2015年09月30日
今日(9月30日・その2)の一枚
サクラマス 数の増えたり 中の川
雨の日が続いて水嵩が増したせいだろうか、中の川にサクラマスが戻って来ている。年毎に数が増えているように見える。この狭い小川では産卵に適した場所は多くはないと思えるのに、必死で急な流れを遡ってくる。秋の風物詩に定着である。
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2015年09月30日
サクラマス 数の増えたり 中の川
雨の日が続いて水嵩が増したせいだろうか、中の川にサクラマスが戻って来ている。年毎に数が増えているように見える。この狭い小川では産卵に適した場所は多くはないと思えるのに、必死で急な流れを遡ってくる。秋の風物詩に定着である。
湧別軽便線の開通時に上相ノ内駅として開業し、次に相ノ内駅に改称、さらに現駅名になっている。従って、駅名の読みには「の」が入る。新しく見える駅舎と並んで、屋根付きの立派な駐輪場がある。駅舎と駅前広場には少し段差があり、正面玄関への直接の階段はなく、駅舎横にスロープと階段が設けられている。外壁に取り付けられた駅名がすっきりとしている。ホームは単式と島式からなる2面2線で、構内踏切がある。駅の北側に国道39号が延び、駅前通りでつながっている。駅の南側は資材置き場で抜ける道はない。
駅名は 「の」を入れて読み 相内(あいのない)
2015年09月29日
成都旅行の5日目は札幌に戻るための1日である。大学のホテルを朝6時半出発して成都国際空港に向かう。侯先生が大学の車で送ってくれる。チケットは成都~新千歳であったが、カウンターで成田でバッゲージをチェックアウトして、国内便の手続きをするようにといわれ、日本国内での乗り継ぎ手続きがうまく行かなかった。
飛行機に搭乗するまで、することもなかったので成都国際空港でパノラマ写真を撮る。
(パノラマ写真:成都国際空港ロビー)
帰国して成都滞在中のパノラマ写真を整理しているうちに1週間は過ぎてしまった。9月27日は中秋の名月で、土産の月餅を、これまた土産の立体ジグソーパズルの壺を完成させたものに置いて、窓の外の名月と重ねて撮ってみる。月は小さな白い円で写っている。
(中秋の名月と月餅にジグソーパズルの壺)
壺にはやはり花かと、庭に咲いているサンジャクバーベナを差してみる。壺の傍らにあるのは西南交通大学の名前の入った刺繍で侯先生からいただいた。
(西南交通大学の名前入り刺繍)
成都旅行のパノラマ写真の整理に区切りをつけねば、と思っていると鄒さんからメールに添付した、葉書仕立ての写真が数枚送られてくる。その1枚に11年前の成都訪問時に楽山大仏を背景にした写真がある。それと今回の写真の組み合わせで、スマホを利用したこんな写真の加工が中国ではよく行われ交換されているようである。
(鄒さんから送られて来た葉書加工写真)
楽山の大仏は2年前に成都を訪れた時にも見に行っており、そのパノラマ写真の未整理の1枚を合成してみる。この時の成都訪問時にも侯先生、莫君、鄒さんにお世話になっている。
(パノラマ写真:楽山大仏2013・11・3)
パノラマ写真に合成していない成都旅行時の写真データはまだまだ残っているけれど、適当なところで切り上げなければ次の仕事に進めないので、これで成都旅行のブログ記事は完結である。
「留辺蘂」は難読名の部類に入るだろう。アイヌ語の越え下っていく道の意味の「ルペシペ」が転訛したものといわれている。平屋の駅舎の屋根に「温根湯温泉郷」への歓迎看板があるので、温泉の客も利用するのだろう。JR北海道の社員配置駅であり、ホームに出ると島式ホームも含めた2面3線である。跨線橋があり特急「オホーツク」も停車する。駅前横に高浜虚子の歌碑があり、「皆降りて 北見富士見え 旅の秋」の句が見える。北見富士は駅の北西方向に見える1306 mの山である。虚子はこの夜阿寒湖に泊まる。
北見富士 どこに見えるか 虚子の歌碑
2015年09月28日
遠軽駅から南に延びる石北本線は金華駅を過ぎ西留辺蘂駅付近で方向を90度東方向に変え、北見駅方向に向かう。北見市と合併した留辺蘂町の市街部には二つの駅があり、西側が西留辺蘂駅、東側が留辺蘂である。短い距離に二つの駅があり、西留辺蘂駅が2000年開業と新しいのは、留辺蘂高校の生徒の通学駅として設置された経緯によるようだ。通学時間帯には列車の編成を増やしている。1面1線でホームに待合室がある。通学時間帯を外せばワンマン運転の列車が停まり、取材時に休み中の生徒と思しき姿があった。
