2013年09月30日
津軽海峡線津軽今別駅
JR北海道の管轄駅が青森県にあります。津軽海峡線の端駅の津軽今別駅です。この駅の駅名標に記載されている北海道側の隣駅は竜飛海底駅で、10月に入ったらこの駅の取材を予定しています。
ここまでと ここから鉄路 北海道
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- by 秘境探検隊長
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2013年09月30日
JR北海道の管轄駅が青森県にあります。津軽海峡線の端駅の津軽今別駅です。この駅の駅名標に記載されている北海道側の隣駅は竜飛海底駅で、10月に入ったらこの駅の取材を予定しています。
ここまでと ここから鉄路 北海道
タ・ソムは比較的大きな寺院遺跡である。崩壊が進んでいるようで、崩れた石材がそのまま放置されている。スポアンらしい大木の根が遺跡に覆いかぶさっている。蛇神ナーガの胴体部分も消えている。ただ、この遺跡のレリーフや彫刻には見るべきものがある。並んだ彫像の正体はよくわからないのだが、座り方が独特である。こんな風に足首を交差させて座る習慣でもあったのかと、遠い昔の風俗を垣間見る一時である。デバダー像も見つけたけれど、パノラマ写真には残せなかった。
2013年09月29日
ツリバナは 輝き控え 暗き朝
陽が隠れ、光の弱い朝である。林道にツリバナの木があって、赤い実がぶら下がっている。これは蒴果で、はじけると赤い種子が釣り下がる。朝日に照らされると赤く輝く実も、暗い朝の林の中ではその輝きを控えている。9月も終わりである。
この遺跡は池の中に祠堂が浮かんでいる。池はヒマラヤの聖なる湖アナヴァタプタを模しているといわれている。遺跡に到着した時は小雨で夕闇が迫っていて、パノラマ写真向きではなかった。遺跡の前は鍵がかかっている。管理人が近づいてきてガイドと話をして鍵を開けてくれる。帰国してガイドブックを読むと、2011年の洪水以来、崩壊の恐れがあると入口から中には入れないとある。中に入れてくれた管理人にはチップを渡す。水際に寄って小祠の中を覗くと象の彫刻が見えた。
2013年09月28日
シェムリアップの遺跡巡りをしていると、インドの神話に由来する事物の彫刻を見ることになる。「聖なる剣」の意味のプリア・カン寺院の塔門の横の塀に、神鳥ガルーダが蛇の神のナーガを踏みつけている彫刻がある。祠堂には円柱状の石リンガとそれを乗せたリンガ台がある。男根を象ったリンガはシバ神を象徴しており、リンガ台はヨニとも呼ばれ、シバの妃のドゥルガーを表している。リンガ台は遺跡の各所で目にしたが、大抵はリンガが無く、プリア・カンのものは珍しかった。
2013年09月27日
二百円 野菜の並び 寒き朝
自宅近くに、かつて梅林と農地があった。梅林が区画整理されて住宅地になった経緯で、住宅街に農地が残っている。そこで野菜が作られ、収穫されたものが台の上に乗せられ、売られている。野菜直売所の幟が寒くなった朝の陽を集めている。
花の寺院の意味のプラサット・クラヴァンは10世紀に造られ、1960年代に修復が行われた。5基の祠堂が横1列に並んでいる。中央の祠堂にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神のレリーフがある。ここは封鎖されて内に入れなかったので、東端の祠堂の内部のパノラマ撮影である。中央にリンガ台があり、人が数人入れば祠堂内は埋まって、パノラマ撮影が難しい。壁に女神のレリーフがある。リンガが無くなったリンガ台の上に木箱があった。これが何で、置かれている理由は不明であった。
2013年09月26日
川水増し 魚の泳ぎに 気合入り
朝はめっきり寒くなってきた。中の川のサケの遡上と産卵が続いている。胴体が赤くなっている雌サケを魚体の小さな雄が取り巻いている。昨日までの雨で川水が増えたせいか、サケは水に身を隠し易くなったようで、大胆な泳ぎを見せている。
シェムリアップの遺跡ツアーでは、廃墟ばかりの見学で観光客が飽きてしまわないように工夫が凝らされている。朝日や夕日と遺跡の組み合わせである。しかし、これは天気次第なので、期待外れも多々ある。ヒンヅウ卿の寺院遺跡プレ・ループの上から沈み行く夕日を見ようというメニューもあって、遺跡の最上段のテラスに登る。テラスから見下ろすと、観光客が小さく見える。この日は地平線近くに雲があり、日没時間まで待っていたけれど、夕日の顔をみることはできなかった。
2013年09月25日
中央祠堂の建築上のコンセプトは、須弥山のモデルを造ることである。須弥山は古代インドの世界観において、世界の中心にそびえる聖なる山である。この世界観はヒンズー教から仏教にも伝わり、西遊記にも登場する。急な石段を登り中央祠堂の内に入ると、寝姿の仏が安置されている。元はヒンズー教のヴィシュヌ神が祭られてあった。祠堂からの眺めはよく、祠堂の下の部分を俯瞰できる。祠堂内部の低いところに中庭のようなテラスがある。ここで行われた祭事を想像してみる。
