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2016年06月23日

道新文化センター講座10回目-北大観光学高等研究センター

 「身近な都市秘境を歩いてみよう」講座の13期目は6月22日(水)の10回目のコースで終了です。地下鉄南北線北12条駅に集合で、歩いて北大観光学高等センターに向かいます。途中、薬学部の薬草園を歩きながら見学です。
 北大大学院の国際広報メディア・観光学院の看板を以前から恵迪の森に隣接した建物の玄関先で見ていたので、てっきりこれが入口かとここから建物に入りました。エレベータで3Fに上っても指定されたスタジオ型講義室がありません。研究室のならぶ廊下を通り、階段を下りたり上ったりして、やっと目的の講義室に辿りつきました。帰る時分かったのは、メインストリートに面して同学院の出入口があり、ここから入ればよかった事でした。
 講義室では同センターの石黒侑介特任准教授に出迎えていただき、石黒先生から観光学や同センターの生い立ちについてお話をお聞きしました。
 大学も世の中の流行(語)に影響され、流行語を冠した大学院や研究組織が作られる例があります。「メディア」の言葉が流行れば「何とかメディア学部・大学院」が全国の大学に作られます。続いて「コミュニケーション」を取り込んだもの、「観光」がブームになれば「観光学」を冠した研究組織が全国の大学に出現します。最近は「環境」が世の中のキーワードになっていて、全国の大学にどれくらい「環境」の言葉を取り入れたところがあるのか、おそらくえらい数ではないかと思われます。
 石黒先生の説明では、北大の観光学に関する研究組織が出来たのは小泉純一郎総理の時に、政府が観光立国を目指し、国立大学でも観光を学術的に教育・研究する必要性を打ち出した結果ということです。
 観光を取り込んだ学部を持つ国立大学は和歌山大学や琉球大学、その他があります。観光学の大学院を設置する段階で、北大は琉球大と綱引きをして北大に軍配が挙がり、見学先の観光学高等研究センターが設立されています。石黒先生の経歴はメキシコ・イベロアメリカーナ大学国際関係学部、専修大学経済学部、横浜国立大学院国際社会学科研究科国際関係法専攻修了(修士・国際経済法学)で、㈶日本交通公社勤務の後、2014年に北大の同センター特任准教授になっています。
 石黒先生はサッカーの選手で、メキシコで選手生活にピリオドを打ち、その後世界各地でガイドの経験も積んでいるとの自己紹介です。現在の研究生活では、「観光」を学問の一分野にすべく研究を行うとともにJICAとも協力して世界各地での観光に関わるプロジェクトに従事しているとの事です。来週にはジンバブエに出張で忙しそうです。 
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(講話中の石黒侑介准教授)

 道新文化センターの講座の主旨も汲み取っていただき、石黒先生から資料の配布がありました。「TimeOut」という世界的グループの会社があり、この誌名の雑誌やガイドブックが出版されています。その札幌版を石黒先生らのグループで出版して一般に配布したところ好評で、もう外部には出していない札幌のガイドマップ『札幌でしかできない50のこと』が講座参加者に配られました。
 このガイドマップは札幌を訪れる観光客に定番の観光地を紹介するのではなく、札幌市民が良く行くレストランとか、良く買う食品や売店等々の日常市民の目線を追ってのガイドマップです。これがむしろ定番の観光ガイドブックよりは人気が出る場合があり、全世界の主要都市で発行されているとのことです。因みに「TimeOut」とはスポーツにおける作戦タイムのように、一息入れるとか頭を冷やすとか言った意味で、観光でヒートアップしているところで、一息ついて観光地の人々の生活を見てみよう、といったコンセプトのようです。


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(「TimeOut」の札幌ガイドマップと講話中の石黒先生・パノラマ写真)

 石黒先生のお話は分かり易く、隠れた市内の見どころ(都市秘境)を訪問しているグループには興味ある内容で、質問も出ていました。中にはハッピーマンデー制度の功罪についての質問もあり、毎日サンデーの引率者としてはピンと来ないところもありました。

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(聴講する講座参加者)

