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2007年08月31日

達磨寺巨大数珠

 都市秘境探検のテーマ探しでは、大きな物というキーワードに副ったものを見つけるのが定石の一つになったようなところがある。札幌市では大鏧(だいきん)、小樽市では木魚のそれぞれ巨大なものを見つけて秘境に選んだ。今回、偶然にも巨大数珠というのを見つけた。

 数珠があったのは北広島市富ヶ岡にある曹洞宗のお寺、正法山達磨寺である。北広島市の市街地のはずれを音江別川が流れていて、この川の両岸にゴルフコースが広がっている。このゴルフコースに行く道沿いにこのお寺がある。初めての訪問者が迷わず来るようにとの配慮のためか、道路脇に達磨の絵の案内看板が間隔を置いて立てられている。これらの看板に導かれて、お寺に辿り着く。

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 このお寺は元々は札幌市の中央寺とつながっていて、1998年に寺号公称の許可を得たとあるので、新しいお寺である。境内にプレハブを少し大きくしたような本堂があるので、覗いてみることにする。玄関を開けて内に入っても誰もいない。仏間には何故かビニールで包んだ達磨の置物が並べられている。お土産のようである。そこで達磨の置物と一緒に目にしたのが巨大な数珠である。

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 この数珠には製作年月が入っていて、平成18年12月吉日の文字があるので、作られたばかりのもののようである。数珠をつなぐ紐も見るからに新しいものである。これほど大きいと仏事に使われることはないだろうから、見世物用であろう。境内に大きな達磨の張子もあって、見世物グッズを揃えたお寺である。

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 境内には達磨庵という達磨のコレクションを納めた建屋があって、ここを覗いても人が居ない。しかし、あるはあるは達磨の置物で棚やケースが埋め尽くされている。このコレクションの小屋の横には「だるまじ寺子屋」の看板もかかっている。ここにも人は居ない。一体お寺の関係者はどこに行ってしまったのだろう。

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 人を見つけたのは「整体院一休さん」の看板が架かった小屋で、整体をやる男性が居た。どうしてここにこんな達磨のコレクションがあるのか聞いてみると、達磨の置物のコレクターが亡くなって、達磨の名前のあるこの寺にコレクションを引き取ってもらったとのことである。

 整体院がどうしてお寺の境内にあるのかも疑問で、客は誰なのかも聞いて見たかったけれど、この質問をすると、言外に客の来そうもないこんなところでどうして開業しているのかと質問しているようで、これは遠慮して聞かなかった。近くのゴルフ場でプレーすると体を痛めて整体の注文があるのかも知れない。しかし、本当のところは分からない。

2007年08月30日

小樽・石狩秘境100選

 「小樽・石狩秘境100選」の出版の編集と校正作業が進行しています。本の体裁を校正前のものから1と2のテーマを載せておきます。
 ネットでの秘境のようなものの情報公開は手軽でよいのですが、やはり本にすると情報の重みみたいなものが格段に違ってきます。ただ、そのために手間ヒマとお金がかかる困難な点は確かにあります。ネットと紙メディアをもうすこし近づけて、出版費用という最難間をクリアする方法はないものかと考えています。まあ、良い解決策もあまりなさそうですが、もう少しして陽の目を見ることになるだろう豆本(「札幌秘境100選ー中国語版」)もその一つの試みです。

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2007年08月29日

何時開く ミステリアスな 小屋の店

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 建物というより、建物の壁面に描かれた絵(デザイン)の奇抜なもの、面白いものを目にすることがあります。

 大仰な 人は喜ぶ 犬唸る

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2007年08月28日

島松の ここが駅逓 蓮一輪

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 蓮の花が散った後に残る実が蜂の巣に似ているので「ハチス」と呼ばれれることを知りました。「はちす」とカナ漢字変換をすると「蓮」が出てきます。

 駅逓で トンボ休むか ハチスの実
 
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2007年08月27日

水稲赤毛種見本田

 島松の旧駅逓所横に「寒地稲作この地に始まる」と刻まれた碑がある。これは北海道の稲作事始に関わった中山久蔵を顕彰する碑である。駅逓所そのものが久蔵の家で、駅逓所経営にも貢献している。この駅逓所はクラーク先生訣別の地であり、明治天皇の北海道行幸の宿泊所も重なって、この三人の縁の地となっている。

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 久蔵の元の姓は松村であり、後に中山となっている。1869年41歳で白老に渡り、苫小牧の地での開墾の着手と断念、1871年に松島に移り稲の栽培を始めている。寒地に強い稲の赤毛種を選び、島松川から引いた川水を人工的に温め、水田の水温の調節を行いながら稲の栽培に成功している。この暖水路跡が残っている。

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 この赤毛種は今でも寒地稲作の碑の近くの見本田に育成されているのを目にすることができる。見本田で実を付け出した稲を見るとやや赤っぽいか、とは感じられるけれど、日頃稲を見ていない身(目)には稲の種類の差はピンと来ない。それにしても風呂の温水を苗代のために用いたとは、北海道の稲作事始の苦労のエピソードの一つである。