アンコール・ワットに関する知識を仕入れて現地に立てば、中央祠堂を取り巻く第一回廊の石に彫り込まれたレリーフで足止めになるのではなかろうか。北インドを舞台にしたマハーバーラタの叙事詩などが回廊の壁に残っていて、次々と物語が展開して行く。ガイドの説明を聞くか写真を撮るかに迷いながら通過する。レリーフの人物や場面は帰国して旅行ガイドで少し分かってくる。アンコール・ワット観光はバンコクに着いてから現地の旅行会社で決めたので事前調査不足であった。
パノラマを 撮る位置無くて 単写真
2013年09月24日
アンコール・ワットは「寺院の都」といった意味である。12世紀前半に建設が始まり、その後王朝の交代で廃墟化し、再発見された。石の建築物と水を調和させていて、建物の外側は海を模した環濠が取り巻く。水の上にある参道を歩いて、先端が崩れてしまっている西塔門から境内に入る。塔からさらに参道が延び、アンコール・ワットの中央祠堂とそれを囲む塔が見えてくる。これらの建物の前に池があり、ここに建物の逆さ影が映っている。それを背景に観光客は記念撮影に忙しい。
2013年09月23日
タ・プロームはジャヤバルマン7世が母親の供養の為に建てた仏教寺院である。この遺跡を有名にしているのは、ガジュマルの一種であるスポアン(榕樹)の大木が遺跡の建造物に襲い掛かるかのような光景である。遺跡発掘の際、遺跡を破壊しないよう大木も残した結果である。長い年月をかけて、自然が育てた大木と人工の構造物がせめぎあってる。人間の営為の結果として残った遺跡に目を見張るけれど、同時に自然の力にも驚く。遺跡の方には女神と思われるレリーフが多くある。
2013年09月22日
バイヨン遺跡の北側に象のテラスと呼ばれるところがある。石造りのテラスの上に立っても、象の姿は無い。テラスの階段を下りてみると、階段の両側に象の頭部がデザインされている。テラスに向かって左側の壁には象が行進しているレリーフがある。これでこの建築物の名前に象が冠されているのを納得する。テラスは戦いに勝利した時に、王との謁見やその他の式典の行われた場所である。テラスの右側の石壁にはガルーダとシンハが合体した、ガジャシンハの彫刻が並んでいる。
2013年09月21日
産卵の 動作狙いて 案山子立ち
サケは下半身と尾びれを使って河床に卵が固定される穴を掘る。ここに産卵し周囲群がる身体の小さな陸封されたオスのサケが精子をかける。その穴掘り動作の写真を撮ろうと川岸で案山子立ちである。動作で波紋が生じサケの下半身が消える。
バイヨンとは「美しい塔」の意味を持つ石の建築物である。それまでのヒンズー教から仏教に変えて国を統治したジャバルマン7世が、アンコール・トムの王都建設でその中心に配置し、須弥山を模している。石造りの大きな観音菩薩像の顔が塔の4面にある。中心の塔の周囲に同様な塔が並んでいる。塔の内に入ってパノラマ写真撮影である。中央に穴が空いた部分はリンガ台で、こちらはヒンズー教のシバ神の化身といわれる男性性器の石像リンガが置かれたあった場所のようである。
2013年09月20日
マス尾びれ 産卵進むか 白くなり
サケが産卵のため遡上して川に留まっている。川の中のサケの確認写真を毎日撮っても面白味がない。サケの動きや周囲の物との組み合わせを撮ってみたいものだと、今朝は川岸に一輪見えるオオハンゴンソウと並んでいるところを撮影する。
シェムリアップ国際空港から向かった先はアンコール・トムの遺跡である。「アンコール」が「都」を「トム」が「大きな」を意味していると現地のガイドの説明である。堀に架かる石造りの橋から、都の入口であった南大門を見る。橋の両側には大蛇(ナーガ)を引っ張る阿修羅像が並んでいる。南大門には石の大きな顔があり、門を通り抜ける人や車を見つめている。門の中で撮影したパノラマ写真で見ると、門は吹き抜けの塔になっている。その下を各国の観光客が通り過ぎて行く。
2013年09月19日
アンコールワット観光はシェムリアップ国際空港から始まる。バンコクから同空港に飛んだ時はプロペラ機である。滑走路横に駐機した飛行機からターミナルビルまで歩く。ビル内で入国のビザが発行され、そのため予め用意した顔写真に20 USドルを支払う。ターミナルビルも簡素なもので、これといった施設もない。そこに携帯端末のシムカードを売る店が何軒かあるのがアンバランスな感じである。旅行客が観光地での通信を確保するための需要に応えるためで、これは意外であった。
2013年09月18日
