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2007年03月31日

張碓大橋と張碓川河口

 地図で見ると石倉山、屏風岳、春香山、和宇尻山あたりに源流があるこの川が、山が張碓の海に迫るところで渓谷をつくって海に出る。短い川なのだが、渓谷は深い。この渓谷を跨ぐ高速道路のための張碓大橋が架かっている。

 昔はこの渓谷を避けるように道は山側に大きく蛇行していた。新しく国道が造られた時道路は少し海側に寄り、高速道路では直線状に渓谷を横切っている。旧道、国道、高速道路は地図上では、正弦(余弦)波の振動を山から平らになる状態を重ねて描いているように見える。道路造りの技術の成果は、その技術の元にある数学図形を地図に残しているかと、妙なこじつけをおこなって感心している。

 この張碓大橋を下から見上げるとさすがに大きい。天空に架かる橋の表現がぴったりである。橋脚がメインのものが五脚あり、並列の平行弦ワーレントラス橋というそうであるけれど、橋についての知識は無い。橋の長さは500メートルで河床からの高さは60メートルもある。上り線は1971年、下り線は1974年に竣工している。

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 この橋の下を流れる張碓川を追っていくのだが、JRの線路の下をくぐり海に出るあたりは道路からは見下ろすしかない。特に冬場は河口への山道も閉ざされていて、下方に少し見える河口あたりをカメラに収めるのが精一杯のところである。夏場にでももう一度来て河口への道を辿ってみようかと思った。

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 写真を撮っているあたりは雪で埋まっていて、私道なのか公道なのか区別がつかない。その近くの林のあたりで馬のブロンズ像を目にした。この雪の中を駆ける優駿は様になっていた。

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2007年03月30日

又松(ウソン)大学

 アジアのIT産業先進地を結ぶ交易路であるeシルクロードを展開しようと大風呂敷を広げて、韓国や中国との交流を行って来ている。その関係で韓国大田広域市にも幾度か訪問しており、同市にある又松(ウソン)大学にも足を運んでいる。2007年3月に「IT日本語会話心得」の韓国語版を出版して、同大学の李昌朝教授が韓国語の翻訳者のお一人であったこともあり、同大を訪問している。

 写真にある同大学の建物の看板には、この大学のロゴ「○∧⊏」が描かれている。これは又松大学の発音のハングル文字の部分を取っている。つまりWoosongの母音「o」がハングルでは「○」の記号を含み、子音「s」はハングルの「∧」の形を含み、大学の発音の「d」がハングルでは「⊏」に対応している。このロゴはまた意味を持っているとの話であったが、それについては理解していない。

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 この大学の建物の中を歩いていると禁煙マークが貼ってあり、これが逆禁マークであった。ハングルは理解できなくても、禁煙の方はすぐに分かるので、マーク(絵文字)の効力はこのような場合には抜群である。

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 この大学はデザインやメディア制作の分野での教育と研究に力を入れており、学生達の作品が展示されている。学生の卒業研究のゲームの作品も見せていただいた。写真はPCを目の前にして授業を受けている様子で、教室外から見ていると授業態度は真面目であった。この学生達を相手に出版した本の宣伝も兼ねて「ITビジネスにおける日本語会話の心得」のテーマで講義をしたけれど、さて話は通じただろうか。

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2007年03月29日

韓国KTX車内

 KTXはKorea Train eXpress を略している。韓国初のこの高速列車は、フランスが受注して、フランスの高速列車TGVをモデルに12兆ウオンの巨費をかけて2004年にソウル-釜山間とソウル-木浦・光州間で開通している。今回乗車する機会があったのはソウル-大田間で、1時間かからずに到着し、以前両都市を高速バスで移動したのに比べると時間短縮が大幅で、便利さが増している。

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 この高速列車内に逆禁止マークが目に付く。写真のように、通路のドアの部分に手を触れないようにとの禁止マークが貼ってあり、これが逆禁止マークであった。ドアの上部の禁煙マークも逆マークであった。椅子の背にある格納テーブル部分にも、逆禁止マークが貼り付けられていた。ただ、KTXの施設がどこも逆禁止マークで占領されている訳ではなく、正常の禁止マークの方が多数であるようだ。

