2008年03月31日
2008年03月30日
四月からの仕事
季節労働者のように、春が来ると三ヶ月の仕事にありつきます。札幌市内と近郊のツアーコンダクター役です。このツアー2時間歩いて無料の秘境スポットを見学しなければならないので、コンダクターとしては2時間でどのくらいの道のりを歩けるか、そこに行って見て面白いものがあるか、の下調べが欠かせません。
雪が解けたら円山の頂上までは時間内に行けるだろうかと、円山の大師堂の辺りまで足を運びましたが、遊歩道はまだ雪に埋まっていて、上までゆくのはあきらめました。私の方は雪の山道を行くような格好はしていませんでしたので。
それにしても並んだお地蔵さんは立派な防寒コートを羽織っていたり、稲荷までマフラーを身に着けているファッション・ロードでは、私の身なりが貧相に見えたかもしれません。当節、山歩きでも身なりを整えなければ、地蔵や稲荷に肩身の狭い思いをすることになるとは思いもしませんでした。
我よりも 良き防寒具 地蔵着て
2008年03月29日
豆本のサイズ
豆本爪句集「爪句@札幌の花と木と家」が届きました。豆本のサイズを示すためにA4判の本(「ワンワンの会社勤務③」)の上に乗せて写真を撮ってみます。面積にしてA4の1/6です。
来週の後半には札幌の主要書店には並ぶ予定ですが、本が小さいのであまり目立たないかも知れません。本屋に行くのも面倒であるけれど、それでも欲しいという方(まずは居られないとは思いますが)は私宛メールをいただければ郵送します。本代は400円です。付録に「ワンワンの会社勤務③」をつけます(こちらは無料です)。
400円で豆本とオールカラーの立派なA4判の本が付録でついて(こちらの定価は1000円)郵送代もいらないらしい、というのは一見本を入手するのにバリアーが低そうにみえますが、これは意外と高いバリアーであることと承知しています。
それは、ネットの世界の最大の利点、匿名性を破ることになるからです。自分の住所を相手に教えてしまう。この本に興味があるという趣味性にかかわる点を、事もあろうに著者に知られてしまう。立場を逆転してみれと、自分なら本屋に出向いて、気にいればそこで買うだけです。
という状況を承知していながら、何でわざわざここに本を郵送します、と書くかというと、まあ私の天邪鬼の部分が顔を出している、といったところでしょうか。ネットの世界は見えない相手なので、ブラックホールのような相手に対して、ちょっと悪態をついてみたくなる時があります m(_ _)m
2008年03月28日
クラークは 門出の記念 被写体に
2008年03月27日
人魚姫 逃げ出さぬよう ビルの枠
2008年03月26日
科学する 心育てと 絵に込めて
2008年03月25日
豆本考
札幌市中央図書館の特別展示の「本のすがた展」というのがあり、さらっと見たのですが、本のバリエーションというテーマで豆本の展示がありました。中央図書館所蔵の豆本のいくつかが並べられていました。更科源蔵著「腹鼓」も見えます。
豆本は個人の趣味で作られる「きこう本」の性格があり、市場性(それなりの数の読者が購入するといった意味)はもともと考えていない本のようです。したがって、自作の俳句などを手作りで本の形にするようなものが豆本の姿になっています。
ルーペが添えらて展示されている豆本は川柳の句集でした。販売するというよりは贈呈に多く回った本ではないかと思われます。
爪句集の豆本はある程度の市場性を意図しています。自費出版本ではありますが、本屋の店頭に並べてもらって、それなりの数売れる本を目標にしています。シリーズ本にしていて、この豆本を世間にある程度認知してもらう点も考えています。
そのため、手にとってめくりたくなり、めくれば購買心が出てきて、購買行動に移るときのバリアーを低くするため値段を安く抑える、などの事を考えます。
ただ、市場性の最大のもの、経済活動が利益を生む点が克服できないでいます。自費出版本は最初から市場性を無視する行動と定義されてもよいぐらいですから、この点の矛盾がいつでも顔を出します。
ともあれ、近々出版予定の豆本爪句集2集目がそれなり売れるとよいな、と思っています。それがこのシリーズの3巻目に進む活動源でもあります。
2008年03月24日
福寿草 春告げ花の 一番手
福寿草が咲くにはまだ1カ月ほど早いのですが、今週出版予定の「爪句@札幌の花と木と家」から
の福寿草の部分を掲載します。「春の花」の章に組み入れています。春になり身近で見る花が色々あるものだ、とこの爪句集の編集で感じています。