パタヤーはバンコクから車で2時間程のところにあるリゾート地である。ベトナム戦争帰休兵の休養場所から観光地に発展していった街である。パタヤー湾に沿ったビーチがあり、ホテルや土産物店が並んでいる。海水は汚れているといわれているけれど、海のレジャーに興ずる人がいる。このビーチの砂浜の上にテーブルを出して食事をさせるレストランがあり、パタヤー湾に沈む夕日を見ながらのデナーは美味しさも倍加する。夕日を見ることができなかったけれど料理は美味かった。
初めての 遡上確認 秋の使者
自宅近くの中の川に、遡上する今年初めてのサケを確認する。水の中でも腹部の赤い産卵色が見える。雨のせいで川水が増水で、サケには好都合なのかもしれない。サケの遡上は続くだろうから、朝の散歩の被写体は当分サケになりそうである。
2013年09月17日
ワット・プラケオの本堂の横の石造りのテラス上に三つの建築物が並んでいる。金色に輝く仏舎利塔、仏教の経典を収めたプラ・モンドップ、王室専用御堂のプラーサート・プラ・テープビドーンである。その建物の間に寄って、建物を見上げるようにしてパノラマ写真を撮る。手の込んだ装飾の柱が天に向かって伸びており、壮観である。ワットへの出入り口のところに大きなヤックの対の像が王宮を護るために置かれている。ヤックは鬼であり、ヒンズー教ではヤークシャと呼ばれる。
2013年09月16日
ワット・プラケオは王宮の建物と並びバンコク第一級の見所である。予備知識を持たずにこの場所を訪れると、後で写真を見てもどこか判別できない。パノラマ写真合成で周囲の状況を把握して、ワット・プラケオ本堂の背面を確認する。本堂の背面では獅子がきらびやかに装飾された本堂内の仏を護っている。本堂を取り囲むように四阿があり、女子生徒が並んで座っている。女子生徒が集団で経を唱え出す。ご詠歌の感じである。一つの四阿が終われば次とリレー式につながっていく。
2013年09月15日
バンコク市内を蛇行してチャオプラヤー川が流れている。このため、川の両岸を行き来する渡し舟が市民の足となる。料金は3バーツ程で、日本円で10円くらいである。揺れる渡し舟の上でパノラマ写真を撮ったのは初めてで、帰国してからの張り合わせ処理に苦労する。人の往来する船着場には屋台が出ている。マッサージの看板もあり、ポンチ絵が面白い。ワット・ポーお墨付きのマッサージらしく、絵を見ると、かなり痛そうなものと、気持ちのよさそうなものの両方があるようだ。
2013年09月14日
バンコクで宿泊したホテル・サイアムスクエアーの付近を朝の散歩である。通勤や通学で混み合う高架の歩道から地上に降り、大きな寺の境内に入ってみる。帰国後調べてワット・パトゥムワン・ナーラームと知る。観光地の寺は観光客がひきも切らないところ、街の中の寺はイベントの無い朝は人影が少ない。境内には祈りと瞑想の場が設けられていて、地に座わり椅子に腰を下ろす人を見かける。西洋の屋根付きの教会の代りに、空の下がそのまま祈り祈りと瞑想の場になっている。
2013年09月13日
ラーマ1世が本堂を建立したワット・ポーは王室の寺である。堂内の巨大な寝釈迦仏が訪れる観光客を圧倒する。全長46 m、高さ15 mの大きさで普通の写真には収まらず、パノラマ写真の出番である。しかし、仏像の見える狭い場所には観光客が鈴生り状態で、パノラマ写真に写り込んでくる。これらの人物を消して行く作業が難しい。観光客の少ない場所を選ぶと仏像の背面になり、仏の顔が写らない。ワット・ポーはタイ式マッサージの総本山でもあり、境内で施術が行われている。
2013年09月12日
バンコク市内を蛇行しながら流れるチャオプラヤー川の西岸に、暁の寺と呼ばれるワット・アルンがある。元々はヒンズー教の寺で、陶器を砕いて嵌め込んだ高い仏塔が並んでいる。中央の仏塔は高さが75 mもあり、手すりを頼りに仏塔の急な石段を登る。登ることのできる最上段から見下ろす境内やチャオプラヤー川の景観はすばらしい。ここでパノラマ写真撮影で、階段を見下ろすように撮影しようとする。しかし、石段を背にしての撮影時に石段から落ちる恐怖があって撮影が進まない。
2013年09月11日
2013年09月10日
2013年09月09日
2013年09月08日
2013年09月07日
2013年09月06日
2013年09月05日
秘境駅 逆手に取りて 生き残り
単式ホーム1面に1線の駅で、車掌車改造駅舎がホームに接してある。駅訪問時には駅舎の壁は錆びついていたけれど、その後秘境駅としての観光資源活用も視野に入れて塗装がなされ新しい外観となった。自治体維持管理駅で存続の方向にある。
2013年09月04日
2013年09月03日
広々と 椅子が並びて 跨線橋
有人駅でそれなりの規模の駅である。単式と島式の2面のホームに3線を有し、ホーム間に跨線橋がある。跨線橋は通路の狭い感じのするものが一般的である。これに対してこの駅の跨線橋は広く、椅子も設置されていて、駅舎の一部ようである。
2013年09月02日
2013年09月01日