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2019年12月05日

蘭島駅舎正面



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(パノラマ写真)

蘭島駅と列車



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2013年07月05日

跨線橋とつながった駅舎の南小樽駅

列車待つ 娘の連れは スマホなり

 最近は乗り物とスマホは切っても切れない関係にある。列車待ちでも列車の内でもスマホ利用に余念がない。南小樽駅のホームの椅子に娘が一人で座っていて列車待ちである。手にはスマホがあって、一人のようでもスマホという連れが居る。


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2013年06月30日

爪句集豆本デビューの塩谷駅

豆本に パノラマ写真 塩谷駅

 塩谷丸山登山のためJR塩谷駅に降りる。出版ほやほやの爪句集豆本を同行のF氏に持ってもらい撮影である。F氏は、この豆本の謝辞でも触れているように、北海道全駅のパノラマ写真撮影プロジェクトの旗振り役である。(2013・6)


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2012年12月12日

夏冬の定点観測の蘭島駅

 小樽市蘭島には海水浴場がある。昔は海水浴客は鉄道をよく利用して、夏のシーズンの蘭島駅は賑わった。今はマイカーが夏のレジャーの足になって、駅の賑わいは去った。ホームは対面式で2線ある。夏と冬との定点観測のような車窓から見た駅舎の写真を撮ってみる。同じ駅舎でも夏と冬では雰囲気がまったく異なる。駅から忍路(おしょろ)湾や忍路環状列石の史跡に歩いても行けるけれど、車で回った方が効率良く列車の出番は無くなる。

海遊び 客は車で 駅静か

蘭島は 雪に溶け込む 駅舎かな


2012年11月30日

雪の中のログハウスの目名駅

 この駅は1904(明治37)年に磯谷駅として開業し、翌年には目名駅に名前を変えた。目名は町の名前でもあり、現在は蘭越町目名町である。函館本線の単線区間で、室蘭本線災害時の迂回ルートのため目名駅に列車交換装置がある。プラットホームには客も見当たらず、ログハウスの駅舎が雪の中にある。自動車で目名駅を訪れる機会があり、駅前広場から駅舎のパノラマ写真を撮ってみる。雪の多い土地で、駅舎の屋根に長棹の雪止めが見える。

目名の駅 雪景色中(なか) ログハウス

駅舎屋根 長棹雪止め 冬を越し




(画像クリックでパノラマ写真)

2010年08月07日

札幌駅のトワイライトエクスプレス(Twilight Express)

 札幌駅構内に特徴のある機関車に牽かれた列車が入ってくる。この機関車はDD51形ディーゼル機関車で、珍しいこともあってか、列車の乗客やホームに居合わせた旅行客が盛んに写真を撮っている。機関車の正面にはラッパを吹く天使の絵と列車名が書かれた飾りがある。列車は、札幌駅と大阪駅の約1500 Kmの距離を、22時間余りかけて走る臨時寝台列車で、列車の窓から趣のある内部が覗ける。列車は札幌駅で乗降客を入れ替え、尾灯を光らせ、大阪に向かって走り去っていく。

重連の 勇姿を飾る エンブレム

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旅開始 薄明号の 尾灯去り

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2010年04月06日

大きな無人駅の豊沼駅

 砂川市と奈井江町の境にあって、砂川市側の駅である。豊沼は、石狩川に沿って沼や湖の多いところで、これらの湖沼群が豊かさをもたらすようにとの願いを込めての命名である。駅舎は比較的大きいのだが無人駅である。線路と駅舎は同じ高さにあっても、駅舎前は土地が低くなっていて、平屋の駅舎には階段がついている。二面のホームがあり、その間に跨線橋がある。構内で行き違う列車の車体と跨線橋は赤のコラボレーションである。

予想外 駅舎大きく 無人なり

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跨線橋 車体の赤と 色合わせ

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2010年04月04日

跨線橋と歩道橋のつながった幌向駅

 幌向駅ではプラットホームから大きな跨線橋が見える。自動車で国道12号を走っていて、幌向駅のところで通過する、フードつきの歩道橋が駅構内から見える。国道を跨ぐ歩道は、駅の跨線橋にもつながっていて、橋上に駅舎がある。幌向は岩見沢市の地区で、駅を中心に町が形成されている。この地区が札幌のベットタウンの性格を帯びていて、JRの路線の交通の便のよいところに住宅街が形成されたためで、利用客があり、駅舎は有人である。