 観光学高等研究センターを辞してから、今回が第13期の最終回なので、構内の大野池横でメインストリートに面したファカルテイハウス「延齢草」内にあるレストラン「エルム」で昼食会です。「クラークカレー」の注文が多かったようです。
 参加者に特に良かった訪問先を三つ挙げてもらいましたが、どこかに偏る事がなく、それぞれ好みが違うと思いました。好評の講座で来年も継続してほしいとの声を聞くのですが、後期高齢者の仲間に入る引率者が来年も元気である保証はなく、さてどうなりますか・・・

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(レストラン「エルム」での昼食会)

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(レストラン「エルム」での昼食会)

2016年06月16日

道新文化センター講座9回目・小樽深川硝子工芸

 道新文化センターの講座の9回目6月15日で訪問先は小樽です。JR小樽駅に集合で、小樽観光大使の光合金製作所会長の井上一郎氏にも講座参加者と一緒に小樽駅から歩いていただきました。
 手宮線跡に接してある小樽文学館横に新しく設置された小樽在住の彫刻家鈴木吾郎氏の彫刻「少女十六歳」を見ました。
 さらに歩いて「出世前広場」に到着で、ここで「小樽歴史館」を見学です。 

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(出世前広場)

 「小樽歴史館」には光合金製作所を紹介するパネルがあり、三代の経営者の写真が展示されています。その二代目の井上一郎氏自ら、自社の開発製品や他の小樽の企業の成り立ち、企業人の解説を行っていただきました。

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(小樽歴史館内で解説する井上氏)

 「小樽歴史館」から歩いて小樽港近くにある深川硝子工芸に行きました。社長の出口新一郎氏が出迎えてくれ、同社で仕事をしているご子息と一緒に工場内を案内していただきました。

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(ガラスの原料倉庫を案内する出口氏)

 ガラス製品を実際に作っている工場現場を案内していただきました。耐火煉瓦で出来た炉の中でガラスを溶かし、その塊を吹き棒に取って息で成型して行きます。冷ましたり熱したりを繰り返し、別のガラスと融着させたりして最終的な形ができます。炉からの熱を受けての作業で熱く、見学している方も汗がでます。

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(溶けたガラスの成形作業)

 成形されたものを徐々に冷やしてから余分な部分をカットします。切り口を滑らかにするため砥石で尖った部分を除いてゆきます。切り口を熱して滑らかにする「口焼き」の方法もあります。

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(口焼き作業)

 切子を製作しているところも見学させてもらいました。切子職人は予想に反して若い女性で、東京で切子職人の腕を磨いて現在の仕事をしているそうです。切子職人は現在この女性一人と聞きました。切子はダイヤモンドを含んだやすりでガラスの表面を削って、下地のガラスの透明な部分を削り出していく作業で、大量生産ができないものです。

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(切子の製作現場)

 「深川硝子工芸」社を辞してから出世前広場に戻り、マオイ酪農会館内のレストラン「惣吉」で希望者が昼食を摂りました。レストランになった建物は長沼町マオイに建築された酪農会館を小樽に移築したものです。ここで「たちかま料理」を賞味しました。

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(マオイ酪農会館内のレストラン「惣吉」)

 マオイ酪農会館の2階は宿泊施設になっており、宣伝があまりされておらず、隠れ家的旅館になっています。内装もレトロ調で、多人数で泊まると宿泊料も手ごろです。札幌でホテルの空がないような時には穴場的宿屋です。ここではパノラマ写真を撮りました。



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(マオイ酪農会館内二階の宿泊施設・パノラマ写真)

2016年06月09日

都市秘境講座8回目・大倉山登山

 早いもので道新文化センターの「身近な都市秘境を歩いてみよう」講座は6月8日で8回目になります。今回は大倉山登山になりました。地下鉄円山駅のバスセンターから宮の森シャンツェ行きのバスに乗り、途中の大倉山競技場前で降ります。ここから聖心女学園の横を通り、競技場まで10分間程度歩いて競技場入口です。
 入口のところにある札幌オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」(河邨文一郎作詞)の歌碑と國松明日香制作の勝利の女神ニケをイメージしたモニュメントを見学しました。

(競技場入口での歌碑とモニュメントの見学) 
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 競技場入口のところにあるウィンタースポーツミュージアムは有料で時間もないので建屋の外を通過です。木道を歩き、ジャンプ台が見えるところに「大野精七博士顕彰碑」があるのでこれを見学しました。大野博士は北海道におけるスキー競技の普及に功績があり、札幌オリンピックでは実行委員会副委員長を務めています。顕彰碑のレリーフは佐藤忠良が制作しています。

