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2012年11月29日

閑散とした佇まいの勇払駅

 勇払駅は苫小牧工業団地の開発が進めば、団地の拠点駅として賑わうはずであった。しかし、この開発計画は頓挫した状態で、利用客も少なく、駅舎は閉鎖状態にある。駅舎からプラットホームまでは離れていて、ホームの周囲には枯れた雑草の空地が広がっている。駅名標の彼方に煙突が見え、これは海岸に接してある北電の火力発電所のものである。ホームには一部屋根のある部分があり、実質これが待合所の機能を果たしているようである。

苫東の 夢の果たせず 枯れ空地

屋根ホーム 駅舎に代わり 待合所



(画像クリックでパノラマ写真)

2012年11月28日

車窓に牧場を見て着く荻伏駅

 荻伏駅は浦河町荻伏にある。駅舎は貨車駅舎で、線路側から見える駅舎の壁には太平洋に沈む夕日が描かれている。反対側の壁は大空に飛ぶ気球である。荻伏地区は牧場地帯で、北海道開拓に貢献した開拓団体「赤心社」の馬産事業を受け継いだ荻伏牧場があった。三冠馬「シンザン」が生まれた牧場で、その後幾多の名馬を輩出したが、1990年代半ばで牧場は倒産した。その後を継いだ軽種馬生産の牧場が車窓から見え、優駿の里は健在である。

落日が 写真に写り 駅舎壁



(画像クリックでパノラマ写真)

シンザンの 生まれ故郷を 目に捉え


列車交換が見られる本桐駅

 単線の線路では、長い線路区間で上りと下りの列車をどこかの駅で交差させる必要がある。そのためには駅構内に上り下り用の線路を設けておく必要があり、新ひだか町三石本桐にある本桐駅はそのような構造になっている。この駅では列車交換のため下りの列車が上りの列車を待っていて、待ち時間に客が島式のプラットホームに出て写真などを撮っている。無人駅の駅舎は赤いトタン屋根で、屋根に横棒が置かれていて簡易雪止めなのだろう。

単線を 使う工夫の 島ホーム



(画像クリックでパノラマ写真)

身構えて 狙う獲物は 列車なり


2012年11月27日

民営牧場先駆けの地の豊郷駅

 日高町豊郷駅は国道235号のすぐ傍にある。停車した列車のドアから国道が見えている。プラットホームに咲くギボウシの花が目につく。豊郷は北海道初の民営牧場が誕生した地であり、日高の馬産地としての先鞭をつけている。2010年に廃校になった豊郷小学校は110年の歴史を持つというから、早く開けた土地である。しかし、人口減は止まらないようである。秋も深まった頃車窓からこの駅のパノラマ写真を撮る。ギボウシは既に枯れていた。

ギホウシは この地で見れば 馬頭花

秋深く ギボウシ枯れて 待合所



(画像クリックでパノラマ写真)

沙流川河口に近い富川駅

 富川は沙流川の河口近くに開けた町である。旧門別町に属していて、同町が日高町と合併して現在は日高町富川になっている。駅舎は玄関部分が鋭角の三角屋根で、合掌部分の下に丸太をスライスした材に「とみかわ」の文字の看板がある。鉄道を利用する客は多いようで、車窓からのパノラマ写真には並んで乗り込む乗客の列があった。沙流川の鉄道橋を通過する列車から、並行して走る国道235号の橋が見え、一級河川の沙流川の流れがある。

パノラマに 列車乗り込む 人の列



(画像クリックでパノラマ写真)

沙流川は 河口近づき 緩(かん)流れ


2012年11月26日

アニメの背景になった清畠駅

 清畠駅は日高町にあり、同じ町内の豊郷駅と姉妹(兄弟?)関係のような待合室がある。この辺りは海岸沿いに延びる国道235号と海岸に挟まれて線路が続いていて、駅の周囲の様子もどことなく似ている。清畠駅は「Candy boy」というアニメの背景に描き込まれたことがあり、アニメの聖地巡りでわざわざこの駅まで訪ねてくるマニアが居るのをネットで見つけ、これは驚きである。ホームから太平洋を望むことができ、傾いて来た陽の光が弱い。

