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2008年07月31日

酪農学園大学バイオガス発電

 酪農学園大学の酪農に関する先端技術研究基地としてインテリジェント牛舎がある。同大学のほぼ中央に位置する中央館の屋上から123 haの広さのある構内を見渡すと、国道12号線から距離を置いて国道に沿ってこの牛舎群を眺めることができる。

 国道から牛舎の方向に入る入口のところにコンクリートの高い門があって、最初この門の意味など考えもしなかったけれど、学内案内図には「狭き門」と記されていて、これはマタイの福音書にある「汝狭き門より入れ云々」の言葉からきているようである。道の先には希望の塔と名づけられて建屋があり、この大学の建学時の精神のベースにキリスト教があり、それを物語っている。現在でも教授会は祈りから始まるそうである。

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 話をインテリジェント牛舎に戻すと、自動搾乳システム牛舎、フリーストール牛舎やミルキングパーラーと並んで乳牛糞尿循環センターというのがある。名前だけならどんな機能を持った施設なのか分からない。しかし、バイオガス発電と言われるとほぼ察しがつく。牛の糞尿を集めて発酵させ、バイオガス(メタンガス)を取り出してこれを燃焼させて発電を行う施設である。

 牛舎内でサルネモラ菌が見つかって、一般の見学が制限されているところを頼み込んで装置を見せてもらうことにする。ビニールの靴カバーをして消毒液に漬けからインテリジェント牛舎が並んだ場所に入る。バイオガス装置のある建屋に入ると、大きなタンクが目に入る。ここに牛の糞尿が地下の配管から運び込まれ、攪拌しながら発酵させメタンガスと液状肥料に分けていく。発酵タンクの容積は250㎥である。発酵タンクにはガラスの覗き窓があって、メタンガスが発酵している様子が観察できるようになっている。バイオガスから分離された液肥の方は肥料として使われ、よい肥料になるそうである。目の先にあった液肥の臭いはほとんどしなかった。

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 発生したメタンガスで発電機を回して発電する。発電機はガスタービンとガスエンジンの方式がある。ガスエンジンは自動車のエンジンを思い浮かべると様子が想像でき、ガソリンの代わりにメタンガスで発電機を回している構造である。ということは、メタンガスをボンベに詰めて自動車エンジンの燃料にすることもできるということで、大学外でその実用化の実験が行われている。

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 発電の状態は建屋の入口のところのホワイトボードに表示されていて、見学時には約280kwhと記されていた。得られた電気は大学構内で使用されている。発電量の監視等は制御室のモニター用PCで行われる。見学時には制御室には誰も居らず、プラント設置当初はトラブル続きであったものが、現在は安定した稼動で常時監視する必要もなくなったそうである。酪農を研究にしている大学で牛の糞尿で発電が行われているのは秘境のテーマにふさわしい。

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2008年07月30日

爪句展講演会のリポート

 7月27日(日)午後に紀伊国屋書店札幌本店で「爪句展」の講演会を行いました。その際、聴講していただいたHN「田舎おじさん」のブログに講演会の様子をリポートしていただきました。同氏は毎日ブログを更新していて、札幌麺紀行のレポートなどを連載しています。
 爪句写真展も明日で終わりです。写真展の会場には毎日少しの時間顔を出しました。これが終われば「江別・北広島秘境100選」の原稿の最終点検を完了させ、原稿は私の手から出版社に移ります。

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健土健民ブランド

 酪農学園大学の視察に加わった時、大学で作られているパックの牛乳が出され、それに「健土健民」と書かれてあった。この言葉はこの大学の建学の精神であり、大学の創始者黒澤酉蔵の目指したものである。それが大学製乳製品のブランド名になって目の前にある。

 黒澤は足尾鉱毒事件を糾弾した田中正造の思想的弟子にあたる。鉱毒事件に関連して刑務所に入れられた時に聖書を読み、キリスト教に入信している。黒澤が北海道の酪農の範にしようとしたデンマークにキリスト教徒グルンドービーが居て、この偉人の、神を愛し、人を愛し、土を愛する「三愛精神」の具体的目標が健土健民であるともいえる。同学園に属する「とわの森三愛高校」の名前はこの「三愛精神」に由来する。

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 黒澤は健土健民実現の方法論として酪農の「天地人」循環農法論を提唱していて、この図は黒澤記念講堂の中に布に描かれて飾られている。天は太陽のエネルギーがもたらす自然であり、地は食べ物を生み出す大地であり、人は家畜を飼いながらその排泄物を土に戻し、牧草を育て、家畜の餌にして、乳製品や肉を得る、という一連の循環が途切れないようにする。短絡的で長続きしない収奪農業からの脱却を目指している。

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 土作りは堆肥作りでもあり、工夫した堆肥場造りの例を、研究を遂行している同大学のエクステンションセンター長の干場信司先生に案内してもらった。廃棄された電柱を組み合わせてそれにシートを張った簡易屋根の堆肥場である。電柱が堆肥場に利用されているとは想像もできなかった。

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 この堆肥場の近くに雄牛の飼育場があった。学外からの雄牛を学生が世話をして大きくして持ち主に戻す。肉になった一部は世話をした学生達が食べることになる。自分達が世話をした牛の肉を口にすれば、他の生き物の命をもらって人間が生きている実感を得る良い機会なのかも知れない。

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 健土健民ブランドにつながる他の乳製品も大学内で造られている。アイスクリーム、チーズ、肉製品等々とある。大学の生協を覗いてみるとこれらの製品が並べられている。酪農学園大学のブランド名のソーセージもあった。同大学で行われている研究に、霜降り牛の豚版で、サシのある豚肉を飼料で作り出すというのがある。これなんかが確実な技術になれば、同大学の肉製品のブランドは高まること請け合いである。

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2008年07月29日

埋蔵物文化財復元の現場

 北海道埋蔵物文化財センターは野幌森林公園の北西の端に位置し、文京台小学校に隣接している。同センターのHPにある沿革によれば、1979年に発足し、1999年に北海道教育委員会の委託を受け埋蔵文化財の公開を開始したとあるので、これに合わせてこの建物が出来たらしく、新しい施設である。建物内は立派な造りで、一階ホール部分にパネルと発掘物の展示が並んでいて、奥まったところに事務室と思われる部屋がある。

 常設展と各種活動に利用される部屋はさらに奥まったところにあって、そこへの通路部の外側にはガラス越しに発掘現場を復元した展示を見ることができる。展示用に作られた巨大な黒曜石のやじりなどが目をひく。展示室には発掘された多くの土器や石器、木器が並べられている。子供たちに昔の生活に興味を持ってもらおうという意図で、発掘した生活用具を手にとって体験するコーナーなどもある。ただ、平日は見学者は少なさそうである。

