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2016年04月26日

札幌競馬場に駅の出自がある桑園駅

 路線上では、札沼線は桑園駅と新十津川駅の区間であるが、全ての列車は札幌駅が始発となり、桑園駅は分岐駅である。桑園駅の出自は札幌競馬場にあり、競馬場の開催日に限り北五条仮乗降場が設けられ、これが後に駅に昇格した。高架駅で地上からホームに出る2階部分の階段通路のところに競走馬の大きなステンドグラスがあるのは、駅の成り立ちと現在も競馬場が駅近くにある事を物語っている。ホームは2面4線で、大きな屋根がホームを覆っている。競馬場の建物が見える辺りで函館本線と札沼線(学園都市線)が分岐する。(2012.1.21 撮影)

競走馬 駅の出自を 物語り


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高架駅 線路下(か)見えて 大都会


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2015年05月01日

冬の百合が原駅外観

 冬の百合が原駅の外観。


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2013年06月30日

大学の付属施設のような北海道医療大学駅

利用客 見えぬ駅舎に 我が愛車

 JR北海道の駅舎はあっても、駅名が示すようにここは北海道医療大学の付属の駅の観がある。乗降客もほとんど学生や大学関係者である。客は大学の建屋に直結する立派な通路を利用するので、駅舎に利用客は見当たらない。(2012・9)


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列車交換のある石狩月形駅

駅員の 監視の目あり 線路脇

 札沼線は桑園から北海道医療大学駅までは学園都市線の線路名があるように、学生や大学関係者の利用客が多い。しかし、石狩金沢から終点新十津川までは利用客は少なく、この区間で列車交換の出来る石狩月形駅で写真撮影である。(2012・9)


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2013年06月29日

難読名の晩生内駅(札沼線)

行く夏や 難読駅を 訪ねけり

 この駅名を最初に目にすると、精々「ばんせいない」ぐらいしか読みが思いつかない。読みは「おそきない」である。三角巾の屋根を乗せた駅舎は、この路線の古い駅舎に共通のスタイルである。空の雲は夏も終わりを告げている。(2012・9)


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2013年06月19日

ST301園児が歓迎する新十津川駅

予想せぬ 歓迎太鼓 駅園児

 札沼線の終着駅新十津川駅では始発になる列車を降りると、園児たちが太鼓と踊りで迎えてくれる。駅に隣接する空知中央病院の保育所の園児たちである。これは予想もしなかった歓迎で、パノラマ写真撮影に熱が入る。(2012・9)



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2010年03月19日

洒落た建物に同居する浦臼駅

 浦臼町は農業の町で、畑地が広がり、駅周辺の軟石の倉庫は農産物の貯蔵のためのものなのだろう。農業の町でも、浦臼の地名は川から来ていて、アイヌ語のウラ・ウシ・ナイ(簗(やな)のある川)に漢字を当てはめたとの説がある。無人の浦臼駅は、町が建てた「ふれあいステーション」に同居している。この建物は木造で、一部レンガタイル張りで、洒落ている。雪に覆われた線路は、浦臼の集落を貫き、ほぼ南北に真っ直ぐに伸びている。

無人駅 洒落た建屋の 店子なり

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南には 薄い日のあり 線路延び

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2010年03月18日

本格駅舎の下徳富駅

 地図で札沼線を見ていると、下徳富駅と新十津川駅の間に中徳富駅を見つけた。しかし、実際には下徳富駅の次は終点の新十津川駅である。地図の発行年を見ると2006年で、この年に中徳富駅は廃止され、下徳富駅が札沼線の終着駅の一つ手前の駅になっている。無人駅になっているこの駅舎は、かつて盛んに利用されただろう面影を残し、小屋のような待合所が続く札沼線の他の駅とは、駅舎の点で違っている。プラットホームのバックミラーには、一両のワンマン列車が映っている。

無人でも 本格駅舎 下徳富

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鏡中に 客姿無く 下徳富

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南下徳富駅

 新十津川町を流れて石狩川と合流する川に徳富(とっぷ)川がある。合流地点辺りがアイヌ語でトック・プトと呼ばれ、トックは突起物、プトは川の入り口を意味しており、徳富はこれに由来する説明を読んだ。南下徳富駅の待合所は道路の横に、プラットホームの端にある。下見板の木造の建物は、農作業用の小屋のように見える。新十津川町では、札沼線は水田や畑の中に延び、車窓からは一面に広がる雪原の中に点々と農家が見えている。