自動車も 列車も通過 長き橋

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有人の 駅舎のありて 鉄路上

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2010年03月28日

広い構内のある滝川駅

 滝川駅は函館本線と根室本線が分岐して行く駅で中空知の拠点駅である。単式ホーム1面、島式ホーム2面で計5線があり、旅客駅の南側にJR貨物駅もある関係上、構内は広い。広い構内に、出番を待つ列車が待機している。駅舎前はロータリーのある広場で、モニュメントも見える。しかし、雪の季節では雪野原のようである。駅前には商店街があり、かつての滝川の繁栄の名残を留める、美瑛軟石と推定の建材の太郎吉蔵も見ることができる。

出番待つ 列車の見えて 広き駅

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中空知 雪に埋もれて 駅舎あり

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異色のデザインの光珠内駅

 北海道の地名、つまり駅名は、たいていアイヌ語が基になっていて、それに漢字を当てはめるのが一般的である。光珠内は、アイヌ語「カウシュ・ナイ」(獣を捕る罠を仕掛ける沢)の漢字化である。しかし、どうしてこの漢字なのかは理解の及ぶところでない。音からまず思い浮かぶ漢字を、適当につなげたみたいである。この駅舎のデザインも変わっていて、壁柱の部分がどうして斜めの線で切り取った形にしてあるのか、これもわからない。

壁柱 駅舎デザイン 異色なり

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光珠内 使わぬ線路 雪被い

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2010年03月27日

一点透視図のような奈井江駅構内

 光珠内駅から砂川駅を過ぎた辺りまで、国道12号と、それに並行して走る線路は直線である。地図上でも、定規を当てて引いた線分のように、真っ直ぐに描かれている。国道12号のほうには、日本一長い直線道路が売りになっていて、その長さ29.2 kmの看板が出ている。奈井江駅はこの直線部分に組み込まれた駅で、プラットホームから上り方面を見ても、下り方面に目をやっても直線状の線路が延びているだけで、単調な線路景観が続く。

中空知 直線鉄路 南延び

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北見れば 一点透視 構内図

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2010年03月26日

雪原の中の峰延駅

 峰延は美唄市、岩見沢市、三笠市の三市の接点の近くにあって、美唄市の町である。以前、札幌、江別、北広島市の接点を都市秘境の対象で調べたことが思い出される。峰延の駅を出るとそこは国道12号で、車の往来が激しい。しかし、普通列車しか停まらないこの駅の利用客は少なそうである。駅舎は国道に面した正面とホーム側が同じデザインである。この辺りは空知の田園地帯で、雪の季節に車窓からは、広がる雪原に農家が点々と見える。

デザインは 金太郎飴 出入り口

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峰延の 農地は今は 雪野原

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2010年03月25日

貨物駅が廃止された茶志内駅

 茶志内の名前はアイヌ語のチャシ(砦)とナイ(川)に由来する。無人駅となっている駅舎自体は大きなもので、この駅がかつて旅客列車の他に貨物列車の駅でもあったことによる。客として列車を利用していて、貨物輸送には目が行かないけれど、鉄道会社は旅客を運ぶ会社の他に、JR貨物という別会社がある。茶志内駅はJR貨物駅でもあったのが廃止され、そのため線路と跨線橋が不要になり、跨線橋の入口は板で塞がれ閉鎖されていた。

茶志内は 駅舎のチャシが 雪の中

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廃線後 板で塞いで 跨線橋

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2010年03月12日

ウィスキーの宣伝のある余市駅

 余市にはニッカウヰスキーの工場がある。駅舎に掲げられた同社の看板を見ると、会社の正式名は「イ」ではなく「ヰ」であることがわかる。たまに「井」の字が使われたりする。ニッカの名前は、元の会社名が「大日本果汁」で短縮した「日果」からきている。駅のプラットホームにウィスキーの熟成用樽が展示されていて、「ようこそ!果実・ウィスキーの里よいちへ」の文字が見える。雪の中に延びる線路を見ながら、ウィスキーの原酒がこの雪の中で眠っている事に思いを馳せる。

