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2007年12月31日

日本最北端の土偶出土地

 江別市の郷土資料館に対のような二個の土偶が展示されているのが目に留まった。この土偶は縄文時代晩期から擦文(さつもん)時代にかけてのものであるとのことである。ここで擦文時代とは土器による時代区分で、6世紀後半から7世紀初めにかけての北海道独自の土器文明である。続縄文時代の土器には縄目模様がつけられたのに対して、擦文時代の土器の表面には木の“へら”による擦った模様があることからこの言葉が出てきている。

 出土した土偶は江別市指定の有形文化財に認定されている。有形文化財としては最小のものでなかろうか。板状土偶で幼児の墓と思われる土壙から重なり合うようにして出土している。ほぼ完全な形で出土している例は北海道では珍しいということで、市の文化財の指定を受けたものと思われる。

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 出土した場所は江別市大麻にあり、大麻三遺跡と名づけられている。この場所を一度見ておきたいと国道12号線から分かれて、JR函館本線の下をくぐる道路から大麻神社の横を通り、3番線と呼ばれる道路の辺りに出る。車を止めて歩いてみても場所が見つからないので、道路に面した消防署でも聞いてみる。集まってきた署員も出土場所を示す標識は見たことがないという。

 後で知ったけれど、目的の場所はこの消防署から歩いて数分のところにあった。どうも江別市教育委員会の設置する遺跡等の標識の市民の認知度は低いようである。3番通り沿いにあるからにはこの通りを歩いていると行き当たるかと、歩いてみる。道路を境にして中央公園の反対側の道の脇に白い標柱を見つける。近寄ってみると標柱には「史跡 大麻三遺跡 日本最北端の土偶出土遺跡」の文字がある。

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 雪が地面を覆っていることもあって、土偶出土の場所の雰囲気は全く感じられない。住宅地の傍にひろがる空き地に、人目をひくこともなく標柱は建っている。真っ直ぐな道路が伸び、変哲のない住宅地である。近くに谷の形状が認められ、大昔には沢の近くの場所であった感じもする。場所の雰囲気はともかくも、日本最北端と修飾語のつく場所に立てたのは確かである。

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2007年12月30日

爪句集の最初の見開きページ

 出版した(出版日は元旦ですが)爪句集の最初の見開きページを画像データでアップしておきます。1テーマ(ここの例ではサクシュコトニ川で1景)で2ページ(つまり写真2枚)を使い、この2ページでハガキ1枚分の大きさです。豆本で小さなため、ポケットに入れておいて知った顔に出会うとついつい只で進呈してしまいます(もらう方も小さいものだから気楽でしょう)。しかし、値段は1冊400円(高くはないと思っています)なので、10冊も配れば4千円になって、出版の経費の回収を気にするとこれは問題かと思っています。

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2007年12月29日

年賀状

 年賀状(もどき)を作りましたのでアップしておきます。年賀状の左の写真は、2007年の10月に開始して年内で終えた「身近な秘境を歩こう」講座で、受講生の方に撮ってもらった写真です。右の写真は、2008年1月1日に発行の爪句の豆本です。元旦が日付の発行ですが、暮の12月28日にこの豆本を手にしています。本屋に並ぶのは正月休みが明けた頃になると思います。

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2007年12月28日

旧北陸銀行江別支店内喫茶店

 JR江別駅から千歳川方向に線路と並行に伸びる平和通と名づけられた通りがあり、通りの端に旧北陸銀行江別支店の建物がある。石造り2階建ての建物で、これがかつて銀行の支店であったとは現代の感覚では思いも及ばない。アメリカの西部開拓時代に、新しく出現した村に出来た銀行はかくの如きであったかと思いを馳せる。

 この銀行の建物は十二銀行札幌支店の江別派出所として1919年に建てられた。1934年同行江別支店に昇格し、1943年には銀行の合併に伴い北陸銀行江別支店となっている。1966年支店の移転により、石狩川水運の要衝の地で銀行として果たしてきた役目を終えている。この歴史を背負って、建物は文化庁の登録有形文化財に指定されている。

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 現在建物はOld-eと名づけられた喫茶店とバーになっている。ここでOld-eとは古い江別の意味であることを後で喫茶店の人から聞いた。玄関部分は当時のものがそのまま残ったものらしく、ガラス窓のあるドアは頑丈である。玄関を入ったところに「北陸銀行江別支店」のプレートが飾ってあった。店内には当時使われていたと思われる金庫があり、その周りにこれも当時の調度品と思われるものが置かれている。金庫の上のサッポロビールのビール瓶には古そうなラベルが貼ってあり、これも当時のものなのだろうか。

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 二階も喫茶店の店になっていて、階段を登ったところに北陸銀行の文字が書かれたドアが壁に取り付けられている。ドアがあるからといって、その向こうに部屋がある訳ではない。アンティーク調のテーブルと椅子が並んでいて、天井には大きなプロペラが回転する旋風器が取り付けられていて、一階からの暖気を拡散させているようである。