スマホ見る 生徒の居たり 駅ホーム
2015年09月27日
昨夜泊まった花水湾名士ホテルの周囲を歩いてみる。温泉施設の外観も写真に収める。泊まったホテルはこの辺りでは最高級のようである。川の中にカエルのオブジェが何体もある。
(パノラマ写真:花水湾名士ホテル周辺)
ホテルをチェックアウト後成都に戻る途中に道教の寺があるというのでこれを見物。寺の山号は鶴鳴山である。境内の入口のところに線香をあげるお堂があって、莫君夫妻が線香を買って火をつけて、お堂の前の灰の山に挿している。大きな線香である。
(パノラマ写真:鶴鳴山線香お堂)
道教発祥の寺と言われている由緒ある寺のようである。山の斜面に本堂、経堂、僧堂等が並んでいる。少々登山気分で石段を登る。境内の最も高いところには湧き水があって、これを紙コップで飲んでみる。
(パノラマ写真:鶴鳴山の道教寺境内最上地)
境内に入った時、莫君が買ってくれて挿しておいた線香がかなり燃えて灰になっていた。山門のところに物売りの一団がいて、柿とコクワを買い求める。
(鶴鳴山の線香)
渋滞気味の高速道路で成都市に戻り、新しく出来たデパート内にある高級レストランで昼食となる。成都は内陸の都市であるにもかかわらず、アワビの料理が出てくる。日本でもアワビはめったに口にしたことはないのに、皿にあるアワビの大きさには驚く。北京ダックならぬ、成都ダックの料理も出てくる。美味である。
(成都のレストランでのアワビ料理と成都ダック)
莫君の父親の「成都華日通訊技術有限公司」董事長莫景猷氏も昼食会に加わる予定だったが、市内の交通渋滞で間に合わず、景猷氏とデパートの近くで待ち合わせとなる。そのついでに街の様子をパノラマ写真に撮る。成都市の都心部にある古い寺の古大聖慈寺を生かした商業地区の都市再開発を行っているようで、新しい高層ビルと低い古い寺院の対比が見事な景観を造っている。
(パノラマ写真:成都都心部古大聖慈寺)
景猷氏が到着して先ほどのデパートのVIPルームで歓談する様子をパノラマ写真に撮る。景猷氏は筆者より1年年上である。
(パノラマ写真:VIPルームでの莫景猷氏と莫君夫妻)
パノラマ写真では撮影している筆者が写らないので、スタッフに頼んで莫景猷氏、莫君夫妻と記念撮影をする。
(写真左から莫景猷氏、筆者、莫舸舸君、奥さんの鄒宏菁さん。)
デパートの様子をパノラマ写真に撮る。このデパートには世界のブランド品のテナントが入居していて、ブランド品を買い求めるのには不自由がないようである。成都はデパートの激戦地だとのことで、新しいデパートが出来、古いデパートが無くなっていっているそうである。成都のデパートや街並みを見た後では、札幌は田舎のように見えてくる。
(パノラマ写真:成都のデパート)
侯進先生や徐軍君の招待で、変面がプログラムにある川劇ショーをやっているレストランで夕食会となる。個室の夕食会だったので、変面ショーの時だけ舞台を見物する。しかし、何回見ても変面の仕掛けは分からない。当然ながら中国人にもその秘密は分からないようで、皆であれこれと推測する。
(成都のレストランでの変面ショー)
夕食会の最後に記念撮影となる。夕食会後は侯さんと歩いて近くにある大学のホテルに戻る。
(左から侯先生、趙先生、筆者、崔さん、徐君)
秋の空 雷雨に変わる 雲流れ
午前中に三角山に登る。山から戻り昼食後、頂上で撮ったパノラマ写真の合成をやっていると雷雨となる。秋の天気は変わり易いという好例である。午前中は天気が良かったので登山に出掛け、この雷雨に遭遇した不運な登山者もいただろう。
2015年09月26日
無標識 山頂確認 三角点
「白川市民の森」には散策コースが幾つもある。市民の森のピークになる青山を通るコースがあり、山頂であることを三角点で確認する。標高は530.5 mで点名は読み取ることができなかった。曇り空で南の方向に焼山の頂上部分が見えただけである。
(パノラマ写真)
JR北海道が2016年に予定している廃駅に金華駅も含まれる。予定の廃駅や既に運行停止の列車のパノラマ写真を使ったカレンダー「パノラマ写真で記憶する北海道の鉄道」を2015年に作成した。金華駅と生田原駅間の常紋トンネルの工事殉難者追悼碑が金華駅から歩いて行ける小高いところにある。この碑のパノラマ写真もカレンダーに刷り込んでいる。国道242号から折れた東向きの道の突き当りに木造駅舎がある。この道の両側に廃屋が並らぶ。ホームは2面2線で、北見駅に折り返す列車がホームに停まっている。