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 展示に供されている復元された土器を見て、復元作業の現場を見たくなった。急な申し出であったけれど、別棟にある同センターの整理作業所を見学させてもらった。そこで目にしたものはジグソーパズルの作業である。まず出土した土器片を同じ土器のものと同定して、土器片のつながりを平面的に並べていく。

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 次に、これらの土器を立体的に再構成しながら組み立ててゆく。作業の途中では写真のようにテープで仮止めし、最終的には接着剤で固定する。当然欠けた部分が出てくるけれど、そこは補填して、もし土器に文様があれば補填部分の表面にも推定した文様を描く。

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 出土した土器の表面の文様も記録に残す。これは手書きで文様を一種図案化して描いてゆく。昔論文の図面制作で利用したロットリングペンを用いた作業が行われていて、懐かしいものを感じた。現在は図面書きはコンピュータによるところが多く、このような土器の復元作業でのコンピュータ利用を聞いてみる。答えは不可能に近いとのことである。やはり人間によるパターン認識と再構成能力に追いつく人工知能は現状では無理のようである。

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 廊下に積まれた土器片のボックスを見て、これは膨大な作業であると思った。これからも土木工事や建築工事が行われて、その都度遺跡が発見される可能性があり、持ち込まれる土器等の復元作業は終わりが無く続くように思われた。このような作業が毎日秘かに行われているこの作業現場は都市秘境に当てはまるものである。

2008年07月28日

ヒペリカム

 名前からして外来の花と分かる。日本では「キンシバイ」の仲間であると聞いても、その花を見たことがあるのかないのかはっきりしない。黄色の花に赤い実をつけ、生け花や切り花などに用いられるらしい。耐寒性もあり、庭に直植えたものは毎年花をさかせている。夏の盛りというのに花は実に変身していっている。青々とした葉に鮮やかな赤い実が並んでいるのは観賞に値する。しかし、赤い実がなるとやはり秋を連想し、北海道の秋が忍び寄っているのかと予感する。

花終わり 実に変身の ヒペリカム

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早々と 秋の予感の 実の赤さ

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2008年07月27日

クレマチス

 クレマチスは蔓性の花で、蔓がからみつく木や支えから顔を出すようにして咲く。シャクナゲの木にクレマチスがからみついていて、シャクナゲの花と入り混じって咲くなかで、蔓の枝が伸びてシャクナゲの枝に巻きつき、メインの蔓が上に伸びて大輪の白い花をつけているものがある。離れてみるとまるでパラシュートが開いて、今まさに地上に降りようとしているように見える。このクレマチスの花の下にあるシャクナゲの花から見ると、日傘が上にあるような塩梅となる。

クレマチス 庭に降下の パラシュート

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シャクナゲの 日傘になりて クレマチス

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2008年07月26日

爪句展の準備

 「爪句@都市のデザイン」の出版の記事が本日(26日)の読売新聞の札幌・石狩版に掲載されました。この記事にも案内が出ている爪句展が明日から紀伊国屋書店札幌本店で始まるので、グッドタイミングです。その爪句展の準備を本日行ってきました。

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 同店の玄関先には爪句展のポスターが掲示されていました。このポスターが展示されているインナースペースで明日の午後2:00~3:30で講演会を行います。

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 同店二階のイベントスペースで行われる爪句展の写真展のため、100程度の写真の飾りつけを行いました。飾りつけは意外と時間のかかる作業です。どうにか体裁が整って明日からの爪句展の準備を終えることができました。

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花火大会

 豊平川の川べりで行われる札幌の夏の風物詩がどんなものであるか見物しにゆく。そこで仰天に近かったのはその人混みである。予想はしていたけれど、予想以上のものがあった。浴衣姿の若者(つまり女性だけでなく男性も)も多く、どんどん豊平川の河川敷に集まってくる。空は次第に暗くなって自然の舞台装置が整うのを待っている。花火の方は近くでみると確かに迫力があった。しかし、コンパクトカメラでの撮影は難しく、難しさの方も予想以上のものがあった。

髪の毛と 浴衣カラフル 今風に

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暮れなずむ 空の下にて 花火待つ

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タンポポと アナウンスあり 瞬時花

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2008年07月25日

夏椿

 夏椿は沙羅の木とも言われていて、白い花をつける。花は盛りに見えるのに、全体がポトリと落ちてしまう。平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」とあり、日本で沙羅双樹の花を見ようとすればこの夏椿の花となる。花の散り方が潔いと言えばいえるけれど、何か盛りの時期をもうすこし枝の上に留めていてもよいのではないかとも思える。雨上がりには、葉の緑が濃くなって、花の白さが増すように感じられる。

未練あり 盛りで散るや 夏椿

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雨上がり 沙羅の木花の 白さ増し

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2008年07月24日

フォト都都逸

 最近記憶力が弱まって、ちょっとしたことが正確に出てこない。27日(日)の午後の紀伊国屋書店札幌本店での「爪句」の講演会のスライド作りをしていて、投稿したブログの記事「ねぶの花」の芭蕉の元俳句が「象潟や 雨に西施が ねぶの花」は「象潟や 西施が雨に ねぶの花」だったろうかと、どちらか分からなくなる体たらくである。
 そこで次の都都逸である。「雨に西施か 西施に雨か 芭蕉詠みたる ねぶの花」
 都都逸は7・7・7・5で民謡などもこの区切りで歌詞が構成されている。北海道で有名な江差追分にも「忍路高島 およびもないが せめて歌棄 磯谷まで」というのがある。
 都都逸は最近はあまりポピュラーなものではなくなったけれど、「三千世界の 鴉を殺し 主と朝寝が してみたい」とか「恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がし」なんていうのもあって、なかなか調子がよい。
 写真に都都逸をつける「フォト都都逸」というのも面白そうである。

ねぶの花

 ねぶの花はネムノキの花で、象潟で芭蕉が「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句を詠んでいる。ここで西施とは呉越が争っていた時、越から呉王扶差に贈られた美女で、扶差が西施に耽溺したため国が滅んだことから、傾国の美女といわれている。芭蕉は雨の中のねぶの花の風情を西施になぞらえて詠んでいる。ネムノキは合歓の木とも書かれ、これは夜になると葉が重なって寝るような格好になることから来ている。唐の時代からこの言葉がついた木で、樹皮には薬効がある。