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 この喫茶店はここに開店してから七年ほど経っているとのことである。文化庁指定の建物内での喫茶店も珍しいことだと注文したコーヒーを啜ってみる。建物は古くてもコーヒーの方は現代的味がするものであった。

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2007年12月27日

ヤツメウナギ漁のマンフォールの蓋

 江別市内のマンフォールの蓋にはヤツメウナギ漁がデザインされたものがある。生憎雪の季節で蓋が濡れたりしていてよく撮れなかったけれど、地面が乾燥した季節に再度写真を撮ってみようと思っている。それにしてもマンフォールの蓋のデザインになるくらいヤツメウナギ漁は江別を代表する産業だったのだ。
追記:マンフォールの蓋のデザインがよりはっきりしたものを撮り直してきました。漁師がヤツメウナギを掴んでいる絵がユーモラスです。

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2007年12月26日

爪句とは何か

 「爪句@札幌&近郊百景」の豆本を出版しようとしていて、この「爪句」とは何かの説明を豆本に書いてあります。その説明のページを画像データで載せておきます。
 
 本(豆本でも)の出版で頭が痛いのは在庫が残ること(つまり売れないこと)です。少しでも在庫を減らすべく、このブログに宣伝がてら爪句の話題を出しています(適切な喩えはが浮かばないのですが、この努力は、蟷螂の斧のような感もあります)。

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2007年12月25日

幻のヤツメウナギ料理

 ヤツメウナギはうなぎの名前で、見た目にもうなぎに似ているけれど、いわゆるうなぎとは異なる種類の魚(正しくは魚ではない)である。正式には無顎口網ヤツメウナギ目ヤツメウナギ科の動物となる。体の両側に7個の鰓孔があり、これが目のように見えるため八目の呼び名がつけられている。魚類にとりついて、鋭い歯で魚の体液を吸い取るというから、これは川に生息する大型のヒルみたいなものである。ヒルみたいなやつなんて聞くと、この時点で食欲をなくする気の弱い連中もいそうである。

 石狩川で捕れるヤツメウナギは主に食用に供されてきた。しかし、ヤツメウナギの激減を受けて、資源保護のため江別漁協は2004年から禁漁措置を取ってきている。そのため、江別の郷土料理ともいえるヤツメウナギ料理は幻の料理になりつつある。しかし、細々と漁が行われているらしく、何かのイベントに合わせてヤツメウナギ料理が出されることがある。

 江別の農産品の販売バザーに合わせて、このイベントが行われている河川防災ステーション二階の食堂の入口に、ヤツメウナギ入荷の案内が貼り出されている。この機会を逃してはヤツメウナギ料理を味わってみる機会はそうはないだろうと、早速メニューを見て注文する。

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 ヤツメウナギの唐揚げとヤツメウナギ丼を試してみる。唐揚げの方は身の部分が適当な大きさに切られて揚げられている。ちょっと歯ごたえのある食感で、味はまあまあである。丼物のほうはヤツメウナギの蒲焼がご飯の上に乗っている。こちらの方は生臭い感じがする。よく川魚は泥臭いと評されるけれど、そんな感じで、美味しいかと問われれば首を横に振る。まあ、好き嫌いが出る魚であると思われる。

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 今や江別では幻の川の幸となったヤツメウナギ料理をわざわざ食べに来るのは筆者だけではないようで、料理を食べる前に写真を撮っている客もいた。ヤツメウナギ料理の感想を聞きたかったところであるけれど、不作法なことは遠慮した。運転手も一緒だったのだけれど、歯の治療中でヤツメウナギを敬遠していて、食後の感想は筆者のものだけになってしまった。

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2007年12月24日

木製戦闘機の飛んだ飛行場

 江別の石狩川に接して工場のある王子製紙は、昔から紙を作る会社と思っていた。しかし、第二次世界大戦時には系列の王子航空機製作所が戦闘機を作っていた。それも木製の戦闘機であった。木製にした理由は、戦時中の物資不足が飛行機の胴体や翼に使われるアルミニウムに及んだためである。

 木製の戦闘機はキ-06と呼ばれて、その部品等は戦後最王子製紙に残されていた。しかし、製紙の本業に関係はなく、一方資料的価値はあるため、江別市の郷土資料館に寄贈された。資料館内で、展示されている木製の翼や戦闘機の車輪などを目にすることができる。

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 木製戦闘機を飛ばすには飛行場が必要で、戦時中元江別(見晴台)に飛行場が造られた。造られた木製戦闘機の1号機は札幌の陸軍の丘珠飛行場へ、2号機は東京の福住飛行場にこの江別の飛行場から飛んだ。3号機は格納庫で終戦を迎えた。この木製戦闘機を飛ばすことには役立った飛行場跡は、現在生活道路、住宅地、緑地に姿を変えていて、飛行場の面影は微塵もない。