会社名 ヰの文字のあり 余市駅

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この雪に 埋もれて眠る ウィスキー

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2010年03月11日

温泉施設に隣接する昆布駅

 駅名が昆布でも、山間で海草の昆布とは関係がない。アイヌ語でコンボ・ヌプリといわれた山に昆布岳の漢字を当てはめたことから昆布が地名として使われたらしい。昆布川もあり、駅舎の近くには昆布川温泉の町営温泉施設がある。このため、駅舎が無人駅にしては立派なデザインになっている。プラットホームにフード付の立派な跨線橋の出入り口が見えていて、これは駅から温泉施設に行くためのものである。昆布温泉もあり、蘭越町、ニセコ町一帯にニセコ温泉郷が広がっている。

山間で 昆布の響き 耳残り

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フード付 跨線橋かと 無人駅

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カタカナ名のニセコ駅

 ニセコ駅は全国で初のカタカナ表示の駅名である。町名が狩太町からニセコ町とカタカナ表記に変わったためである。道内でカタカナ表記の駅名はトマム駅がある。近年はオーストラリアから滞在型のスキー旅行客で賑わっているので、カタカナの町名が一層似合っている。プラットホームの駅名看板を撮った線路の前方に、道道66号が線路を跨ぐためのアーチ橋が見えている。ニセコ駅に近づく時に、車窓から見える羊蹄山をカメラに収めると、窓の枠が額になった羊蹄が写っている。

カタカタ名 先に道道 アーチ橋

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列車窓 切り取る額に 羊蹄山

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2010年03月10日

ブナの木のある黒松内駅

 黒松内はブナの北限の地であることは予備知識を持っていた。ブナは高さが30mにもなる落葉樹である。白神山地のブナ林は世界遺産に登録されている。現在は無人駅になっている黒松内駅のプラットホームに、ブナの木が置かれてある。ブナの最北限林は黒松内町の北に位置する寿都町にあるのだが、黒松内町の方がブナの北限の地としての知名度がある。黒松内は松に関した命名かと思っていると、アイヌ語のクル・マツ・ナイ、和人に女のいる沢、であるとは思いもよらなかった。

南北へ 鉄路を通し 無人駅

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駅舎には ブナの木のあり 黒松内

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2010年03月09日

リサイクル車両の蕨岱駅舎

 蕨岱(わらびたい)はアイヌ語のワルムベ・フル(蕨の丘)から命名されている。現在は長万部町字蕨岱である。蕨岱といい長万部といい、漢字を最初に見た時には、何と発音してよいかわからない。待合所と表現したほうがよい駅舎は、車両のリサイクルで作られている。車両の駅舎で列車を待つ間で居眠りをしていて、列車に乗っていると錯覚することがないのだろうか。遠ざかっていく駅舎の周囲には何もなく、線路と平行に走る国道5号と、赤い鳥居の神社が目についただけである。

リサイクル 車両の生きて 駅舎なり

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遠ざかる 蕨岱駅 雪垣根

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2010年03月08日

民宿を兼ねる比羅夫駅舎

 この駅舎は駅の宿・ひらふ、という民宿施設でもある。全国でも駅舎が民宿を兼ねているのはここだけである。宿屋の紹介をインターネットで見ると、丸木風呂や、駅のホームでのバーベキューの写真があったりする。駅は単なる通過地点と思っていたら、宿泊する場所でもあったのだ。比羅夫から倶知安へ向かう車内から、羊蹄山が雪原の向こうに見える。雪を戴いた羊蹄の勇姿を写真に収めてみるが、頂上が雲に隠れていて心残りであった。

降りる客 駅舎泊まるか 比羅夫駅

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羊蹄は 雲が予約で 込む山頂

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メインストリートの見える仁木駅

 仁木は果樹園の広がる町である。雪の季節には、雪に埋もれたリンゴやブドウの木が、列車の窓に流れて行く。町の名前は、この地に徳島県から入植し、開拓に貢献した仁木竹吉の名前から採られている。駅前から町のメインストリートが延びていて、駅舎の窓ガラス越しに町並みが見えてくる。プラットホームから上り方向を見ると、雪の中に単線の線路がカーブしている。かつて駅構内が複線であった名残である。現在は、引き込み線がないので、折り返しは隣駅の然別で行われる。

ガラス越し 町並みの見え 仁木の駅

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単線に 引き込み線の 曲がり跡

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2010年03月07日

貨車車両の二股駅

 二股の地名は時々目にする。大抵道が二股に分かれている場所に付けられている。現在、二股駅と並行して国道5号が走り、蕨岱駅方向で道道842号が別れて行く。分岐点に二股橋が地図に記されていて、昔ここで道が二股に分かれていて、そこからの命名なのかな、と推測する。842号に沿って二股渓谷が続き、ラジウム温泉宿がある。駅舎の方は貨車を作り変えたもので、乗降客も見あたらない。小樽からの普通列車の終着の長万部駅はこの駅の隣駅で、林を貫く線路の先にある。