象潟で 芭蕉も詠みて ねぶの花

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合歓は 葉の動きなり ネムノ花

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2008年07月23日

ススキノ夜市

 ススキノは客集めのため、繁華街のメインストリートを歩行者天国にして各種イベントや祭りを恒例行事として行っている。そのようなものにススキノ夜市とビール祭りがあり、偶然にもそれに居合わせた。午後から土砂降りの雨で、仕事と懇親会が終わって通りに出てみると雨も上がって人が戻って来ている。屋台でビールを飲んだり、そぞろ歩きをしていたりする。ウィスキーのキャラクターであるローリー饗はススキノの顔であり、ビール祭りでも欠かせぬ存在である。(夜市の写真の空に月のようなものが写っています。月か標識かが写っているのだろうと気に留めていなかったのですが、これはオーブです。オーブは昨年の穴滝の写真に写っていたものを記事にしています。)

雨上がり ススキノ夜市 人戻り

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ススキノの 夜市欠かせず ローリー卿

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2008年07月22日

モミジバスズカケノキ

 構内の樹木には学名のプレートがついていて、この木何の木気になる木、で調べるとき助かる。プラタナスに似た大きな木に学名のプレートが取り付けられていて、Platanaceaeと書かれている。Platanus X acerifoliaとも表記されており、インターネットで調べるとスズカケノキ(Platanus orientalis)とアメリカスズカケノキ(Platanus occidentalis)の自然交配種のモミジバスズカケノキだそうである。スズカケノキの花言葉は「天才」で、花言葉から大学構内に植えられた訳ではないだろうが…

学名が プレートにあり プラタナス

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僚木と 切り離されて 天才木

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都市の境界

 都市秘境シリーズ本の出版の嚆矢である「札幌秘境100選」に「札幌、江別、北広島市境界点」のテーマがあった。この点に立つと三市を瞬間的に移動できるという触れ込みでテレビ放送もされ、予想した以上に世間受けした。

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 二冊目の「小樽・石狩秘境100選」では「入り組んだ石狩-札幌市境界」を取り上げた。旧発寒川に沿って両市の境界が定められ、河川の改修により川の方が真っ直ぐになっても都市の境界は昔のままで、川の両岸に入り組んで奇妙な光景が見られる点を素材にして書いてみた。

 同様な視点から今回も都市の接点とか旧河川に沿った市境界について面白そうなところがないかまず地図の上で探してみた。石狩川の捷水路工事で、旧河川に沿った市の境界が川の両岸に入り組んで残っている場所がある。そこに江別市、当別町、札幌市の境界点もある。では二市一町の境界を示す特別なものでもあるのかと行ってみる。

 境界点は江別市の環境クリーンセンターの近くの石狩川の土手道の近くにある。しかし、土手道から石狩川までの河川敷には草地や林があるだけで、これといった変わったものはない。石狩川に沿った土手道を歩くと、江別市からいつのまにか当別町に入り、地図上では河川敷の一部は札幌市でもある。土手道からみた標識には一方が江別河川事務所、片方が札幌河川事務所と併記されていたので、この辺の事情を反映しているのだろう。

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 土手道に木の杭があって、当別川左岸基点の文字があり、当別町に入っていることになる。その標識にSPの文字が見え、これがSapporoの記号のようにも見るのだが、本当は何の記号なのかはわからない。

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 山林や河川敷の都市の境界に何か見るべきものを期待しても得られるものがないのは、考えてみると当然かもしれない。都市の境界は人の通るところや車の往来するところに印がある。特殊な道路として自転車道路があって、ここには札幌市と北広島市の境界の印が両面にそれぞれカントリーサイン入りで描かれていた。看板の両面を利用するのは経費節約の上からもよいことである。

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 マンホールの蓋には設置した都市のマーク(模様)が刻み込まれている。道路が二つの都市を横切っていると、近くに並んだマンホールの蓋が別々の都市のマークとなっていて、その間に都市の境界があることが分かる。例えば、厚別東通が北広島市虹ヶ丘から札幌市もみじ台に抜ける場所の歩道のマンホールは北広島市のものであることが分かり、そこから10メートルぐらいのところにあるマンホールの蓋には札幌市のマークがあり、車からは札幌のカントリーサインを行き先地名と一緒に見ることができる。

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2008年07月21日

許諾願い

 本の出版で意外に時間がかかり、面倒なのは許諾願いである。取材で写真を撮っても、印刷物(場合によってはブログ)として公開する場合、許諾を得る必要となるケースもある。
 野幌森林公園のツチアケビの写真を撮ってこれを「江別・北広島秘境100選」の記事にしている部分があって、ツチアケビの花の写真も載せたくなった。そこで公園の大沢口にある「自然ぶれあい交流館」まで出向いて、係りの人にツチアケビの花の写真をPC画面に出してもらった。
 この写真を載せるべく現在許諾願いを出している。他のテーマでも似たような処理手続きに入っていて、原稿の最終的完成は少し先になりそうである。
  
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ラベンダー

 ラベンダーは薄紫一色かと思っていると、小さい橙色の点が見える。これは花の奥にある雌しべだろうと思っているけれど確かめてはいない。太陽の照りつける中でのラベンダー畑というのは、写真の対象としては魅力的である一方、曇り空で陽の光が弱い庭先に淡い紫がまとまって咲いているのもよい。早朝で周囲が暗いので、自動的にフラッシュが光って撮影された写真を見ると、反射光で光る花が、舞台でライトを浴びた主役のように見え、周りの暗い部分が脇役の感じもする。

紫に 橙点(とうてん)見えて 曇り空

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フラッシュが 主役脇役 役を決め

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2008年07月20日

ウッドチップとラバー舗装道

 構内の道路も最近の舗装技術が取り入れられている場所がある。エルムトンネルの上の部分に当たり、獣医学部の前を通過する歩道と自転車道には木砕片を利用したウッドチップ舗装とラバー舗装の道が隣合わせで敷設されている。歩いてみると、足裏に弾みを感じるウッドチップ舗装は歩き易い。一方、自転車走行ではウッドチップは抵抗が強まり、レンガ色のラバー舗装の方が走り易い。緑の葉を茂らせた木立が続くこの舗装道路は、歩くのにも自転車でも快適な道路である。

木立あり 木砕片は 道にあり

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自転車は ラバー舗装の 道選び

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江別の産地直売

 田畑や牧場が広がる江別市では、農産物や乳製品の産地直売が行われ、江別市民のみならず大消費地札幌からの客も集めて観光にも一役買っている。江別の観光パンフレットにも直売所の案内が出ている。そのようなものの一つに「のっぽろ野菜直売所」がある。

 案内によると登録生産者は170名を数え、品揃えが豊富であるとのことで、セラミックアートセンターに行くついでに、センターの近くの直売所に寄ってみる。規模は小さいながらも近隣で作られた野菜が並んでいる。ひょうたんの細工物も下がっていて、ここら辺ではひょうたんも産するのかと意表をつかれた感じである。