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 しかし、この高速列車は色々問題を抱えているようで、そのうちの一つが座席の向きである。列車の中央で二分される車内の座席が、中央に向かって両側で対面する方向に固定されている。したがって、片側半分に座る乗客は列車の進行とは逆向きとなる。時速300kmの高速列車に進行方向と逆向きに座ると、人によっては身体に変調を来たすことがあるらしい。そのため、逆方向の座席には運賃の割引があると聞いている。座席を進行方向に合わせて変更できるように改良すればよいとも思えるのだが、設計したフランス側が認めないとの話を聞いた。

 実際に逆方向の座席に乗ったけれど、さしたるトラブルは感じなかった。車内に見かけた逆禁止マークの方が気になっていて、逆向きの座席の方は気にならなかったのかも知れない。

2007年03月28日

仁川(インチョン)国際空港

 アジアのハブ空港を目指して、二〇〇一年三月に開港した空港である。三千七百五十メートルの滑走路を二本持つ大きな空港で、ターミナルビルも大きい。仁川広域市にある永宗島を平らにし、島に橋を架けて高速道路を通して造られ、現在も拡充が続いている。
 二〇〇七年の三月に仁川空港からの高速バスの車窓から、電車が平行して走っているのを見た。高速道路と平行して電車の線路の建設が進んでいると聞いていたけれど、開通して開業したのをこの目で確かめることになった。

 話を戻して、この国際空港について荷物が出て来るところで目にしたのが写真の税関申告(持ち込み禁止)の表示版である。日本語と中国語で書かれていて、禁止マークが大きく表示されている。しかし、これは逆禁止マークである。韓国の(やがてはアジアのか)表玄関の外国人が最初に目にするところの表示に逆禁止マークがあるとは意外だった。

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 加えて、荷物を待つ間立っているところの床にもカート持込禁止のマークが逆マークであった。まあ正でも逆でも一見すれば禁止マークであるので、鬼の首でも取ったような話ではないのだろうけれど、空港関係者にコメントしておきたかった。

 でも、逆禁止マークを集めている著者には話しのタネになって有難い存在なので、残しておいてもらいたい気持が強いのも事実である。

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追記:この原稿は韓国・大田広域市の大徳特区本部宿泊施設の電話回線を用いて投稿しています。

2007年03月27日

張碓海岸船揚場

 地図で張碓海岸を見ると、恵比寿島が海岸に接してぽつりと描かれていて、この海岸のランドマークのようになっている。しかし、このあたりの張碓海岸に行き着く道は、地図上では一本しか見つけることができない。その道を終点まで車で行ってみることにする。

 国道5号線から分かれて張碓の町に入る。小さな町で、町の外れの高速道路を通す張碓大橋が町の天空にかかって見える。途中で道が途切れて雪の中に句碑が立っている。句碑には「青鳩や 礁(いくり)つづきに 小樽港 木風雨」と彫られている。作者の木風雨とは勝又木風雨である。青鳩は小樽の市鳥に選定されていて、夏このあたりにやって来る渡り鳥である。

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 さらに海岸へと下る道を見つけてJR線の線路脇まで行ったところで道は無くなる。線路の向こう側にはすぐ張碓の海で、地図にあった恵比須島とわずかな防波堤で船揚場が造られている。岸には船と漁師のための小屋が並んでいる。冬場で船は陸に揚げられていて、漁は行われていないのだろう。

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 曇り空で日の光も弱く、恵比須島の写真を撮ると黒い塊に写る。島の上空を海鳥が飛び回っているけれど、これはかもめだろう。小樽方向をみると、先の句にも詠われているように、小樽港とおぼしき風景を遠くに眺めることができる。

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 目を転じて札幌方向をみると、海岸線を縁取るように走る線路と、沖に向けて出て行く小舟が目に入る。冬景色の海岸は曇天も手伝って荒涼感が漂う。急に警報機がけたたましく鳴る。ここを通過する列車が近づいていることを知らせる警報である。列車は警笛を鳴らしながら著者が立っているすぐ傍を勢い良く走り抜け、遠ざかっていった。

  船揚場 警笛飛ばす 冬かもめ

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追記:この原稿はソウル市のホテルから電話回線で投稿してみたものです。

2007年03月26日

小樽聖公会教会

 著者が北大の学生だった頃、北大のキャンパスに接して聖公会の施設があり、外人の牧師が英会話教室や読書会を開いていて、顔を出していた記憶がある。六角堂と呼ばれていた洒落た建物の内で英会話のレッスンを受けた光景は今でも思い出せる。