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 今や北海道は日本における米の一大産地である。米の味も本州のものにひけをとらない。いや、地球温暖化に伴って、良質の米の産地は北へ移動してくる傾向にさえある。北海道の米作の品種改良が進み、北海道米の人気が出てきて、さらに寒地の気象条件が米作にむしろ味方するようになって来ているなどとは、久蔵には思いもつかないことであったろう。

 この見本田の横に蓮池があり、蓮の花が咲いていた。久蔵は蓮の栽培も手がけている。現在咲いている蓮は久蔵の栽培した蓮とつながっているのだろう。その他養鯉や果樹園、牧場経営にも手を出している。久蔵の多角経営者ぶりが表れている。

 保存されている旧駅逓所の建物内には拡大された久蔵の写真のコピーが壁に貼られていた。この自宅の建物で久蔵が駅逓所の経営に乗り出したのが56歳の時である。昔の人の年では退職して現役から退く歳であると思われるのに、事業への意欲は旺盛だったようである。1919年91歳で亡くなっているから、普通の人なら人生の後半に事業を起こしたにもかかわらず、事業が成功したのは長命もその理由の一つに挙げられるだろう。


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2007年08月26日

クラーク先生訣別の地

 ウイリアム・S・クラーク(北大関係者はクラーク先生と呼んでいる)が札幌農学校(後の北海道大学)に一八七六年に赴任して、八ヶ月の滞在後、農学校の一期生や教職員との訣別した地が島松である。どうしてここが訣別の地になるかというと、この地に駅逓所があったからである。駅での別れは昔も今も変わらない。

 この別れに際して、クラーク先生の残した言葉「Boys, be ambitious.」は語り継がれて北大関係者のみならず、全国に広まった。それにしても、八ヶ月の滞在と、別れに際しての隻句が百三十年経った今もかくも有名な人物と言葉として残るとは、世の中不思議なものである。ただし、この言葉を詳しく辿ると「Boys, be ambitious like this old man」であったとも言われていて、これでは最初の言葉と比較するとかなり雰囲気が異なる。

 松島駅逓所を通過する道が国道になったけれど、現在は道央の交通の大動脈国道36号線はここからわずか離れたところを走り、旧駅逓所は旧国道と共に36号線から切り離されて車もあまり通らない道となっている。かつての北広島村(クラーク先生訣別の頃は札幌郡月寒村島松)が北広島市となり、同市と恵庭市との境に松島川が流れていて、この川岸の北広島市側に旧駅逓所がある。その駅逓所の保存された建屋の横にクラーク先生訣別の地の記念碑がある。

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 この碑にはクラーク先生の肖像と前述の有名な言葉の日本語訳「青年よ大志を抱け」が刻み込まれている。碑文によれば、この碑は昭和二十五年(一九五〇年)クラーク奨学会により建立されて、その発起人代表は札幌農学校二期生の宮部金吾である。植物学者の宮部は碑が建立された翌年に没している。

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 駅逓所は北海道の米作の基を築いた中山久蔵の家でもあり、国の史跡として指定され保存されている。建物を覗くと土間の入口に料金表が出ている。入口から内を見れば料金を払って入るまでもないかとは思ったけれど、車でここまで出向いたからには入って見るのも損はなかろうと結局入館する。

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 昔の駅逓所の絵地図があるので写真に収める。道路と駅逓所の位置関係は現在のものと変わらない。クラーク先生関係の写真のコピーも展示さえているけれど、昔の集合写真で人物がはっきり写っていない。でも訣別の雰囲気は伝わってくる。それにしても、クラーク先生は馬上から“Boys・・・”と叫んだのであろうか。

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2007年08月25日

道新文化センター講座

 道新文化センターの教室があって多種、多様な講座が開かれています。で、この講座からお声がかかって「身近な都市秘境を歩いてみよう」という新講座を担当することになりました。講座の案内を載せておきます。時期は冬に向かう季節で、散策にはあまり適していないのですが、歩く分には(私の)日頃の運動不足解消にもよろしいかと、シラバス(歩くコース)作成中です。

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 全講座の案内パンフレットを見て気がついたのですが、講師陣は女性が圧倒的です。講師になるためには生徒の期間が必要で、亭主が仕事をしている期間女性は趣味や教養講座に通って、その道で力を出せるようになると講師の方に回る、という図式かな、と思われます。
 これに対して、男性(亭主)のほ方は仕事に明け暮れ、仕事のプロにはなっても、退職後そのプロの技を文化センターの講師として生かすことはあまり考えられず、また第二、第三の職場で生かそうとしますから、文化(カルチャー)センターの講師に顔が出てこ来ないのもうなずけます。
 大学の名誉教授も沢山おられて、退職したからそれまでの知識が無くなってしまうことはないのに、内容が高度過ぎて文化センターにはなじまないのかも知れません。ちょっともったいない気もしますが、専門馬鹿と揶揄される点も確かにあるので、カルチャーセンターの講師には縁遠いのでしょう。