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 地元で取れる原料を加工して売っている例もある。手作り食品の販売イベントでケチャップの瓶詰めを手にしたことがある。ラベルにトマトのキャラクターの絵が描かれていたのを記憶していた。それから日が経って巴農場を自転車でえ回った時、この絵が建物の壁に描かれているのが目に入って来た。ここでくだんのトマトケチャップが作られているのを産地で確かめることになった。

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 江別の大豆で毎日豆腐を作って販売している豆腐屋の前を偶然とおりかかり、中に入ったことがある。暖簾に江別産大豆と書かれていて、豆腐作りの作業場を覗くことができた。豆腐製品を買ったら、おからをおまけにつけてくれ、これは食品作りの現場での直売でこそのサービスである。

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 農産物ではなくても、ハム・ソーセージの製造と直売もある。トンデンファームのハム・ソーセージ工場の作業の現場をガラス越しに覗かせてもらった。思ったより人手のかかる作業のようである。ここまで見学したからには直売コーナーで火に炙っているソーセージを買い求めて食してみた。品質は同じでも、都会の店で買うより産地直売のものがなんとなく美味しく感じるのは、思い込みの錯覚といわれると、そうかもしれない。

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2008年07月19日

シャクナゲ

 庭のシャクナゲの木は背が高くて、白い花が咲き出すと空中に白い花が浮かんで咲いているように見える。近づいて写真を撮り、後で写真を見ると蟻が一匹花に張り付いている。小さな蟻が花に誘われて、この高さのところまでやってきたことになる。蕾は薄紅色で、花が開くにしたがって花びらは白くなる。空を見上げる格好で花を写真に収めると、白い花が雲に変化していくようにも見える。シャクナゲの品種は多く、庭のシャクナゲはハクサンシャクナゲに分類されるようだ。

誘われて 花に張り付く 蟻一匹

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紅蕾 白く広がり 雲と化し

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爪句展案内

 爪句第3集「爪句@都市のデザイン」(共同文化社、2008年7月10日)を出版しました。218ページの豆本仕立てで、オールカラーで、400円です。自費出版で宣伝もしなければならないので、7月27日~31日、紀伊国屋書店札幌本店で「爪句展」を行います。

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 爪句展のポスターも作ってもらったので掲載しておきます。この爪句展で、7月27日(日)14:00~15:30、同店一階にあるインナースペースで「爪句と豆本制作の面白さ」と題して著者が講演を行います。無料です。書店側としてはお客が集まればとの思惑で場所を貸してくれるので、ある程度人があつまって講演会の形が整うようにと宣伝を行っています。
 本作りは面白くても、販売が大変であるのと同様、講演会で話すことは苦にならなくても、人集めが大変だ、というところです。

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2008年07月18日

マツムシソウ

 園芸種のマツムシソウはバリエーションがあっても、細長い背丈のある茎の先にまとまった花を着けるところが同じである。風が少しでもあると、細い茎の先の花の固まりが揺れて写真が撮りにくい。上から見ると花の部分だけが空に浮かんで見えたりして、まるで小さな花火が上がって、それが固まって花に変化したようにも見える。花火花と別名をつけてもよいのではないかと思っている。花の部分には小さな花びらが密集していて、集団で茎の先に住み着いているようである。

花火花 小空間で 開きたり

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花びらが 集団居住 茎の先

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2008年07月17日

自転車

 北大のように構内が広く、講義が離れた棟の校舎で行われる場合や、講義室と売店等を行き来する時などには、自転車は頼り甲斐のある“足”である。学生の数の自転車が往来すると、広い構内も混雑するので走行にはルールがある。南北に走るメインストリートは自転車道が道路の左右にあって、左側通行になっている。時間によっては自転車の流れが途絶えることなく、自転車の流れをカメラに収めようと少しでも止まると流れを乱し、後続の自転車が次々と追い抜いて行く。

向かう先 南に北に 講義室

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カメラ手に 流れに乗れず 追い抜かれ

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2008年07月16日

火薬庫のレンガの刻印「S」を探して

 江別市はレンガの街とも呼ばれる。その象徴的建物は屯田兵用火薬庫で、現在はJR江別駅の近く、江別小学校と道路を挟んだ緑地に設置されている。建物は(明治19年)に建てられ、その後江別小学校の前身の小学校の御真影と教育勅語を納めておく奉安殿となっている。

 この火薬庫には幾度も訪ねている。季節は冬から桜の季節、緑の濃い夏と、一度みれば特別見るところもないこの小さな建物を何度も訪れたのには理由がある。建物の横の史跡の説明板には、札幌白石の鈴木煉瓦製と思われる刻印「S」が確認できる、という記述がある。この記述を鵜呑みにして、火薬庫のレンガの一枚、一枚を目で確かめるのだが、刻印は見つからない。時には二つの目では不十分かと、運転手役の目も借りて四つ目で探しても駄目である。

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 この状況の打破とばかり、火薬庫を知っている人に聞くとアバウトな位置を教えてくれる。そこでまた機会を見つけては火薬庫に出向いて探してみるのだが無駄足である。札幌からわざわざ出向いても収穫がないのも癪な話で、近くの江別小学校のレンガの建物と桜の花、火薬庫の三テーマを写真に収めてもみるけれど、仕事を遣り残した気分である。

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 本書の原稿もほとんど揃った時点で、もしレンガの刻印が見つかるならこのテーマを採用しようと、双眼鏡、望遠のカメラ持参で、何回目になるのか覚えていない火薬庫詣である。今度は事前の準備として郷土資料館まで出向いて、刻印の件について聞いてみる。資料館には刻印の写真があり、資料館の関係者が撮影者に電話で場所を聞いてくれる。

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 三ヶ所ほどあるそうで、その場所を頭に叩き込んで最終回の刻印探しである。一ヶ所は土台の近くのレンガが逆さまになっている部分で、これは教えてもらわねば建物の表面を見ているだけでは絶対に見つからない。ここはカメラをレンガの下に差し込んでの接写撮影である。

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 軒下近くのレンガの刻印は教えられた場所辺りにやっと見つけることができた。こちらは望遠のカメラでの撮影で、光の具合で撮影がうまくいかないところ、どうにか刻印を認めることができる写真を撮ることができた。ここまで取材を徹底させると、この火薬庫の秘境度は高まる。秘境はそこに在るものではなく、見つけ出すものだ、と都市秘境の定義を新にしている。

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2008年07月15日

バラ-カクテル

 蔓バラの種類にカクテルというのがある。色々な酒を混合して造るカクテルと同じ意味ではないかと思っている。バラの場合は混ぜるものは花の色となる。花が開き始めると、中心部の黄色と周辺部の赤が花ビラの中間で混じり合っているように見える。この微妙な色のグラデーションがこのバラのセールス点になっている。花が散る頃には中心部の黄色も消え、全体に赤い色が強まっているようである。花の終わりに、持てる色を搾り出して最後まで目立つ演出をしているかのようである。