金華は 暦に姿 留めたり
2015年09月25日
朝成都を発ち、西嶺雪山の中腹にある温泉リゾート地に莫君の車で向かう。この日の運転は奥さんの鄒さんである。西嶺雪山は初めて聞く名前であるけれど、杜甫の詩の「窗(まど)には含む西嶺千里の雪 門には泊す東呉万里の船」で中国では人口に膾炙している、と教えられる。
途中安仁古鎮の大邑劉氏庄園を見学する。ネットで調べると、四川省の官僚で地主の劉文彩氏とその兄弟らが建てた5棟の邸宅が修復され博物館として公開されている。中西部の典型的な結合式建築群で、中国の封建時代の名家の屋敷で、欧米風の城壁と教会堂の特色を生かした特徴がある。劉氏の屋敷は、半封建・半植民地時代にあった20世紀前半の中国の経済、文化、四川軍閥史、民俗学を研究するうえで高い価値がある。
博物館の内でパノラマ写真を撮る。鄒さんが手にしているものは最近流行りのスマホの自分撮り装置である。
(パノラマ写真:大邑劉氏庄園博物館内)
邸宅内の庭には苔があって、湿度の高い場所のようである。
(パノラマ写真:大邑劉氏庄園博物館庭)
劉氏一族の生活ぶりが見えてくる家屋や品々の展示がある。その中のフォード社製の車もあり、当時の財力の大きさが垣間見える。
(往時劉氏一族が使っていたフォード社製の車)
一方、当時の荘園の小作人や使用人が過酷な環境にあったことを示す彫像の展示もあり、彫刻の美術館の趣もある。
展示物を撮っていたら、莫君と鄒さんがガラス窓に映っていた。
劉氏庄園博物館を見終わった後で、安仁古鎮を観光地として整備した一画で昼食となる。レストランの店先にあるテーブルで日本人には激辛の四川料理を食べる。レストランのある通りでパノラマ写真を撮ると「孔裔国際公学」の門が写っている。これは有名なインターナショナルスクールだと教えられる。
通りには傘を逆さにした飾り付けがあり、その下にモデルを立たせての撮影会が行われていた。撮影会に便乗して何枚か撮ってみる。
安仁古鎮には路面電車が走っている。乗ってはみなかったけれど、パノラマ写真は撮っておいた。
(パノラマ写真:電車安仁号)
安仁古鎮から今日の目的地の西嶺雪山の温泉地に向かう。宿泊したホテルは5星の豪華なホテルである。ホテルで休んでから近くの温泉に浸かりに行く。中国の温泉は水着で入る。多分素っ裸で温泉に入るのは日本ぐらいなものだろう。水着を持ち合わせてはいなかったけれど、部屋に売り物の水着があったのでこれを使う。
山の中に湯船が並んでいて(水着姿なので湯船がどこに在っても支障をきたさない)、山中の風景も満喫できてすばらしい。生憎カメラを持ち込まなかったので、温泉の様子を写せなかったのが残念である。莫君に言わせると、中国では景色より人が少ないのが良い条件だそうで、この日は確かに人が少なかった。水着温泉の利点はどこでも男女混浴で、莫君と鄒さんと一緒になり湯船を独占した状態で長話である。
砂湯とか泥湯もある。ドクターフィッシュの居る湯船もある。水泳のできるところもあるそうで、この温泉に馴れたら、日本の大浴場に入った中国人が泳ぎ出すのもわからないでもない。それよりも、素っ裸で入る男女別々の日本の温泉では、日中の温泉文化のギャップが大きくて中国人は戸惑うだろう。
月餅や 味より値段 薄く切り
成都の高級レストランで莫君、鄒さん夫妻と昼食を摂った後で土産として頂いたのが香港の美心月餅4個入りの箱。1個200g近くの重さがある。ネットで調べると目の玉が飛び出る値段である。これは大切に食べねばと小さく切って食べている。
2015年09月24日
駅暦 売れてくれよと 図版見る
ホテルでの朝食会後印刷会社に行きカレンダーの最終校正を行う。全部で500部印刷して、赤字をどの程度に抑えることができるかが問題である。紀伊国屋書店で店頭に置いてくれることにはなっているけれど、さてどのくらい売れるだろうか。
朝泊まった鏡湖賓館の前でパノラマ写真を撮ってみる。鏡湖とは宿泊施設の前にある湖である。湖にはハスか睡蓮の葉が見えるのだが、花は無かった。
(パノラマ写真:鏡湖賓館前)
西南交通大学の侯進先生の研究室で南京大学の趙健偉教授の講演を聞く。テーマは「Big data in physical chemistry」である。中国語だけの講演で、スライドの文字を読んで内容を類推する。趙教授は北大に留学して博士号を取得後南京大学に戻り、数年後31歳の若さで教授になったと聞く。
