2007年12月31日
日本最北端の土偶出土地
江別市の郷土資料館に対のような二個の土偶が展示されているのが目に留まった。この土偶は縄文時代晩期から擦文(さつもん)時代にかけてのものであるとのことである。ここで擦文時代とは土器による時代区分で、6世紀後半から7世紀初めにかけての北海道独自の土器文明である。続縄文時代の土器には縄目模様がつけられたのに対して、擦文時代の土器の表面には木の“へら”による擦った模様があることからこの言葉が出てきている。
出土した土偶は江別市指定の有形文化財に認定されている。有形文化財としては最小のものでなかろうか。板状土偶で幼児の墓と思われる土壙から重なり合うようにして出土している。ほぼ完全な形で出土している例は北海道では珍しいということで、市の文化財の指定を受けたものと思われる。
出土した場所は江別市大麻にあり、大麻三遺跡と名づけられている。この場所を一度見ておきたいと国道12号線から分かれて、JR函館本線の下をくぐる道路から大麻神社の横を通り、3番線と呼ばれる道路の辺りに出る。車を止めて歩いてみても場所が見つからないので、道路に面した消防署でも聞いてみる。集まってきた署員も出土場所を示す標識は見たことがないという。
後で知ったけれど、目的の場所はこの消防署から歩いて数分のところにあった。どうも江別市教育委員会の設置する遺跡等の標識の市民の認知度は低いようである。3番通り沿いにあるからにはこの通りを歩いていると行き当たるかと、歩いてみる。道路を境にして中央公園の反対側の道の脇に白い標柱を見つける。近寄ってみると標柱には「史跡 大麻三遺跡 日本最北端の土偶出土遺跡」の文字がある。
雪が地面を覆っていることもあって、土偶出土の場所の雰囲気は全く感じられない。住宅地の傍にひろがる空き地に、人目をひくこともなく標柱は建っている。真っ直ぐな道路が伸び、変哲のない住宅地である。近くに谷の形状が認められ、大昔には沢の近くの場所であった感じもする。場所の雰囲気はともかくも、日本最北端と修飾語のつく場所に立てたのは確かである。