カクテルは 色の混合 セールス点

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目立つ色 花の終わりに 搾り出し

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2008年07月14日

ヒマラヤの青いケシ

 小樽の丸文書店のN社長から「ヒマラヤの青いケシとその仲間たち」(続木忠治著、文一総合出版、2008年)が送られてきた。小樽赤岩園芸の続木氏が、ヒマラヤの青いケシ(メコノプシス・グランディス)の花を北海道で咲かせようとした記録と、咲いたケシの花の写真集である(写真左)。

 このケシの花と赤岩園芸、続木氏の取材を行って「小樽・石狩秘境100選」に「赤岩園芸のヒマラヤの青いケシ」のテーマで書いている(写真右)。小樽の秘境の講演会でこの話をしたことがきっかけで、本を寄贈していただいた。

 取材時(2007年)に続木氏がヒマラヤの青いケシをテーマに本を書いている話が出て来て、その話も秘境本に記録している。2008年4月のその本が出版され、それが送られてきたことになる。当方が撮って本に載せた写真よりはもっときれいなヒマラヤの青いケシの姿が、送られてきた本に多数収められている。

 続木氏のこの本は128ページで3千円近くの値段であるけれど、花の愛好者には買ってもらえそうな本である。因みに写真の拙著は212ページで千円である。

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2008年07月13日

農業研究センター内サイロ遺構

 びむ様からの情報で、7月12日の北海道農業研究センターの公開日に合わせて、同施設内を覗いてきた。

 豊平区の羊ヶ丘にある道農業研究センターは、研究に支障があるため一般には公開されていない。しかし、年1回の公開日には同施設をはじめ、羊ヶ丘に広がる牧草地や昔のままの林を見て回れる。1906年(明治39年)に造られたといわれているサイロの遺構が、牧草地に残されている。近づいてみるとこれは軟石でできている。屋根は無く、戸の部分も遮るものもなく、円筒の石組みだけが残されている。農業遺跡ということで、草地にこの抜け殻のようなサイロがポツンとあった。

軟石の サイロ残され 夏草地

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草刈られ 農業遺跡 遠く見え

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農業研究センター圃場

 農業に関する研究施設であるので、ここで見る畑は圃場で、傍目には分からないけれど色々な実験が行われているらしい。麦なのだろうか、盛夏というのに秋の色づきが見られる畑が広がっている。遠くに藻岩山が見え、山の形しか見えないけれど、山全体は夏の木の茂りで覆われているはずである。収穫期をずらして作物を植えて研究するのだ、といった話を小耳に挟んだので、これから育つ緑と収穫を迎える黄色が帯状に分布していてもこの圃場では不思議ではない。

色づくも 遠く盛夏の 藻岩山

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収穫の 時期をずらして 試験場

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2008年07月12日

極小漁業共同組合

 ヤツメウナギの取材で江別に漁業共同組合があるのを耳にした。海の無い市での漁業協同組合というのも秘境のテーマに近くて、一度訪れてみようと思っていた。しかし、所在地や連絡先が分からない。インターネットにも出ていない。江別市の電話案内で聞いても漁業組合で届けは出ていない、との返事である。道の水産関連部局で教えてもらった電話番号に何度電話してもつながらない。

 で、あきらめていたところ、江別ヨットクラブの取材時に、ヤツメウナギの漁場でヨットを走らせるため、江別漁業協同組合から許可を得る、とう話を耳に挟んで漁業組合の場所の大まかな情報を得た。この情報を頼りに探しに行ってみる。

 場所はJR豊幌駅近くの、石狩川に沿ってある石狩川ゴルフコースの入り口付近にあった。漁業共同組合というからにはそれなりの建物の中にでもあるかと思っていると、これはプレハブだった。ドアには確かに「江別共同組合」のプレートが貼ってある。土曜日でもあったせいもあり、ドアは開かず誰もいない。一週間のうち月曜日だけ開いていると聞いたのが、この状況では本当らしい。

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 この漁業共同組合は石狩川のヤツメウナギ漁を対象にしていて、近年の漁獲量の激減を考えれば漁業共同組合の活動の範囲は自ずと決まってきて、プレハブで週1日の対応になるのも不思議ではない。それにしても極小の漁業共同組合であると思った。夏場はヤツメウナギの禁猟期間で、生きたヤツメウナギは水槽の中でしか見ることができない。先月、JR野幌駅近くでヤツメウナギ料理を出してくれるこじま本店で料理前に生きたヤツメウナギが水槽内で居たのを撮った写真を載せておく。ヤツメウナギ料理については以前江別河川防災ステーションのレストランで食した話を書いている。

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2008年07月11日

本の屋台村

 本日から開村の「本の屋台村」を覗いてきました。紀伊国屋札幌本店の1Fのインナーガーデンに屋台が並んでいます。入り口近くに陣取って共同文化社の屋台があって、宣伝のポスターにわざわざ爪句展のものを制作して貼ってもらっています。屋台の奥に座っているのが、マメ本の爪句集の出版を手がけている同社のNさんです。

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 札幌、小樽・石狩の秘境本とマメ本の爪句集が屋台に並べられていて、宣伝してもらっています。「爪句@都市のデザイン」は昨日出版されて手にしたばかりのもので、屋台に並んでいました。さて、屋台村でどのくらい売れますか。

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 中西出版の方と立ち話で、同社が1万部刷ったという「野菜博士のおくりもの」の紹介を受けました。ここで「野菜博士」というのは2005年に亡くなられた故相馬暁氏です。同氏は道中央農業試験場長から拓殖大学北海道短期大学教授になり、学生を指導するかたわらクリーン農業の実践を手がけていました。生前の博士の薫陶をうけた多数の方による野菜や野菜料理のレシピなどの話をまとめて紹介した本です。

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 北海道新聞(道新)も出版社部門を抱えていて、屋台村に出店していました。ここに詰めていた関係者と、拙著の都市秘境本出版時に道新と出版についてやりとりを行い、結局同社では出版に到らなかった“秘境的”話を立ち話でしました。物事、最初のボタンの掛け違いというのがある点を再確認しています。

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札歩路と本の屋台村

 北海道新聞(道新)系列のフリーペーパーに「札歩路(さっぽろ)」というのがある。今月で第100号を迎えることになったので、「100を探せ」という企画が組まれて、「札幌秘境100選」が100のつくテーマの一つとして選ばれ取材を受けた。昨日(7月10日)「札歩路」100号が新聞に差し込まれて配られたのを手にした。道新と契約している家だけに配布かと思っていたら、別の新聞の購読者から掲載面をわざわざ渡されたのには驚いた。ただ、チラシ広告と考えると驚くまでもないか。

