で、人種・民族は違っても普通の人(貧乏人)の生活は、どこでもよく似ている、というのも実感です」同じ民族であるけれど、貧乏人名和氏と筆者の生活も似ているのだろう。
(写真展のギャラリーに立つ名和昌介氏)
立春や 陽光柱撮る 手冷たし
朝日の昇る少し前からサンピラー(陽光柱)が現われている。撮影のため外に出るが、暦に立春の文字があっても寒い。まるでサーチライトの光が朝の空の垂直方向に投射されているようである。手袋もせずにカメラを操作している手が冷たい。
2015年02月03日
落成は 目前となり 雪聖堂
紀伊国屋書店札幌本店で販売してもらっていた北海道の駅のパノラマ写真カレンダーの売れ残りを引き取りにゆく。30部預けて28部が売れ、予想外の好成績である。帰り大通公園で最終仕上げ中の大雪像「マニラ大聖堂」のパノラマ写真を撮る。(パノラマ写真)
エイブルソフト株式会社社長森成市氏から、同氏が発明し日米の特許を取得した自動車装備のヘッドレスト安全装置の紹介を依頼されましたので、発明の説明のCGが投稿されているYouTubeをここに紹介しておきます。興味のある方は文章の部分をクリックしてご覧ください。
2015年02月02日
肩書のいかめしい首席領事のジョエレン・ゴーグ( JoEllen Gorg)さんに初めてお会いしたのは昨年(2014年)の12月である。さらに前の年(2013年)に筆者は北海道功労賞を受賞している関係で、2014年度の受賞式に招待され、その受賞祝賀会でゴーグさんの近くに居合わせた。
こういう席ではどんな方に遭遇するかわからない。気楽に話ししていて、米国総領事館の首席領事と知って驚いた。これは良い機会と、筆者が主宰している勉強会「eシルクロード大学」の講師をお願いしたらあっさりと引き受けていただいた。年明けの翌月には「日本とアメリカ~私たちはつながっている~」のテーマで○×の質問方式の講義をしていただいた。気さくな話し方で、出席者は日米のつながりを再認識した有意義な1時間半であった。
ここまで来ると、これまで気が向いたら取材を続けている「パノラマ写真風土記-人物編」に是非ご登場願いたいと、円山にある米国総領事館まで出向いてインタビューを行う予約を取り付ける。しかし、総領事館はセキュリティのチェックが殊の外厳しく、カメラの持ち込みはできない。仕方ないので、パノラマ写真は後で領事館の外で撮ることにして、インタビューを先にする。
気になっていたのはゴーグさんの名前のJoEllenで、何で文字「E」だけを大文字表記するのかを聞いてみる。これは「E」の文字の前に「O」があり、母音が二つ続くとアメリカ人は二重母音の発音になり「E」をはっきりと発音してもらえないために「E」を大文字にするとの事である。これで思い出したのだが、筆者の名前も「Aoki」と二重母音で、カナダに留学中に「エオキ」とかに近い発音で呼ばれることがあった。
ゴーグさんは知日家で親日家である。札幌の姉妹都市のオレゴン州ポートランド市出身で、高校2年の時ロータリー交換留学生として青森県むつ市にある大湊高校に1年間留学している。この留学時代が楽しかったようで、現在の赴任地まで抱えてきた高校時代の卒業記念アルバムを出したてきて説明してくれる。
日本との縁はその後も続いて、1993年ミネソタ州にあるカールトン大学に入学し、日本語を専攻する。大学2年生の時同志社大学に交換留学生として来日している。大学卒業後はむつ市でJET (Japan Exchange and Teaching) プログラムに携わり3年間仕事をする。1998年にカリフォルニア州にあるモントレー国際大学大学院で国際政策学を専攻して修士号を取得し、2002年に米国国務省に入省する。入省する前に米国平和部隊に入隊してネパールで1年間奉仕活動をしている。ネパールの首都カトマンズで国務省入省のテストを受けて採用された。
日本の外務省での外交官を目指して採用されるためには、上級国家公務員試験をパスせねばならず、海外で平和部隊に参加している若者に、赴任地で日本の外務省が採用試験を行うなど考えられず、日米のキャリアの登用の仕方の大きな差である。グローバルな政策を展開し実行するアメリカは多様な人材を求めており、経済的な海外展開を志向する日本の外交とでは、人材登用の方法でも違いがあるのだろう。
仕事を離れた日常では何をするのか聞いてみると、冬はスキーなどをしているとのことである。少し前に三浦雄一郎氏とスキー場で一緒だった話などが出てくる。大倉山でのジャンプ競技の観戦もするそうである。夏はウォーキングのようで、総領事館に接している北海道神宮境内が好みのウォーキングコースのようである。北海道神宮の宮司とも知り合いらしい。アウトドア派のようである。
好きな日本の食べ物はと聞いて、外国人から返ってくる定番の鮨、刺身、北海道ならジンギスカンを想定していたら「おにぎりと梅干」には意表を突かれた。確かに、山歩きなどをすると「おにぎり」は手軽でおいしいし汗をかいた後での塩分補給は理に適っている。
応接室の本棚には新渡戸稲造に関する著作が並んでいるので、この太平洋の橋にならんとした札幌農学校出身の人物に興味があるようである。前述の勉強会で、ゴーグさんが紹介した、利尻島に上陸して捕えられ長崎で日本で最初の英語教師になったオレゴン州出身のラナルド・マクドナルドの話が思い出された。ゴーグさんが札幌に居る間に、筆者の発行する爪句集に何か作品を、と思っているけれどこれはどうなることやら。
総領事館内は勿論、館の前でも建物が写る写真撮影は禁止ということで、ゴーグさんには札幌市長公邸跡に設置されたワグナー・ナンドールの「母子像・ふるさと」の前までご足労願って、パノラマ写真撮影となる。その後は近くにあるMoma-placeの店舗に入り、3階のギャラリー「レタラ(Retara)」で石彫が展示会があって、ここでもパノラマ写真を撮らせてもらった。ゴーグさんは京都に留学していたので竜安寺の石庭も知っていて、石彫の作家も加えて石庭の話などをした。筆者の個人的な依頼のパノラマ写真撮影にも気軽に応じていただいて、感謝である。
(円山公園ナンドールの彫刻前でのジョエレン・ゴーグさん)
抽選の 景品となり 花著作
新聞の折り込みチラシに、筆者の「さっぽろ花散歩」(北海道新聞社、2010.4)がプレゼント用として紹介されているのを家人が見つける。道新の購読者に対する新聞販売店の抽選サービスである。色に溢れる花の季節は未だ先のことである。
2015年02月01日
如月や 憎き野鳥の ウソ来たり
吹雪模様で2月の始まりである。この雪の中、懸念していた野鳥がやって来ているのを目にする。庭のソメイヨシノにウソが居て桜の花芽を啄んでいる。この桜の木を知ったのか、近年よくウソがくる。春の花見が出来ないかと憎い鳥である。
生と死と 日常の中 非日常
朝から暗いニュースが飛び込んでくる。拘束されていたジャーナリストの後藤健二氏がイスラム国によって殺害されたらしい。日の出の光が見えていたのが急速に吹雪模様に変化して、ベランダに来たリスは雪を被って懸命に餌を食べている。
2路線の 行き先見えて 跨線橋
乗入路線が2路線ある駅で、ホームは3面に5線になっている。このため各ホームをつなぐ跨線橋は長い。以前この駅から延びる路線で日本一長い普通列車が運行されていたが、2016年の台風被害で路線の一部がバス代行となり記録は他に譲った。