木のデッキ 端に赤屋根 待合所

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雪原に 人家点々 徳富の地

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2010年03月17日

雪野原にある於札内(おさつない)駅

 駅名の地名はアイヌ語のオ・サツ・ナイからで、意味は川尻が乾く川とのことである。於札内をはじめ、札沼線沿いの地名は、川に関するアイヌ語に漢字を当てはめたものが多い。雪の季節には、この駅に通じる自動車道が閉鎖され、駅までは徒歩しかない。冬には、この駅の利用者は皆無ではなかろうか。プラットホームに接して待合室があり、その横に駅名標がある。駅名標には学園都市線と表記されている。待合室の壁に、錆付いた鉄板の国鉄時代の駅名標が取り付けられてあった。

雪野原 どこを通るか 徒歩の客

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新旧の 駅名標が 並びおり

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物置小屋風の待合所の鶴沼駅

 駅に乗降客が居ないと、列車は駅に着くとすぐに出発するので、駅舎が上手い具合に収まった写真を撮るのが難しい。待合所の付近に雪山があったりすると、小屋のような待合所なら雪山に隠れてしまった写真しか撮れないことがある。鶴沼駅の待合所を正面に見て撮った写真では、これは物置小屋である。この待合所の傍には浦臼町役場鶴沼改善センターの立派な建物があるとのことだが、列車から離れる訳にはいかないので、見てはいない。

停車位置 雪山隠す 待合所

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正面は 物置小屋の 駅施設

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坂本竜馬家の墓のある札的(さってき)の地

 札的の地名は、アイヌ語のサッテク・ナイ(やせる川)が基になっている。札的駅の待合所は外壁がモルタル仕上げで、待合所からプラットホームには鉄板が渡され、客はここを通る。浦臼町の札的墓地には坂本竜馬家の墓があり、坂本竜馬の養嗣子・直の妻の留と次男直衛の墓がある。これは坂本直の死後、浦臼に入植していた竜馬の甥の坂本直寛を頼って、留と直衛が浦臼に来たことによる。地名の札的が、歴史的人物と結びついている。

列車待ち 鉄板渡り 客となり

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札的は 坂本竜馬家 墓のあり

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2010年03月16日

雪に埋もれた札比内(さっぴない)駅

 札比内とは、アイヌ語のサッ・ピ・ナイで、意味は「乾いた石ころだらけの川」である。地図を見ると、札比内駅の両側に川が流れていて、線路を横切ってそれぞれ石狩川に流れ込む。北側にある川が札比内川で南側が中小屋川となっている。石狩川に沿って、西側に札沼線、東側に函館本線が走っている。札比内駅は雪に埋まった感じで、駅名の表札が積雪の上に顔を出すようにあった。駅舎は晩生内駅舎と左右が逆の、同じ造りの建物である。

駅名が 雪上顔出し 札比内

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札比内 駅舎兄弟 晩生内

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道道の起点傍の知来乙(ちらいおつ)駅

 道道11号は月形熱田線の名前の通り、月形町から石狩市厚田区までを結ぶ。その起点はこの駅横の国道275号で、終点は厚田区の国道231号への接続点である。国道脇にぽつんとある待合所の壁に「チカン・変質者に注意」の看板が見える。しかし、チカンもチカンの被害者もこの待合所に居合わせることがあるのかという疑問も湧いてくる。駅の線路の前方に、道道11号が線路を横切る踏切が見える。なお、知来乙はアイヌ語チライ・オッでイトウが沢山居る所の意味である。

待合所 横に道道 起点あり

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踏切を 道道横切り 知来乙

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2010年03月15日

梟の見張る月ヶ岡駅

 月ヶ岡駅は雪の壁の向こうにある。ログハウスの駅で、梟の飾りが目を惹いた。梟は当別町が制定した町の鳥で、あちらこちらに顔を出す。当別町を貫いて、札沼線の西側を走る道道28号の一部はふくろう街道と名づけられている。雪が消えると、この駅舎は野菜の直売所にもなるとのことである。雪で覆われたプラットホームに、列車の運転用のバックミラーがあって、ワンマン列車の運転手がホームの状態を監視できるようになっている。

梟(ふくろう)が 駅舎を見張り 町の鳥

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バックミラー 映る客あり 月ヶ岡

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雪の中で鉄錆びを見せる中小屋駅

 石狩金沢駅、本中小屋駅に続いて中小屋駅の待合所も廃貨車を再利用している。これらの3駅のうち、中小屋駅のものが一番錆びが目に付く。線路が無ければ、この待合所は、廃車になった貨車が置かれているだけにしか見えない。この錆びでは、中小屋に鉄小屋と洒落ても、洒落の雰囲気から遠い。札沼線は国道275号と並んでいて、国道沿いに集落がある。本中小屋から中小屋の間に車窓から見た集落には、お寺もあって雪に埋もれていた。