 記事で紹介された本は現在市内の書店では現物がないはずである。出版元の親会社が変わったりして、この短い(長い?)二年間にいろいろあって、2006年に出版されそれなりに売れた本であるけれど、絶版状態になっている。記事を見た読者の中には、この本がほしいと言ってくるだろうと、手持ちの在庫(自費出版本なので)がかなりあるので、FAXとメールのアドレスを記事に載せてもらった。確かにFAXでもメールでも本の注文があり、送料無料サービスで(宅配便なら80円なので)送っておいた。在庫を抱えている身としては、在庫が捌けるのはうれしい限りで、産地を偽装してまで長いものの在庫を捌こうとした業者の気持ちも分からないでもない。

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 しかし、千円の本では、読者は本屋で手にとって見てから購入したいところだろうし、本屋にまた置いてもらえないかと思っていたら(自費出版本で流通にはそれなりの制約もあって)、本日から紀伊国屋書店札幌本店(JR札幌駅横)で「ドサンコ出版社ー本の屋台村」が開かれ、ここに置かせてもらうことになった。昨年と今年で出版した四種類のマメ本(爪句集は三種類)も並ぶことになった。その本の屋台村の案内の看板の写真をアップしておく。

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 写真の看板には、多分本の市に並ぶ本の“著名”な著者のサイン会もある。自著を本の市に並べてもらうのが精一杯のところで、サイン会の「サ」の字のお声も掛からない当方ですが、見ていてご覧なさい、数年後には爪句家元(あるいは元祖都市探検家)としてサイン会をしていて、それも只のサイン会ではなく、一筆XXX円で本の売り上げより稼いでみせますから(冗談です (^-^; 冗談、念のため(^-^;;)

蛇足:当方、冗談と本気の境があいまいで、HN(ハンドルネーム)の住所無記入の方から手紙(メールではなく従来の手紙)が届いて、その一節に

「貴殿の場合は、自信があるだけに「爪句」のネーミングに思い入れが強く、話題性を醸成すべく、盛んにパブリシティーを行っておられます。しかも、効果がはかばかしくないと見るや、結社を設立し、自ら主宰となって、どんどん既成事実を積み上げて押しまくろうというスタイルです。しかし、その場合『爪』が決定的に貴殿の行く手を阻むでしょう。」

とあって、マメ本の著者として、爪句結社「秘境」社主、の肩書きの点に言及されたりする。この肩書きを本気で受け取られると、それはそれなりにしてやったり、とは思うだが、まあ大方の読者には、著者は冗談のドアのすぐ前に居る、ぐらいで理解してもらえるとは思っているのだが m( _ _ )m

2008年07月10日

北広島市観光農園-イチゴ摘み

 農産物に付加価値をつけて売る方法として、生産者と消費者が直接結びつくやり方がある。契約方式で、生産者が、契約した特定の消費者の注文に応じて農産物を売る方式などがある。不特定の消費者に対しても、農家の直売店の店先まで買いに来た客に売る方式もある。最近言葉が目立つ観光農園といわれているのがこれである。

 北広島市は大消費都市札幌に隣接して、平地が多く農地が広がり、道路も整備されていることなどから、自家用車や大型バスでやってくる客を相手の観光農園が多くある。特に、夏のイチゴ摘みの観光農園は北広島市の農業の特色になっている。

 それらの観光農園を二、三訪れてみた。道道江別恵庭線沿いに広いイチゴ摘み畑が点在している。幹線道路からすぐにイチゴ畑に入れるところもあり、また脇道に入ったところにある農園もある。インターネットでおおよその場所を頭にいれて道路を走っていると、6月中旬から7月中旬のシーズンではイチゴ摘みの旗が並んでいる。周囲には高い建物もないのでイチゴ畑はドライブしていても目に入ってくる。

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 週末が稼ぎ時のようで、家族連れが多く、イチゴ畑でイチゴ摘みに余念がない。広い畑にはイチゴが栽培されている畝が幾筋も真っ直ぐに伸びていて、客がカゴをもって畝に沿って歩きながらイチゴ摘みをしている。この広がりのある農園風景は北海道を代表するものである。大都会から車で30分も走れば、この景観に出会い、イチゴ摘みが楽しめ、大都会と田園がこれほど接近している点を再認識させられる。

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 イチゴは緑の葉に覆われていて、赤い実は葉の影に隠れている。イチゴ畑は緑一色といったところで、遠目には色の変化に乏しい。観光農園と銘打つからには、景観に彩りを加える工夫も必要だろう。イチゴ畑の周囲に花の鉢を置いているところもあり、イチゴ摘みと二重に楽しめる工夫の走りだろう。

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 しかし、この取材をしている時、ガソリンのがまた大幅に値上げで、その他の生活必需品の値上げもあって、車を使って毎日の食卓に必ずしも必要という訳でもないイチゴを摘みにゆくことにはブレーキがかかりそうで、観光農園には逆風が吹き始めているのかもしれない。

2008年07月09日

北広島河川防災ステーション

 千歳川は北広島市と長沼町の境になっていて、国道274号線が千歳川を横切るところにこのステーションがある。昨年(2007年)の4月に落成式を行った新しい施設で、北海道開発局、つまり国がオーナーで、北広島市が施設の運営のお手伝いをしている仕組みらしい。この施設見学が目的で立ち寄った訳ではなく、迷い込んだ感じで建物に足を踏み入れた。

 新しく出来た施設だけあって立派な建物で、一階には事務室と展示ロビー、研修室、防災時に利用する用具の倉庫などがあり、ロビーには千歳川の監視カメラからの映像がオンラインで映し出されているモニターテレビが架かっている。その他千歳川の洪水に関する写真パネル等と防災関連グッズなどが展示ケースがある。

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 二階にも展示室と休息コーナーがあり、千歳川に面してテラスもある。テラスから千歳川、274号線の通る千歳川橋、船着場、対岸の長沼町の田園地帯を眺めることができ、パノラマ写真を撮ってみる。この辺りの風景は夏の北海道の景観で、自由に入館できるこの施設は、274号線を利用する車のドライブインとして利用されてもよく、今のところ利用客が見当たらないこの無料休息テラスは、秘境のテラスである。

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 千歳川が流れるこの辺りは低地で、多くの川が流入している。防災ステーションの横には輪厚(わっつ)川の河口がある。さらに上流には島松川、漁川等が千歳川に合流する。石狩川に流れ込む千歳川が、増水時には石狩川より水位が低くなるので、千歳川の河水を太平洋側に流す千歳川方水路計画は、千歳川が低地を流れる川であることに起因している。この開発局の河川改造構想は環境保護等の問題点をクリアできずに頓挫した。