2007年08月24日

これなんだか分かりますか

 本の出版で頭を悩ませるのは許諾の問題である。見る分には断る必要のないところでも、本にする場合には許諾が必要かと、こちらの判断で許諾願いを出している。許諾願いでの対応は色々あるのだが、よく書いてほしいとの陰陽の注文が来るのが厄介である。
 もともとその場所の宣伝を頼まれてやっている訳ではないので、見た通りにここは人の居ない展示場である、と書く。しかし、そんなことはない、年間何人の統計があって人は来ている、といった話になると書き手の感想から施設の案内になって面白くもその他にも(書き手は言外に言いたいことを表現している)ならない。で、自由にアクセスできるところを自由な感想で書きたいのだが、出版後のクレームに対処で最低限と思われる場穂等の出版許諾願いを出している。
 施設がリニューアルされたので、それに即しての取材をというのも少々手間取る。1年以内なら前の写真でもよかろうとは思うけれど、リニューアル後のものをといわれると、写真の撮り直しに出向く。

 まあ、そんなこともありまして、ついでに撮った写真ですが、これは何だか分かりますか。見れば分かるだろうと言われると、何か許諾依頼で、大したこともない(と当方が思っている)事を、事を大きくして問い合わせていのに通じる気がしないでもない。

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2007年08月23日

蛇を見ました

 数日前のブログに、最近蛇をトンと見なくなった、と書きました。このブログを見た訳でもないでしょうが、今朝宮丘公園で蛇を見ました。ぼ~と考えごとをしながら歩いていたので、歩道にのんびりうずくまっていた蛇が、踏みつけられる思ったかするすると移動しました。ちょっとびっくり。カメラを構える間もあらばこそ、雑木林に隠れてしまいいました。1m以上はあったと思います。

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2007年08月22日

サギ草の 羽ばたくのかと じっと待ち

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2007年08月21日

まちむら農場

 インターネットで検索するとHPにこの農場の歴史が出てくる。創業者の顔写真があるのだが、創業者の名前がない。後に農場で手にしたパンフレットも農場のHPと同じ内容で、創業者の顔写真が載っていて農場創設の経緯が書かれているのに肝心の氏名がない。ちょっと変な感じがする。

 町村農場の創業者は町村敬貴で、町村金弥の長男である。金弥は札幌農学校二期生で、日本で「酪農の父」と呼ばれたエドウィン・ダンの指導を受け、北海道における酪農の基礎を築いた。敬貴は札幌農学校卒業後、アメリカ合衆国ウィスコンシン州で酪農の実際を学んで帰国し、一九一七年石狩町樽川村にあった父金弥の所有地に牧場を開いた。しかし、土地の条件等が悪く、江別の現在の旧町村牧場のあるところに一九二八年に新しく農場を開設することになる。
 
 一九九二年に同農場は江別市篠津に移転して現在に至っている。この農場には石狩川を跨ぐ新石狩大橋を渡って国道275号線からわき道に折れて行くのだが、この片側一車線は交通量が多くて、右折が困難である。右折で対向車の列が続くのでこちらが止まってしまうと、後続の車を止めてしまい渋滞の原因となる。

 まちむら農場は株式会社町村農場の一部で、訪問者に開放されていている。パーキング場や芝生の広場があって家族連れが休めるように造られている。乳製品の販売も行われていて、見学前にまずソフトクリームを賞味してみる。味は良い。

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 農場は酪農を主体にしているので、乳牛が飼われていて牛舎の近くまで行って牛を見ることができる。生まれて2,3日した牛が牛舎の外の囲いの中に入っているのをみることができる。これは訪れた客に対するサービスのためのようにも見える。

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 成牛も牛舎の中に居るのを外から見ることができる。成牛のいる牛舎は干草が敷かれているものがある一方で、床が泥や一部糞と思われるものもあり、きれいなものではない。臭いもきつい。

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 酪農は常に環境問題が背後に控えている。都市近郊での酪農業ではそれが目立ってくる。近代の酪農業ではコンピュータによる個体管理などが行われ、効率化のための設備投資が大きくなってくる。これに対して、設備投資を最小限にとどめ、牛を放し飼いにして、糞尿の管理さえも行わず自然に任せる蹄耕法と呼ばれる酪農法もある。この方法は環境問題もあり、都市の近郊では成り立たないだろう。

 牛の糞尿管理から、乳製品を作る時の排水管理、臭いの問題等々酪農業を都会に接した場所で行う場合の問題は色々あるのではなかろうか。これらの問題については関係者に聞いてみたことがないので、秘境の領域になっている。

2007年08月20日

街の中の人魚姫

 札幌の街中に人魚姫を見かけます。まずはご存知JR札幌駅西コンコースの人魚姫です。

 閃光を 跳ね返す裸身 金色(こがねいろ)