中小屋は 錆びた鉄小屋 雪の中

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車窓見る 寺も人家も 雪埋もれ

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2010年03月14日

名所案内のある本中小屋駅

 中小屋駅の待合所も廃貨車の再利用である。出来立ての頃はペンキも鮮やかだったろうに、その後ペンキ塗りも行われず放っておかれているようで、ペンキも薄れ、貨車に錆が浮いてきている。何もないプラットホームに名所案内板が立っている。この地の名所は中小屋温泉と中小屋スキー場である。温泉の方は1904(明治37)年開湯というから、道内では老舗の温泉に入るだろう。スキー場の方は当別町営で、駅から歩いて行ける距離にある。

貨車駅は 錆の浮き出て 年季物

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名所あり ホームに立って 案内板

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2010年03月13日

廃貨車利用の石狩金沢駅

 札沼線が学園都市線と呼ばれ、大都市近郊の路線の名目を保っているのは、この駅の札幌方向の隣駅の北海道医療大学駅までである。札沼線の終着の駅新十津川には、一日3往復しかない札沼線の名残の路線は、この駅から始まるといってもよい。駅舎は廃貨車を利用している。申し訳程度のプラットホームに利用客の足跡が残る。足跡は一人分で、このまま当分足跡が残りそうである。車窓に流れるこの辺りの雪景色には集落も写っていて、そこに住む人が利用しているのだろう。

貨車駅舎 雪の踏み跡 残りおり

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雪原に 人家まばらで 列車行き

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2010年03月10日

秘境駅に仲間入りの豊ヶ岡(とよがおか)駅

 駅の分類に、秘境駅というのがある。駅の周囲の景観や駅の雰囲気のような主観的評価と、列車や車で行く場合の難易度のような客観的なものを総合して決めるらしい。全国の秘境駅の順位付のあるサイトで、豊ヶ岡駅は二十位あたりにランクされているのをネットで見つけた。雪の季節に列車で通過しただけの豊ヶ岡駅の駅舎は、線路から少し離れたところにあった。葉の落ちて見通しの良くなった鉄道林のなかに、物置小屋風の駅舎が建っていて、これが秘境の駅かという感じである。

駅周り 鉄道林の 透けて見え

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小屋駅舎 秘境の駅で 豊ヶ岡

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2010年02月21日

難読の駅名の晩生内駅

 時刻表には駅名が漢字表記されている。ばんせいない、ばんしょうない、ばんきない、と試してみて、駅が現れてひらがな表示の駅名を見ると「おそきない」になっている。この駅名はアイヌ語の「オ・ショキ・ナイ」に漢字を当てはめていて、意味は川尻が高くなっている川、だそうである。難読に対応するためか、無人の駅舎に駅名のひらがなの看板が二枚も掲げられている。プラットホームがあっても、客が乗降する光景が想像できない。

読み方を 幾度も試し 晩生内(おそきない)

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雪ホーム 想像し難き 客姿

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2010年02月20日

人道橋のある北海道医療大学駅

 この駅を利用する客は、駅名の大学の教職員や学生が主である。駅舎は一応あるけれど、ガランとした倉庫風である。駅舎前の広場の道は氷状になっていて、歩くのが困難であった。プラットホームから大学の校舎は人道橋でつながっていて、学生達はこちらを利用する。人道橋から大学の校舎に入るところにコンビニやATMコーナーがあり、街角風である。この駅から先の、新十津川行きの利用客は極端に少なくなり、一日3往復程度となる。

この駅舎 使う人無く 滑る道

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駅舎より 人道橋が 主役なり

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2010年02月19日

花名駅の百合が原駅

 この駅の出生が、1986年の「さっぽろ花と緑の博覧会」の臨時駅であったので、それが駅のある場所を決めている。博覧会会場で、現在は百合が原公園になって公園近くに駅がある。無人駅で、雪の季節に訪れると、跨線橋につながった駅舎が、雪で埋まった道路脇にある。プラットホームに出てみると、学園都市線の線路が雪景色の中に延びている。列車を待つ人のいないプラットホームは、雪の季節には花を連想させるものもなく、花の駅名でも、花とは無縁の景色が広がっている。

線路沿い 雪の道のみ 百合が原

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花の駅 プラットホームは 雪世界

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2009年02月01日

難読の駅名-晩生内駅

 時刻表には駅名が漢字表記されている。ばんせいない、ばんしょうない、ばんきない、と試してみて、駅が現れてひらがな表示の駅名をみると「おそきない」になっている。駅舎は雪にかこまれて人影はなかった。

読み方を 幾度も試し 晩生内(おそきない)

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札沼線の終着駅-新十津川駅

 札沼線は名前の通り、かつては札幌と留萌本線の石狩沼田をつないでいた。戦争中に、国内の金属資源をかき集めることが線路にも及んだことや、戦後は函館本線に利用が移ったこともあって、新十津川と石狩沼田間は廃線となった。現在の札沼線の終着駅は新十津川駅となっている。ワンマン列車に乗ってこの終端駅に降りると、進行方向の線路は雪に埋まっていて、その先には線路はないのだろう。無人駅で、利用客も極めて少ないところ、駅舎には歓迎の看板が掲げられていた。