 建物は立派でも、利用されることの少ない施設と見受けられた。屋内には事務室に一人、掃除をしている人が一人居て、シルバー人材センターから派遣されて来ていて、ボランティアに近い状態で仕事を引き受けているそうである。河川防災ステーションの性格から、このステーションの出番は災害時で、普段は人が来なくても差し障りはないことになる。しかし、この立派な施設が普段は使われない客無しの施設にしておくのはもったいない気がする。

2008年07月08日

ちょっと実験

 月曜日(7日)からこのブログのカウンターで示されるアクセス数が急に5倍程度に増えて、何かおかしいのではないかと疑っています。そこで、ちょっと実験です。ブログにアクセスされた方でコメントに書き込むことが出来る方(あるいはその気になった方)「あ」でも「う」でも「パンダ無事だ」でもその他のコメントでもこの記事のコメントとして書き込んでみてください。当然HN(ハンドルネーム:個人を特定できない仮想名)で結構です。
 このようなアンケートもどきに答えるROM(Read Only Memoryと理解しているのですが、Read Only Manの略に転化しているのかもしれない)の人が1%居るとして3~4人で、まあそのぐらいのコメントが返ってくると、カウンターに表示されるアクセス数は本当なのかも知れないと判断しようと考えています。
 ただし、寄せられたコメントには返事は書きませんので悪しからず。

牧場の手作りチーズ

 江別の角山地区でチーズの手作りをしている牧場があるというので行ってみることにする。以前取材したSTVラジオ放送のアンテナを横に見て、この道をさらに進むと米村牧場のチーズ工房プラッツにたどりつく。後で聞いた話で、プラッツとはドイツ語の広場を表す言葉からのネーミングだそうである。酪農業にはつきものの臭いを感じながら、レンガ造りの工房に入ってみる。

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 小さな店内で出迎えてくれたのが米村千代子さんで、同工房のチーズ作りの元締めらしい。熟成チーズの試食品を口にしながら、チーズの作り方や、販売するまでになったいきさつなどを聞いてみる。元々は酪農学園大学での手作りチーズ講座を聴講して、趣味のチーズ作りが販売品まで成長したとのことである。現在は江別の大手農場でもチーズ造りを手がけるようになって来たそうであるけれど、江別のチーズ作りの元祖はこの米村農場にあるようだ。

 フレッシュチーズを寝かせて熟成させたものが熟成チーズとなり、その際の熟成菌と加工過程で手作りチーズの独特な味が生み出されるので、チーズ作りは雑菌が入らないように気を使う仕事らしい。この工房は喫茶店にもなっていて、チーズの他に絞りたての牛乳や手作りケーキが楽しめる。注文したケーキは江別で栽培が行われているアロニアの実を使ったもので、醍醐味(古代日本のチーズの味ではなかったかと言われている)を体験した。

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 チーズに目を奪われてしまったけれど、米村農場は堆肥作りで先進的なようである。これは農場主の米村常光氏の研究成果が結実しているようである。客が我々だけだったので、店番の千代子さんの案内で堆肥作りの現場、牧草をロールに巻く機械、先ほど食したアロニアの小木を見せてもらった。アロニアは白い花が残っていたけれど、既に実に変化していて、実が十分熟したところで摘み取るのだそうである。

 米村夫妻、息子夫婦に手伝いの学生一人の計5名でこの農場を経営しているとのことである。80頭の牛の世話、チーズ造り、日曜日の工房の開店、豚の世話、農作業、アロニアの収穫、その実を使ったケーキ作りと、ちょっと想像しただけで怠け者の著者には気の遠くなる作業量であると感じた。

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2008年07月07日

カウンターが変です

 この秘境のブログにはカウンターが表示されていて、いつもは日に40~70ぐらいのアクセスです。しかし、本日(7日)は急に400近くのアクセスになり、どうしてかと考えています。5日付けの北海道新聞の夕刊(小樽版)に3日に小樽市民大学での講演についての新聞記事が掲載されました(寺町志保記者の署名記事)。この記事でアクセス数が増えるのは考えられるのですが、記事にはURLが書かれていませんし、小樽版の夕刊なので、このアクセス数増加の説明には無理がありそうです。

 次に、このブログのプロバイダーの会社から通知が届いていて、明日未明(8日の午前2:00~)にブログのサーバーの機能アップのため、ブログのサービスを一時停止する、ということです。この早朝は私のブログの書き込みを行う時間に重なることもあり、早々にこのブログを書いています。このブログの機能更新の前処理か何かで、カウンターの数字が書き換えられて行っている、というのも考えられるのですが、まったく見当違いかも知れません。

 明日以後カウンターが正常(?)に戻ればよいのですが。

追記:明日の午前中は「ちえりあ」での爪句の写真展のための搬入と飾りつけを行う予定です。パネル運びから飾りつけまで、基本的には展示者(つまり私)が行わねばならないようで、こちらもどうなることかと思っています。Hi 

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ヒナゲシ

 ヒナゲシ(ポピー)の花びらは、和紙か皺のある絞り染め布で出来ているように見える。バラの花びらが艶やかなビロードでできている印象と好対照である。紙か布で造花を作るなら、バラに比べてヒナゲシの方が本物らしく見えるのではないだろうか。いや、本物のヒナゲシが造花かと思うことがある。ヒナゲシは単独か数本で咲いていると細い茎で頼り気なさそうで、花の別名の虞美人草のイメージに合う。一方、群生して咲いていると鮮やかな赤色が辺りを圧倒する。

赤和紙を 重ねて綴じて ケシの花

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花びらは 絞り染め布 ケシの花

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2008年07月06日

木製井戸枠と現代の水道

 江別駅前広場に面して江別水道庁舎がある。レンガ造りの概観で、佐藤忠良氏制作の「少女」のブロンズ像が設置されていて、この部分の景観はなかなかのものである。この建物の一階ロビーに過去の水道事業に関連した遺物が展示されている。それは木製の井戸枠で、1981年庁舎建設に際しての発掘調査で出土したものである。この井戸枠の他に竹製樋や鉄管なども見つかっており、それらの出土品の一部も並べられている。

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 江別の地質の構造から、火山灰、粘土層による自然ろ過作用でよい水が得られた土地柄であった。水道庁舎のある場所は萩ヶ岡で、この地区に水源涵養林があり、井戸が掘られて生活用水や酒造にも利用されていた。井戸組合も形成され、井戸水の管理が行われた。

 しかし、近代化により地下からの水は飲料水として利用されることは、他都市と同様行われなくなった。何が流れ込んでいるか分からない都市周辺の地下水ほど危ない飲み水はない、との浄水場の関係者の話は説得力がある。1956年に上江別に浄水場が設けられ、ここから上水道による水が市民に供給されるようになった。