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 発寒川の川岸にある北欧パンのパンの博物館北欧館の脇にある人魚姫です。札幌も暑い日が続いて、

 ふるさとの 海涼しきや この猛暑

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 昔、アメリカ西海岸にあるデンマーク(人)村ソルヴァングに一泊したことがあり、朝早起きして描いたスケッチの人魚姫です。

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 多分、札幌の街中に他にも人魚姫は居ると思われますので、情報がありましたらコメントでよろしく。

2007年08月19日

江別河川防災ステーション

 石狩川と千歳川の合流点付近で、国道12号線が千歳川を跨ぐ新江別橋を越えて岩見沢方向に行くとすぐにこの建物が目に入る。広いパーキング場に、取材者だけの車が一台止まった状態で車を降りる。午前十時が開館時間で開館時間を少し過ぎてから、開いているのかと疑念を持ちながらの入館である。
 この三階建ての豪華な建物の役割はあまりはっきりしないのだが、備え付けのパンフレットには「水防資器材の備蓄、水防活動の拠点基地や災害時の避難場所として活用」とある。要は機材置き場と事務所と避難場所である。それならこんな立派な建屋でなくてもよいことになる。立派な建物になったのは「平常時においても、防災研修の場や河川情報の提供、川を題材とした歴史」その他の展示や「市民の憩いの場」の提供もあると説明は続く。

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 防災ステーションの名前があっても、一階は江別市の観光展示場といったところで、江別の焼き物やレンガの展示のショーケースが並んでいる。隅には土産物店があって、町村農場の乳製品なんかが並んでいる。店員に聞くと、江別市の観光協会が出している店だそうで、防災ステーションの活用を図るためで、ここでビジネスが成り立っている訳ではなさそうである。

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 二階に上がると石狩川の歴史に関する展示がある。現在でも近くに王子製紙江別工場があるけれど、これは紙の原木を雪解け水で水量を増した石狩川を利用して運び、江別工場のあたりで引き上げた歴史があって、引き上げ場所を「網場(あば)」と呼んだといった網場の模型についた説明を読む。その他、今でも行われている石狩川でのやつめうなぎ漁に使われる漁具「どう」の展示などもある。

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 二階にはかつて石狩川で活躍した外輪船の「上川丸」が展示されている。見るだけで内に入ることはできないけれど、北海道の陸路が整備されていなかった時代に石狩川が内陸部をつなぐ交通の動脈であって、このような外輪船が行き交っていたかと見応えのあるものである。しかし、この外輪船がこのステーションに展示されていることを知る人はほとんどいないだろう。

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 屋上に登ると現在の交通の大動脈国道12号線を通過する車の流れが目に入る。遠方には石狩川に架かる美原大橋が見える。防災ステーションのパーキング場には依然として取材者の車が一台止まっているだけである。

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 この防災センターは千歳川に接して建てられている。支笏湖に源を発する千歳川が、ここ石狩川の合流点で洪水の危険性を増す原因となるので、新しく水路を作って太平洋側に放水しようという「千歳川放水路」プロジェクトが、その環境破壊の問題点を指摘され中止に追い込まれた経緯がある。地図でみても、自然の清流美々川を破壊しそうなこのプロジェクトの筋の悪さが見えてくる。このプロジェクトの勧進元の北海道開発局の施設が千歳川の終点に建てられていて、同プロジェクトの秘境部分が頭を過ぎる。

2007年08月18日

都市の卵

 市内にある卵を探してみました。

 繁華街 卵しめ縄 三が日

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 客室を 卵みつめて 年の明け

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 外側は 三角四角 内卵

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 これなんじゃ 卵だ卵 石卵

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 探すときっと他にも卵(らしき形状のもの)があるに違いありません。角のある都市の造形に丸みのあるものを配したい気持ちは分かります。

2007年08月17日

動物のデザイン

 動物に関するデザインはなかなか面白い。大都会札幌市の悩みの一つは熊の出没で、熊に関する注意の看板を見かける。絵入りのものも当然あって、この看板の熊は獰猛さを表現したのだろうが、どこかユーモラスである。

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 以前はまれに自宅の周りで狐を見かけた。自宅の近くの公園にあった、狐の餌付け禁止の看板である。都市化が進み、狐の姿をみることはほとんどなくなって、看板の狐だけが取り残された状況である。

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 同じ公園内のマムシの注意看板である。リスはみたことがあるけれど、蛇の方はトンとその姿を見ることがなくなっている。まあ、見たいとは思わないけれど。看板ではマムシが人間に驚いて「こわぞ~。にげろ!」と逃げていくので、蛇を驚かさないで、というようにもとれるけれど、まあ、それはないですよね。

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 冬でも鴨鴨川に鯉が放流されているので、川に雪の投げ込み禁止の看板に描かれた鯉の絵である。こんな看板が出るのも雪国の都市札幌ならではであろう。