二股を 名乗る駅舎の 貨車車両

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終着は 線路の先の 長万部

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2010年03月06日

雪の羊蹄山とニセコアンヌプリの見える蘭越駅

 列車待ちの時間があったので、蘭越駅のプラットホームから周囲の景観を眺めて写真に収める。この時期、雪を抱く山が眼前に広がり、山頂が平らな富士山のような山は蝦夷富士の別名もある羊蹄山である。羊蹄山と並ぶようにして見えるのはニセコアンヌプリだろう。蘭越駅は倶知安駅管理の簡易委託駅であり、朝に札幌行きの快速ニセコライナーが一本あり、その出発駅である。ほとんど見られなくなった硬券乗車券が手に入る駅でもある。

羊蹄も ニセコの山も 雪帽子

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硬券を 得たく思えど 時間なく

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2010年03月05日

雪の中のログハウスの目名駅

 この駅は1904(明治37)年に磯谷駅として開業し、翌年には目名駅に名前を変えた。目名は町の名前でもあり、現在は蘭越町目名町である。函館本線でも単線が続き、目名駅に入るところで行き違いのために複線になる。一両のワンマン列車の前方の窓から、単線が複線になっていくところを目で確かめ、写真に撮る。プラットホームには客も見当たらず、ログハウスの駅舎が雪の中にある。蘭越、目名、熱郛と駅が単線の線路でつながっていく。

人影の 無き駅舎見え 線路先

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目名の駅 雪景色中(なか) ログハウス

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2010年03月04日

84難読駅名の熱郛駅

 熱郛(ねっぷ)とは難読の地名である。アイヌ語のクンネネッベツ(黒い漂木のある川)からきているという説がある。元は歌棄(うたすつ)郡熱郛村であったものが、1955(昭和30)年に黒松内村、樽岸村の一部と合併し、三和村となり、その後黒松内町となっている。歌棄は、今はその名が消えているけれど、江差追分に「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」と歌われている。熱郛ホールの文字が読める駅舎が線路脇にあった。

熱郛(ねっぷ)とは 難読地名 駅の名に

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歌にある 歌棄の地に 線路延び



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(パノラマ写真)

2010年03月03日

雪景色に溶け込む然別駅

 然別と聞くと、大抵の人は十勝にある然別湖を真っ先に思い浮かべるだろう。アイヌ語で、「シ・カリ・ペツ」(自分が回る川、つまり曲がる川)に由来する。この駅は歴史があり、北海道鉄道の駅として開業したのが1902(明治35)年である。現在は無人駅ながら、保線用の引き込み線とこの駅発着の列車があると聞くと、歴史ある駅であることの証明に思える。駅舎は雪景色に溶け込んでいて、線路が無ければ、スキー小屋のようである。

駅名は アイヌ語由来 然別

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線路横 スキー小屋風 歴史駅

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2010年03月02日

冬の早朝の砂川駅

 雪の季節の早朝に、砂川駅前に車を停めて駅舎やプラットホームの写真を撮ってみる。砂川行きの目的は引越しの手伝いで、ついでに国道12号沿いにある駅の周囲で写真の被写体になりそうなものを探したが、これといったものがない。駅前の広場に大きな看板があり、「ようこそ公園都市砂川へ」の文字が見える。しかし、駅前の雰囲気から公園都市のイメージが湧いてこない。この街を囲んで公園が多い、といった意味の惹句なのだろう。

早朝の 朝日で赤く 列車行き

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逆光で 駅舎を撮りて 空の抜け

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2010年02月23日

百年記念塔の見える森林公園駅

 函館本線で、札幌市と江別市の市境のところにある札幌市側の駅である。この辺りは江別市の大麻団地が拓け、それと呼応するかのように札幌側にも高層マンションが並んでいる。住民の足の確保のため、1984年に開業した駅で、駅名にある通り野幌森林公園が近くにある。駅のプラットホームから、森林公園にある百年記念塔が見える。駅の西側にある改札口には、ステンドグラスがあって、絵柄は森林公園の緑を表現しているようである。