 聖公会は、離婚を認めないローマのカソリックに対して、離婚問題を抱えたイングランド国王ヘンリー8世がローマとの関係を断ち切り、自分自らがイングランド国教会の最高首長となったことに端を発している。英国聖公会の信仰はアメリカに渡り、米国聖公会からの伝道が日本聖公会の始まりとなっている。

 小樽聖公会は1895年(明治28年)に小樽市内に礼拝堂が建てられ、それが焼失したことから、1907年(明治40年)に現在の礼拝堂が建築されている。東雲町の水天宮の下にある現在の教会の建物はこの地で丁度100年の歴史を刻んでいることになる。

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 小樽の歴史的建造物にも指定されているこの礼拝堂を訪れてみるのだが、大抵は閉まっている。専任の牧師がここには住んでいなくて、札幌から出向いてくるためらしい。仕方がないので、寺とアパートに挟まれて小さくなっているような教会の外観の写真を撮って帰ってくることが続いた。

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 教会の前の掲示板を見ると、日曜日の午前中に礼拝があると書かれている。そこで日曜日の午前中に出向いてみたけれど、やはり玄関は閉まっている。玄関のガラス越しに写真を撮って帰ろうと思っているところに、年配の信者の婦人があたふたと駆けつけてくる。事情を聞くと牧師の都合で礼拝は午後に変更されてそうである。

 当方としては教会の内部を見て、写真が撮れると目的は達成なので、すぐに立ち去る様子の信者に頼んで中に入れてもらった。教会内は簡素な造りで、これまた簡素な二色のステンドグラスの窓から明かりが射し込んでくる。百年前も同じ光景の中で信者が礼拝していたのだろうと思うと、信仰の継続性には感心する。しかし、信者の老齢化が進行して、信者も増えず、教会の置かれている困難な状況についての話しも出てくる。少子化、高齢化社会は信仰の世界にも大きな影を投げかけている。

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2007年03月25日

北のウォール街資料館

 道路地図にこの資料館が記されている。インターネットで検索すると、会社の一部が資料館になっているようで、会社の営業日でなければ見ることができない。そこで週日に入船三丁目にある「玉柳」の会社を目指して行ってみる。ここで北のウォール街とはかって金融業で繁栄していた小樽の別称でもある。

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 会社の正面には「タマヤナギ」の看板が大きくでている。この会社のHPには「歴史と伝統に培われた事務機器事務用品、学校教育資材の総合販売会社です。」と書かれているので、そのような仕事をしている会社なのだろう。玄関を入ると社員と思しき人がこちらの素性も聞かないで社屋の二階の一室にある資料館に案内してくれる。「北のウォール街資料館」の看板が目に入る。説明員はいないので、自由に見学してというので、かなり雑然とした室内にある雑多な資料の写真を撮る。

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 会社の取り扱っているのが事務機器であるので、時代物の事務機器が並べてあった。写真の手回し計算器には「タイガー計算器」の文字が見える。この製造元は「虎印計算機」で後に「タイガー計算機」となったそうである。手回し式の計算器は大学院生のときに触った記憶があるけれど、電卓にとって代わられ、研究者ならマイコン、パソコンを利用して手回し式計算器の時代は短かったはずである。

 タイプライターや手動のワープロなども並んでいる。手動のワープロは並んだ活字を拾いながら紙に印字していくもので、パソコンワープロが標準的になった今では見ることもなくなったが、著者も一時期「μコンピュータの研究」というマイコンの会誌を発行していた時に使用していたことがあって、機種は違っても懐かしいものであった。

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 商店や商品の宣伝につかった浮世絵風のチラシも展示されている。目についたのは二宮金次郎の絵柄のもので、小樽の金次郎の銅像も秘境のテーマで追い求めているので、惹かれるものがあった。これらの宣伝ビラは「引き札」と呼ばれていた。文面に「萬履物流行新型」とあるので、履物にも流行があって客は敏感だったのが推測される。ただ、履物といっても「雪駄」の文字が見え、雪駄とはどんな履物か思い浮かべることさえ出来ない人が大多数ではなかろうか。

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2007年03月24日

北の誉酒泉館

 小樽は酒造りが盛んである。北の誉酒造、雪の花酒造、田中酒造と名前を挙げていくことができる。観光都市小樽と組み合わさって、酒造りの現場の見学やブランドの酒の直販が行われている。そのようなところの一つとして北の誉酒造の「酒泉館」があり、見学しに出かけてみた。北の誉の看板と大きな暖簾が出ている立派な建物である。

