2006年11月23日
忍路湾とおしょろ丸
忍路湾は蘭島海岸に突き出した兜岬がえぐられるようにして出来ていて、天然の良港となっている。訪れた時には湾内は凪いだ青い海が広がっていた。写真の右側に写っているのが兜岬で、その東には竜ヶ岬が連なっており、忍路湾に通じる道路を降りて来ると途中この竜ヶ岬の絶景を目にすることができる。
シーズンオフの忍路湾の漁港には人影はまばらで、防波堤で釣り人が数名釣り糸をたれている。近寄って聞いてみると、チカが釣れるようである。天ぷらにして食べるのだそうで、自分で釣った魚であれば美味しさも格別だろう。
著者にとって忍路の名前は、湾の名前よりは船の名前として親しみを覚えるものである。写真の船は現在の北大の練習船「おしょろ丸」である。初代の「忍路丸」は、一九〇七年(明治四十年)に札幌農学校に水産学科が設立され、一九〇九年に練習船として建造されている。初代の忍路丸は帆船で、名前の通り忍路湾に錨泊していた。その後、小樽港が停泊港となっている。一九二六年(大正十五年)に北大の練習船の役目を終え、「義勇和爾丸」と改名して、少年団日本聯盟の練習船となった。
現在のおしょろ丸は一九六二年(昭和三十七年)に船尾トロール型船として建造されている。この船でトロール・サケマス流網・マグロ延縄漁業及び各種海洋調査作業が容易になり、航海水域はベーリング海・豪州水域まで拡大し、海洋・漁業調査を続けた。一九七二年(昭和四十七年)にはベーリング海峡を経て、我が国の船による到達最北限点を更新している。
以前、おしょろ丸に衛星通信設備を装備して、魚群探知機からの画像データを札幌にある北大工学部の著者の研究室まで伝送して画像処理を行う研究計画を立てたことがあった。これは著者の研究室で設置していた通信衛星地上局での模擬実験程度で終わってしまったけれど、水産学部の飯田浩二教授に研究協力者になってもらい、著者がおしょろ丸に乗って航海して実際の現場を経験する話などしていたことがある。この船旅は実現しなかったけれど、記憶に留まる話だった。
ここで、おしょろ丸の話を書くに当たって、おしょろ丸の写真が手に入らないかと、前述の飯田教授にメールを出すと、時間をおかず中国滞在中の飯田教授からメールに同船の写真が添付されて来た。世界のどこにいてもこんなに簡単に通信が出来るとは、世の中便利になったものである。
- by 秘境探検隊長
- at 16:23
comments
ぅぅうう・・
江差追分が聞こえてきます・・・
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忍路高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで
蝦夷は雪国 さぞ寒かろよネー 早くご無事で 帰りゃんせ
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磯谷の風に吹かした乾燥イカが最高に美味しいです。
でも、ンダンダ云う人が誰も居ないです。
何故か夕日が沈む日本海の海は悲しいです・