パノラマで アニメの聖地 撮りて見る



(画像クリックでパノラマ写真)


海原に 面する駅に 陽傾く


淋しいたたずまいの汐見駅

 むかわ町汐見一区の汐見駅は、プラットホームとホームから少し離れたところにあるブロック造りの待合所だけしかない淋しい駅である。ホームには小さな屋根があり、日差しや雨を遮る役目を果たしてくれる。待合所の横に道路を海の方向に行くと汐見漁港がある。ブランドの鵡川ししゃもを水揚げする漁港である。停車した列車の車窓からは海がわずかに見えても漁港は見えない。車窓からパノラマ写真を撮ってみても、目を引くものはない。

淋しくも ホームに屋根の 汐見駅

パノラマの 視界目を引く 物もなし



(画像クリックでパノラマ写真)

2012年11月25日

ひらがなと漢字表記のむかわ町鵡川駅

 むかわ町は平成の大合併で、旧鵡川町と旧穂別町が一緒になり生まれた。新しい町になった時、町名の漢字表記をひらがな表記にしている。駅名の方は変わらず漢字表記のままである。かつてはこの駅から分岐して富内線が延びていた。二面のプラットホームがあり、ずれているホーム間の構内踏切を乗降客が行き来する。駅舎は三角大屋根の立派なものである。特産品のシシャモ(柳葉魚)は「鵡川ししゃも」の商標が登録され町の魚である。

鵡川駅 漢字で残り むかわ町

構内に 踏み切りのあり 客急ぐ


2012年11月24日

勇払原野の中の浜田浦駅

 むかわ町田浦にある浜田浦駅はプラットホームがあるだけである。プラットホームの端に、小路で隔てられブロック造りトタン屋根の待合所がポツンと見える。近くに工事用の浜砂採取場と思われる砂の山がある。この駅を利用する客は居るのだろうかと思われる雰囲気である。この辺りは勇払原野が広がっていて、線路の北側の原野が広がるところは牧草地になっている。牧草のロールが点在する牧草地とその向こうに雑木林が車窓から見える。

待合所 利用客無く 浜田浦

牧草地 駅に接して ロール景



(画像クリックでパノラマ写真)

車窓から神社の見える浜厚真

 浜厚真の駅舎は車掌車を改造した貨車駅舎である。近くを厚真川が流れ河口に苫小牧港東港があり、火力発電所が車窓から眺められる。周囲に何もないような駅に降りたら、町までの足をどのように確保するのかと考える。乗降客はほとんど見られないので、足の確保の様子は見て取れない。列車が次の駅の浜田浦方向に少し進むと車窓に神社の赤い鳥居が見えてくる。浜厚真八幡神社である。1872(明治3)年創基というから古い神社である。

客見えず 野原の空家 貨車駅舎

車窓から 鳥居を認め 浜厚真


1両長のホームの蓬栄駅

 蓬栄駅は新ひだか町三石蓬栄にあり、牧草地や畑地に囲まれている。駅名は旧三石町にある蓬莱岩から一文字を採っている。ホームは1両分程度の長さしかない。もっともワンマンカーで前乗り前降りであれば、ホームの長さは1両に満たなくてもよいことになる。ホームの端の道路と同じレベルの下りたところに待合所がある。待合所の近くに自転車が並んでいるので、ここまで自転車で来て列車を利用する客がいるようだ。刈り取った牧草を詰めた白いロール群が車窓から見える。

蓬栄は 1両長の ホームなり



(クリックでパノラマ写真)