(パノラマ写真:講演中の趙教授)
趙先生の講演後、侯進先生の研究室で大学院生らも交えて記念撮影を行う。侯先生一人の指導学生が20名を超すというからすごい数である。侯先生のメインの研究テーマは、北大博士課程で行ったサイバー空間でのアバターに関するものの延長線上にある。
(パノラマ写真:侯進先生研究室記念撮影)
侯先生の住居が研究室の近くの高層マンションにあり、見せてもらう。侯先生は本キャンパスの近くにもマンションがあり、そちらで生活していて、新キャンパスのマンションには住んでおらず、空き家同然になっているとのことである。趙先生の方は住居を3つ持っているというから、中国の住宅バブルが大学にも及んでいる感じである。
(パノラマ写真:住んでいない侯先生の住居)
車で新キャンパス内を案内してもらう。来年創基120周年を迎えるこの大学は重点大学で、キャンパス内に建屋が並んでいて全体像が見えない。大学の門(何門かわからず)のところでパノラマ写真撮影である。
(パノラマ写真:西南交通大学門)
昼食は侯先生、趙先生と共に成都市内のホテルで昼食となる。筆者の研究室で博士号を取得し、IT企業のアクセンチュアに勤め、現在上海に住んでいる徐軍君と奥さんの崔蓉暉さんと合流する。昼食後は黄龍渓古鎮見学である。
野付牛駅(北見駅)から湧別駅までの湧別軽便線開通に際して開設された駅で、その後軌道が762ミリから1067ミリに改軌道され、石北本線の開通に伴い同本線の駅になっている。駅舎は新しくオホーツク文学館と図書館との併設になっていて、正面から見ると駅舎には見えない。ガラス張りの建物の前に「オホーツクの風」と題された女性がモデルの彫刻がある。建物の駅通路を抜けてホームに出ると、2面2線で構内踏切がある。ホームから「オホーツク炭化センター」の建物と煙突が見えるがこの協同組合は破産している。
駅名と 文学館の 名が並び
2015年09月23日
成都市にある西南交通大学の侯進先生の招待で4泊5日の成都旅行に旅立つ。初日の9月16日は、新千歳空港から成田国際空港で乗り継いで成都に向かう。飛行機に乗るだけの1日で、暇にまかせて千歳空港でパノラマ写真を撮る。
(パノラマ写真:新千歳空港)
トラブルが無ければ、午後2時過ぎに新千歳空港を出発して成都には午後10時過ぎ(現地時間で、中国は日本より1時間遅れの時差がある)に着く。国際線の機内で初めてパノラマ写真を撮ってみる。狭い機内で、スチュワーデスや乗客の目を気にしながらの撮影で、データの写真は上手く撮れず、帰国後の合成時に時間をかけてもつながりの良いパノラマ写真にはならなかった。
(パノラマ写真:ANA機内)
成都国際空港には侯進先生が迎えに来てくれていて、そのまま西南交通大学のキャンパス内にある宿泊施設「鏡湖賓館」に行き宿泊手続きを取り、1日目を終える。
石北本線は生野駅を通過する辺りでは南北に直線状で延びている。駅待合所も無く、ホームだけの駅である。ホームからは牧草地と農家の建物が見えるだけである。周囲を山並みが取り囲んでいて、盆地状に開けたところに駅がある。駅周囲の状況から乗降客は期待できないようで、一部の普通列車は通過する。ホームを見上げるようにして撮ってみると、黄色い花が一面に咲いているのが写り込む。タンポポモドキ(ブタナ)かエゾコウゾリナの花のようである。上り下り方向で地形に沿って線路はカーブして隣駅に至る。
ホーム下 ブタナの咲いて 生野駅
己(おのれ)影 川面(かわも)に写し カワガラス
中の川のカワガラスはなかなか近くで撮らせてくれない。遠くから撮ったものを拡大してみる。朝日の差してこない川の中では、カワガラスは川面の色に溶け込んだように写る。水面にカワガラスの影が写っていて、単調な写真を救っている。
大邑県安仁鎮の大邑劉氏庄園博物館内で目にした日本語の説明文は奇妙なものでした。意味は中国語の漢字で類推するしかないでしょう。
「教会でヤン中華」:語順と「てにをは」の使い方、日本語の片かな漢字の表記法、とこれは日本語の表記法の教材になりそうです。
「注ぎ入れ禁止」:これは全くもって意味不明。併記の中国語より英語の方が判ります。
2015年09月21日
コスモスの 咲く風景や 日本なり