(大野精七博士顕彰碑)
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 大倉山は、ここにジャンプ台を構築した大倉組(後の大成建設)の大倉喜七郎男爵に由来した山名で標高307 mとなっています。一応山名がついているので登山ということになりますが、木製階段があり遊歩道といった感じです。木製階段を参加者が登っていきます。

(木製階段を上る参加者)
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 山頂部分にスキージャンプ台を上から見下ろす展望台があります。足元の急こう配のジャンプ台を選手が良く飛ぶものだと感心しきりです。ここからは大都会札幌市を俯瞰でき、以前講座の見学で訪れた札幌テクノパークはあの辺りと、皆さん記憶のある場所を目で追っていました。展望台の下の階は展望ラウンジになっていて、ここで少し休憩です。日本一高品質のソフトクリームを買う参加者もいました。

(展望ラウンジ・パノラマ写真)


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 下山は歩き組とリフト組の二手に分かれ、ジャンプ台の下で合流です。バス停まで歩いて戻り、バスを待つ頃に雨がパラつき出しました。歩いている時は雨に当たらず、天気が味方してくれた感じです。

 山歩きでは山野草に目が行き、ギンラン、コケイラン、クルマバソウ、オドリコソウなどの写真を撮りました。

(ギンラン)
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(コケイランとクルマバソウ)
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(オドリコソウ)
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2016年06月02日

道新文化センター講座7回目

 講座の7回目は北海道立総合研究機構の総合研究プラザでした。朝方雨で天気も良くなく、欠席者が多いのではないかの予想に反して、欠席者は1名でした(参加者は22名)。講座が終わるまで雨は降らず、午後から一時雨になりました。
 地下鉄東西線の北18条駅に集合で、歩いて北大構内に入ります。札幌農学校第二農場の横を通り獣医学部の施設の横の道を選びます。途中オオハナウドの花や大木にからまって高く伸びた藤の花を見ながらの散策です。

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(オオハナウドの咲く北大構内)

 獣医学部の動物病院の裏手に畜魂碑があるので、これを見学です。畜魂碑の中には入れないので予め取材しておいた碑文を配布した資料に載せておきました。畜魂碑のパノラマ写真をQRコード付きでこれも配布資料に載せていますが、ほとんどの参加者にはQRコードもパノラマ写真も利用価値のないものでしょう。


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(畜魂碑のパノラマ写真:5月13日撮影)

 北海道総合研究プラザは北大北キャンパスと接してあります。総合研究機構の連携推進部主幹の中本洋氏に出迎えていただき、中本氏からビデオ紹介も交えて、総合研究機構で行っている研究の全体像の紹介がありました。



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(総合研究プラザで説明を聞く参加者:パノラマ写真)

 研究機構の構成は農業研究本部、水産研究本部、森林研究本部、産業技術研究本部、環境・地質研究本部、建築研究本部があり、これらを道総研本部が管理している構成になっています。ビデオでは各研究本部が研究を継続し得られた成果の紹介があり、その一部はテレビや新聞で紹介されているのものがあり、参加者も知っていました。

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(中本氏の説明を聞く参加者)

 研究プラザの広いホールには研究成果のパネルがあり、それぞれを中本氏が説明していくのを聞いて質疑応答が行われました。道内企業や道民のニーズに対応した研究で、道民としては知見の広がる研究成果です。参加者にも参考になった研究事例がいくつもあったと思われます。

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(パネルの説明をする中本氏)

 研究成果の展示ケースの中には実際に商品化になった研究例が並んでいました。リンゴをカットすると赤く変色するのを防ぐ方法で、シロップや添加物を加えない真空パックの「レアフル」という商品もありました。これは一度食してみたい商品です。その他にも色々研究成果物が展示ケースの中に並んでいました。

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(開発した商品「レアフル」)

 総合研究プラザを辞してからは北大構内を通って帰路につきました。途中獣医学部の施設横で新施設建築のための地下埋蔵文化財の調査のための発掘作業も眺めながら、構内の北13条通の所で散会となりました。

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(獣医学部施設横での地下埋蔵文化財調査)