雪曇り 百年記念 塔の見え

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ガラス絵は 森林公園 駅舎内

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2010年02月22日

腕木式信号機と高砂駅

 夕張が炭都として栄えた頃、石炭を運ぶため敷設された夕張鉄鉄道線が、野幌駅で函館本線と合流していた。現在、夕張鉄道線は空知南部広域農道の名前の自動車道路に姿を変えている。かつての夕張鉄道の名残の腕木式信号機が、この自動車道路の脇にあり、高砂駅の南口の近くで、歩いてゆける。高砂駅は南北にレンガ造りの塔があって、この両塔が跨線橋で結ばれている。特急はこの駅に停まることはなく、警笛を鳴らし通過して行く。

信号は 夕張鉄道 名残なり

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警笛を 残し特急 視界消え

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2010年02月21日

高架工事で変わる野幌駅

 野幌駅は北口から国道12号線方向に商店街が並ぶ。南口はかつてレンガの工場が並んでいた地区への出口で、南口近くにレンガを焼いた登窯の跡地がある。旧肥田陶管工場のレンガの建物も南口の近くにある。しかし、古いレンガの建物は新しい建築基準法ではそのまま利用できず、一部を除いて工場の建物は放置されている。野幌駅は高架の工事が進んでいて、工場跡の煙突も高架の橋脚に遮られて、車窓から眺めることが困難になってきた。

高架後は 消え行く駅舎 仮姿

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この眺め いつまでありや レンガ町

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2010年02月18日

高架下の稲積公園駅

 駅は手稲稲積公園に跨線橋でつながっている。この公園は手稲プールを中心にテニスコートや運動広場があり、公園の利用者も駅を利用する。公園の施設が閉鎖される冬期間は、通勤者や学生が主な利用客のようである。駅舎は高架の下にあり、改札口から上ってプラットホームへ出る。公園への道路は、線路のさらに上にある跨線橋を通るので、駅舎は高架と跨線橋の下で小さく見える。手稲駅方面から来る列車が雪煙をあげて近づいてくる。

小駅が 跨線高架の 下にあり

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雪煙り 上げて列車の 駅舎入り

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2010年02月17日

踏切のある稲穂駅

 札幌は大都会だけあって、市の中心部の線路は高架になり、高架で無いところには跨線橋があり、踏切を通ることが少なくなってきている。それでも踏切はあって、函館本線が手稲区を突き抜けるところには踏切がある。無人駅の稲穂駅は南北にプラットホームがあり、構内に跨線橋がないため、この駅で降りて線路の反対側に行こうとすれば、駅の傍の踏切を渡らねばならない。警報音がカンカン鳴るところで、遮断機の下りた踏切に立ち、通過して行く列車の写真を撮ってみる。

踏切が 駅に接して 稲穂駅

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踏切で 待つ束の間の 列車撮り

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2010年02月16日

雪のほしみ駅

 ほしみ駅は札幌の西はずれにある無人駅で、1995(平成7)年に開業しているので、新しい駅である。駅の周辺に商業地や住宅地が形成されることを見込んで開業した駅と思われるけれど、開業後15年を過ぎても、駅舎の周囲は空き地が目立ち、冬季には雪原の中に駅舎がある感じである。この駅の西側は小樽市となり、西隣の駅は銭函駅となる。線路は、開けた平地から銭函の海と張碓の崖の狭い場所に入る。無人駅のプラットホームからは、銭函の海に落ち込む張碓の崖が見えている。

白視界 雪の広場と 駅舎壁

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線路先 張碓の崖 雪被り

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2010年02月14日

雪の中の美唄駅

 美唄はアイヌ語で「ピパ(貝)の多い沼」に由来する。美唄駅には二人の芸術家の作品がある。一人は、1908(明治41)年札幌から釧路に向かう時、この駅を通り過ごした石川啄木で、次の歌を残している。「石狩の美国といえる停車場の 柵に乾してありし 赤き布片(きれ)かな」この歌はプラットホームや駅舎前の歌碑で目にする。もう一人は、1945年に美唄に生まれた彫刻家安田侃である。「生棒」と題された安田の彫刻が、駅のプラットホームにあり、通過する列車を見ている。

ピパの駅 赤い布片(きれ)無く 雪世界

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生棒(せいぼう)を 過ぎる列車の 美唄駅

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2009年03月09日

利用客二位の手稲駅

 手稲駅は、札幌駅に次いで道内では二位の利用客数を誇る駅であるのはちょっと意外である。でも、新札幌とか琴似は地下鉄の駅もあるので、地下鉄が伸びていない手稲駅はJRを使うより他なく、考えてみるとこれは妥当な数字であろう。この数字の乗降客が利用するだけあって、広い構内を線路が延びている。手稲駅は手稲本町側の南口と前田側の北口があり、両乗降口をつなぐ愛称「あいくる」の自由通路がある。この通路には國松明日香作「雪だるまをつくる人」の彫刻がある。