駐輪の 自転車も見え 待合所


2012年11月23日

昆布のデザインか日高三石駅舎

 合併で新ひだか町になった旧三石町は昆布が特産で、三石昆布のブランド名は良く知られている。みついし昆布温泉もあり、温泉まで昆布名が冠せられている。日高三石駅の建物は焦げ茶色の横板を張り合わせた木造で、昆布を並べて壁にしたデザインのようである。この建物は新ひだか町の施設の「ふれあいサテライトみついし」と駅が同居している。三石駅を出て東に走る列車の窓に昆布の採れる海が見えてくる。この海が束の間見えるところから線路は内陸方向に方向を転じる。

ブランドの 昆布巻きデザイン 駅建屋

三石や 束の間見える 昆布の海


日高東別駅の待合所

 山が太平洋に迫っている日高本線は、海岸沿いの町から町への線路が海岸を離れて内陸部を通過するところがある。海の近くの春立駅からやはり海に面した町にある日高三石駅の途中の日高東別駅は内陸の牧草地の中にある。駅の待合所はドアの無い入り口が二つのブロック造りである。駅舎と待合所の区別がどこにあるのか考えてもわからない。時刻表、料金表の有無かとも考えてみるけれど、日高東別の待合所にはそれらがある。駅の表示が建物に無いと駅舎ではないのかもしれない。

停車する 日高東別 雪残り

自転車が 待合所内 客代わり


2012年11月22日

馬の頭が見下ろす日高幌別駅

 日高幌別川に沿って開けたところに軽種馬の牧場が境界を接している。日高種畜牧場や日本中央競馬会日高牧場もある。この地区の特色を表そうとしてか、日高幌別駅の駅舎には国道336号に面した正面側に馬の首の飾りが取り付けられ、客を迎えている。駅舎は鋭角の三角屋根が壁や屋根に取り付けられていて、洒落たデザインである。ホーム側から見るとどんな様子なのか列車の窓からパノラマ写真撮影である。駅の近くに馬事資料館があり、優駿の門を車窓から見ることができる。

馬産地で 客を迎える 馬頭かな

車窓から 撮り張り合わせ 駅景観



(画像クリックでパノラマ写真)

海の見える東静内駅

 駅の所在地は新ひだか町東静内で、旧静内町の東に位置していた昔の地名が駅に取り残されている。駅舎は二つのブロックで構成され、中央の通路に三角屋根がある。この通路から国道336号とさらにその向こうに海が見えている。線路と平行な国道を東に行けば東静内漁港がある。東に延びる線路は、この駅から山側に入って行くので、列車からは漁港を見ることはできない。わずかな停車時間を利用して、列車の窓からカメラを出して客姿の無い無人駅のパノラマ写真を撮ってみる。

駅通路 突き抜いて見て 海のあり

車窓から パノラマ撮で 無人駅



(クリックでパノラマ写真)

2012年11月21日

高校生が利用する東町駅

 浦河町東町駅は近くに浦河高校があるので生徒の利用する駅である。半世紀以上もの昔、この高校生だった頃、この駅はなかった。浦河町堺町から自転車通学の毎日だった。夏休みの土曜日であるけれど、生徒風の若者がプラットホームを駅舎の方に向かって歩いて行く。プラットホームの端から浦河町赤十字病院が見え、その建物を撮ると監視ミラーに民家風のこげ茶色の壁の駅舎が写っている。監視ミラーに写っている線路はすぐに海の見えるところに出て隣駅日高幌別駅につながる。

高校の 女子生徒かな 夏休み

監視ミラー 駅舎を映し 東町


2012年11月20日

飛地の町の日高門別駅

 駅は日高町の門別区にある。平成の市町村合併でそれまでの日高町と日高門別町が合併し日高町ができた。平取町を間に挟み、旧町がそれぞれ新区になった飛地の町である。門別競馬場があり馬産地日高の地方競馬場として札幌方面からも競馬ファンを集めている。三角屋根の駅舎の傍にある街路灯に馬飾りがあり、日高町が馬の町であることを教えてくれる。日高本線を走るワンマン列車の愛称は「優駿浪漫号」で、この駅に停車したところを馬の顔のロゴのある車体を写真に収める。