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 人の空いている時に当たったようで、客がいない店内が一目でみわたせた。そこで目に入ったのが、売り場のカウンターのところにあった車の運転者への禁酒の注意書きで、これが逆禁止マークだった。注意されるまでもなく、車で来ると酒の試飲は控えるので、酒倉巡りはバスか列車を利用する方がよいようだ。

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 小樽で酒造りが盛んな理由の一つは良い水が得られるためである。北の誉酒造は勝納川に沿ったところにあり、この川は奥沢を通って流れてくる。この水系には伏流水もあって、この伏流水が酒造りのために利用されている。

 冬に積もる雪も解けて一部は伏流水になるのだろう。と思いながら勝納川沿いの道路脇に積もった雪を眺めると、ここにも逆禁止マークがあった。植栽があるので車の乗り入れ禁止の注意であるけれど、この時期道路の脇は雪の山で、車が駐車するスペースはない。この禁止マークが立てられている川岸を越えた向こう側に北の誉の工場があり、建屋の壁にこの酒の文字が大きく書かれているのを目にすることができる。 

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2007年03月23日

大いなる 希望、二つが 合わさりて

 和光小学校の校舎前にある渡辺信の作品です。この小学校は高速道路近くの北34条のところにあります。迷いながら辿り着きました。

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2007年03月21日

札幌市上下水道科学館

 祝日に札幌市の下水道科学館を見学に行こうと思い立った。そこで祝日でも開館しているものかどうかインターネットで調べると、閉館日は逆禁止マークで表示されている。幸い祝日でも開館していると知って出かけてみた。

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 創成川通沿いの麻布町八丁目にあるこの建物は、創成川を横切って科学館に行く道を見逃すと辿り着かない。初回に訪れたこともあって、やっとのことで科学館の駐車場に入れたところで逆禁止マークが目に留まった。禁止事項はインラインスケートとスケートボードとあったので、この駐車場はこれらの遊びを行う若者の溜まり場になっているのかも知れない。訪れた時は春先で、雪も残っていたこともあって、そのような遊び場になるような雰囲気はなかった。

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 科学館は無料で、一階、二階と地下四階が展示階となっている。下水道の仕組みが分かるように、手の込んだ映像や模型による説明が行われていて、CGを使って下水道管内の旅を立体映像化した映画の上映もあって、大人でも楽しめる。都市における下水道の大切さを知るために、子供のみならず大人も見学する価値のある施設である。

 地下四階では雨水貯留管の実物の断面を見ることができるが、都会の地下に巨大な水貯めがあったとは知らなかった。ただ、見学した時には水は流れてはいなかったので、実際に雨水が流れている様を目にすれば迫力があるだろうな、と思った。 

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2007年03月19日

見上げれば 岩村通俊 枯れ梢(こずえ)

 北海道神宮境内にある初代北海道長官の岩村通俊の大きなブロンズ像です。女性を題材にした作品の多い佐藤忠良が制作しているのが意外でした。

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2007年03月18日

穴の中 過ぎる姿に 夢の妙

 外気に晒された安田侃の作品は冬季には見ることができません。イタリアの白大理石で造られた作品は雪や雨に弱いのだそうで、シートで覆われています。写真はJR札幌駅を利用する人ならいつも目にする「妙夢」と名づけられた作品です。

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2007年03月17日

ドングリの 穴目覗いて 松緑

 厚別区の信濃小学校の庭先にある石の彫刻です。制作者の松本純一による同様な彫刻「元気地蔵」が、南1条西3丁目のラ・ガレリア前にも設置されています。しかし、この彫刻家の経歴についてはほとんど分かりません。

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2007年03月16日

出版記念会

 15日は札幌テレビ塔で「福本チョコ、青木由直」出版記念会がありました。北海道新聞夕刊連載の「私のなかの歴史」の記事をまとめてアイワード社で印刷した冊子体のものが陽の目をみました。これは私(青木)が話して道新の本村龍生編集委員が文章に直しているものです。写真は挨拶している本村氏と出版記念会の司会を担当していただいたオフィスフリューリング(岸春江代表)の能村麻由さんです。オフィスフリューリングの山根静香さんには受付を手伝っていただきました。

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 遠来の出席者は石塚滋樹NTTドコモ関西取締役で、石塚氏は北大の学生時代に私が研究指導をした修論のサイドルッキングレーダーの話なんかして、司会の能村さんに「今の話分かる」、なんて話をふるので、能村さんが「は~あ」といった顔をしています。