キンポウゲ科の多年草でガンジツソウ(元日草)とも呼ばれている。北海道では四月の半ば頃から雪が解け、雪の下にあった落ち葉の布団を持ち上げるようにして咲き出す。黄色い花びらはコーティングした紙を切り抜いて作ったようにピカピカに輝いて見えることがある。それは金属に近い感じがして、花びらで日光を受けている様子はソーラーパネルを開いて太陽エネルギーを受けているのを連想する。福寿草の名前に反して、毒を含む花なのは意外である。
福寿草 日光受け取る ソーラーパネル
2008年03月23日
外は雪 飛び立つ花に 子らの蝶
新聞に上江別小学校の玄関ホール設置されたステンドガラスの記事が写真付きで載っている。制作者は江別在住のステンドグラス作家の石戸谷準氏である。かつての夕張線の跡地の道路近くにある同校で、セロファンに色つけした生徒らの蝶々に囲まれてこの作品があった。同氏の作品は札幌の平岸高台小学校と平岸中学校の「のぞみ分校」のホールにもあり、「太陽の子供たち」と題されている。原画は安田律子氏によるもので、分校の生徒たちが望みを託されて、太陽の下で遊んでいる。
太陽の 下(もと)に望みの 子らの居て
2008年03月22日
シンボルの 二筋の川 地図で見て
都市のデザインというテーマで爪句集を準備中で、サブテーマとして「カントリーサイン&シンボルマーク」を考えている。シンボルマークは札幌市の10区全部を探しだそうとしていて、「全部」というところが足かせになっている。どこの道路にシンボルマークがあるかは車で幹線道路を走ってみなければ分らない。シンボルマークに気をとられて自動車事故にでも遭遇するか、パトカーにでもつかまったら馬鹿馬鹿しいことおびただしい。とは思いながら、どこぞにシンボルマークはないかと雪が解けて来た札幌市内を走りまわっている。
マークの左側は厚別の区の形と区内に流れる二つの川をデザイン化していて、この二筋の川がどの川なのか地図で見る。厚別川は白石区側に組み込まれているので、野津幌川と小野幌川なのだろうか。右側の鳥は特定の鳥ではない。
2008年03月21日
洋獣で ノアの箱舟 阿吽(あうん)像
2008年03月20日
シンプルに 親子の背後 ポプラの木
爪句集の第3集目にはカントリーサインとシンボルマークの章を考えています。シンボルマークとしては札幌市の区のマークを、と10区全部を写真に撮ろうとして苦戦中です。どこにシンボルマークがあるのか分らない上に、あったとしても車を止めるのが難しい、日光の加減で良い写真がとれない、等々です。西区のシンボルマークについては思い出があって、ず~と昔、区民にこのマークの募集があったとき、デザインを考えて応募したことがあります。当然ながらふるい落とされていますが、考えているのは面白かった。
中国の瀋陽市の大きなデパートで、店のロゴを設定したい、といった話が総経理からあって、このデパートのロゴを考えたこともありました。これも当然というべきか採用もされずうやむやになってしまいました。1988年に出版した自費出版本「中国電脳世界」(中国語対訳付き)にそこら辺の事情を書いています。もう20年も昔の話です。
区のシンボルマークを効率良く収集できるのではないかと、区の境の集まる場所に出向いたら、3区が一緒になった表示版を見つけました。3区の漢字を全部読み込んだ爪句を考えましたが、意味の通じるものを作るのがなかなか難しいところでした。
石白く 清流平ら 豊かな田
2008年03月19日
誠の旗 永倉新八 名を留め
2008年03月18日
雪来たり これ楽しきや 北の友
北大創基125周年を記念して2001年に建てられた施設で、施設名は「遠友夜学校」に由来している。この学校は札幌農学校の二期生の新渡戸稲造とメリー夫人の私財で始められ、学業に就けなかった若者達を対象にした夜学校であった。1894年(明治27年)に始まり、北大生もボランティアで先生役を務めた。「遠友」は論語の「友遠方より来る、また楽しからずや」から採られている。現在の施設は、学生や市民を対象にした講座が開かれているようで、雪が遠来の友のように見える。
名の由来 夜学から来て 灯の点り
2008年03月17日
目が有りて 獣(けもの)顔かと 舟の先