車窓から 馬飾り見え 馬産の地

停車する 優駿浪漫 馬の顔


特徴のない節婦駅

 節婦とは節操をかたく守る女性の意味である。この言葉の意味と節婦の地には何の関係もない。アイヌ語で広いところを意味する「セプ」に漢字を当てはめて地名にしている。新冠町の節婦駅は以前貨車駅だったのが新しい駅舎になっている。列車の窓から3方向の写真を撮ってつなぎ合わせてみる。これといった特徴がある駅ではない。節婦を過ぎ、次の新冠駅に行く途中に岩壁に馬が疾駆している絵があり、「にいかっぷ」の文字が読める。サラブレッドロードを飾る大壁画である。

パノラマで 特徴探し 節婦駅



(画像クリックでパノラマ写真)

岩壁で 駒の出向かえ 優駿路


2012年11月19日

展望台の見える新冠駅

 「にいかっぷ」を耳にすると英語の「new cup」に漢字を当てたみたいであるけれど、アイヌ語のニカプ(オヒョウダモの皮)が語源である。駅舎はステックスタイルを連想させる洒落たものである。プラットホームからランドマークの高さ36 mの優駿の塔が見える。この展望台に隣接して道の駅「サラブレッドロード新冠」があり、この名前は新冠町が軽種馬の産地であることを示している。軽種馬とは無関係なレコードを集め、最高レベルの音響装置を備えたレ・コード館があり面白い。

連想は ステック・スタイル 駅舎なり

レコードを デザインしたか 展望台


小奇麗な春立駅舎

 春立の名前の由来についての知識はないけれど、地名としては響きが良い。春立の駅を通過するのが春であると名前と呼応して良かったのだが、実際この駅を列車で通過しながら写真を撮ったには夏である。以前は貨車駅舎であったものが新しい駅舎に建て替えられている。雨風を凌ぐ機能一本槍の貨車駅に対して、新しい駅舎は内で休んでみたくなる雰囲気で、地域の住民が駅舎の手入れを怠らないようである。犬を連れた人が駅舎横で、丁度通り過ぎるワンマンカーを眺めている。

春立を 夏の終わりに 通り過ぎ

ワンマンカー 犬も見送り 駅舎横


2012年11月18日

海が迫ってくる大狩部駅

 列車で通過する大狩部駅は、太平洋に迫る山塊の少し開けたところにある駅にしか見えない。駅の待合所も、何の飾りもないコンクリートブロックで造られた四角の箱である。しかし、この場所の地形に見慣れてくると、線路と平行に国道235号が走っているのがわかる。待合所の傍に、この国道の下を抜けるトンネルがある。トンネルをくぐれば集落がある。それにしても大狩部駅付近では、列車は波打ち際を走っていく。波打ち際に続く線路を運転席の窓越しに眺め、写真を撮ってみる。

トンネルを 潜(くぐ)り駅に出 大狩部

線路際 波打ち寄せて 大狩部


2012年11月17日

木造で特徴のある厚賀駅

 日高支庁管内の日高町と門別町が合併して日高町になっている。旧門別町には厚別と賀張(がばり)の地名があり、この両方の地名から一文字づつ取って厚賀の名前にしている。厚賀駅舎は横板が張られ、玄関の屋根部分がアーチになっている。このアーチと並んで三角の屋根の部分があり、以前この屋根の下に出入り口か何かがあったのだろう。生徒と思しき若者が尻まで下げたリュックを背負って列車から降りて行き、駅の玄関口に吸い込まれていった。この町に住む若者なのだろう。

厚別と 賀張の境 厚賀なり

若者が 吸い込まれ行き 駅舎なり


2012年11月16日

貯木場のある西様似駅

 海岸近くにある鵜苫駅から様似に向かう線路は、内陸の方に方向を転ずる。駅構内でも単線の西様似駅は貯木場内に駅があるようである。かつてこの駅付近まで森林鉄道が来ていた時代があり、木材の集積と運搬の名残があるようだ。しかし、現在この駅には貨物列車は来ないので、駅付近に積み上げられた木材はトラック輸送に頼るのだろう。この駅から海岸に出ると、丁度親子岩が目の前に現われることになり、貨車駅舎の壁に海に浮かぶ親子岩と海原を飛ぶカモメが描かれている。