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2007年08月16日

札幌市の花と鳥のデザイン

 札幌市の花(スズラン)と鳥(カッコー)のデザインを足元に探すと思いがけないところに見つけることができます。運動不足解消に朝散歩する近くの宮丘公園に芝生広場というところがあって、少し高台になっているのですが、その階段の頂上の部分で見つけたデザインです。遠景は西区宮の沢から手稲区の街並みです。
 四つ角にスズラン、カッコー、札幌市のマーク、西区のマークがあります。中央に東西南北の方向が記されていて、周囲の影が東から西方向の伸びていますので、朝であることが分かります。
 西区のマークは市民からの募集で決まったものです。このマークの募集の案内を見て一生懸命デザインを考えたことを記憶しています。応募もしたのではないかと思っています。はるか昔のことでどんなデザインであったか覚えていませんし、記録も残っていない。自分のデザインが消えてしまったのはちょっと残念。

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2007年08月15日

舗道絵ー札幌市の花と鳥

 都会の中のさりげなくデザインされたもの、たとえば舗道絵などは、その都市の象徴が描かれています。南5条西5丁目の歩道でみつけた舗道絵です。花は明らかにスズランで、これは札幌市の花です。

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 鳥はこれだけなら何の鳥かは判別できませんが、多分札幌市の鳥であるカッコーでしょう。この託卵鳥の声は聞いても姿はあまり見かけたことはありません。それにしても自分の卵を他の鳥の巣に産みつけて、他の鳥に育てさせるとは悲しいやら可笑しいやらです。

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 札幌の象徴の時計台、泉の乙女像がある大通公園の絵柄です。

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 これは道庁の旧赤レンガ庁舎でしょう。

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 なお、この舗道絵のある通りには石蔵を利用した料亭杉の目があります。お呼ばれで2,3度入ったことがある。

2007年08月14日

HBC Hanaテレビ放送

 13日にHBCのHanaテレビで放送された秘境番組を、自宅のテレビで視ました。取材に付き合っているので、こんな風に編集したかと制作側に立っての視点も少し入れて見ました。
 まずは出会いのシーンからで、札幌市資料館前で秘境探検家(この言葉気に入っています)をレポーターの卓田さんと小橋さんが探すという設定から始まります。拙著の「札幌秘境100選」をテレビで宣伝してもらって、著者としてはコマーシャル代を払わないで宣伝してもらったと、この映像部分だけでかなり満足です。
 この後は資料館のテミスの女神像と模擬裁判のコーナーの紹介に入って行きます。

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 札幌市役所の最上階の茶室に向かうシーンで市職員の小川氏と小橋さんに私があれこれ言っています。この後は茶室の紹介です。番組では市民も利用できる茶室の宣伝が効いて、茶室利用者が増えると担当者が対応に忙しくなるのでは、とちょっと心配です。

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 小樽は酒泉館の場面です。北の誉酒造の有山氏が説明しているシーンです。北の誉酒造も只のコマーシャルが打てたのでよかったのではないかと思います。

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 北の誉から穴滝の探検が続きます。ビデオには記録しているのですが、デジカメでTV画面を撮ったものから画像を抜き出しているので、穴滝は最初の案内部分の映像からです。ここは山奥という感じが伝わりますので、テレビを視て行く人はあまりいないのではないかと思っています。

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 番組で紹介されていたオムライス屋には特大オムライスを食べてみようとする客が増えるような気がします。大麻新町公園の長い滑り台の方はどうでしょうか。大人が滑って面白がっている様子を子供が視ても、さて滑り台まで連れてってと親にせがむかどうか。
 かなりの量の取材映像を基に、編集作業を行ったディレクター氏(池田氏)も大変であったろうと思っています。番組はコマーシャルその他も含めてですが、30分はあって、都市秘境が紹介されたので、現在出版準備中の「小樽・石狩秘境100選」の売れ行きにも好影響があるだろうと思っています。

2007年08月13日

開拓の歴史のみち

 注意してみると、舗道には絵がはめ込まれている場所がある。舗道の近辺の商店街が資金を出し合って環境整備の一環として行っているのだろう。このような場合、絵やデザインのテーマの選択は歴史的なものに即して行われる場合も多いようである。
 琴似本通りの地下鉄琴似駅付近から西区役所あたりにかけての歩道には「開拓の歴史のみち」のテーマで舗道絵がある。こんな舗道絵があったとは今まで知らなかった。開拓を象徴するものがデザインされていて、ブロンズ製の立派なものである。惜しむらくは、足を止めて見る人は皆無に近い点である。

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 舗道絵のテーマが選ばれたのは、屯田兵村の兵屋が国の史跡として琴似本通りの近くに残されているためであろう。その推測を補強するカラーの舗道絵もある。

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 雪の残る季節に訪れた屯田兵村の兵屋の写真を載せておく。この写真はこの夏の終わりには陽の目をみるだろう中国語版豆本「札幌秘境100選」に採り上げている。

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2007年08月12日

メープルシロップ店GAGNON(ギャニオン)