2016年05月26日

道新文化センター講座第6回目

 道新文化センターの「身近な都市秘境を歩いてみよう」講座の6回目は札幌テクノパークである。通算で13回になるこの都市秘境巡りの講座で、これまで札幌テクノパークを訪れることがなかったのは、交通の便のハードルが高いせいである。訪問時の時間帯では、地下鉄新さっぽろ駅とテクノパーク間のバスは1時間に1本である。2時間のコースの時間範囲と組み合わせると、テクノパーク滞在時間は1時間となり、駆け足の見学にならざるを得ない。事実そのような見学となった。
 テクノパーク内のバス停で降り、少し離れた「ビー・ユー・ジーDMG森精機(株)」が最初の訪問先となる。見学の手筈を整えてくれた総務・人事部の森仁奈子さんが出迎えてくれた。この企業はテクノパークの象徴的会社で、北大生によるITベンチャー企業(会社発足当時の社名は「(株)ビー・ユー・ジー」)としてテクノパークの企業の成功譚として語られている。その辺りの歴史も振り返り、加えて現在会社が行っている仕事の内容等を、執行役員の鈴木祐大氏が昼食前の社内食堂でスライドで説明してくれる。

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(会社の紹介を行う鈴木氏)

 鈴木氏の説明の最中にパノラマ写真を撮る。引率、撮影、訪問記のブログ作成と一人三役はなかなか大変である。


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(説明中の鈴木氏と参加者:パノラマ写真)

 時間が押しているので、説明後の社内の見学は残念ながらスキップして、次の札幌市エレクトロニクスセンターに向かう。
 エレクトロニクスセンター(エレセン)ではまず会議室に通され、ここの施設の管理を行っている「さっぽろ産業振興財団」の竹越久展事業企画課長からエレセンの施設と財団の目的や事業について簡単な説明を受ける。


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(説明中の竹越氏と参加者:パノラマ写真)

 参加者が説明を受けている会議室の様子をパノラマ写真に収める。


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(会議室で説明を受ける参加者:パノラマ写真)

 説明後にセキュリティのかかっているドアを開けてもらいIT関連企業の入居している3階の廊下を見学。2階は近年食・バイオ関係企業向けにウェット仕様レンタルラボに改装しており、企業の入っていない空ラボを見学。現在のところ改装ラボ棟への入居は1社ということで、今後入居企業を増やしていくのが財団の大仕事のようである。
 帰りのバスがエレセン前のバス停から11時43分発ということで、参加者は建物内のロビーでバスを待つ。その時間を利用してエレセンの外観のパノラマ写真を撮る。パノラマ写真撮影では撮影者の姿は写らないけれど、建物のガラス壁に撮影する自分が写っている。時刻通りに来たバスに乗り、地下鉄東西線新さっぽろ駅で解散となる。


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(札幌市エレクトロニクスセンター外観:パノラマ写真)

2016年05月19日

道新文化センター講座5回目・江別旧市街

 5回目の講座(5月18日)はJR江別駅に集合で、駅の目の前にある江別市水道部の展示見学からスタートする。江別市の職員のIさんが江別の水道に関する遺跡の展示について説明してくれる。この人数では緊張したそうである。

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(江別水道部庁舎内の展示説明)

 水道部庁舎横に佐藤忠良作の「少女」のブロンズ像がありこれを見る。このブロンズ像を採り上げている爪句集をIさんに進呈する。
 次に江別神社境内を参観する。規模の大きな神社で、江別の昔の繁栄が偲ばれる。
 神社に隣接して岩田醸造を興した岩田家の屋敷があるのでここを見学。現在この屋敷には人が住んでいない。以前この屋敷の隣に味噌(紅一点)を製造していた岩田醸造の工場があったが、工場は現在千歳の方に移転していて、倉庫だけが残っている。

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(岩田家屋敷と庭)

 岩田醸造の倉庫の近くにレンガ造りの江別小学校がある。この小学校は江別第三小学校と統合し、校舎は2016年3月には閉鎖された。校舎の横に屯田兵用火薬を保管した火薬庫が史跡として残っている。火薬庫のレンガに、レンガを製造していた鈴木商店のマークのS文字のあるものがあり、これを見つけるのに少し時間をかける。

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(火薬庫でのS文字入りのレンガ探し)