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 この出版記念会のもう一方の主役の福本チョコ嬢には花束の贈呈があり、介添え役の福本義隆社長が自分のことのように花束を受け取って喜んでいました。
 その他大勢の方々の参加してスピーチをいただいています。

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2007年03月14日

小樽の小学校の金次郎像

 国道5号線で小樽に向かうと、張碓橋の手前あたりで山側の少し入ったところに張碓小学校がある。写真の看板はあるものの、見過ごしてしまう小学校である。小学校のグラウンドの上が林になっていて、林の縁に金次郎像がある。この像のさらに少し上に小学校の校舎がある。

 この金次郎像は本の持ち方がちょっと不自然である。歩きながら本を読むと目を悪くしそうであるのに加えて、この持ち方では本の文字は読みにくかろうと思われるのだが。

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 天神小学校は小樽天神からキロロリゾートに抜ける国道393号線が天神十字街で折れ曲がったそばにある。高台にある小学校で、金次郎像のあるところから天神、奥沢の町を見下ろすことができる。

 ここまで来ると市内というより山間の町という感じである。冬景色のなかでも金次郎はしっかりと薪を背負い歩きながら本を読んでいる。

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 末広町にある手宮小学校は坂の上にある学校で、学校を目指して道路を登っていくと大きな建物で見えてくる。学校の門を登り校舎の端あたりに金次郎像がある。

 校舎と下のグラウンドの段差のあるところに置かれている金次郎像は、気のせいかすこし傾いているように見える。高台だけあって、ここからは小樽港まで視界に入ってくる。

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2007年03月13日

雪景色 黒き像なり エドウィン・ダン

 峯孝の作品です。南区役所のそばにあるエドウィン・ダン記念館に接した庭にあります。この記念館内にも峯孝のダンの小さなブロンズ像があります。

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2007年03月12日

南区民センターでの写真展

 札幌市の南区土木維持管理課から、南区の公園に関連した市民活動の紹介(趣旨はあまり良く理解しているとは言いがたいのですが)に「札幌100秘境」で採り上げた南区の公園の写真の展示の話が来て、以前に行った写真展で展示した南区の藻岩下公園(パンダ公園)や藻南公園の写真を南区民センターのロビーで再展示することになりました。期間は3月12日(月)から16日(金)までで、初日の12日にどんな様子なのか見に行きました。

 写真のように区民センターのロビーに衝立を立てて写真が展示されていました。パンダ公園で活動しているパンダフルの展示などもパンダの絵と一緒に紹介されていました。

 南区民センターのすぐ傍にはエドウィン・ダン記念館もあって、雪の中のダンの大きな銅像も見てきました。

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三角山登山道

 三角山は山の形が三角形に似ているというきわめて単純なことから命名されているらしい。札幌市の市街地からみると、確かに三角形で、もともとはピラミッドだったとかの作り話さえある。札幌市民となって半世紀近くにもなるというのに、一度も登ったことのない山であった。

 3月11日(この日付が意味のあるものだったことを後で知ることになる)の日曜日、風は強いものの太陽が顔を出したので、自宅近くの三角山に登る気になった。明け方、暖冬のせいか雨が降っているなと思いながら目覚めたので、雨で雪も解けて登山道の雪もたいしたことはなかろうと、いつもの外出の格好で出かける。登山口までは車である。

 車を降りて登山口に近づくと、樹の根元に逆禁止マークが取り付けられていた。ここら辺の住民の手作りの禁止マークらしく、登山者によるゴミのポイ捨てや意図した不法投棄に対しての注意が書かれている。

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 三角山は登山と言うよりはハイキングコースといった方がよさそうなところであるけれど、さすが冬季の登山者はいかにも登山するといったいでたちである。当方のようにちょっと外出、といった雰囲気ではなく、アノラックかウインドウブレーカに登山靴か長靴でリュックを背負ってきめている。

 登山者が結構いるせいか、雪道の登山道は踏み固められていて、歩くのはそれほど難儀ではない。常連の登山者からこの山の高さが311メートルで、今日の日付と同じなので、今日は三角山の日であると教えられる。これはまったく偶然で、初登山する日がこの山の日と重なったとは。

 ゆっくりと一時間も登っただろうか、頂上に辿りつく。山頂には三角山の標札が立っているだけである。標札には確かに311.07mと記されている。ここからは札幌の市街がよく見渡せる。山頂には誰もいなかったので、しばらく次の登頂者を待ってから、カメラのシャッターを押してもらう。こんな格好で冬山登山をしたのだ、という証拠の写真である。