 飛行場の跡に史跡の標柱が建っているというので、その場所を探しに出かける。飛行場の滑走路は江別第三中学校の横の斜め通りがその一部であったそうで、飛行場そのものは道道110号線の元江別地区の元江別緑地あたりを中心にしてあったらしい。この元江別緑地に目指す史跡の標柱を探すのだが、なかなかみつからない。それほど離れていないところにあるパン屋で聞いても、店の人は首をかしげるばかりである。

 やっとこの地域をよく知っている人に出会って聞くと、探している辺りすぐ近くを教えてくれる。緑地が雪で覆われ、標柱が白い柱であったこともあって、見つからなかったようである。標柱には「史跡 旧飛行場跡 木製戦闘機と戦争」の文字があった。江別市教育委員会が1988年に建てている。翌年の年明け早々に昭和天皇が亡くなっていて、先の戦争のある意味区切りがついた直前のことである。

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 木製の戦闘機は空中戦には参加しなかった。しかし、木製の戦闘機がアルミ製の戦闘機と戦って勝ち目があったのだろうか。似たような話で、終戦直前にベニヤ板で作られた特攻艇が造られ、連合軍艦艇が小樽上陸で現れたら、この特攻艇で攻撃する計画があった。この特攻艇を隠しておく洞窟が小樽港の近くに残っていて、小樽の秘境で取材している。先の戦争は最終段階では「木(キ)」がキーワードになっていたのである。

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2007年12月23日

幻の江別の水運

 江別の生い立ちで石狩川の果たした役割は大きい。北海道の運輸や交通が石狩川に大きく依存していた時代に、江別は石狩川水運の要衝の地であった。北海道で最初の集治鑑である月形町の樺戸集治鑑が1881年に建設され、集治鑑専用の船が石狩川に就航している。この集治鑑は小説にも取り上げられて、初代典獄月形(これが月形町の町名となった)の名と共に有名である。

 この樺戸集治鑑が石狩川の航路の先鞭をつけており、1884年には石狩、樺戸間での客貨の輸送が始まっている。江別はその中継地の役目を担った。民間の汽船会社も設立され、1889年には石狩川汽船会社が営業に入っている。運輸の公共性もあって、北海道庁が経費の支援を行い(命令航路)、会社の経営如何で船が欠航しないように配慮している。この頃、石狩(河口)から江別までの所要時間は上り8時間、下り4時間、さらに江別から樺戸は上り9時間を要している。

 1890年には西田組汽船部も設立され、後に石狩川汽船に吸収された。石狩川水運で活躍したのは外輪船で、神威(かむい)丸、上川丸、空知丸が石狩から空知太(滝川)まで運行していた。この外輪船の上川丸の大きな模型が石狩川と千歳川(江別川)の分岐にある河川防災ステーション内に展示されている。

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 この江別の水運跡を石狩川や千歳川沿いにないかと探すのだが、それらしいものを見つけることはできなかった。ただ、千歳川の土手に史跡の標柱が建っているのを見つけた。標柱には「史跡 石狩川汽船 江別の水運と倉庫群」と記されていて、標柱の建っている場所から旧大久保倉庫や旧岡田倉庫が目の前にある。岡田倉庫は改装され、ドラマシアター「外輪船」として利用されている。

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 標柱から千歳川方向に目を転じると、新江別橋が見える。石狩川の水運に代わって、陸の大動脈となった国道12号線がこの橋を通過している。この橋の近くで千歳川は石狩川に注ぎ、その合流点に王子製紙の工場がある。王子製紙も石狩川を利用して紙の原料の木材を江別の地まで運んだ歴史を持っている。

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 対岸に河川防災センターが見える千歳川は、初冬の季節の中で流れの方向がはっきりしないほど緩やかである。この流れに昔の水運の活気を想像するのは、静か過ぎて幻の水運の言葉が頭をかすめるだけである。

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2007年12月22日

石狩川とチョウザメ

 かつて石狩川では川の主としてあがめられたチョウザメが捕れた。江戸時代には刀の鞘などに珍重され、石狩川産のチョウザメは幕府への献上品にもなっている。それが現在は石狩川では絶滅してしまって、1969年に石狩川で捕獲されたチョウザメの剥製が石狩市の市指定文化財になっている。ただし、北海道の沿岸部でチョウザメが時折捕獲されている。

 チョウザメの写真と剥製は石狩市の「いしかり砂丘の資料館」で見ることができる。見た目には鮫にも似てなくもないけれど、鱗が特徴的で、鮫の呼び名がつけられていても鮫の仲間ではない。写真と展示されている剥製でみると鮫ほどではないにしても、かなり大型の魚である。