建物の壁には目とか羊や馬の頭部が加えられている。設計者の意図は分らず、見る側があれこれ推測するしかない。建物は「ノアの箱舟」と名づけられていて、舳先(へさき)に目があるのは、海原を見通して航海の安全を確保しようとするためだ、との解釈も出てくる。羊頭が岩舟の腹の部分にあって、こちらは船の喫水線か。しかし、強いて解釈をつける必要もなく、建物のインパクトを高めているだけである、というところだろう。近代的ビルを背景に、この建物は異空間を醸し出している。
羊頭は 喫水線か 船の腹
2008年03月16日
開拓使 威光の殖産 五稜星
2008年03月15日
リニューアル 鎌田志ちやは 貸しギャラリー
質草が焼失しないように質屋は石造りやレンガ造りの倉庫を持っていた。1924年(大正13年)に質屋として建てられた鎌田志ちやの建物もそのようなものの一つで、国道230号線(石山通)の南十条で少し東側に入り込んだところにある。母屋は平屋の古い木造で、ここがレンガギャラリーであるとは、玄関先に置かれた看板がなければ見つけるに手間取る。玄関に続く部屋は喫茶店に改造されていて、さらに奥まったところにある倉庫はレンガ壁のギャラリーで作品が展示されていた。
質草を 保管し倉庫 今画廊
2008年03月14日
コメントに応えて
先の投稿に反響があるようなので、ちょっと書いておきます。前の写真ですとキャラクターの目だけで、口を隠すと表情の情報が不足します。そこでキャラクターの表情を想像するとき、自分の表情で補っているような気がします。自分が和田平助氏(この隠語わかりますね)なら口元はそのような表情を思い浮かべますし、石部金吉氏なら口元はへの字になっているかも知れません。
「秘すれば華」の芸術の境地とはここら辺にあるかも知れない(なんていう芸術論をぶって和田平助氏ではないのだと強調しようとします)。
もうすこし状況をはっきりさせた写真を載せておくと掲載のようなものです。こちらになるとキャラクターの表情は「わ~い」という感じで、爪句にすると
ともだっち 裸婦見喜ぶ テレビ局
ぐらいになりますか。本当は芸術性の高い写真を撮っているつもりなのですが、無名氏のコメントを読んで蛇足の投稿です。
2008年03月13日
爪句集-建物とパノラマ
爪句集の2集目はこの章立てで最後です。10章あり各章10テーマで全体では100テーマにしてあります。100テーマですと爪句は200句になります。現在最終校正段階で、それが終わると印刷・製本でその後の難問、販売が控えています。
自費出版本で札幌の書店に並べてもらって、2年近く経って清算する段階で2冊しか売れなかった本もあります。千冊刷ってたったの2冊です。無駄な努力の見本みたいなものです。でも一方で何千冊か売れる本もある。その差は何かについて考察すると長くなるのですが、結論的にいえば「他人は自分ではない」という辺りの考えにまとめることができます。後は気分の向いたときにでも書きます(ここら辺も「他人は自分ではない」の例かもしれません)。
2008年03月12日
浮き出たり 記念テレカに 時計台
2008年03月11日
子供らの 力作残り 自転車道
2008年に愛称名が「陽だまりロード」に決まったサイクリングロードは、厚別区で大きな道路の下をくぐり、その部分はトンネルである。このトンネル部分にモザイク・タイルの絵を、2005年に共栄小学校の生徒らが参加して作りあげた。2007年には北星学園大学の学生らが参加して、国道274号線の下にある「しらかばトンネル」の片側に、原田ミドー氏の指導でタイル絵を完成させている。自転車道が旧千歳線跡地に造られてこともあり、絵の中にはSL列車が描かれている。
千歳線 線路の記憶 タイル絵に
2008年03月10日
シルエット 増す構内に 灯(ひ)の点り
2008年03月09日
幌平の 雪の橋上 サーモン・リバー
2008年03月08日
爪句集ー古い家
爪句集の2集目の校正も第二校まで進みました。ただ、校正は著者がいくらやっていても肝心なところに目が届かないことがあります。著者が思い込みで書いていて、実際はそうではない事柄は、何度読んだところで校正にはひっかりません。世の中もそうで、自分の意見だけが通る組織(例えばワンマン社長)で校正役がいないと、世の中に出して初めて間違った点を指摘されて、後の祭り(倒産とか)になってしまいます。ただ、校正役はあくまでも校正するだけで、著者と校正者が同一の場合を除くと、校正者が本を書く訳ではない点が役回りとしては損との思いも出てきそうです。
2008年03月07日
ペット熱 わんにゃんパークの ビルありて
2008年03月06日
雪ありて 歩く人のみ 虹の橋
