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2009年03月31日
三月も最後の日の朝、前日からのみぞれ状の雪が木の枝に凍りついて、見事な樹氷の景観が広がっている。カメラを手に、自宅から少しばかり山の方に歩いて行って写真を撮る。カラスがアンテナの上の止まっていて動こうともしない。カラスの黒い塊と木の幹の黒さが、樹氷の白い世界に溶け込んで、墨絵のようである。今日の天気予報では曇りと雨で、気温があがればこの樹氷も消えてしまうだろう。春の舞台の準備作業中に、担当者が背景のセットの設置を間違えたかのようである。
カラス居て 樹氷広がり 墨絵なり
春舞台 セットの手違い 樹氷出し
2009年02月25日
庭の立ち木の根元を見ると、積雪がくぼんでいるのに気がつく。木が生きていて、幹や根のある地下部分から僅かながら熱を出ているためだろう。その他、木の幹が日の光を積雪より多く吸収して、周囲に熱を放出する影響もあるのだろう。この積雪のくぼみが大きくなってくると、雪解けが進み、芝生が顔を出してくることになる。後一ヶ月もすれば、そのような光景が目に入ってくる。
生示す 積雪くぼみ 木の根元
2009年02月21日
外は終日吹雪いている。何もしたくない日もあって、意味もない視線を窓の外に泳がせている。雪が少ない年だといった印象だったけれど、やはりそれなりの降雪はあって、窓の外の積雪の高さが成長している。窓際の鉢植えの花と一緒に、雪が乱舞する様を見ながら、一日が終わっていく。
花共に 日暮(ひぐらし)雪見て 過ごしけり
昨夕から吹雪で、今朝ガラス越しに見る庭は吹き溜まりができている。風は弱まってきているものの、相変わらずの荒れた天気の週末である。
ガラス越し 吹き溜まり見て 土曜なり
2009年01月23日
日の出位置を観察していると、冬至を過ぎれば、ゆっくりと日の出位置が北に移ってくる。日の出の位置の変化は、日の単位ではわからないけれど、週の単位になればその変化を認めることができる。日の出位置を、木などの近くの目印となるものを基準にすると、見る位置を固定しておく必要がある。これに対して、遠くの山際からの日の出を見ていると、自分が動いても日の出位置は変わらないので、この方法がよい。山際から昇る太陽は風船がゆっくり浮かんで出てくるようである。
じりじりと 北へ移りて 日の出位置
風船の 浮かぶが如き 日の出かな
2009年01月20日
窓の外は雪で白一色である。対して、室内のゼラニウムは赤い花を咲かせている。白と赤とは別の色(白を色と言うのは不正確としても)であるけれど、白は全ての色(のスペクトル)を含んでいるので、白から赤色を取り出すこともできる。感覚的には不思議である。空気抵抗を無視すれば、雨粒も雪片も同じ速度で地表に落ちてくる。ガリレオが、重い鉄球と軽い鉄球をピサの斜塔から落とし確かめたと言われる実験がある。実際は空気抵抗があり、雪片は舞うように天から降ってくる。
白色は 赤も含みて 不思議なり
雨と雪 自由落下の 不思議なり
一月にしては雪が少ないと昨日まで思っていると、今日は朝から雪である。風もなく、雪が真っ直ぐに落ちてくるこんな状態は、大雪になる兆候である。ガラス戸一枚を隔てて、人工の室内と自然の庭が分けられていて、ガラス戸越しに外の世界を見ながら、別世界を一枚の透明な板で分けているのに気づき、ガラスの発明の偉大さを再認識する。春には花をつける桜の枝には雪が積もって、雪の花を墨絵で描いたようである。この枝に花が戻ってくる自然の繰り返しも、驚嘆に価する。
ガラス戸が 一枚で分け 別世界
桜木を 墨で描いて 雪の花