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 チョウザメを人工孵化して、将来石狩川にチョウザメを蘇らせようという研究が江別市にあるほくでん総合研究所で行われていたことがある。同研究所で行われていたチョウザメの研究レポートに目を通すと、チョウザメは飼育環境下では自然産卵はしないそうである。そこで同研究所ではホルモン注射により産卵を促し、北海道で初めて人工孵化に成功し、1万匹の仔魚を得ている。孵化した仔魚を育て、生存率の調査も行われた。

 このチョウザメの人工孵化の研究は北電の電力事業とは直接関係はないけれど、地域産業活性化の目的に沿って行われた。しかし、研究は人工孵化の段階で終わってしまい、石狩川に人工孵化の仔魚の放流には結びつかなかった。最初に譲り受けた親のチョウザメが外国産であるため、外来種を国内の自然環境に放流するのが出来なかったせいかも知れない。

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 研究は実用化には到らず終結、現在同研究所にはかつてのチョウザメ飼育の水槽が残っている。飼育されていたチョウザメの方は、共同研究を行っていた北大水産科学研究院の方に引き取られて、現在でも七飯にある同研究院の養魚場で飼育されている。同研究院の知り合いの先生に頼んで、このチョウザメを研究のため取り出しているところの写真を送ってもらったものがある。生きたままチョウザメを取り扱うのが大変そうなのが画像から伝わってくる。

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 石狩川ではもう目にすることがなくなったチョウザメを、せめて水槽の中で泳ぐ姿だけでもそのうちどこかで撮影しようと思っている。

2007年12月21日

不死鳥の彫刻

 国道12号線が江別市役所の前を横切るところ、江別市公民館の横に写真の彫刻があります。鳥の像であることはわかります。これは本郷新の「不死鳥」のブロンズ像です。江別市開基90周年、北海道百年の合わせて1966年に設置されています。この頃の江別市の人口は約5万人でした。

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2007年12月20日

爪句の校正

 爪句の最終校正(色校)を終わりました。後は印刷を待つだけです。本のタイトルは先にブログに出した「爪句@景観百選」から「爪句@札幌&近郊百選」に変えています。漠然と景観とするより地名が入った方が本を買ってもらう読者に訴えるものがある、の意見に従いこの書名にしました。

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 最終校正(色校)の段階での校正刷です。豆本であるため、ハガキ半分が1ページのものが並んでいます。出版日は1月1日にしました。本屋に並ぶのは1月10日頃になる予定です。

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 昨日10回目で最終回の秘境を歩こう講座の受講者がにの爪句集を一番最初に手にするはずです。秘境を歩こう講座の受講者の皆さんが最後に昼食会に招待してくれたので、そのお礼も込めて爪句集を送る予定です。
 それにしても、毎回8割以上の方々が参加していて、最後には昼食会を企画していただくとは、現在只で行っている勉強会の出席率が5割を切って、私の方が最後のパーティを企画することになるのと比較して随分違っていることだな、と思っています。
 秘境を歩こう講座は文化教室から4月からの講座企画の依頼があって、今回行けなかった札幌の秘境に加えて、小樽、江別あたりを加えてたコースを設定してみようかと考えています。「札幌&近郊」の秘境を歩こう講座です。私も結構この講座を楽しんだところがあるので、春から夏にかけての秘境巡りは又面白いだろうと思っています。
 

2007年12月19日

イルピーノの江別産小麦の生パスタ

 荒巻時計台ビルの地下に「イルピーノ」というイタリア理料理店がある。宴会に時々利用するので店主の川端さんに店の名前を聞いたところ、ピノ(Pino)はイタリア語で「松」を意味するそうである。「松竹梅」のトップで、店が大きくなって支店を出すようになれば「竹」、「梅」と店名をつけようかな、といったアイディアらしい。ただし、現在のところ「松」だけで支店のほうは「待っ」ている状況である。

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 このイルピーノは、店で出すイタリア料理のパスタを江別産小麦で作っている。町村農場の「春よこい」という銘柄で、パスタの食材として道産小麦を色々試してみて、これに辿りついたとのことである。店で出す生パスタをパックにして商品としても売っている。江別産小麦の名を道外に広める役も担っている。この辺の事情を川端さんに秘境掲示板に「道産小麦100%の生パスタをつくろう」ということで投稿していただいているのでそちらの方をご覧ください(投稿番号655)。料理で出されたパスタの写真を撮っておくとよかったのに、集まった方々との江別の秘境の話に花が咲いて料理の写真をとるのを失念してしまった。

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2007年12月18日

消えたヤツメウナギ漁

 江別市工栄町を石狩川に沿って走る国道337号線があり、国道と平行に石狩川の土手道がある。土手道から河川敷方向は緑地として整備され、その向こうに石狩川が流れている。この石狩川に沿ってヤツメウナギの漁場と漁のための舟寄せ場がある。

 ここを訪れたのが雪の降る季節で、係留されあるいは陸に揚げられているヤツメウナギ漁のための舟を見ることはできなかった。ただ、ヤツメウナギ漁に用いられる漁具の「どう」が雪の中に放置されているのを見ることができた。この「どう」は植物のカヤで作られていて「カヤどう」とも呼ばれている。