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2007年03月11日

三馬ゴムの思い出

 国道5号線の花園十字街から水天宮の方向に行くと、商店街が路の両側につながり、この商店街に写真の三馬ゴムの思い出につながるアーケード状の看板がある。ゴム長靴に三馬ゴムのネーム入りのものを見かけなくなって久しいけれど、かつて三馬はゴム長靴のブランドであって、ゴム長と聞くと反射的に三馬の名前が出てくる。

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 写真の看板には文字通り馬が三頭並んでいる。「創造をささえる技術」のコピーが看板にあるところをみると、今でも物作りの先端を行っている会社のようである。三馬ゴムの会社は今小樽のどこにあるのだろうかと地図で探していると、工場の印に「ミツウマ」と書かれたところが小樽天神の道道697号線沿いにあるのを見つけた。

 この工場はどんな様子なのか見に行くことにする。暖冬で国道や幹線道路の路面の雪は消えて、天神までの道は例年の冬道に比べると格段に走り易い。勝納川に沿った道路を走って、地図に記された場所にたどり着く。道路脇に工場らしき古びた建物があったけれど、もう工場としては使われていないようである。倉庫として利用しているらしく、三馬のマークをつけたトラックが止まっていた。

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 建物の写真を撮っていると、事務所から管理人とおぼしき人が出てくる。話を聞くとやはり本社と工場は別のところに移っているとのことである。ここで三馬のマークの写真に撮りたいと言うと、事務所内に張ってあった社旗のところに案内してくれた。この社旗に書かれた会社名はカタカナで「ミツウマ」となっている。もう「三馬ゴム」ではないのである。

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 以前、銭函駅近くの石蔵の喫茶店の店内で三馬ゴム株式会社の社名入りの写真の壁掛け時計を目にしている。このレポートを書くまでは三馬ゴムが会社名で残っているのだろうと思っていた。歳月は「三馬ゴム」を「ミツウマ」に変えていたのである。

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2007年03月10日

校庭に 未来と語る 子の立ちて

小野寺紀子の作品です。稲積小学校の校庭に設置されています。
 
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2007年03月09日

パンダめぐりin札幌

 「札幌秘境100選」でパンダの棲む街のテーマを採り上げています。これを目にしたフリーライターの和泉朋樹氏が改めてこのテーマを追って、フリー誌「JRタワースクエアスタイル」の2007年3月号に書いているので誌面の雰囲気を転載しておきます。このフリー誌はJRタワーのアピア、エスタ、パセオ、ステラプレイスで入手できます。

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2007年03月07日

特攻用舟艇出撃基地跡

 第二次世界大戦時に、日本本土へ上陸する連合軍を想定して、一人乗りの「体当たり特別攻撃艇」が造られた事実がある。ベニヤ板製の小舟に爆弾を積み込み、敵艦目がけて体当たりする戦い方である。道内には二千隻の生産計画があったそうである。

 小樽の手宮から高島岬の行く途中のカヤシマ岬に、この特攻用舟艇を海から見つからないように隠して格納しておくための洞窟が掘られた。特攻用舟艇は、事があれば洞窟内に設置されたレールを利用して海に押し出すようになっていたとのことである。

 道内では二千隻の生産計画があり、幾隻かが敗戦直前に小樽にも回航されてきた。しかし、連合軍の小樽上陸はなく、敗戦と同時のこれらの特攻用舟艇は焼却された。残ったのは特攻用舟艇出撃基地跡の洞窟だけである。

 この洞窟探検にHBCのHanaテレビ番組のスタッフと一緒に出かけることになった。小樽の高島岬へ抜ける海岸沿いの道路(454号線)はカヤシマ岬を抜けるあたりでは高島隧道でつながっていた。しかし、新しいトンネルが出来て、旧トンネルは閉鎖されていて道は行き止まりとなっている。この閉鎖された高島隋道の入口付近、つまり道路の終点から海岸に沿って少し進むと、目指す洞窟の入口にたどり着く。

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 洞窟の入口を塞ぐように土が盛られていて、中に入れるような広さはないと思っていると、実際は高さ二メートル、幅五メートル程度の立って入れる広さの洞窟である。海岸線に垂直方向に洞窟は掘られていて、奥行き三十メートルはあるだろうか。行き止まりからさらに片方へ横穴が二十メートルほど続いている。洞窟内には何も残っておらず、わずかに錆びた鉄釘と鉄のちょうつがいが岩に打ちつけられていて、当時のものかと想像する。