 北陸銀行江別支店であった建物が「Old-e」の名前の茶店・バーになっているのでこれを見に行く。英文字のeは江別を意味している。生憎本日は臨時休業ということで、外側だけを見る。
 「Old-e」の近くに旧岡田家の屋敷があるのでこれを見学する。現在この屋敷は旧岡田家の石倉と共に江別市所有で、石倉はアートスペース「外輪船」に衣替えしている。アートスペース「外輪船」旧岡田倉庫活用民間運営協議会会長の岡崎晃三氏から説明を聞く。
 倉庫の横の堤防から千歳川を眺める。かつて石狩川と千歳川の水運で物資が輸送された時代、この倉庫が活躍している。

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(旧岡田家母屋の大金庫)

 アートスペース「外輪船」から、かつて私設の郵便局のレンガの建物で、現在は劇団「ドラマシアターどもIV」が入居している建物を見学する。この建物については「江別・北広島秘境100選」(青木著、共同文化社、2008)でも取り上げている。取材時からもう一昔以上過ぎているが、安念夫妻は取材時の事を憶えていてくれた。建物中の劇団のスタジオについては、劇団の主宰者の安念智康氏が説明してくれる。奥さんの優子さんは喫茶店の方から顔を出してくれる。

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(ども氏こと安念智康氏による劇団のスタジオでの説明)

 建物の半地下部分に共同生活の場があり、東日本大震災の罹災者も利用している(いた?)話の紹介があった。薪ストーブがあり、これは懐かしい。

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(「ドラマシアターども」の生活の場の薪ストーブ)

 「ドラマシアターども」には貸ギャラリーがあり、江別市の一大イベントの「江別焼き物市」(7月9日(土)、10日(日))に合わせてこの貸ギャラリーで「江別市パノラマ写真展」を計画している。そのギャラリーの様子をパノラマ写真に取っておいた。


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(「ドラマシアターども」画廊・パノラマ写真・2016年4月20日撮影)


2016年05月12日

道新文化センター講座4回目・北星学園大学

 「身近な都市秘境を歩いてみよう」講座の4回目は北星学園大学でした。地下鉄東西線大谷地駅に集合で、歩いて北星学園に向かいます。地下鉄駅からは同大学の学生の流れが続きますので、その後に続き、サイクリングロード(陽だまりロード)を歩きます。学生が右側通行するように、大学が雇った交通整理の人が立っていました。
 途中「しらかばトンネル」があり、トンネルの壁はタイル画になっています。制作指導は原田ミドー氏で北星学園大学・同短期大学の教職員・学生も制作に協力したと記されています。
 
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(サイクリングロードしらかばトンネルのタイル画)

 トンネルを過ぎてすぐに北星学園大学の入口のカバードウォークに着きます。ここで同大学社会連携課の田中正博課長が、もう一人のスタッフの女性と一緒に出迎えで待っておられました。大学構内に入り、会議室のあるC館のホールに行きます。C館ホールに電子掲示板があり、今日の講座に関する案内画面が掲示されていました。

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(都市秘境講座の電子掲示板案内)

 時間はずれるのですが、同じホールのテーブルの上に石が置かれていて、これは安田侃氏の「地人」の銘のある作品であると説明を受けました。一見只の石の置物かと思っていたら、著名な彫刻家の名前を知らされて、参加者の石を見る目が違ってきました。

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(安田侃氏の作品「地人」)

 会議室で北星学園理事長の大山綱夫氏から同学園の歴史や同学園のエピソードについてのお話がありました。学園の創始者のキリスト教長老派の宣教師のサラ・C・スミス女史に関するお話の他に河井道(かわいみちお)の紹介がありました。この女性については知りませんでした。河井道は恵泉女学園の創始者でスミス女史の創設したスミス女学校に入学して新渡戸稲造らからも教えを受けています。
 スミス女史がアメリカから持ち帰った札幌最初のライラックにまつわるお話もありました。戦時中は敵国の木花ということで揉めた事があるそうです。今では札幌の木にまでなりました。


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(北星学園大学の説明をする大山理事長・パノラマ写真)

 大山理事長からのお話を聞いた後は、会議室を出てエレベータで7階に上り、ラウンジからの眺望を楽しみました。

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(7Fラウンジ)

 大学が比較的高い場所にあり、7Fからの眺めは良く、手前に大学構内、サイクリングロードが通る厚別川に架かる虹の橋、さらに遠くには札幌ドームなどが手に取るように見えています。

