2010年04月17日
2010年04月16日
上海東方路のミツマタ
2010年04月13日
成都市のベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)
2010年04月08日
鏡湖の雲南黄梅
2010年04月06日
米粒文字のマクロ撮影
2010年04月02日
成都の教え子を訪ねてーその8
西安交通大学の新キャンパスを見学した後で、成都市の観光名所巡りをする。成都は何度か来ているので、大抵のところは見ている。未だ見ていないところをガイドブックから探してタクシーで行く。仏教寺院の文殊院は大きなお寺である。お寺の前の舗装道路に色々なデザインのマンホールがあり、いかにも観光地として整備された感じである。マンホールを写真に収める。
寺院は幾棟もあって、仏様や羅漢が祭られている。布袋様とおもわれる金箔で化粧された像もある。極彩色の大きな像は信心の欠けた身にはキッチュな像に見える。
文殊院に沿って延びる街路は土産物店や物売りの屋台が並んでいる。そんな屋台での商売の一つに、米粒に所望の文字を書いて、ガラスの小容器に収めてくれる屋台があった。侯さんの薦めで「爪〇作〇 青〇曲〇」と書いてもらってケータイのストラップの用いるような(根付みたいな)ものを作ってもらった。お値段は、侯さんが代金を支払っていたんでわからない。それにしても、よくこの小さな文字を米粒に書くものだと感心した。人間国宝にしてもよいくらいである。
続いて、道教のお寺の青羊宮に行ってみる。このお寺にある壁に、目をつぶって近づき、手が福の字に触れば福が来る、といったようなことをやっている若いグループ客がいた。どこでも観光地にはこの手の遊びがあるものである。
成都の教え子を訪ねてーその7
侯進さんの授業科目は「計算機専門実用英語」といったもので、自分の教科書を著わしている。英語で技術分野の研究論文をいかに書くかが主題である。侯さんが北大の博士課程で書いた論文が例題で出ていたり、「日本における研究文化」のような小節もあり、面白いし参考になる教科書である。日本でもこの類の教科書は必要であろう。
西南交通大学は新キャンパスがあり、侯さんに連れていってもらう。大学のキャンパス間連絡バスで新キャンパスに行く。このキャンパスは広くて、人工の池を造り、その上にアーチ橋を3本架けて、池の上に道路を4本も設けている。建設費をふんだんにかけて造ったキャンパスという感じがする。
キャンパスには大きな建屋が並んでいて、屋外運動競技場や体育館の大きな施設がある。札幌でいえば、真駒内屋内・屋外競技場が大学のキャンパス内にあると思えばよい。大学が4万人の人口を抱える町と考えると、キャンパス内に大きな競技場があってもよいのかもしれないけれど、それにしても大きな施設をキャンパス内に造っている。
図書館も大きな建物で、図書館の前の植え込みに八重桜の花をみつけた。成都は札幌より1か月早い春である。
2010年03月31日
成都の教え子を訪ねてーその6
四川大地震は5月12日で、間もなく地震発生から2周年を迎える。地震の震源地では復旧作業が行われていて、その様子がどんなものであるのか、見に行く。地震のすさまじさは、今も倒壊したままになっているビルから想像ができる。この倒壊した建物は地震博物館の展示として残すらしいと聞いた。震源地にあって、壊滅した村落の復旧作業が急ピッチで進められていた。
この大地震でも被害の出た都江堰まで行ってみる。莫君のお母さんの楊治敏さんと莫君の奥さんの鄒宏菁さんが同行してくれる。楊さんは四川省農業国際交流協会の会長の要職にある。都江堰は世界遺産に指定されていて、前3世紀頃、岷江の氾濫を防ぐため、李冰によって始められ、その息子にも引き継がれて以後数世紀にわたった治水事業の成果が現代に生きている場所である。
都江堰一帯は川に沿って公園になっていている。ガイド役の鄒宏菁さんと記念撮影である。鄒さんは北大の教育学部に大学院生として在籍していたことがあり、流ちょうな日本語を話す。華日東升で仕事をしていて、社員に対する日本語の教師役も務めている。
ホテルに莫君と鄒さんが送ってくれたので、宿泊しているホテルで記念写真に収まる。華日東升で共働きの夫妻には、忙しい最中、当方の接待をに時間を割いてもらって、恐縮している。莫君は明日は大連に出張で、毎週中国の各地に出向いての仕事で、企業を大きくして維持するのは、傍目からも大変そうである。健康に留意して、新しい世代の企業人で成功することを願っている。
成都の教え子を訪ねてーその5
侯進さんが面倒を見ている大学院生(修士生)は14名と聞いている。一人でこの人数の学生の指導は大変だろう。講演会に来ていた研究室のメンバーと記念撮影である。