 三月の海岸の強風を避けた洞窟内は外に比べると格段にあたたかく、岩壁に小さなこおろぎのような虫が動いている。岩の天井から水滴が落ちてきて湿気がある。崩落の恐れもあって、一般の人は立ち入り禁止となっているらしい。

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 戦争遺跡として保存し一般に開放する運動もあるらしいけれど、崩落の危険回避とかの処置をせねばならないとすれば、費用もかかるだろうし、単なる洞窟を見せるだけならここまで人も来ないだろう。この種の戦争遺跡を残すのは困難が山積していると思えた。

 立ち入り禁止の場所であるので、都会の秘境の条件を満たしていないのだけれど、記録に残しておく必要を感じてこの探検記を書いている。 

2007年03月06日

台北市内ATM

 今年は世界的な暖冬のせいか、台北市の三月初めは暑くもなく寒くもない、といった気温である。暗くなると繁華街の大通にはイルミネーションが点灯され、なかなかきれいである。このイルミネーションを観賞しながら、台北市の街中を歩いていると、歩道に設置されていたATM装置に貼られた逆禁止マークが目についた。

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 このATM装置には「本ATM具備晶片X交易効能」とある。日本でも使っている漢字と熟語が並んでいるので、意味はおおよそ分かる。「晶片」は「シリコンチップ」あるいは「半導体チップ」の意味だろう。「X」(日本語ワープロにこの文字がないのでXと表記しておく)は「カード」、「交易」はやり取りぐらいの意味だろうから、このATMはチップ埋め込みのカードで利用できる、ものらしい。

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 貼り付けられているステッカーの絵から、振り込め詐欺に気をつけよう、というものらしい。携帯電話で振り込めと言われたら、冷静になって、確認し(査證)、警察に届けでる(報警)せよという事だろう。犯罪者の額には「騙」とありこれは日本語でも「騙す」の漢字があるので犯罪者であることが分かる。漫画の顔もそのように表現されている。

 台湾の漢字は繁体字(大陸中国では簡体字が用いられている)で字画が多く、日本では旧式の漢字に同様なものがみられる。しかし、大方の漢字は同じか似ており、漢字文化圏の一員としては、漢字表記を見るとおおよその意味は通じる。文化を共有しているということは便利ものである。

 しかし、ICT技術の発達で、どの国も似たような犯罪が生まれているのは、文明を共有しているための必然の結果みたいである。多分注意を促されている犯罪は日本と同じ手口なので、文明を共有していると共通の犯罪を推測できる。

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2007年03月05日

台北市紅楼劇場

 台北市巡りにはMRTと呼ばれる地下鉄を利用すると便利である。萬華区にあるMRTの西門駅を出るとすぐ紅楼劇場が目に入る。この建物は一九〇八年に日本人の近藤藤十朗により設計され建てられたもので、百年近くの歴史がある。

 屋根は中国人が魔除けの効果があると信じている八角形になっているため「八角紅楼」の別名もある。以前は公営市場として利用されていたけれど、徐々に寂れていたところ、近年元の形を保存しながら改装が行われ、西門駅近辺の繁華街で喫茶劇場として蘇っている。

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 映画博物館にする計画もあったそうで、建物に入ると昔使われた映写機が陳列されていて、確かに映画の博物館の雰囲気はある。昔の映画のポスターや写真も並べられていて、観光客としてふらりと訪れても面白い場所である。

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 土産物なんかも並べられている店内で写真の逆禁止マークが目に留まった。中国語で書かれた禁止対象は著作権の無断使用らしく、館内に展示されている昔の写真や書類の撮影禁止という意味なのだろう。しかし、この逆禁止マークに著作権があるとも思えないので、マークの方は無断で写真を撮ってきた。

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 喫茶店内の写真も撮ったけれど、内装に使用している映画か劇のポスターが写真に写ってしまった。ただ、こちらは著作権の侵害にはあたらないだろう。台湾でも大陸中国でも映画は電影の言葉が使われている。確かに映画は電球からの光でフィルムの影を投射して見ているから、日本語の映画よりは本質を突く訳語かもしれない。一方テレビは中国語では電視となる。