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(7Fラウンジからの眺望)

 C館からB館を経由して同学構内で一番の由緒ある建物のチャペルを見学しました。このチャペルは北星学園大学建学時の面影を残す唯一の建物で、1965年に建てられています。チャペル内でパノラマ写真を撮りましたが明るさの関係やカメラの関係もあって解像度がかなり落ちています。


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(チャペル内のパノラマ写真)

 チャペル内では丁度パイプオルガンのレッスンが行われていて、先生に指導された受講生が弾くパイプオルガンの音をチャペル内で聞くことができました。

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(チャペル内でのパイプオルガンの練習)

 次に図書館を見せていただきました。道内の大学では4番目に多い蔵書の図書館は色々工夫がありました。図書館の入口のところに黒板で作った本棚が置かれ、黒板には推薦図書がチョークで書かれています。この図書案内は学生が制作しているそうです。
 図書室は小声なら話し合ってもよい空間になっています。申請すれば一般市民の利用も許可されています。読書コーナーは静かな環境で、高校生にも開放しているようです。ビデオのライブラリーもあり学生が利用していました。

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(学生による本の紹介がある図書館)

 図書館に隣り合わせでイギリス社会政策の歴史コレクションがケースの中に展示されていました。同大学のお宝本です。
 展示ケースの中に北星女学校創立者として宣教師服のスミスの写真(中央)と継承者モンク(左)、エバンス(右)の写った写真がありました。
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(学園の創始者サラ・スミス(中央))

 前述の河井道の写真もありました。大山理事長の紹介がなければ見落としてしまう写真です。

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(スミス女学校卒業生の河井道)

 図書館からセンター棟に行きカフェーのある1階国際ラウンジ、2階のラーニングコモンズを見学しました。2階の施設は学生だけが利用できる、学生に人気の場所とのことです。ここでは学生の学習上での色々な相談に担当の学生が対応するそうです。置かれている机が正方形や長方形ではなく変形四角形なのがユニークでした。
 
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(ラーニングコモンズでの説明)

 最後は大学会館で1階の売り場と2階の食堂を見学して、ここで解散です。筆者を始め幾人かはこの食堂で昼食を摂りました。

2016年04月28日

都市秘境散策講座3回目-北海学園

 昨日(4月27日)の道新文化センターの「身近な都市秘境を歩いてみよう」講座は
北海学園の見学でした。地下鉄東豊線学園前駅に集合で、地下鉄直結の同学園
に、出迎えていただいた職員の方の案内で同学園の国際会議場に行きました。
 森本正夫理事長に迎えてられて会議場の楕円形のテーブルに座って、森本
理事長から30分ほど同学園の紹介のお話がありました。森本理事長のお話の
最中にパノラマ写真を撮影しました。


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(パノラマ写真:北海学園国際会議場)

 前述の学園構内に直結する地下鉄の駅が出来た経緯のお話も森本理事長
のお話にありました。1万人を超える同学園の学生が利用するので、
黒字の駅になるという札幌市の経営的判断が地下鉄駅を学園に直結させる
理由でもあったとのことでした。
 意外だったのは、最初「北海学園駅」と地下鉄駅名の当初案は学園の
宣伝になるものだったのが、公共施設であるので「北海」を除き「学園前」に
したのは学園側(森本理事長?)からの提案だったそうです。
 森本理事長は現在84才ということで、この年齢で現役でお元気です。
趣味は自宅での農作業と聞いています。

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(お話される森本理事長と聴講する参加者)

 毎回参加者全員のパノラマ写真を撮る講師は写真に写ることはありません。
今回は森本理事長の席の隣で司会役を務めていて、名前の名札を本人の
写真代わりに撮っておきます。テーブルの上の水は学園からのサービスです。
写っている資料は毎回作成する4ページのカラー刷りで、この作成には時間が
かかり印刷代が馬鹿になりません。資料にQRコード付きのパノラマ写真も
載せていますが、ほとんどの受講生には見てもらっていないと予想しています。

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(司会者の名札と学園サービスの水)