雪の中 延びる鉄路の 先を追い

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雪だるま 作る人いて 手稲駅

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2009年03月06日

張碓駅のあった秘境の浜の入り口-恵比須島

 銭函の駅の次は朝里駅となる。その中間にかつては張碓駅があったけれど、廃駅となってしまった。張碓駅は張碓海岸に海水浴に行く客が利用していた。駅が無くなれば駅のあった辺りの海岸は秘境の海岸となる。平坦な銭函の海岸から張碓の町に入ると、海岸は切り立つ崖の下になる。崖が海に取り残されたような恵比須島が見えてくる。島の周囲を利用して船揚場が設けられていて、漁師の家が並んでいる。列車が通るたびに信号機が鳴り、恵比須島が窓外に現れ、消えていく。

恵比須島 ここは張碓 秘境浜

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踏み切りの 警笛鳴りて 船揚場

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2009年03月05日

雪の朝里駅

 朝里の海岸に接するようにある無人駅である。毎年12月に札幌、小樽間で観光用にSLのクリスマス号が走り、その写真を撮るために出向いている。この駅から乗車する客はほとんど居ないようで、この時は客が一人雪の降るホームに立っていて、雪の中電車を待っていた。小樽に向かうSLはこのホームを通過していくのでカメラを手に待機していると、警笛を鳴らしてSLが通り過ぎ、写真を撮ることができた。その写真は「小樽・石狩秘境100選」(2007)に載せてある。

海近き 人無き駅舎 雪降りて

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電車待つ 客一人居て 朝里駅

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2009年03月04日

観覧車の見える小樽築港駅

 小樽築港駅者は複合商業施設ウィングベイ小樽と渡り廊下でつながっていて、造りは立派である。しかし、マイカル小樽が倒産してウィングベイになった経緯もあり、鉄道を利用して訪れる客数が低迷しているようである。商業施設の集客に一役買うはずの観覧車には人影が見えない。止まっているのかと、動く車窓からみると、ゆっくりとではあるけれど回転している。回転はしていても、築港駅の構内に停車していた雪かき用列車のように、出番がなくて待機しているのと同じである。

窓外は 動きの鈍き 観覧車

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待機する 雪かき列車と 観覧車

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2009年03月01日

銀世界の中の銀山駅

 かつて北海道には多くの炭鉱と金属鉱山があった。函館本線の小沢駅と然別駅の間にある銀山駅も、銀鉱石が採掘された歴史が駅名として残っている。銀鉱石が採掘されていた頃は、銀山の名前から連想されるように、鉱山を中心にしてそれなりに羽振りの良い地域だったのだろう予想する。駅の方は1905年(明治38年)に設置されているので、古い駅であるけれど、今は無人の駅舎があるだけで、乗降客も目につかない。銀世界の中に銀山の駅舎があって、雪の中を線路が延びている。

銀山と 羽振り良き名も 無人駅

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銀山は 鉄路囲みて 銀世界

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2009年02月02日

金運上昇-銭函駅

 銭函はかつて石狩湾での鰊漁で栄え、漁師の家々で、鰊漁で得た金を保管する金庫があったと言われている。この金庫-銭函がこの町の名前になって、鉄道の駅も同様な名前である。現在は鰊漁も廃れ、漁師も沿岸や近海で細々と漁をしていて、昔の鰊漁の賑わいはない。しかし、金につながる縁起の良い名前を生かそうと、駅舎の看板やプラットフォームの駅名表示には銭函のデザインが取り入れられている。駅スタンプにも「金運上昇」の文字が見られ、旅行者にアッピールしている。

金運を 名に託しての 銭の函

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2009年01月26日

周辺の開発が進む琴似駅

 札幌駅周辺が高架になり、琴似駅周辺の再開発が進み、特に北口に136m、40階建のマンションが建設された。駅周辺にはこの高さに匹敵する建物がないため、西区のランドマークになっている。こののっぽのマンションが造られたのは、琴似駅に隣接した立地条件が良いためで、線路を根にして、居住者という養分を吸収して高層化につながっていると喩えてもよい。駅舎内に「温線紀行」の宣伝があり、旅心は電車で行く温泉に捕まってしまう。