2008年12月27日
雪の無いクリスマス・イブで、札幌のこの冬の気候はどうなっているのかと思っていた。ところが夜半から雪になり、クリスマスの日の朝は大雪で、吹雪いている。ガラス窓には吹き付けた雪が解けてさらに氷になってこびり付いている。太陽も雪空に隠れていて、日の光が弱い。吹雪がおさまった頃合を見計らって、窓を開けて庭の雪景色を写真に収める。葉を落とした立木の枝には雪の花が咲いているようである。庭はこれからこの雪の下に埋もれて、春を待つことになる。
ガラス窓 吹雪の結氷 こびり付き
陽の弱く 吹雪の合間 庭を撮り
2008年12月01日
夜半は雨だと思っていたのに、朝から雪模様に変わる。師走に入るので、雪も急いで降って来たという感じである。庭は次第に雪で覆われて行き、白い世界に変わって行く。外と室内を隔てるものはガラス窓だけで、室内のゼラニウムの花のピンク色と葉の緑色が、窓外の無色の世界の白色と好対照を成している。ガラス1枚で、室内外の別世界が造り出されているのを、ゼラニウムが強調している。根雪になるのはまだ早いけれど、庭の低木が積雪の下になる時期がそこまで来ている。
師走には 雪も急ぎて 庭覆い
ガラス窓 分ける世界は 紅と白
2008年11月08日
暦で立冬の日の夜半から雪になる。朝方、屋根に積もった雪が時折ざぁーと音を立てて流れるのを寝床の中で聞いている。起きて窓の外を見るとやはり雪景色である。昨日まで地面や芝生の上に落ち葉があったのを目にしていたのに、それらは雪の下に消えている。この時期の札幌は、一日で外の景色が一変することがある。立冬の幕が上がって、雪の舞台が現れたといったところか。冬の舞台では色々な役回りを演じなければならず、今日は冬タイヤへの交換の淡々とした演技である。
立冬や 屋根を流れる 雪の音
立冬の 幕の上がりて 雪舞台
2008年11月05日
ドウダンツツジだろうか、初雪の残りの中で際立った赤い葉をつけている。朝日が至れば、赤色はさらに鮮やかさを増す。近くにベンチがあって、表面が初雪で覆われ、まるで半紙を広げたようである。近くに落ちている枯れ枝を筆代わりにして、初雪の半紙に一句したためてみる。ここも朝日が至れば即興の句も消えてしまうだろう。昔、冬の朝ガラス窓に室内の水分が凍りついているところに、何か尖ったもので文字を書いた記憶が蘇る。あの頃の冬は今よりも寒かった気がする。
赤き葉の 初雪に映え 日出かな
初雪の 半紙の上に 枝の筆
宮丘公園の散歩道には、昨日の初雪が解けずに残っている。色づいた葉も少なくなって、歩く道には白樺の白い木肌が目だってきている。寒さで白樺の木が身震いしたら、白い木肌から雪ぼこりが落ちて、それが道路脇に溜まっているようにも見える。四角のベンチはうっすらと雪で覆われている。白い紙のようにも見え、枯れ枝で初雪と書いてみる。続けて書いていって、即興の句作である。日が昇ればこの初雪は消えてしまうだろう。本格的雪の季節はもう少し先のことである。
白樺の 身を震わせて 雪ぼこり
初雪と 書いてみるなり ベンチ上
天気予報の欄に雪だるまのマークである。今年は暖かいと感じていても、札幌にはやはり雪はやって来る。「雪は天からの手紙である」と言ったのは物理学者の中谷宇吉郎である。雪は各家々に均等に降るので、それぞれの家に手紙が配達されるみたいで、今なら手紙もメール便で届けられる。初雪は庭の紅葉が落ちてしまわないうち降ってくる。都市秘境の訪問先は気象台を予定していて、気象台の庭に届いた便りの厚さで札幌の積雪量が決まってくる。初雪の頃の積雪量はゼロcmである。
やはり来た 天の便りは メール便
この庭で 雪の背丈を 計りたり