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 ヤツメウナギ漁は1900年に石狩川のこの辺りで始まったといわれている。新潟県信濃川の漁法が取り入れられたため、「カヤどう」に使われるカヤは新潟から取寄せて作られてきている。1950年代半ば石狩川でのヤツメウナギ漁は最盛期を向かえ、全国漁獲量の6割を占めたといわれている。

 ヤツメウナギは主に食用のため捕獲されている。加えて、加工品、医薬品にも利用されていて、江別や石狩の特産品であった。そのヤツメウナギが石狩川の河川改修の影響を受け激減して2004年から禁漁になって現在に続いている。「カヤどう」も働く場所がなくなって陸に放置されている状況にある。

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 この秘境探検でヤツメウナギ料理を食してみようと密かに思っていたことは、現状では実現が難しい。この状況に地元のヤツメウナギ関係者や一般市民がただ手をこまねいている訳ではなく、関係機関や団体が資源の回復の試みを模索している。恵庭市にある道立水産孵化場でも人工的な孵化技術の開発などの研究を行っている。

 昔、石狩川にはチョウザメも生息していたのが、チョウザメにとっての石狩川の環境悪化により、絶滅している。ヤツメウナギもその二の舞にならなければ良いと思っているけれど、果たして人工的資源回復が功を奏するかどうか。おおよそ8年経ってヤツメウナギが成魚になって川に戻ってくると言われていることを考えると、放置された「カヤどう」がヤツメウナギ漁のため石狩川に沈められる状況を目にしながら取材して、この秘境レポートに載せることは今のところ見込みがない。

2007年12月17日

使われない公衆電話

 江別市役所に行ったついでに、市役所前の国道12号線の歩道脇にあるレンガ造りの電話ボックスの写真を撮って来ました。今や公衆電話はほとんど使われなくなって、以前は並んだ二つのボックスそれぞれに電話器が設置されていたらしいのですが、今や片方のボックスだけにしか電話器がありませんでした。使われなくなった公衆電話(ボックス)も秘境のテーマになりそうです。

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2007年12月16日

人工着雪実験を見守る雪だるま

 北海道のような冬に大量の雪が降る地方の電力会社の悩みの種に、雪による鉄塔の倒壊がある。降って来る雪を手のひらに受けてみて、この雪が鉄塔を倒すまでになるとは到底思えない。しかし、鉄塔や送電線に着雪した雪が融け、それがまた凍って成長していく着雪の重さは、見た目以上のものがある。鉄塔のみならず、建物だって同じ理屈でつぶれる場合がある。

 送電線にへばりついた雪が落ちても鉄塔倒壊の原因となる。雪が落ちることで送電線は反跳して鉄塔間に張られた送電線が共振を起こし、この共振エネルギーを共振が小さなうちに放出できないと、鉄塔は増大しながら振動する送電線を支え切れなくなって倒壊する。雪が送電線から落下したとしても油断できないのである。

 雪による鉄塔倒壊の対策としては、送電線に雪が着かないようにするのがよい。送電線にリング状のものを装着して、着雪が成長しない前にこのリングにより雪を落としてしまう方法もあり、これは実用化されている。送電線を捩ったような構造にして、着雪が起きないような形状にするのも検討されている。

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 降雪期に屋外で考案した送電線のモデルで着雪実験を行うのは天候に左右され、測定装置の設置とかの問題もありそうで、屋内で実験をしたいところである。しかも、年間を通しての実験でなければ研究も進まないだろう。そこで考えことは低温室での人工着雪実験である。多分、この研究所しか見ることのできない送電線の手作り人工着雪装置を見せてもらった。

 ドアのところに「-15℃の雪と氷の体験」の文字を目にして、この部屋の中に入れてもらう。室内は実験は行われていないので、少し低めの室温かな、と感じる程度である。部屋の一方には捩った送電線の模型がおかれ、他方には人工着雪装置がある。実験ではこの人工着雪装置に雪を入れて、これを掻き出しながら送風機からの風で雪を吹き飛ばす仕組みになっている。吹き飛ばされた雪が送電線の模型に当たり着雪が起こる。

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 夏でも人工着雪実験を行うなら雪が必要で、実験室内に大きな冷蔵庫があって、内にはケースに詰まった雪が置かれてあった。冷蔵庫内で雪を見張るように少し融けかかった雪だるまが置かれている。この雪だるまは着雪実験の現場監督のようにも見えた。

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2007年12月15日

スーパークラスター マップとカレンダーのお披露目

 昨日(14日)は北海道スーパークラスター マップとカレンダーの除幕式がありました。除幕を行ったのは高橋はるみ知事、深野北海道経済産業局長、宮田昌利BizCafe代表でした。高橋はるみ知事がマップにある隊長の表札を指さしてくれましたので、これは良い機会と知事とのツーショットの写真を撮ってもらいました。隊長が政治家ならこの写真は選挙に使うだろうな。