この先は 線路の消えて 新十津川

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ようこその 文字の迎える 終着駅

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2009年01月29日

ステンドグラスのある当別駅舎

 当別駅舎はデザインに優れている。改札機前のコンコースには当別の歴史や自然、生活をテーマにしたステンドグラスやブロンズ像が配置されている。ステンドグラスの方は具体的な絵柄になっていて、例えば、「歴史」では当別開拓を行った伊達家の別邸がデザインされているので、鍬を持つ人々は伊達邦直に率いられた家臣団なのだろう。ステンドグラスの横に、同じテーマで玉を抱いてしゃがんでいる女性の像があるけれど、意味は不明である。

開拓は 絵に現れる 伊達家臣

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駅舎内 玉を抱いて 歴史なり

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2009年01月25日

雪の日の石狩太美駅

 時計塔のある石狩太美駅舎を見るため途中下車する。跨線橋の上から見る景色は雪の白一色である。札沼線で札幌市から当別町に入った最初の駅で、札幌市方向に伸びる線路の先は雪で霞んでいる。無人駅の駅舎は小さいながらも外観は洒落ている。しかし、雪の日には駅舎に歩いてくる客は見当たらず、車が駅前に横付けされて、利用客が駅舎に来る。10時になると店員が出勤して来て、駅舎内にあるロイズのチョコレート店が店開きである。

列車待つ ホーム雪のみ 無人駅

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雪の日は 歩く人無く 駅舎前

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2009年01月22日

百合が原駅

 1986年に開かれた「さっぽろ花と緑の博覧会」に合わせて臨時駅として設けられ、現在は無人駅である。博覧会の目玉の展示が世界の百合展であったので、博覧会後に会場は百合が原公園に衣替えしていて、駅の東側は百合が原地区となっている。学園都市線に沿って雪道を歩いていくと、跨線橋に「百合が原」の文字があるのを見つける。花の名前がある駅舎には自動券売機や改札機があるだけで、この季節、飾られている花はなかった。

見つけたり 百合が原文字 跨線橋

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この季節 駅舎に花なく 花名駅

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2009年01月18日

太平駅

 この駅のある地域は太平と呼ばれていて、プレハブのような駅舎にこの名前がある。どうしてこの地が太平と呼ばれるようになったのか、インターネットで探しても見つからない。昔、太平山信仰があって、石に文字を記して安置することが行われていたようである。この地にもそのような名残があって、太平の名前が地名になったのかと推測してみるけれど、まったくの推測である。この駅は無人駅で、自動改札機がある。西の方向に線路が延びる先には、雪化粧の手稲山が遠望できる。

この地名 信仰からか 太平山

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西見れば 線路の彼方 手稲山

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昔の駅舎の篠路駅

 札幌の都市化の波は、農地の広がっていた篠路にも及んで、住宅地や団地が広がっている。篠路駅の東側には旧琴似川が線路と並行に流れていて、東側が古い篠路の町である。しかし、東側にある駅舎はかなり年代物のようで、都市化の波はこの駅舎を素通りしている。線路の西側は駅前の再開発や団地の造成が進められ、高層アパートも建設されている。西側から駅構内には、自動改札機が設置されているところから入り、団地の住人はこの小屋のような駅舎を利用することになる。

都市化波 駅舎素通り 篠路駅

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収札の 小屋を過ぎれば 団地なり

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2009年01月10日

泥炭地だった新琴似駅

 1970年代の初め頃、この駅からそれほど離れていないところのアパートに住んでいた。泥炭地に線路が敷設されていて、列車が通るたびにアパートに振動が伝わってきた。駅舎も小さなものであった記憶がある。新琴似地区の都市化に合わせて札沼線の高架工事が進み、2000年には新駅舎ができている。東側の駅前広場にレンガのモニュメントがある。これは線路の複線高架化によって取り壊された新琴似農協倉庫に使用されていたレンガを用いていて、レンガの記憶を留めている。

泥炭地 生まれ変わりて 高架駅

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倉庫跡 レンガの記憶 留めたり

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2009年01月09日

洒落たあいの里公園駅

 あいの里は、篠路町拓北の札沼線沿線で開発が進められたニュータウンに冠された名前である。明治時代にこの辺りでは藍の栽培が行われていたので、この「あい」に愛の文字をダブらせて付けられた愛称である。駅の方は無人駅で、駅舎内には簡易自動改札機と簡易自動券売機があるだけで、見るべきものがない。しかし、駅舎の外見は洒落ていて、中央にミニドームと赤い時計が見える。一部レンガの壁が緩やかに湾曲していて、青空の広がる雪景色の中で、外国風の建物に見える。

開発史 藍と愛かけ 駅名に

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見せ所 ドームにレンガ 無人駅

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