 時々、都市秘境探検システム(http://www.hikyo-100sen.com/)のデータを更新しています。「店」のカテゴリーもあって、あまり知られていない店で、面白そうなもの(取材者の偏見で)をみつけてデータを増やしています。カナダのケベックからメープルシロップの直輸入を行っている店を見つけたので訪ねてみました。
 店の名前は経営者のケベッコワ(ケベック人の意味、女性ならケベッコワーズ、この呼び方を踏襲すれば札幌っ子はサッポロコワ、女性ならサッポロコワーズとなります。札幌っ子とサッポロコワ、似ていますね。ついでながらパリっ子は男ならパリジェン、女ならパリジェンヌとなります)マーク・ギャニオン氏の名前を採っています。

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 店内に入ると、メープルシロップのビンが並んでいました。当のギャニオン氏が店番をしています。どうして札幌に店を出したのか聞いてみると、奥さんの香和さんが札幌出身であるのが理由のようです。店の場所等は上記のサイトに載せてあります。

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 キャバナシュックル(メープルシロップを素材にしたパーティ)の話やケベックの生活の一端を、フランス語(昔を思い出して片言を発音する程度)、通じなければ英語、面倒になれば日本語で雑談です。メープルシロップを出汁にフランス語の会話練習もどきを行った塩梅です。店内にはメープルの樹液を採る取り出し口と樹液を溜めるバケツの実物などの展示があります。ケベック市の観光の象徴のホテル・シャトーフォンテナックの写真も飾られていました。

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 もう35年以上も昔にカナダ・ケベック州ラバル大学に留学していたことがあり、広い大学構内にもメープル(かえで)の木があって、秋(夏から冬に直行で日本の秋とは違いますが)には急速にメープルが色づくケベックを、昔のラバル大学構内の写真を持ち出してきて思い出しています。

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2007年08月11日

デザインの秘境

 都市の境界をマンホールの蓋(manhole cover:MC)で判断する考えから、MCを注意して観察するといろいろなデザインのものがあるのが分かって来ました。これは今まで気にも留めていなかったのですが、人目につかず、それでも住むところに関連したデザインを生かそうとしています。これは「デザインの秘境」です。そのようなものはMC以外にもあります。おいおいそのような発見を紹介してゆこうかと考えています。

 札幌市のMCで雪の結晶がデザインされています。

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 札幌市のMCで川を泳ぐ鮭と時計台です。

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 北広島市のカエデとツツジ(両方とも市の木と花です)がデザインされています。

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 小樽、石狩、江別のMCは今度行ってみつけてたら写真を撮っておこうと思っています。

2007年08月10日

穴滝の道の進化

 HBCのHanaテレビの取材で、小樽勝納川の上流の穴滝へ道を間違えながら行って来ました。石狩営林署と小樽水道局の管理する道が二つ分かれ道になってあって、営林署の道を行くべきところを水道局の道に入り込んで、迷いました。5月末に行った時、穴滝への沢道へ分かれる場所にあった目印は写真のようなもので、小さな木片のようなものに穴滝・入口の文字があったのを記憶していて、それを探して道を間違えているのに思い至りませんでした。

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 奥沢の浄水場に戻り、正しい道を聞いて再度のトライです。今度は以前には無かった新しい看板が出ていました。きっと、穴滝を目指して行く人が以前の目印ではどうしょうもなく、関係者が新しい看板を設置したものと思います。穴滝への道も川の中を渡るのではなく、川に沿って出来ていました。5月の時は雪渓が残っていたりして、この道を利用しなかったのかも知れません。

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 春の雪解け水が無くなって水量が減った穴滝は迫力は今一のところがありました。それでも涼感は満喫できました。

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 穴滝の道筋には野生のガクアジサイが目につきました。リンドウに似た花も目につきましたが花の名前は分かりませんでした。

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2007年08月09日

アジアアロアナ

 HBCのHanaTVのお盆の企画に(放送は13日(月)の午後4時以降)、秘境探検のテーマで番組を作るとのことで、あちらこちら取材に協力です。そのなかで、オムライスの店でアジアアロアナが泳いでいたので写真に納めました。
 東南アジアに生息する淡水魚で、20年以上も生きるものもあるそうです。餌がすさまじくコオロギやムカデ(のような虫)、小エビなんかだそうで、シーラカンス似のこの古代魚を飼うのも大変そうです。怒らせると飛び上がり水槽の蓋に身をぶつけるのだそうです。そのためか、水槽の蓋には重しが置かれていました。
 ペットとして飼う人もいるようですが、大きな水槽に水を循環する装置なんかをつけて、餌まで考えると、これはお金のかかる趣味であると思いました。

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2007年08月08日

TV取材

 HBCTVで来週放送予定の秘境スポットの取材協力をしています。札幌市役所の茶室も取り上げられる予定で、茶室でお茶を一服です。ただし、ペットボトルのお茶でしたが。左がリポータの小橋亜樹さん、中央が市の職員の小川氏です。