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2007年12月14日

爪句@景観百景

 爪句集(豆本)の表紙の選定の参考にするため、秘境を歩こう講座の受講者の皆さんの意見を聞きました。5点ばかりの表紙のデザインから一番票が入ったものを載せておきます。毘砂別の千本ナラの写真をあしらったものです。私もこれがよいかなと思っていたので、これを表紙にすることにしました。爪句といっても 5 7 5 が並んでいるだけで、気分次第で次々と変えてみたくなります。校正時にこれを頻繁にやると印刷会社から嫌われますので、校正段階での推敲はほとんど出来ず、駄作が並びそうです。しかし、豆本の爪句は現時点で無視されても、後々評価されるかもしれないと思っています(何か新しい試みをする者は、こんな夢想をする自信家が多いと、自分の経験で確信を持って言えます)。自費出版豆本ですので、ご希望の方ご一報ください。出版後メール便で送ります。

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2007年12月13日

北海道新聞社見学

 昨日(12日)の秘境を歩こう講座は北海道新聞社で新聞の出来方を見学しました。知り合いの編集委員の本村龍生氏の取り計らいで印刷前の新聞が作られている現場を覗きました。写真はデータをどのように新聞紙面として変換して行くのかの模擬操作を行っている本村氏(座っている)です。

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 NIE(Newspaper in Education)の展示室に道新の創刊号がありました(写真の奥の壁のところ)。来年1月の新年の企画で、道新の記者に20年後(ぐらいだったと思います)に世の中どう変化しているかの夢物語に関してコメントを求められて、「タイム・マシン産業」が盛んになっているだろうと答えておきました。道新の創刊号が残っていて昔を振り返ることができるのがさらに本格的になって、文字情報ばかりでなく画像、映像、音、装置等のデータが記録されていて、それらのデータを高性能コンピュータで組み合わせて過去の再現を行えば、過去に戻るタイム・マシンの効果が生み出せる、といった話です。さて、このコメントと記者氏の補足データでどんな記事になるのかな、と思っています。

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2007年12月12日

ほくでん総合研究所で培養されるマリモ

 江別にはかつて北海道電力(ほくでん)の火力発電所があった。しかし、この発電所は今はなく、発電所のあった敷地には「ほくでん総合技術研究所」が建っている。電力会社の研究所なので、発電、送配電、電力機器や測定装置の開発等の研究が行われているのは容易に想像がつく。この想像に反して、電力会社なのにこんな研究が行われている、といったものが見つかるのを期待しながらこの研究所を訪れてみた。以前この研究所でチョウザメの養殖の研究が行われていた頃に見学した経験もこの期待を膨らませた。

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 石狩川に沿って走る国道337号線が対雁(ついしかり)を抜ける辺りに研究所がある。研究所に入ると一階のロビーには研究成果のパネル展示がある。それを順に見て行くと、マリモの培養の研究が目についた。これぞ秘境にふさわしい研究であると、この研究を一番の優先順位にして見学させてもらった。

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 マリモは最初は糸状の藻が集まり、水の流れ等で球状に発達してよく目にする毬藻となる。人工的にマリモを培養するには、肥料成分を加えた水中で糸状の藻を繁殖させ、これを攪拌して藻の塊を作る。この時の肥料成分を調節して藻の培養率を高め、さらに藻を塊にする装置や方法などが研究の対象らしく、研究依頼元の阿寒町(現在は合併で釧路市)と共同でマリモ培養に関する特許を取得しているとのことである。
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 パネルの写真が示すように、機械で藻の塊を作ってもそのままでは球状にはならない。そこでおにぎりを作るように人間の手で丸めてマリモの形をつくるのだそうである。おにぎりの手さばきでマリモが生まれてくとは予想もできなかった。壁際に水槽があり、培養された小さなマリモが水底に重なっている。この程度の大きさにしたマリモを、土産用の商品として販売も検討したところ、盗掘されて売り物として出回っているマリモとの価格競争に勝てず、商品化は成功していないと説明された。悪貨は良貨を駆逐する、といったところか。

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 九月に研究所公開日があり、この時には列を成す見学者の先着三百名に無料でマリモが配られるとのことである。電力会社の研究所を見学しに行ってマリモがもらえるとは、これはやはり秘境の研究所である。

2007年12月10日

秘境卓上カレンダー

 秘境を歩こうの講座の受講生のNさんが秘境卓上カレンダーを手作りし、これををいただきました。講座で歩いた秘境やテキストとして購入してもらった秘境本の場所に行って写真を撮り、これにカレンダーをつけてプリントしたもので、売っている卓上カレンダーと比べても遜色のないものです。写真の腕も(カメラも)隊長の上を行くものです。ブログの写真にもちょっと写っている八剣山は頂上をきわめて撮った写真で、これも隊長の及ぶところではありません。説明が付けられていて、八剣山の登山は恐ろしかったと書かれてありましたが、写真からもそれが伝わってきます。