昨日四川省成都市から帰国し、夜遅く自宅に戻る。不足気味の睡眠時間で、今朝は見慣れた近所の散歩。住宅街にコスモスが咲いている風景はいかにも日本的である。一日の飛行機の旅で、中国の“動”から日本の“静”へと移動した感じがする。
2015年09月20日
2015年09月19日
客引きの パンダも居たり ビルの上
莫君と鄒さんとで昼食ということで、完成して間もない都心部のデパートのレストランに寄る。デパートの屋上にパンダが居るということで見に行くと、巨大なパンダの張りぼてが壁に取り付けられている。パンダの里ならではのデザインである。
(パノラマ写真)
2015年09月18日
安仁鎮 若き夫婦と 歴史観る
大学のホテルから莫舸舸君の車で奥さんの鄒宏菁さんの運転で西嶺雪山にある花水湾温泉地に向かう。途中、成都市の隣の大邑県安仁鎮の大邑劉氏庄園博物館を見学。文革時代には批判の対象だった地主の邸宅が、博物館として開放されている。
(パノラマ写真)
2015年09月17日
石蛙 石亀も棲み 古鎮なり
午後侯先生、趙先生、崔さんらと黄龍渓古鎮に遊ぶ。成都市内から40 kmのところにある古鎮で、中国十大古鎮の一つといわれている。古鎮といっても観光用に新しく造られた街並みといったところで、この水郷古鎮は多くの観光客で賑わっていた。
(パノラマ写真)
2015年09月16日
成都市は 思い出の都市 発つ日朝
四川省成都市にある西南交通大学訪問のため出発する朝である。同大学の侯進先生からの招待で、侯先生はかつて北大の筆者の研究室で博士号を取得している。成都市には研究室で博士号取得の莫舸舸君や奥さんの北大在籍歴の鄒宏菁さんが居る。
追記:9月16日から20日まで成都市に行っており、ブログは(多分)お休みです。勉強会eシルクロード大学(9月17日・木)は予定通り行います。
北海道の駅の多くがアイヌ語に漢字を当てはめたものであるのに対して、安国とは和名そのものの駅である。実際下生田原駅として開業し、地域名が安国に改名したのに従って駅名も変更された。「安国」は祝詞にある言葉を拝借で、和名そのものである。現在は遠軽町の駅で、遠軽町の産業に林業があり、駅舎も木造である。2面2線のホームにから駅舎のショーウィンドウを見ることができ、「木のおもちゃ王国」の看板が駅舎壁にある。遠軽町には木製玩具を集めた「ちゃちゃワールド」があり、その分館の雰囲気である。
駅名は 安らかな国 祝詞なり
2015年09月15日
久しぶり カワガラス撮り 秋間近
久しぶりに中の川でカワガラスを撮る。用心深い鳥で、静かに近づいても逃げられる。今年は春からカワガラスをよく撮った。そろそろ秋本番である。雪の季節はこの川は積雪の下になるのでカワガラスは水面のある場所に移動するのだろう。
遠軽町の中心の駅である。遠軽の市街は駅(線路)の東側の南北に広がっている。石北本線は駅構内の北側で途切れスイッチバック運行となり、旭川方面と網走方面では列車の進行方向が逆転する。気動車であれば進行方向を変えるのは運転手の移動で済むが、SLであれば機関車全体の方向を変える必要がある。駅構内にはかつて使われたSL用の転車台が残っている。駅構内からも眺められる遠軽のシンボルは地上約78 mの瞰望岩で、アイヌ語で「インカルシ」(見張りをする場所)と呼ばれ、これが遠軽の名になった。
高台で 見晴しの良き 駅舎なり
2015年09月14日
瀬戸瀬駅は国道333号から折れて南に延びる駅前通の突き当りにある。駅周辺にわずかばかりの集落があり、国道沿いには郵便局もある。駅舎の正面の玄関部分は、三角屋根が腰折れ状態で地上に達するデザインで、ホーム側には三角屋根の雨除け庇が設けられた全体が箱型のシンプルな建物である。ホームは2面2線で跨線橋がある。現在は丸瀬布-瀬戸瀬-遠軽と駅が続いているけれど、かつては丸瀬布、瀬戸瀬間には伊奈牛駅が、瀬戸瀬、遠軽間には新栄野駅があった。遠軽-白滝間で普通列車が運行して駅に停車する。
客の無き 駅をつないで 列車行き
彩雲の 下に山塊 大都会
窓の外に彩雲、山塊、雲海、大都会の影絵の4層構造が見える。この景観は陽が高くなると直ぐに消えてしまうので、カメラに望遠レンズを装着するのももどかしく、何枚か撮ってみる。台風から変わった温帯低気圧も去って好天気の朝となる。
2015年09月13日
ワッカの地 パノラマ撮りて 花を愛で