旧国鉄千歳線の跡地を利用したサイクリングロードが厚別川を横切るところに「虹の橋」と命名された橋が架かっている。橋の名前は市民からの応募によって決められた。白石サイクリングロードの名前も市民が提案した陽だまりロードに変った。雪の季節には自転車の姿はなく、この橋を通る人は皆徒歩である。橋げたには円形の飾りが並んでいて、自転車の車輪をイメージさせるようでもある。橋の上から下をみると、雪で埋まった河川敷に水面を見せて流れる厚別川があった。(今日の朝刊に市民から募集した白石サイクリングロードの愛称として「陽だまりロード」が決まったとの記事を見ました。)
橋に雪 厚別川の 流れ見え
2008年03月05日
旧肥田陶管工場
JR函館本線に沿って、野幌駅から江別駅方向に少し行くと江別の窯業の歴史的工場跡が現れる。レンガ造りの建物で、これまたレンガ積みの煙突も残っている。建物は1941年に創業した肥田陶管(当時)の工場で、1951年から1953年にかけて造られている。会社の「ヒダ」(旧肥田陶管)が1998年に自主廃業して使われなくなった工場を、江別の窯業を代表する歴史的産業遺跡ということで、江別市が土地と建物を買い取っている。
この工場跡を有効利用しようということで、2004年に江別市と姉妹都市関係にある米国オレゴン州グレシャム市のアンテナショップを工場跡に設けてる。喫茶店にもなっている店内には、札幌学院大学電子ビジネスセンターが開発した自動翻訳ソフトでグレシャム市のホームページが日本語で閲覧できるPCが並んでいた。しかし、PCの前に座っている人は居なかった。グレシャム市のHPを見るだけなら、自宅で自分のPCを使って、英語もインターネットの翻訳システムを利用すればよく、喫茶を目的で入店してこのシステムを動かしてみる人はほとんどいないのではないか、という印象だった。
アンテナショップ以外の工場内には一般の人は入れないところ、喫茶店の係りの人に江別の取材と言ってみたら、特別内部の工場跡を見せてくれた。レンガを焼いた炉や土の整形に用いられて思われるプレス機が手入れもされずに放置されていた。陶管の工場だった名残で、陶管の継ぎ手の部分の製品が出荷されずに残ったものが薄暗い部屋に並んでいた。現在はこの手のものは塩ビの製品に取って代わられているのだろう。
江別市は高知県土佐市と友好都市の関係にある。姉妹都市と友好都市の違いがはっきりしないのだが、中国との姉妹都市関係ではどちらが姉で妹はどちらか、といった杓子定規的関係が問題になることを懸念して、全部友好都市としている話を以前に聞いた。友好都市の高知の物産もこのアンテナショップで展示即売されていて、訪れた時には「土佐文旦」の旗が店の前に並んでいた。「土佐文旦」が果物の名前であることをこの時初めて知った。形はグレープフルーツに似ている土佐名物を、取材の謝礼の意味を込めて一つ購入した。
2008年03月04日
爪句集ー建物
爪句集の二集目のテーマは「札幌の花と木と家」で、家のうちで「建物」の章建てがあります。ただし、歩いていて写真の対象になった建物を拾い集めている、といったところで、沢山の建物が掲載されている訳ではありません。気になった建物で第二集で取り上げられなかったものは、第三集でと思っています。
豆本爪句集はシリーズで出版してゆこうと思っていますが、さて何集まで出せますか。ただ、今のところ五集ぐらいまでは案があって、このくらい出すと世の中の認知度も高まるのではないかと思っています。世の中に出て行く爪句集の豆本は少ない数で、現在店頭に並んでいる一集目は後に「きこう本」(きこうの漢字が変換で出てきません)になるかもしれず、プレミアムがついて高値で売買されることを夢見ています(夢想家のところがあります)。
2008年03月03日
読書室 時代移りて 図書刊行
2008年03月02日
中央路 学の王道 農学部
2008年03月01日
友好は 土佐文旦の 旗にあり
JR野幌駅近くに旧肥田陶管工場の工場跡がある。レンガ造りの工場は1951年から1953年に建てられ、主に陶管を製造していた。1998年には自主廃業している。江別の窯業を代表する歴史的産業遺跡であることから江別市が土地・建物を買い取り、建物の一部は姉妹都市の米国オレゴン州グレシャム市のアンテナショップに衣替えしている。高知県の土佐市は友好都市で、果物の土佐文旦も販売されていた。工場のレンガの煙突は雪が柵のようになっていて近寄って見ることはできなかった。
陶管を 焼いた煙突 雪の柵(さく)