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恵迪寮歌のCD

 北大恵迪寮100年記念事業に寄付しておいたら、「都ぞ弥生」を始めとする寮歌が納められたCDが送られて来た。合唱は北大合唱団OBによるものである。100年記念事業の一つで、その他事業としては寮歌碑の新装も含まれていて、新しくなった歌碑は秘境を歩く講座で訪れている。寮歌祭も行われたらしいが、どうもいい歳をして寮歌を高歌放吟するのは気がひけて、この類の会は遠慮している。

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 同窓会誌「恵迪」の7号は百年記念号で、表紙には北海道開拓の村に移築された恵迪寮の写真が載っている。この建物は「札幌秘境100選」にも写真を載せてある。

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 復元された寮内の廊下部分に南寮、中寮、北寮、新寮の棟の名前を書いた幟が飾ってある。筆者は新寮に住んでいた。実際の寮と復元されている寮は似ているとは言え、雰囲気は天地の開きがある(実際の寮は、五人一部屋で部屋によってはここが人間の住むところか、と思えるほどだった)。

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2007年12月09日

中華民国資訊軟体協会来札

 12月8日、標記の視察団が筆者のオフィスのある札幌エレクトロニクスセンターに来訪です。視察団には団長の沈榮津経済局副局長、翁建一資訊工業策進会主任らの本年2月に台北市でお会いした顔見知りの方々や同会顧問で今回のコンダクター役を務められていた福田譲治氏がおられました。総勢20名を超える視察団でした。

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 写真はエレセンの大田館の部屋で団員を紹介している沈団長です。私の方はeシルクロード・プロジェクトについてパワーポイントで説明しました。お土産に
「札幌秘境100選」の中国語版豆本lを配りました。

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 視察団の帰り際に調印風景の写真を撮りたいというので、求めに応じました。横で署名しているのは中華民国資訊軟体協会の王忠正理事長です。書類そのものは後で送られてくるとのことでした。視察団との夕食会は別件の忘年会が先約であって参加できませんでした。

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2007年12月08日

一億円の札束

 引用のやり方を復習しています。日本銀行札幌支店の投稿の引用で、前回(12月5日)の秘境を歩こうの講座で同店を訪れた時に参加者が抱えて重さを体験しています。一億円の札束(大きさと重さが同じでですが中身は真券ではありません)。

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2007年12月07日

2008 Hokkaido Super-Cluster Map

 標題の2008年のカレンダーが届きました。これは札幌のIT産業に関わる企業、機関、団体等のロゴとURLを集めてカレンダー仕立てにしたものです。数えていませんが100ロゴあるはずです(と最初に聞いていました)。

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 唯一手書きの個人名があります。一応制作費の協賛金は支払っていますが、お金を払っても個人名が出ることはない企画で、制作側(私ではない)の配慮だと思っています。

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 カレンダーで、部数がありますので、送料のみをいただければ送り先の住所宛て送ります。

2007年12月06日

上野氏の講義

 ブログは投稿するために備わっている機能は無視で投稿していましたが、他のブログの引用例を見てこれもよいかな、と思って引用の練習(というほどのこともないのですが)を行っています。過去のブログの引用となると、一年間毎日ブログを書いていると、何日に何のテーマで書いていたのか覚えていませんのでカテゴリィ分けにしておくのもそれなりに便利かと、カテゴリィ分類の機能も使ってみました。一昨日は日本銀行の秘境探検に行き、支店長の上野氏にお会いしたので、過去の別のブログから引用してみました。なるほど使うと便利ではあります。

eシルクロード大学で講義中の上野氏

秘境探検-とう道コース

 昨日の秘境を歩く講座は手続きの必要な場所を廻りました。最初のNTT東のとう(洞)道はセキュリティの関係上、ブログに写真を載せる場合に許可が必要だとのことで、写真はここには載せません(後で許可を得たので追加掲載です)。皆さんヘルメット着帽で地下のとう道を歩いてきました。

(許可の出た写真です)
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 次のHBC本社のスタジオは番組の放送が行われていないスタジオで座って、アナウンサーの気分の体験です。写真には今回の見学でお世話いただいたM氏も写っています。テレビスタジオでは生放送にほんの少しばかり付き合ったことがある話をしましたが、スタジオの記憶違いで、あれはHBCではなくUHBのスタジオでした。記憶もいいかげんになっていて頭の検査が必要なのかも知れません。

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 日本銀行札幌支店では日本銀行の役目の勉強です。支店長の上野正彦氏がご挨拶で、ここが秘境になっているか、との感想を漏らされていました。日銀だけが紙幣を発行する権利があって、お札に関係する展示を見ました。写真の手前に写っている裁断された紙くずのビニール袋は、1000万円相当のお札の成れの果てで、これが固形燃料になり本当に藻(木)屑と化して、最後は灰となります。