 森本理事長のお話が終わって、大学図書館の地階にある開かずの北駕文庫を
特別に見学させてもらいました。今から100年以上前の明治44(1911)年、
北海学園の創設者である浅羽靖(しずか)が、自らの所蔵する図書や、全国各地から
寄贈を受けた図書など1万余冊による「北駕文庫」を設け、広く利用したことが文庫の
始まりです。

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(北駕文庫内)

 最初の文庫は書籍等を石蔵に保管してあり、この石蔵は現存しています。
ここで「駕」の文字は身分の高い人が来られる意味で、大正天皇が皇太子であった
時にこの文庫を視察されたので「北駕」と命名したとのことです。当時の石蔵の
写真と「北駕文庫」の由来の説明文が額に納まっています。

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(「北駕文庫」設立の頃の石蔵と文庫の経緯の説明)

 学園内にあるかつての「北駕文庫」の石蔵を外から見学しました。丁度桜が
咲き出していて、天気も良く、写真をとるのには好条件でした。


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(パノラマ写真:「北駕文庫」だった現存の石蔵)

 石蔵の近くに前述の大正天皇(皇太子時代)の行啓記念碑があります。
さらに少し離れたところに浅羽靖の胸像がありこれも見学しました。
胸像の後ろに回ってみると背中の部分に大きく「碩朗作」の文字が
あるのを見つけました。これは彫刻家田嶼碩朗と思われます。
田嶼は北大構内にある最初のクラーク像を制作しています。
北海学園は北海中学から始まり、この学校は札幌農学校の
英語教育と関わりを持っていたので、両大学に同じ彫刻家の
胸像が残っていても不思議ではないかもしれません。

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(田嶼碩朗作浅羽靖像)

 札幌を代表する彫刻家の本郷新は北海中学卒業で、この経緯もあり構内に
「わだつみ像」があり、これを見学しました。本郷は同中学出身のロスアンゼルス
五輪の男子三段跳びの金メダリスト南部忠平像も制作しており、この
像は見学会では見ませんでした。

 見学の最後は大学の7号館屋上からの眺望を堪能しました。10階建ての屋上
からは札幌近郊の山々、増毛山系、夕張山系が冠雪の状態で遠望できました。

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(札幌の市街地と大学から見て西方向に広がる山並み)

 屋上で記念のパノラマ写真を撮影しました。


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(7号館屋上での参加者のパノラマ写真)

2016年04月21日

道新文化センター講座2016年第2回目(4月20日)

 都市秘境散策講座の2回目はスペイン国名誉領事館訪問である。名誉領事館は北洋銀行本店内にあり、名誉領事は同行会長の横内龍三氏である。北洋銀行本店ビルの2Fの入口で横内氏の出迎えを受け、横内氏に役員室のある11Fで名誉領事として名誉領事館の説明と質疑応答を1時間程度行っていただく。


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(パノラマ写真:スペイン名誉領事館)

 横内氏は日銀勤務時代、ドイツで仕事をされ、スペインにも行かれた経験がある。スペインに関する関わりなどを話していただく。名誉領事館の「名誉」は経費を全額日本側で持つという意味に訳することもできるとの事である。主な業務は在日スペイン人のパスポート更新受付業務、緊急時の支援、情報提供サービス、文化・経済交流の支援等である。
 質問が色々出て、訪問終了後、その日の内に横内氏からメールで回答が寄せられた。質問と回答を列記すると
質問)1
在北海道のスペイン人は何人?
回答)1
32人(在留届提出ベース)
※在留届の提出に法的な義務はありませんので、
 実際の居住者これ以上いる可能性もあります。
質問)2
イスパニアはいつ、スペインに?
回答)2
・イスパニアはラテン語で、ローマ帝国に支配されていた当時(7世紀頃まで)に
 使用されていたもの
・その後、10世紀頃以降にエスパーニャ(スペイン語)と呼ばれるようになり、今に
続く。
・日本では、スペイン語の発音に準じて永く「エスパニア」としてきたが、
 明治以降は英語の発音に準じて「スペイン」を使用している
 →つまり、日本側が勝手に呼び方を変えただけのようです。
質問)3
国旗の赤と黄の意味
回答)3
有力説)黄色は、「豊かな国土」、赤色は「外敵を撃退した時に流れた血」を象徴
別の説)昔の戦争は船を使用することが多かったので、遠くからの視認性に優れた
色合いとすべく、赤と黄色の組み合わせとなった。
 名誉領事館を訪問し、質疑を通してスペインが身近に感じられるようになった。
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(名誉領事館の紹介をする横内氏、横内氏の左側に写っている国際部担当部長の矢嶋洋一氏が大連の北洋銀行のオフィスに勤務されていた頃大連でお会いしている。)