駅舎根に 上に伸びたり のっぽビル

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旅心 温線紀行 反芻(はんすう)し

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2009年01月19日

彫刻のある岩見沢駅

岩見沢駅のプラットホームには木彫の輓馬像が置かれている。岩見沢競馬場で行われていた、鉄製の橇を曳かせるばんえい競馬の輓馬である。競技は2006年に中止されたので、この馬の像が何故ここにあるのか次第にわからなくなっていくのだろう。岩見沢駅は、2007年に新駅舎の一部が利用できるようになった。駅舎の完成は2009年の春になっている。駅前の広場に置かれている朝倉響子作の「友だち」のブロンズ像が雪に埋もれていた。

輓曳(ばんえい)の 記憶薄れて 輓馬(ばんば)像

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友だちを 雪が止めたり 駅の前

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2009年01月14日

パン屋のある発寒中央駅

 函館本線は西区、手稲区では北西から南東に伸びる直線となっている。この線路の上にこの駅舎があり、線路方向の見晴らしが良い。線路の上の改札口の向かいにパン屋もあり、ガラス窓を通してパン作りが見られる。電車待ちの時には、パン作りを見て時間をつぶせそうである。発寒では直線の線路に南北に伸びる道路が交わり、発寒中央駅の横で踏切になっている。電車が通るたびにこの踏切は遮断される。隣の琴似駅でも、かつてこの状況が生じたが、線路の高架により解消された。

パン生地を こねる手を見て 電車待ち

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踏切の 交通断って 電車着き

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2009年01月13日

SLのある苗穂駅

 苗穂駅駅舎は、1938年当時のものとさほど変わっていない木造駅舎で、いかにも年代物という感じである。駅の北側にはJR苗穂工場があるので、駅舎の南側にしか出入り口がない。南口の道路を挟んで小さな広場があり、ここにSLの駆動輪が置かれている。同じような駆動輪は苗穂工場の構内にもある。この苗穂工場は毎年十月上旬の「鉄道の日」の記念日に市民に開放される。市民へのサービスのため、ジーゼル機関車の助けを借りて構内を模擬走行するSLに体験乗車できる。

駆動輪 覗き見る先 古駅舎

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記念日は 体験乗車 苗穂駅

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2009年01月12日

運転所に隣接する稲穂駅

 稲穂駅は函館本線の札幌市内駅であるのもかかわらず、利用客の少なさそうな無人駅である。雪の季節に訪れると、駅前の濁川のプレートのある自転車置き場に放置自転車が雪に埋まっている。この川は駅舎に向かって、線路に直角方向から流れて来て、駅舎のところで流れる方向を90度変え、線路に沿って流れていく。跨線橋がないので、駅舎の近くの踏み切りで向かい側のホームにゆくことになる。駅舎に隣接して運転所があり、立ち入り禁止の構内に車庫や車両が雪の中に見える。

濁川 流れる横に 稲穂駅

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運転所 通る人無く 雪の中

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2009年01月08日

跨線橋通路ある星置駅

 星置駅の北側には団地や商業施設が広がっているのに対して、南側は線路と並行に国道5号線が走り、少し高いところに駅舎への通路口がある。通路は跨線橋になっていて、徒歩に加えて、自転車も押して通れるようになっている。線路の上に位置していている駅舎内では、札幌方面の電車の遅れのアナウンスに客が思案している風である。小樽行きの電車が、崖の下の線路を構内に侵入してくるのを写真に撮る。この時期、崖の木立は葉を落としていて、殺風景な風景が広がっている。

星置で 遅れに客の 思案なり

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崖に沿い 進入電車 駅舎下

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2009年01月07日

札幌市の端にあるほしみ駅

 ほしみ駅は札幌市と小樽市の境界の手稲区星置にある無人駅である。両市の境界は、線路を横切って流れるキライチ川からほしみ駅の西側広場を通っている。この広場のところに札幌市と小樽市のカントリーサインが道の両側に立てられている。西口と東口つなぐ跨線橋があって、無人駅舎の自動改札機を通ってそれぞれのプラットホームに出る。駅舎横には自転車駐輪場の看板があるけれど、雪の季節には自転車は利用されることはなく、放置自転車が雪に埋もれてあるだけである。