朝から雨。昨日まで行っていた道東の北海道遺産のパノラマ写真の整理と処理を行う。自転車を借りて走った常呂町のワッカ原生花園のパノラマ写真には、原生花園の花に加えてサロマ湖とネイチャーセンター、栄浦大橋などが遠くに写っている。
(パノラマ写真)
2015年09月12日
雨宮(あめみや)号 道遺産なり 丸瀬布
初の国産SLで丸瀬布の森林鉄道で木材を運んでいた「雨宮21号」が北海道遺産に指定されている。この11 tのSLは現在でも同町の「森林公園いこいの森」で土・日・祝日に観光客を乗せて走っている。その走行する姿をパノラマ写真に摂ってみる。
(パノラマ写真)
丸瀬布駅は1面2線のホームがあり、使われていない側線に沿って塔の外壁に蝶をデザインした大きな建物が見える。この建物は丸瀬布生涯学習センターであり、図書室や託児所が入居している。この建物の風除室が駅待合室になっている。建物に蝶のデザインがあるのは、遠軽町丸瀬布に昆虫生態館があり、昆虫を同町の観光に役立てようとしているためである。特急「オホーツク」の1往復を除けば、全ての列車が停まる駅である。ホームでパノラマ写真撮影をしている時、丁度「オホーツク」が停車したのでこれを撮る。(2014.6.20)
離れ行く 特急オホーツク 丸瀬布
2015年09月11日
鐘の前 ピアソン夫妻 初対面
北海道遺産をパノラマ写真に撮るプロジェクトに手を染めていて、今日は遺産の一つ北見の「ピアソン記念館」を訪れた。同道はF工業のF社長に運転手のY氏である。ピアソン夫妻の事はあまり知らなかったので館内の説明をじっくり読む。
白滝シリーズの駅の東端に位置するのが下白滝駅である。駅舎はあるものの、駅近くに集落はなく、この駅での乗降客はほとんどないだろう。そのため2016年には廃駅予定に組み込まれている。のホームに出てみると2面2線である。この駅で印象に残ったのは人ではなく牛であった。駅前に牛を育てている農家があり、牛小屋が並んでいて、子牛が狭い箱の中に入っている。まるで養鶏のようで、身動きの自由があまりきかないところで餌だけを与えられ育てられている。効率はよいだろうが、牧場のイメージからほど遠い。(2014.6.20)
2015年09月10日
鉄道ファンには「白滝シリーズ」なる言葉で白滝の地名の入った4駅を表現する場合があるようだ。上白滝、白滝、下白滝は土地のつながりで理解できるとして、旧白滝が時の流れに関係していて、シリーズの名前の付け方では異質である。駅名なら新旧があっても不思議ではないけれど、駅名になった土地に旧の字が付いているのは、住民がこの土地を捨てた歴史があるようだ。ホームに待合室の小屋と駅名標があるだけで、乗降客を想像できない場所である。利用客はほとんど無さそうで2016年には廃駅に予定されている。(2014.6.20)
ワンマンカー 停まることなく 離れ行き
2015年09月09日
石北本線が湧別川に沿って延びる山間部に、白滝の地名を冠した駅が4駅も連続してあるのは、駅名という点で見ると珍しい。廃駅の荒しで、4駅中白滝駅だけが残りそうである。白滝の地は黒曜石の露頭があることでも知られていて、黒曜石の石器が作られていた史跡がある。広い駅前広場に面した駅舎は時計塔のあるすっきりとしたデザインである。ホームに出てみると2面3線で、3線とも利用されている。跨線橋は無く、ホーム間に構内踏切がある。島ホームにも待合室があり、雨や吹雪の日には利用されるのだろう。(2014.6.20)
廃駅の 風の止むかと 風見鶏
2015年09月08日
山登りを趣味にしているグループがあって、メンバーの一人がテレビで放送された「北根室ランチウェイ」を歩こうと言い出した。ランチウェイを最初耳にした時は、昼食を食べながら長い道のりを歩くのかな、と思った。ランチ(Ranch)とは大牧場を意味しており、牧場や山林を横切って歩き、宿泊所も牧場内や山小屋を利用する長距離徒歩旅行である。しかし、今まで耳にしたことにないトレイルの名称である。ランチウェイの途中には西別岳の登山も組み込まれているので、半分登山気分で行くことにする。
メンバーは筆者も入れて4名で、札幌からプロペラ機で中標津空港に飛ぶ。メンバーの一人のF氏の高校時代の同級生久保俊治氏が空港まで車で迎えに来てくれる。久保氏は「羆撃ち」(小学館文庫、2012)の著者である。氏の車で「神の子池」の見学に行き、ランチウェイの途中にある開陽台で下してもらう。ここから第一日目の宿泊所となる佐伯農場までの10.1 kmを歩く。この佐伯農場の当主佐伯雅視氏がランチウェイの提唱者であり、このロングトレイルの整備を実践している。