 スペイン国名誉領事館を辞して、歩いて日本基督教会札幌教会までゆく。平日はこの教会の中には入ることが出来ず、外側を見るだけとなる。


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(パノラマ写真:日本基督教団札幌教会)

 教会からさらに歩いて北海道教育大学アーツ&スポーツ文化複合施設(HUG)を見学。同大学のスタッフの南俊輔氏が対応してくれる。展覧会が行われていない期間で、軟石がむき出しになっている壁に囲まれた空間があるでけだった。


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(HUG内での参加者のパノラマ写真)

 最後はホテルクラビーサッポロからサッポロファクトリーまでの地下通路にある「やじうまFactory」をみる。20名居た参加者の一人もこの通路を通った事がないのは予想外だった。

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(やじうまFactory)


2016年04月14日

道新文化センター講座2016年第1回(4月13日)

 4月13日は道新文化センターの「身近な都市秘境を歩いてみよう」の2016年春コースの初日である。2007年秋に始まったこの講座は10年目を迎え、通算13回目になる。初回からのリピータはいないけれど2回目あたりからのリピータは参加していて、毎年同じところに行かないようにスケジュールを組んでいる。ただ、毎回の初日は道新文化センターのビルに集合してから出発なので、歩いて行ける都心部となると、これまで訪問したところと重なる場合もあり、市庁舎も以前に訪れた事がある。それでも新しい見学場所を探して行くように企画した。
 市庁舎の見学は市職員のS氏に全面的にお世話になった。市庁舎のロビーまでS氏は出迎えてくれ、10階にある市長、副市長室の並んでいる待合室に飾ってある札幌市栄誉市民の肖像画を見学する。肖像画の写真を撮るのを目的にしていたが、見学者を引率していてはその目的は十分達せられなかった。栄誉市民の第1号の宮部金吾博士と最後の板垣武四元札幌市長の写真を載せておく。

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(札幌市栄誉市民宮部金吾博士)

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(札幌市栄誉市民板垣武四元札幌市長)

 次に18階にある札幌市議会の傍聴席で、議場を見下ろす席で担当者から市議会全般にわたる説明を聞く。議員の定員は68名で、現在は死去により1名減って67名である。議場には秋元克広市長、町田隆敏副市長の名札があって、辛うじて読める。お二方も顔見知りで、筆者から見ると若い世代が市の舵取りをする時代になっている。傍聴席に来なくても、市議会の様子はインターネットでも見ることができるそうである。

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(傍聴席から見た札幌市議会議場)

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(札幌市議会の説明を聞く参加者)

 札幌市庁舎の最上階は19階で、以前ここに本格的な茶室があった。筆者の「都市秘境」に関する諸々の原点になった場所である。しかし、今はその茶室は無くなって、市長の記者会見場になっている。秋元市政が発足してから1年が経ち、札幌市の現状とこれからの市の向かう方向等につき「札幌市まちづくり戦略ビジョンアクションプラン2015」の冊子で担当者から説明を受ける。人口問題を始めとして、札幌市を取り巻く環境が転換点にあって、これからの市の政策がどこに重きがおかれるのか、短時間に説明してもらう。


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(市長記者会見場で説明を聞く参加者・パノラマ写真)

 市庁舎の見学を終えてから札幌国際プラザに行く。担当のI氏が説明してくれる。国際プラザは公益財団法人で「多文化交流部」と「コンベンションビューロー」の二つの組織の柱がある。それぞれでどんな事業が行われているのかスライドによる紹介があった。国際プラザの活動は多くの無償ボランティアで支えられていて、今後外国人が観光でもビジネスでもあるいは居住者として札幌に来るのが増えるのを見越すと、国際プラザの重要性が増し、ボランティアの役割も拡大する。

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(スライドによる札幌国際プラザの紹介)

 説明後、実際に活動が行われているロビーを見てまわる。寄贈された打掛が展示されていて、これを羽織って写真撮影ができると説明されていた。


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(札幌国際プラザのロビーとオフイス・パノラマ写真)