 その現代の水道水の造られ方を駆け足で見てくることにした。浄水場は江別駅から自転車で5分程度、早苗別川の近くにある。急な見学申し込みであったけれど、係りの方が対応してくれ、一通り現代の水造りと供給をこの目で確かめることができた。


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 ここの浄水場は千歳川からの川水をろ過して造っている。千歳川からの川水の混濁度を常時水槽でモニターしていて、水槽の中にはウグイが泳いでいた。取込んだ川水に粉末状の活性炭をホッパーから水に注入して、不純物を活性炭粉末に取り込んでろ過していく。ろ過に使う活性炭は椰子がらを原料にして日本で作られるものだそうである。

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 浄水場内には沈殿プールがあり、きれいになった水取り込まれている様子を見ることができる。飲み水としての殺菌のため次亜塩素酸ナトリウムの注入や水道水のPH値を制御するために消石灰の注入を行う処理過程を経て、ポンプにより給水が行われる。これらの一連の工程は監視室で監視・制御されている。

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 見学した日にはちょうど小学生の見学日と重なっていて、玄関には小学生達の靴が並んでいた。毎日自分達が飲み利用する水道水がどのように造られているのかを見て理解するのは大切なことで、それが広く行われるようになれば、浄水場は都市秘境のテーマから外れることになる。

2008年07月05日

対雁百年記念碑

 江別市には対雁(ついしかり)地区があって、道路の標識にもこの文字がある。しかし、初めてこの名前の漢字を示されては、正しくは読めないだろう。この地名は津石狩(ついしかり)の当て字で、石狩川の鮭漁や運輸の拠点として世田豊平川河口に津が栄えたことに由来しているらしい。かつてここには番屋も設けられていた。

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 ロシアとの千島樺太交換条約で、明治政府が樺太(現在のサハリン)で使役していた樺太アイヌを対雁に強制的に移住させた歴史がある。この樺太アイヌの子弟の教育に1877年(明治10年)仮の教育所が設けられ、1878年には開拓長官黒田清隆が同校を訪れている。この時黒田長官が揮毫した「対雁学校」の扁額が郷土資料館に残されていて、黒田のもうひとつの扁額「富貴在苦学労力」と共に江別市指定文化財になっている。1880年には校舎が落成している。

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 対雁学校は現在の対雁小学校につながっていくので、この小学校は江別では一番古い学校であり、1978年には開校100周年を記念して、「開校百年」碑が同校の前庭に設置されている。今年(2008年)は130周年を迎えたことになる。

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 鉄道が開通して、交通が石狩川の船から内陸の鉄道に移るにつれて対雁は寂れていく。現在はかつての対雁の一部は工栄町となり石狩川に沿った対雁通の南側には工場群が並び、昔の面影はない。この工栄町の世田豊平川に沿って目立たない榎本公園があり、公園内に「対雁百年碑」がある。

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 碑文から、1871年(明治4年)に宮城県からの入植者により対雁村が出来たので、1971年に対雁百年碑を建立している。さらに碑文には、この地に対雁神社があったことが記されている。石狩川治水工事のため対雁神社が解体され、そのご神体の天然石がこの碑の中に埋め込まれていることも碑文から知ることができる。対雁神社の額は残っていて、これは郷土資料館で目にすることができる。

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 それにしても「津石狩」がどうして「対雁」になったのかわからない。一方、札幌市には雁来(かりき)という地名がある。これは対雁の住人が札幌に来て村落を作ったことに由来しているようだ。この地名も最初は正しくは読めない難読地名である。

2008年07月04日

小樽市民大学講座

 昨日は小樽市民大学講座の講師を務めて来ました。会場は小樽市民センターマリンホールで、会場の玄関に一連の講座の案内が出ていました。講演の題目は「小樽の秘境と爪句」で、小樽秘境探検でご縁のできた小樽市教育委員会の関係者の選定で講演が決まった経緯があります。

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 会場の入り口で受付の準備を行っている横にブロンズ像がありました。「凝視」と作品名がついている斉藤吉郎制作のものです。受付には7月27日からの紀伊国屋書店札幌本店での爪句展の案内も配ってもらいました。

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 講義の前の講師紹介はFMおたるのパーソナリティの渡辺大輔氏で、私は舞台横で待機状態で写真を撮っています。聴衆は150名ほど居たでしょうか。道新の文化教室の札幌秘境探検講座に小樽から参加のK氏の顔を広い会場内でみつけました。どんな顔ぶれが聴いているのか、話していて認識できる時は余裕があって、余裕があると会場から笑いを誘うことができます。秘境と爪句の話は熱心に聴いてもらえました。

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2008年07月03日

画廊

 自費出版で本を出せば、出版費用を捻出するのは当然として、本の宣伝も基本的には自前で行うこととなる。そのためには本の存在を不特定多数の人に知ってもらう必要があり、本に掲載した写真の展覧会などを企画してみる。今度は、この展覧会の宣伝をする必要があり、手製の案内状をプリントして、ギャラリーの隅に置かせてもらう。以前、スケッチ展を行った「大通美術館」に案内状を置きに行ったら、今まで気がつかなかった豪華な図柄のステンドグラスが目の前にあった。

画廊隅 爪句案内 そっと置き

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画廊窓 飾る絵が負け ミスキャスト

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2008年07月02日

楡影寮閉寮記念碑

 筆者が大学の学部生の二年間住んでいた楡影寮の記念碑建立の話が2003年に持ち上がり、同年9月に閉寮二十周年記念の名目で構内に記念碑を設置した。その建立委員会の責任者でこの記念碑設置に関わったので、退職後もこの碑の前を通ると碑の周囲に雑草があると抜いたりしていた。2008年の初夏、オオハナウドの咲いている頃、雑草が目立つので掃除をと思いながら延び延びになっていた。そのうち清掃業者が掃除をしたのか、いつの間にか碑の周囲はきれいになっていた。

建立に 関わりし碑に 蕗と花

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散髪を 済ませた如く 草消えて

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2008年07月01日

 虹は、現れたのに気がついて、カメラを探しているうちに消えかかってしまう変わり身の速さがある。空を見ていないと、虹の出現が音やその他のことで知らされることはないので、虹の写真を撮ることができるのは運がよいと表現してもよい。窓の外をふと見ると、暮れかかっている東から南の空に大円弧を描いて虹が出ている。手元にあったカメラでこの虹を写真に撮るのだが、一枚には収まらない。この虹はしばらく夕暮れの空に架かっていて、そのうち薄れていった。

虹の橋 橋脚無くて 新工法

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虹の橋 ライトアップは 日の光

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