ここはもう 市の境界の 無人駅

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自転車で 来る人も無く ほしみ駅

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2009年01月04日

正月の発寒駅

 正月の三日目に発寒駅近くの大手のショッピングセンターに買い物に行く。ついでに、発寒駅の駅舎内の写真を撮ってくる。駅舎は跨線橋の中央にあって、電車が駅舎の下を通過していく造りになっている。松の内でも、特に正月の雰囲気が感じられることもなく、ガラスの仕切り窓の無い事務室内で、駅員が普段の様子で打ち合わせをしている。札幌行きのアナウンスがあると、待合室の客がホームに降りてゆく。ほどなくして進入して来た電車が駅舎の下に停まったのを写真に撮った。

松の内 普段通りの 打ち合わせ

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札幌行き 案内ありて 電車着き

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2009年01月03日

競馬場近くの桑園駅

 桑園駅は札幌競馬場の近くにある。この駅は、元々札幌競馬場の客のために開設されて、現在も競馬の開催日にはこの駅を利用して競馬場へ行く客が多い。このような経緯もあり、ホームへの階段の踊り場に馬が走っている図柄のステンドグラスがある。駅に隣接するように札幌市立病院があり、病院に通う人も利用する。札沼線はこの駅から分かれていく。特急は停まらないので、特急通過時にはホームに電車待ちの客の影はなく、列車通過のアナウンスとともに特急が通過していく。

ガラス馬 駅舎で走り 競馬なり

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特急は 乗せる客なく 走り過ぎ

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2008年12月31日

何故ブログを書くのか

 今日は大晦日なので、自分のブログに関してほんの少しばかりのコメントです。コメントの主題は何故毎日(に近く)ブログを書くのか、です。

 ブログを大別すると、ブログで完結するもの、ブログは過程であるのも、があります。どちらでもブログは表現の手段の点では変わらないのですが、前者ではブログそのもの(ブログを書くことと書いた記事)が目的ですから、一般に写真や書き込みが多くなります。ブログによっては、コメントのやり取りがブログを構成する上で重要です。むしろ、コメントのやり取りそのものがメインになったりするブログもあります。

 後者の場合、ブログは別の目的、例えば本の出版の作業過程のような場合があります。ここで本の原稿をブログで書いているとすれば、なるべくブログをそのまま原稿にできるように書いておく方が後の処理が簡単になります。私のブログはそのようなものが多いので、形式が似たものが並びます。

 爪句の豆本の出版の場合、見開き2ページで写真2枚、爪句2句、説明文200文字、という形式です。このブログの記事の「啄木ゆかりの小樽駅」がこの形式になっています。

 本にするためには、本のテーマがあります。今回の小樽駅の場合、大きなテーマは「北海道の駅爪句遍路」みたいなものです。道内の駅を巡るといっても、一年でできるかどうか、できたとしてもただ通過するだけなら面白くもないし、楽しみながらということになれば気のむくままに、といったところがあります。そうすると数年のプロジェクトになります。年月がかかるとすれば、写真と記事を記憶が鮮明なうちに残しておく必要があります。その点、写真とテキスト付でその時々に整理もかねて書き残せるブログは優れています。

 ワープロが文書作成(原稿書き)に無くてはならないものになったと同様、本作りにブログが欠かせない手段になりつつあるのではないかと思っています。ブログは公開、非公開の選択ができますので、原稿の一部だけを公開して、本の前宣伝というテクニックも使えます。ただし、ブログへの訪問者の数が限られていれば宣伝にもなりませんが。

 物書き(一応、都市秘境作家と自称しています)としては、読者がいると想定しないと、書く行為のモチベーションが出てきません。で、当ブログへの想定訪問者に、今年一年のお礼と来年もそこそこの年で過ぎますように、とのご挨拶で本年のこのブログの締めくくりとします。

啄木ゆかりの小樽駅

 石川啄木は1907年小樽日報社に赴任する際、義兄の中央小樽駅長山本千三郎の家に投宿している。社内抗争で同新聞社を辞めて、翌年一月妻子を残して釧路に向かっている。この時の旅立ちの情景を詠んだ短歌「子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな」の歌碑が小樽駅を見下ろすところに建っている。駅のホームには、小樽港のヨットハーバーをイメージしたホーム番号で、幼少期を小樽で過ごし、ヨットを愛した石原裕次郎の記念館が港にあるのを連想する。

啄木の 見た駅舎雪 今もあり

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港町 プラットホームに ヨット見て

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