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2007年12月05日

ブログの引用の試し

 「ワンワンの会社勤務」というブログに、このブログの主人公チョコを抱いた自分の写真が掲載されていて、そのブログを引用する方法を確かめました(F社長<・・・手ほどきありがとうございました)。

チョコの勤め先です

閃光を 跳ね返す裸身 黄金(こがね)色

 JR札幌駅の西コンコースにある人魚姫の像を撮影するとき、フラッシュ撮影ですと光が反射して像が黄金色に写ります。フラッシュ無しだとくすんだブロンズ色となります。この差の違いに驚きます。札幌市内で人魚姫像のコピーを探しているのですが、今のところ西区のパンの博物館の北欧館の前にあるものしか見つかっていません。

ふるさとの 海涼しきや この猛暑

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2007年12月04日

市場経済万能主義

 現代は市場経済万能主義といわれている。全ての物の価値(値段)が市場に委ねられる。最近のガソリンの値上がりもしかりである。ガソリンが値上がりして当面は困るけれど、石油が枯渇すれば供給そのものが無くなるので、困るを通り越して極端に高価なものとなる石油製品が買えなくなる。そうすれば今は割高の他の自然エネルギーが石油の代わりに開発されるので、石油文明からの脱却だって市場経済がもたらす、とまで市場経済の効用が説かれる。

 さて、そんな大きな文明の転換までゆかず、我が身に関わる小さな市場経済に関することで、拙著の売れ行きが気になる。本が売れるかどうかも確かに市場に委ねられている。ただ、この市場ローカルなもので、全くの不特定多数を相手にしたものとも少々違う。本に小樽という都市名がついているので、小樽の読者が買ってくれる。参考までに紀伊国屋書店小樽店の売れ筋ランキングを示すと、先週の統計では2位になっている。ただし、同書店のランキングに出てくるのは小樽店だけであるので、小樽というローカル市場での話である。また、本は需要と供給のバランスという商品でもなさそうである。

 ここから、秘境本のシリーズを他の都市に関して続いて出せるのか、とローカルな市場との兼ね合いの考察に入るのだけれど、ブログに書くには面倒で、自分の頭の内であれこれ考察を巡らしている。

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2007年12月03日

旅人の 残像となり 赤い脚(あし)

 爪句集(豆本)出版の校正作業に入っています。先週都市秘境探検で歩いたJR札幌駅南口の東コンコースの「旅人の残像」のオブジェ(彫刻?)をテーマにしたページの校正刷です。100テーマを収録する予定です。何で爪句なのかは爪句集に解説してあります。豆本を出版するのは面白いのですが、その後の販売に頭を痛めます。

人歩き 脚(あし)も歩いて コンコース

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2007年12月02日

HBC本社屋上

 秘境を歩こう講座は何週間前から歩く場所の準備をします。次回はNTT東の洞道、HBC本社、日本銀行札幌支店と許可をもらう必要のあるところばかりで、準備に手間取ります。以前訪れたことのある場所を選定していますが、15名を超える一般の見学者では連れては行けない場所もあります。HBC本社の屋上なんかもその一つです。講座のレジュメの準備で画像データが出てきたのでアップしておきます。

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 ビルの屋上から街を見ると新しい発見があり、ビルの屋上は都市秘境になり得ます。ただ、ビルの屋上は大抵一般の人にはアクセス不可で、取材ができない点で都市秘境の条件をクリアしません。HBCの屋上からは道庁の庭が目の下によく見えます。雪の季節に屋上から撮った写真がありました。

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2007年12月01日

著作者の心理

 本の著作者の心理は、出版した本が売れているかどうかを非常に気にかけることです。専門書なら、内容が難しくて読者がついて来れないせいだ、と変な言い訳を持ち出して自分を納得させることもできるのですが、一般の読者を相手にしていてはこの言い訳も通用しません。

 たまたま紀伊国屋ロフト店の近くに行く機会があったので、ロフト店に自著が置いてあるか、どんな状況であるか足を運ぶことになりました。

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 ロフト店の書棚に目立つように「小樽・石狩秘境100選」が「札幌秘境100選」とその中国語版豆本と並んで置かれてありました。秘境本のシリーズ化が形になっている感じで、もう数冊を加えるとそれなりに名前の知られたシリーズになるかな、という感じがしました。

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 さて、最大の関心事の誰か購入していくか、です。犯人が現れるのを張り込んでいる刑事気取りで離れたところで見張るのですが、手にとって見る客は一向に現れません。この張り込みがちょっと馬鹿らしくなって帰ろうかなと思っている時、拙著を手に取った客がいます。購入している現場を見させてほしい、と「念」を送るのですが、無駄でした。ちょっと残念でしたが、刑事の張り込みの気分も味わえて、面白くもありました。

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