佐伯農場では敷地内の旧牛舎を宿泊施設として提供していて、ここに泊めてもらう。民宿といったものではなく、旅行者の宿泊ができるようにといった主旨で設けられている。従って、宿泊料金が設定されてはおらず、宿泊者が利用した謝礼を置いて行くシステムである。この宿泊施設にくつろいでいると佐伯氏が立ち寄り四方山話となる。トレイルから始まり、酪農業の現状、田園生活を教育に取り入れる話、等々と話題が尽きない。
佐伯氏は1950年生まれの64歳(2015年)である。生まれは岡山県で、佐伯農場の初代の、父親の柾次氏が中標津に移住したため1956年に来道する。小学校、中学校、高校は地元中標津で終え、高校卒業後は江別市にある酪農学園大学に進学、卒業している。卒業後は佐伯農場に戻り、酪農業を継いでいる。1990年代には100頭の乳牛から搾乳し、年間乳量1000 tonを達成している。2000年に入り牧場敷地内にレストラン「牧舎」をオープンさせ、2004年には「ダンと町村酪農文化賞」を受賞している。
佐伯氏は酪農業と生活文化の接点に興味があるようで、農場の人の生活空間に文化的なものを持ち込んでいる。佐伯農場経営のレストラン「牧舎」で夕食を摂った後、近くにある「荒川版画美術館」を見学する。荒川とは版画家の名前かと思っていると、後で佐伯氏から牧場内を流れる川の名前であると教えられる。版画家の方は地元ゆかりの根本茂男、細見浩、松本五郎の各氏で、作品が三部屋に展示されている。農場内の美術館とは予想もしていなかった。その他「ギャラリー倉庫」もあって、納屋の中に木彫が並んでいるのを覗いてみた。サイレージ用の牧草ロールが置かれてあり、これもアートの位置づけで、酪農業とアートを組み合わせようとしている。
今回歩いたランチウェイも生活文化との関わりで見ることができる。氏はイギリスのトレイルを体験して来て、その思想を中標津で実現させようとしている。イギリスでは「歩く権利」が確立されていて、公共の道路は言うまでもなく、私有地でも歩くことができ、それが生活文化につながっている。日本でも地域に密着した「歩く権利と文化」を根付かせるようとして佐伯氏らは活動している。
アスファルトの道路を歩くのではロングトレイルの魅力は半減する。第一、車道の脇を歩くのは危険なこともある。国有林内にトレイルを作ろうとすると、国の許可がなかなか下りない。それでも笹薮を刈り、歩く道を整備している話をしてくれる。イギリスのように「歩く権利」が普通の概念になれば、国有林であっても自由に歩け、むしろ国が国有林内を市民が歩くのに寛容であるべきだと思った。
氏の話によると、ランチウェイを始めた2006年頃からの5年間はほとんど歩く人はいなかったそうである。10年経った現在は遠くから歩きにやって来る人が増えているそうだ。しかし、道内よりは本州から訪れる人が多いらしい。東京近郊の学生や子ども達に牧場内でキャンプを行う機会を作っていて、子ども達が大きくなってトレイルを歩くこともあると言っていた。確かに、道民にはこのロングトレイルの存在は今一つ知られていない。
北根室の地のロングトレイルを歩く人を増やし、満足させるためには課題も多い。只歩くだけなら札幌の近郊の森林公園や牧場でも良い。道東の自然に加えて、この地で酪農業に従事している人々が根付かせる文化的なものが歩く人にも伝わるような佐伯氏の工夫が周囲に拡大して行くと、北根室ランチウェイの名前はもっと広がりを見せるだろう。
(旧牛舎の宿泊施設前での佐伯雅視氏:パノラマ写真)
2015年09月07日
ランチウェイの2日目は、養老牛温泉から西別岳山小屋までの16.8 kmを、歩きに代えてタクシーに乗る。途中から砂利道をタクシーで走り、山小屋に到着する。「西別山小屋」の大きな表札に「わいわい亭」の愛称が併記されていたけれど、辺りには人影はなかった。歩きはこの山小屋からの西別岳登山といったところである。曇り空が次第に晴れて行きそうである。
西別岳山小屋は予想していたよりも大きなログハウスで、内部を覗いてみる。整理整頓が行き届いていて、寝具もある。これなら泊まっても快適に過ごせそうである。水はポリタンクに十分貯えられてあり、ここで給水もできるようになっている。冬期は薪で暖を取れるようで、小屋の周囲に薪の山がある。