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 区役所最上階(19階)から見た札幌時計台です。時計台をこの角度から見る場所として市役所の展望台はもっと人気がでてもよいところと思っています。

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 発寒川で札幌市と石狩市の境界が入り組んでいる場所での取材です。境界の素材をどのように秘境スポットとして構成するのかは、編集上で思案のしどころかも知れません。

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2007年08月07日

都市秘境探検のテレビ取材

 本日は都市秘境探検のテレビ取材に同行します。今年の3月に同じテレビ番組で放送された小樽の秘境で使われた秘境の判じ物のフリップの画面を出しておきます。この取材の対象何だかわかりますか。
 取材は今日と明日とにわたって行われる予定なのですが、天気が今一で、私よりはディレクターやカメラマンが心配しているのではなかろうかと思っています。

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2007年08月06日

庭木考

 昨日の当別青山の「見晴らしの松」のイチイの巨木と比べるため、庭のイチイの木の写真を撮ってみたけれど、なるほど当別のものは大きいのが分かる。自宅のものは元々ここにあったものではなく、後で植えたものである。当然そのための費用はかかっている。イチイは成長の遅い木で、何年経っても同じ大きさを保っていように感じられる。

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 これに対して、最初は落ちた種から成長したらしく、細くひょろっと伸びていた山紅葉の木は急速に太く大きくなってしまった。こちらは木の方が勝手に育ったのに大木になりそうで、日をさえぎるのでお金を出して芯止めをして枝を払っている。広くもない庭には大きくなる庭木は禁物なのだろうが、大きくなることは最初は考えもせずに放っておくと、森のような感じになってしまう。それはそれでよいのだけれど、秋になると朴の木の大きな葉がばさばさと散って、片付けないとそこらじゅうが朴の木の枯れ葉で覆われてしまう。森の中の雰囲気にしたいし、枯れ葉の処理は面倒だし、うまくいかないものである。

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2007年08月05日

当別町青山のイチイの巨木

 北海道は車があまり通らないけれど、整備されていて夏場にドライブを楽しめる道路がある。石狩市厚田から発足を通り当別町青山に抜ける道道11号線月形厚田線もそのような道路の一つである。
 この道路をドライブしていたら、道路脇に看板が出ている。車を止めて見ると、「見晴らしの松」とある。これは見ていかない手はないと、道路から少し入り込んだところにあるイチイの巨木とご対面である。

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 樹齢1300年以上、とあるから確かに大きい。高さが17m、直径が2mで1973年に北海道記念保護樹に指定されている。1914年にこのあたり一帯に山火事があった時にもこの大木だけが燃えなかったというから、巨木になると火だって燃えつくとっかかりがないか。
 月形厚田線を物見遊山で通過する車はほとんどないようで、辺りは静かなものである。この巨木がお目当てでここまで来た訳ではなく、たまたま通りかかって見物している当方の例から推し量って、この木の傍まで来て見る人は年に何人いるだろうか、と漠然と考えてみる。

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 近くにはイチイの木の説明の看板があるので読んでみる。北海道ではイチイというよりオンコの木のよび方が通りがよい。普通垣根に利用するものは背の低いもので、オンコの実をつける。子供の頃良く食べた(今でも時折口にする)。赤い実でかなり甘いけれど果肉が包んでいる芯の部分が大きく、口に含んで果肉を舌でひとなめすれば芯をペット吐き出す。その感触が記憶にこびりついている。

 自宅の庭にはかなり大きなオンコの木があって、当別青山のオンコの巨木と比べるために写真を撮ろうかと思ったけれど、原稿を書いているのが朝早く、未だ暗いので(8月になると朝が遅くなってくるのに気がつく)、そのうち撮ったらこのブログに載せようと思っている。

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2007年08月04日

都市の境界

 歩いていたり車で走っていたりして、都市の境界は何で分かるか。まず、道路標識である。これは簡単に都市名を書いたものから、カントリーサイン付きの立派なものまである。これに加えて、マンフォールというのも境界の目印になるのに気がついた。

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 上下水道は都市毎で管理している。マンフォールの蓋には設置した都市のマーク(模様)が刻み込まれている。道路が二つの都市を横切っていると、近くに並んだマンフォールの蓋が別々の都市のマークとなっていて、その間に都市の境界があることが分かる。例えば、厚別東通が北広島市虹ヶ丘から札幌市もみじ台に抜ける場所の歩道のマンフォールは北広島市のものであることが分かり、そこから10メートルぐらいのところにあるマンフォールの蓋には札幌市のマークがある。

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 注意してみると、道端に市の境界を示す礎石もある。この種の礎石はどこの市でも設置しているようでもないようで、札幌市のものは見つけることができるのに、札幌に接する他の都市のものはお目にかかったことがない。多分、礎石にだって費用がかかることでもあるし、一方の都市が境界をはっきりさせてくれると、張り合うように他の都市も境界の礎石を置く必要もないこともあって、両市の境界礎石が並んで設置されることがないのかな、と推測している。