研究室の研究はグループに分かれて行われていて、研究内容がパワーポイントで紹介された。膨大な画像データから所望の画像をデータベースを使って取り出す画像検索の研究、車のナンバーを画像中から取り出して認識したり、走行中の車の台数カウントする研究があり、モータリゼーション時代に突入した中国で必要とされる研究テーマが並んでいる。
侯進さんは北大時代にアバターの研究を行っており、その研究を発展させていて、キャラクターに中国の各少数民族の衣裳を着せたアバターを披露してくれた。北大時代の研究が生かされているのを見るのは、研究指導者冥利に尽きる。
学生の研究を覗かせてもらったが、学生たちが一室にかたまってパソコンで研究を行っている。パソコンは各自が購入した個人のものである。部屋の広さとか設備面では北大の方が恵まれているけれど、中国の大学は指導教官の侯進さんが研究室に来るようにと学生に命じると、学生が研究室に集まって毎日研究を続けるそうで、この点はかつての我が研究室では考えられないことである。
2010年03月30日
成都の教え子を訪ねてーその4
西南交通大学へ招待されて、学生に向けての講義を行う仕事があった。修士の学生を対象にし、北大の研究室で行っていた研究成果と、北大及び札幌の紹介を行った。この講義は侯進さんの講義時間が当てられ、テーマは北大の研究室で行っていた研究と、北大及び札幌の紹介である。
通訳はもちろん侯進さんで、侯進さんが行っている講義は英語で工学系の論文を書く方法に関するもので、そのための教科書も出版している。英語、日本語と使い分けするその語学の才能には脱帽である。当方はメディア工学の研究の話に加えて、爪句なども持ち出し、中国流俳句(爪句)の話は結構受けたようである。
学生の方は熱心に聴講で、講義が終わって質問の時間になると途切れることなく質問があったのには驚いた。昔は講義の後に中国人学生からの質問などはほとんどなかったのに、中国の学生は変わったものである(当方が変わったのか?)最後はこちらから質問を受けるのを切り上げて終っている。講義終了後は侯進さんの研究室の画像検索、アバター、ナンバープレート認識の研究などの紹介を聞いた。大学の研究テーマや研究室の雰囲気は、日中で似たものがあると感じた。
成都の教え子を訪ねてーその3
侯進さんは成都出身で、中国の大学で修士課程を修了し、北大で3年間博士課程に在学して博士号を取得している。3年近く前に故郷のこの大学に採用されて、現在副教授で研究と教育に従事している。侯進さんの研究室で講演をする前に、侯進さんに構内を案内してもらう。この大学のキャンパスは三つあって、泊まったホテルのあるキャンパスは大学院の学生のキャンパスである。大学院生が1万人ほど在籍しているそうで、大きな大学である。
キャンパスは大学と街が一緒になってある。教職員や学生(キャンパス内の寮に住んでいる)の生活に必要なものはすべてキャンパス内で調達できるようになっている。キャンパス内で生活していて、大学外に出なくても一向に困らないそうである。売店も軒を並べて、あちらこちらにある。教職員の退職者のための集会所・娯楽施設といったものもある。日本では考えられない。
キャンパス内で見かけた木花は八重桜のようである。札幌では一番最後に咲くこの桜を、成都で見て、早めの花見である。
成都の教え子を訪ねてーその2
莫舸舸君の会社の1Fは来客の対応の階になっていて、電子掲示板に当方の名前が流れていた。この階には華日通訊の免許状、表彰状、製品の展示が行われていて、企業が発展してきた歴史がわかる。
莫舸舸君は自社のパンフレットの最初に顔写真が掲載されていて、しっかりと北海道大学工学博士と書かれている。北大での経験が生かされて、日中のビジネス交流に役立ってほしいものだと思っている。
会社訪問後は成都市のダウンタウンで、古い街並みを商店街に再開発した寛窄港子を歩いてみた。観光客で賑わっていて、洒落たレストランや喫茶店が並んでいて面白いところである。
寛窄港子のマンホールの写真も撮ってみた。
2010年03月29日
成都の教え子を訪ねて
四川省成都市には研究室の博士課程を修了した2名の元北大生がいる。一人は西南交通大学の副教授の侯進さんで、もう一人は華日東升の社長の莫舸舸君である。今回侯進さんの招待もあり、成都市を尋ねる機会が得られた。成都市での宿泊ホテルは西南交通大学構内にある鏡湖賓館である。
鏡湖賓館は同大学のキャンパス内の鏡湖の傍にあり、この湖の岸の八重桜に似た花が咲いている。しかし、この木花の名前ははっきりしない。藤の花も咲いていて、成都市は札幌より1か月以上季節が先を行っている。
莫君と莫君のお父さんの経営する華日通訊は華日集団という企業グループを形成していて、2年前に6階建ての大きな自社ビルを建てている。その社屋前で記念撮影である。右より莫君、莫君のお父さん、筆者、莫君の奥さんである。この華日集団はさらに大きな社屋の建設計画を持っていて、中国の経済発展のすさまじさをこの目で確かめている。