2019年12月05日
2013年07月05日
跨線橋とつながった駅舎の南小樽駅
2013年06月30日
爪句集豆本デビューの塩谷駅
2012年12月12日
夏冬の定点観測の蘭島駅
2012年11月30日
雪の中のログハウスの目名駅
2010年08月07日
札幌駅のトワイライトエクスプレス(Twilight Express)
2010年04月06日
大きな無人駅の豊沼駅
2010年04月04日
跨線橋と歩道橋のつながった幌向駅
2010年03月28日
広い構内のある滝川駅
2010年03月27日
一点透視図のような奈井江駅構内
2010年03月26日
雪原の中の峰延駅
2010年03月25日
貨物駅が廃止された茶志内駅
2010年03月12日
ウィスキーの宣伝のある余市駅
2010年03月11日
温泉施設に隣接する昆布駅
2010年03月10日
ブナの木のある黒松内駅
2010年03月09日
リサイクル車両の蕨岱駅舎
2010年03月08日
民宿を兼ねる比羅夫駅舎
2010年03月07日
貨車車両の二股駅
2010年03月06日
雪の羊蹄山とニセコアンヌプリの見える蘭越駅
2010年03月05日
雪の中のログハウスの目名駅
2010年03月04日
84難読駅名の熱郛駅
2010年03月03日
雪景色に溶け込む然別駅
2010年03月02日
冬の早朝の砂川駅
2010年02月23日
百年記念塔の見える森林公園駅
2010年02月22日
腕木式信号機と高砂駅
2010年02月21日
高架工事で変わる野幌駅
2010年02月18日
高架下の稲積公園駅
2010年02月17日
踏切のある稲穂駅
2010年02月16日
雪のほしみ駅
2010年02月14日
雪の中の美唄駅
美唄はアイヌ語で「ピパ(貝)の多い沼」に由来する。美唄駅には二人の芸術家の作品がある。一人は、1908(明治41)年札幌から釧路に向かう時、この駅を通り過ごした石川啄木で、次の歌を残している。「石狩の美国といえる停車場の 柵に乾してありし 赤き布片(きれ)かな」この歌はプラットホームや駅舎前の歌碑で目にする。もう一人は、1945年に美唄に生まれた彫刻家安田侃である。「生棒」と題された安田の彫刻が、駅のプラットホームにあり、通過する列車を見ている。
ピパの駅 赤い布片(きれ)無く 雪世界
生棒(せいぼう)を 過ぎる列車の 美唄駅
2009年03月09日
利用客二位の手稲駅
2009年03月06日
張碓駅のあった秘境の浜の入り口-恵比須島
2009年03月05日
雪の朝里駅
2009年03月04日
観覧車の見える小樽築港駅
2009年03月01日
銀世界の中の銀山駅
2009年02月02日
金運上昇-銭函駅
2009年01月26日
周辺の開発が進む琴似駅
2009年01月19日
彫刻のある岩見沢駅
2009年01月14日
パン屋のある発寒中央駅
2009年01月13日
SLのある苗穂駅
2009年01月12日
運転所に隣接する稲穂駅
2009年01月08日
跨線橋通路ある星置駅
2009年01月07日
札幌市の端にあるほしみ駅
2009年01月04日
正月の発寒駅
2009年01月03日
競馬場近くの桑園駅
2008年12月31日
何故ブログを書くのか
今日は大晦日なので、自分のブログに関してほんの少しばかりのコメントです。コメントの主題は何故毎日(に近く)ブログを書くのか、です。
ブログを大別すると、ブログで完結するもの、ブログは過程であるのも、があります。どちらでもブログは表現の手段の点では変わらないのですが、前者ではブログそのもの(ブログを書くことと書いた記事)が目的ですから、一般に写真や書き込みが多くなります。ブログによっては、コメントのやり取りがブログを構成する上で重要です。むしろ、コメントのやり取りそのものがメインになったりするブログもあります。
後者の場合、ブログは別の目的、例えば本の出版の作業過程のような場合があります。ここで本の原稿をブログで書いているとすれば、なるべくブログをそのまま原稿にできるように書いておく方が後の処理が簡単になります。私のブログはそのようなものが多いので、形式が似たものが並びます。
爪句の豆本の出版の場合、見開き2ページで写真2枚、爪句2句、説明文200文字、という形式です。このブログの記事の「啄木ゆかりの小樽駅」がこの形式になっています。
本にするためには、本のテーマがあります。今回の小樽駅の場合、大きなテーマは「北海道の駅爪句遍路」みたいなものです。道内の駅を巡るといっても、一年でできるかどうか、できたとしてもただ通過するだけなら面白くもないし、楽しみながらということになれば気のむくままに、といったところがあります。そうすると数年のプロジェクトになります。年月がかかるとすれば、写真と記事を記憶が鮮明なうちに残しておく必要があります。その点、写真とテキスト付でその時々に整理もかねて書き残せるブログは優れています。
ワープロが文書作成(原稿書き)に無くてはならないものになったと同様、本作りにブログが欠かせない手段になりつつあるのではないかと思っています。ブログは公開、非公開の選択ができますので、原稿の一部だけを公開して、本の前宣伝というテクニックも使えます。ただし、ブログへの訪問者の数が限られていれば宣伝にもなりませんが。
物書き(一応、都市秘境作家と自称しています)としては、読者がいると想定しないと、書く行為のモチベーションが出てきません。で、当ブログへの想定訪問者に、今年一年のお礼と来年もそこそこの年で過ぎますように、とのご挨拶で本年のこのブログの締めくくりとします。
啄木ゆかりの小樽駅
石川啄木は1907年小樽日報社に赴任する際、義兄の中央小樽駅長山本千三郎の家に投宿している。社内抗争で同新聞社を辞めて、翌年一月妻子を残して釧路に向かっている。この時の旅立ちの情景を詠んだ短歌「子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな」の歌碑が小樽駅を見下ろすところに建っている。駅のホームには、小樽港のヨットハーバーをイメージしたホーム番号で、幼少期を小樽で過ごし、ヨットを愛した石原裕次郎の記念館が港にあるのを連想する。
啄木の 見た駅舎雪 今もあり
港町 プラットホームに ヨット見て