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2007年08月03日

子らいずこ 子供の谷に オブジェのみ

 夏休みになれば、滝野すずらん丘陵公園の子供の谷で、子供たちが遊んでいるだろうか。

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2007年08月02日

自然ふれあい交流館

 国道5号線の大麻駅近くで文京通に折れて、この通りの突き当たりまで進むと野幌森林公園の大沢口に着く。かなりのスペースの駐車場があり、ここに車を止めて森林公園内の遊歩道に入って行くができる。この大沢口に交流館がある。ここにこのような施設があるとは知らなかった。 

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 外観はカーブのゆるやかな楕円形状の屋根の建物である。内に入って気がついたことであるけれど、これは木の葉の形をデザインしたものらしい。天井を見上げると葉の葉脈が木の柱で組まれた格好になっている。展示スペースがあり、本棚には自然関係の本が並んでいる。机もあって、ノートに記録するのには便利である。

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 野鳥の観察用の望遠鏡もある。パソコンもあったけれど、このような施設ではあまり利用されないだろう。事実、パソコンの前に座っている来館者は居なかった。休息のため椅子に座っている年配者を見かけただけである。

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 ここは無料で入館できる施設である。ご他聞に漏れずこの施設も本年度(2007年度)から指定管理者制度に移行して、従来まで道の直轄の管理だったものから(財)北海道開拓の村に管理運営を委託されている。道から交付されるお金を有効に使って、来館者を増やし、満足度を上げて、施設の存在価値を高めなければならない。ここが秘境化しては税金で賄われている館の存続は望めない。

 そんな事情があるので、一回の訪問で軽々にここが秘境かどうかなどとは言えない。年間4万人は来館するとの話であったけれど、入館者をカウントしている様子もないので、毎日の入館者のおおよその目検討と夏休み期間中に団体で訪れるらしい生徒達を大雑把にまとめての数字かと推測する。300日開館しているとして、平均100人以上は来館者が居なければならない。その数字とはかなりかけ離れている感じはした。

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 野幌森林公園はアウトドア派には人気の場所で、駐車場は車でほぼいっぱいになっていた。ここから遊歩道を楽しむハイカー達の車と見受けられた。常連のハイカーが交流館に立ち寄ることはないようである。この種の施設にリピータを期待すれば、展示内容を更新しながら、新しいサービスを提供していかなければならず、予算が縮小されていく傾向にあってそれを実現するのは難しかろうと感じた。

2007年08月01日

千古園

 江別RNTパークの付近あたりで道道江別恵庭線(道道46号線)に出ようとすると、道路の向こう側にある碑が目に入る。江別恵庭線を横断してこの碑の近くで駐車して、大木の生い茂る場所に入ってみる。

 千古園の石碑が建っていて、近くに説明板があり、この場所が江別市指定文化財第一号の史跡であることを知る。この場所は、新潟県で一八八六年(明治十九年)に結成され、江別市の発展に貢献した民間の開拓団体「北越殖民社」の二代目社長関矢孫左衛門の屋敷の一部であった。最初十七戸の入植であったものが、一八九〇年(明治二十三年)になると四百名を超える入植者がこの野幌の地で本格的な開拓を行うようになっている。

 野幌郡に入植した開拓民の苦労を伝えるため、「留魂碑」や茶室「道庵」が建てられ、公園として整備されて現在に至っている。千古園の名前は前記の関矢翁が碑の建立に際して、「千古空留一片石」と口吟したことに由来しているらしい。

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 この庭園の見所は、園内にあるキタコブシやブナの大木であろう。百年を越す樹齢の巨木が葉を茂らせ、公園内は薄暗い。推定樹齢百八十年というキタコブシは江別市内でも最も古木で大木である説明があるけれど、雷か大風のせいか樹の上部が無くなっている。

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 樹高二十五mもあるブナの大木は、百二十年の推定樹齢で、豊かな枝葉を茂らせている。天然のブナ林の北限は黒松内低地帯の「天然記念物歌才ブナ林」があり、さらに北の蘭越町にも通称「ツバメの沢ブナ保護林」がある。しかし、江別には天然ブナは開拓時代以前にはなかったろうと推測されるので、千古園のブナは入植者が植えたものだろう。樹齢からしてそれを裏付ける。

 開拓民が故郷新潟から持ってきたと思われるブナの種子をこの地に埋めた頃は、辺りは原始林だったろう。原始林が消えて、後に芽を出したブナが大木になり、開墾した畑地を突き抜けるようにアスファルトの道路が延びて、自動車がひっきりなしに走り、その先には江別の市街地が広がることになろうとは、人間の営みが自然を変えていく激しさを感じることができる。

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 園内には小さな石の地蔵が並んでいる。新しいのや古いのが混ざっているようである。地蔵にはそれぞれ番号がついていて、園内で地蔵巡りをするように置かれたのかな、と思っている。

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