停車駅 貯木場横 西様似

カモメ飛ぶ 駅舎の壁に 親子岩


2012年11月15日

車窓に親子岩が見える鵜苫駅

 漢字表記の鵜苫は意味不明である。北海道の地名の多くがそうであるように、アイヌ語が語源でそれに漢字を当てはめていて、アイヌ語の「ウトマム・ペッ」(抱き合う川)が基になっている。しかし、どうしてこの漢字を当てはめたのだろうか。貨車駅舎で海中の様子が駅舎の壁に描かれている。鵜苫港があり、駅舎の向こうに海が顔を見せている。駅から列車が離れると車窓から様似の海岸が見えてきて、親子岩と呼ばれている、岸から離れたところにある岩礁が束の間姿を見せる。

貨車駅舎 壁見てそこは 海の底

車窓には 親子岩見え 鵜苫駅


2010年07月24日

車両の再利用の鵜苫駅

 北海道の地名は、大抵アイヌ語の発音に漢字を当てはめている。鵜苫は「ウトマン」(抱き合う)ペツ(川)からの命名だといわれている。しかし、「ウトマン」と聞いて鵜苫の漢字を当てはめるところがわからない。駅舎のない駅で、車両を改造した待合室が線路の脇に設置されている。鵜苫駅の辺りでは海岸に沿って線路が延びていて、走る列車の車窓から、様似のシンボルのアポイ岳や、海面から突き出すかのような親子岩を見ることができる。

待合は 海の中なり 車両の絵

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線路先 アポイ岳見え 鵜苫駅

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2010年07月22日

優駿の里の日高幌別駅

 高校の同期会に参加のため、浦河町の入浴兼宿泊施設のアエル(AERU)に一泊したことがある。施設の場所は浦河町西茶にあり、一番の最寄りの駅は日高幌別である。プラットホームに降りて、遠ざかって行く1両列車を見送る。この辺りは軽種馬の産地で、牧場が集まり、調教場の広大な敷地が広がって、優駿の里の呼び名がある。駅舎は郵便局と兼用となっていて、建物の正面には馬の頭部の飾りが優駿の里の駅であることを伝えている。

ミラーには 列車見送る 我が姿

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優駿の 頭部駅舎を 飾りたり

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2010年07月21日

丸太置き場に隣接する西様似駅

 西様似の駅は海岸から離れたところにある。駅に近づく列車の車窓に車両の待合室が見えてくる。駅は、丸太木が置かれている広場と隣り合わせである。西様似駅も鵜苫駅と同様に車両の再利用で、車輪部分を取り除いた車体部分が待合室として置かれている。乗降客も居ないので、一両のワンマン列車は止まってドアを開け、すぐ閉めて駅を後にする。この停車時間では、カモメや風船が描かれた車両待合室の写真を撮るのが精一杯である。

車両駅 車窓に見えて 西様似

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丸太木の 置き場と駅舎 隣組

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2010年07月20日

牧場に接する絵笛駅

 駅名標には「えふえ」とある。しかし、隣駅のある浦河に住んでいた頃には「えぶえ」と呼んでいた記憶がある。名前の由来が、アイヌ語で小山を意味する「エブイ」にあるので、「えぶえ」の発音が元の地名により近い。駅といっても、農場や牧場に接して小屋のような待合室と、申し訳程度のプラットホームがある。見晴らしのすこぶる良い牧場の柵の内には、生まれて間もない子馬が親馬と一緒にくつろいでいる。この子馬には、やがて競走馬として疾走する運命が待ち構えている。