 二階に上がってみるとそこは喫茶劇場の雰囲気で、出し物があるとお茶でも飲みながら観劇するようである。でも、実際に見ていないのでどんな様子なのか説明できない。またの機会にでも観劇することが出来るかも知れない、否そんな機会はもうないかも知れないなどと考えながら、紅楼劇場を後にした。

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2007年03月04日

出版記念会ご案内

 下記の出版記念会を予定しています。関係者には案内を出しているつもりですが、宛先のリスト漏れは当然あるので、ここに案内を出しておきます。二つの本にごく一部として「札幌秘境100選」の記述があります。

~~~福本チョコ・青木由直出版記念会ご案内~~~
日時:3月15日(木)午後6:00~8:00
場所:テレビ塔2Fライラック
会費:4000円(出版本2冊の本代を含む)
出席連絡先:青木由直
eシルクロード研究工房(eSRA)・房主(ぼうず)
札幌市厚別区下野幌
テクノパーク1丁目1-10-325
Tel 011-807-6122 Fax 011-807-6954
aoki@unison.gr.jp(@は半角です)

 一冊目は北海道新聞夕刊で1月5日~1月31日の日曜日を除いて連載された「私のなかの歴史」の記事をまとめて印刷したもので、新聞記事そのものを本の体裁にしたものです。ただし、新聞では白黒写真であったものが、カラー写真に置き換わっている点が異なります。この記事には私(青木)のスケッチもあって、やはりカラーになるとスケッチの元の感じが出て、絵の類ではカラー印刷が圧倒的によろしいです。

 このまとめ本は、私(と書き手の本村龍生記者)からみた札幌情報産業史の意味合いもあり、非売品で書店で求められない本です。もし、本だけご所望の場合、出版記念会に顔を出していただいて会費を支払っていただき、最初の挨拶のところあたりで退席ということでも結構です。出版記念会ではこの本と次の「ワンワンの会社勤務2」がお土産代わりとなります。

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 「ワンワンの会社勤務2」は本ブログ(2月)でも紹介しています。この本の企画元が「eシルクロード研究工房」である関係上、著者の福本チョコさんの紹介文を私が書いていますので、その部分をアップしておきます。

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2007年03月03日

台北市101ビル

 台北市信義区に二〇〇五年三月一日にオープンした101ビルがあり、丁度二年経った二月末日に見学に訪れた。高さ508メートルのこのビルは世界一の高さの記録を保持していて、近寄ってみると蕗の薹が空に伸びていくようなイメージの外観構造で、確かに高いビルである。

 そもそもこのビルの名称に「101」が付与されているのは、ビル内の説明文によると、デジタル文明を象徴する二進数の0、1のビットを並べたことが理由の一つになっている。高さ508メートルは十進数で表されているけれど、この数字を二進数に直すと512(2の8乗)-4(2の2乗)=508を二進数表現で、10000000-10=11111110となる。でも二進数で表されていては高さの感じはでないだろうから、説明は十進数となっている。

 10進数の101は100に1を加えたもので、100点満点、あるいは100%をさらに超える、という意味も込められているそうである。全階数が101になっているのは、この101に数字に合わせているのだろう。この101の謂れは台湾の現地の人にはあまり知られていないようで、むしろ著者のような観光客の方が知識を仕入れて知っているようである。

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 展望室は八十九階にあり、千メートル/分の世界最速のエレベータに乗って三十数秒で着く。エレベータに乗っている間、加速度はほとんど感じられず、気圧の変化も感じなかった。因みにこのエレベータは東芝製であった。このようなところに日本の技術をみると観光客なのだけれど誇らしい。

 展望台は八十九階にあり、回廊となっていて、台北市内が俯瞰できる。展望台のガラス窓のところに逆禁止マークをみつけて写真をとる。うまい具合にここに逆禁止マークがあったものだと、何か大きな発見をしたような気になる。382メートルの展望室から一望する台北市のパノラマは見ごたえのあるもので、ここが台湾の観光名所になっているのが実感できる。

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 九十一階に屋外展望台もあり、追加料金を支払って出てみたけれど、風が強かった。建造物がこのくらい高くなると風圧もすごくなり、台湾には台風も襲来するので、風圧対策も必要になる。そのためこのビルの展望室の階には一方向からの風圧を吸収するために総重量660トンの鋼鉄製の風ダンパーが備え付けられていて、それをみることができる。ビルの外の景色も見ごたえがあったけれど、ビルの中の景観も興味の湧くものであった。

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