駅名は エブイから来て 絵笛(えふえ)なり

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車窓外 くつろぐ姿 親子馬

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2010年03月25日

屋根付きホームのある勇払駅

 勇払駅は苫小牧工業団地の開発が進めば、団地の拠点駅として賑わうはずであった。しかし、この開発計画は頓挫した状態で、利用客も少なく、駅舎は閉鎖状態にある。駅舎からプラットホームまでは離れていて、ホームの周囲には枯れた雑草の空地が広がっている。駅名標の彼方に煙突が見え、これは海岸に接してある北電の火力発電所のものである。ホームには屋根のある部分があり、実質これが待合所の機能を果たしているようである。

ホーム屋根 駅舎遠くて 待合所

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苫東の 夢の果たせず 枯れ空地

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2010年03月24日

波しぶきの消えた浦河駅

 昔、浦河の駅は、コンクリートの防波堤でかろうじて線路と駅舎が太平洋の寄せる荒波から守られていた。風が強いと、波しぶきが駅構内まで飛んできた。今は、海岸の埋立てが進んで、昔砂浜と海だったところに国道235号が線路と並行に延び、駅舎は波しぶきの洗礼から免れている。しかし、昔、町の玄関だった駅に客の姿がない。車窓から見る、高校まで過ごした自宅の場所の景色も様変わりで、近くの向別川が、昔の面影を残している。

波しぶき 届かぬ駅に 客も消え

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この川で カジカを釣りし 堺町

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浦河高校への通学駅の東町駅

 東町駅近くになると車窓には大きな建物が二つ見えてくる。一つは浦河赤十字病院であり、もう一つは浦河高等学校である。半世紀にもなる昔、この高校の生徒であった。高校生であった当時、この駅は無かった。駅の開業年は1977(昭和52)年である。高校への通学は自転車で、片道約の3km道を、ペダルを踏んで3年間通い続けた。現在、この駅の利用客の大多数は浦高生なのだろう。当時も列車通学は行われていて、浦河駅を利用していた。

車窓から 母校の建屋 目で追いて

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生徒時に 東町(ひがしちょう)駅 駅の無く

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2010年03月23日

優駿のモニュメントのある静内駅

 静内町は2006年に三石町と合併して新ひだか町になった。駅名の方は昔からのもので、日高本線の拠点駅で有人駅である。新しく改築された駅舎には静内町観光情報センターも開設されている。駅前広場には新しい町名の表示と馬のモニュメントがある。同町ではトウショウボーイやオグリキャプといった名馬の産地としても知られている。二十間道路に8kmにわたって植えられた桜並木が有名で、駅のスタンプもこの桜並木のものである。

静内は 旧名残り 駅構内

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優駿の 里の駅前 馬の像

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日高28・日高本線終着駅の様似駅

 日高本線の終着駅の様似に着く。ここが終着駅であることは、駅名標の隣駅が片方しかないことで確認できる。線路の先まで行ってみると、建物があって線路の行く手を遮っている。建物の背景には、アポイ(810m)とピンネシリ(958m)が雪を戴いている。アポイ岳は標高千mを切る山であるけれど、高山植物の宝庫といわれている。その高山植物にはヒダカソウがあって、様似町の花になっている。町の木はヒダカゴヨウマツである。

駅名標 片駅語る 終着地

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視線向く 遮断建物 アポイ岳

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2010年03月22日

秘境駅の風格の大狩部駅

 太平洋が迫る日高路の海岸の、わずかに開けた場所にへばりつくようにしてあるブロック造りの駅待合所を見ると、秘境駅の雰囲気である。ただ、線路と並行に国道235号が走り、駅から国道の下をくぐるトンネルを抜けると新冠町の小集落があるので、見た目ほどの秘境駅ではない。それにしても、テレビの撮影現場になったというだけで主演の女優や競演者の名前のある看板が立っている状況の方が、秘境駅を演出しているかのようである。

ホーム上 秘境演出 待合所

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看板に ロケ地紹介 秘境感

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