山小屋から西別岳への登山開始である。少々きつい登り坂があって「がまん坂」の名前がつけられている。どこの山にも「がまん坂」はあるものだと、ゆっくり登って行く。「第一お花畑」の標識のあるところでパノラマ写真を撮る。この山は山野草を見て楽しめる山のようである。花のシーズンは過ぎていて、お花畑の景観は今一つであったけれど、眼下に広がる景色は道東の大自然を感じさせてくれる。
西別岳山頂まであと0.45 kmの所に見晴しのよいところがあり、「ごくらく平」の標識がある。ここから切り立った摩周岳と、その麓のところに顔を出している摩周湖を見ることができる。天気も良く、これは極楽の景色なり、と一句出てくる。摩周湖と摩周岳の写真を見ることはあってもこの角度からのものは記憶にない。撮ったパノラマ写真に目指す西別岳の山頂が写っている。
西別岳の山頂に立つ。山頂標識には799 mと標高が記されている。山頂から北西方向には摩周岳(カムイヌプリ)と摩周湖が、東から南にかけて根釧平野が広がっているのを一望にすることができる。天気に恵まれると眺めの良い山で、最初で多分最後のこの山の登山で、この天気に恵まれるとは幸運である。パノラマ写真を撮って、画面を指先で回転しながら、この雄大な景色を思い出しながら見る。
西別岳から摩周湖第一展望台への尾根道は緩やかな下り道である。登山道の笹薮から摩周湖が見え隠れする。適当な場所でパノラマ写真を撮るけれど、この道の状況では摩周湖は少ししか写らない。望遠レンズを装着した一眼レフでなければ、湖面の写真は鮮明に写せない。
西別岳山小屋を朝8時頃出発して、最終目的の摩周湖第一展望台に着いたのは午後1時45分頃であるので、途中の休憩時間も入れて6時間弱、距離にして11.3 kmの山歩きとなる。展望台の所の摩周湖の眺めは観光用写真の眺めで、歩きの途中で見た眺めの方が印象に残る。餌付けされたシマリスが観光客が与えるヒマワリの種を求めて足元に寄ってくるのをパノラマ写真に入れて撮る。このリスも野生を失って観光用の写真の一部になっている。ランチウェイは展望台から美留和駅まで続いているが、展望台からタクシーで弟子屈の民宿温泉宿に向かう。途中タクシーワープの北根室ランチウェイの3日間の歩きを終える。
2015年09月06日
北根室ランチウェイの初日は佐伯農場内の牛舎を改造した宿泊所に泊まる。2階に2部屋とトイレがある。寝袋が用意されているので、これを使う。牛舎だった頃の名残のある1階でパノラマ写真を撮る。佐伯商店と書かれたところに飲み物や食べ物もある。売り子は居ないので自己申告でお金を支払う。傍に宿泊者の書き込みがある。
牛舎改造宿泊所には簡単な炊事ができる台所兼食堂がある。最近は旅行や災害用の食品として、お湯(又は水)を注いで待つだけで食べる事ができるレトルト食品が揃っていて、各自で持って来たものや、佐伯商店で購入したもので朝食となる。持ってきた蕎麦掻なんかも食べる。お湯で食べられるようにしたものを一部朝食で食べ、残りは昼食用に持つ。
佐伯農場から26 km先にある西別岳山小屋まで行く予定のTさんは朝食を我々と一緒に摂って早々と出発する。残りの4人組は9.2 km先の養老牛温泉まで歩く予定で、朝の時間に余裕がある。昨日夕食後に見た「レストラン牧舎」の近くにある「荒川版画美術館」に行きパノラマ写真を撮る。「荒川」とは人の名前かと思っていると、近くに流れている川の名前である。版画家の根本茂男、細見浩、松本五郎の各氏の経歴があった。
美術館の近くにギャラリー倉庫があると農場内案内板にあるので、そちらも覗いてみる。サイレージ用の牧草が置かれていて、これもアートのようである。農場主の佐伯雅視氏がスポンサーとなって、農場の敷地や建物を芸術家のために提供しているようである。北根室ランチウェイも氏が先頭になって運営している。
梁の下 木彫並び 納屋ギャラリー
(パノラマ写真)
佐伯農場を出発して牧場の縁や中を通って養老牛温泉に向かう。牛が草を食んでいるのを横目で見ながら歩く。昨夕と今朝、佐伯氏から酪農にかんする現状の話を聞いたので、放牧中の牛を見る目が少し変わってくる。パノラマ写真を撮っても広い牧場では牛の姿が小さくしか写らない。
養老牛温泉に着くころ小雨模様となる。宿泊先の「湯宿だいいち」は餌付けしたシマフクロウが見られることが売りでもある。餌は生簀に放した活きた小魚のようである。庭のパノラマ写真を撮った時には生簀は板で覆われていて、ここにシマフクロウが来るのは夜になってから知る。時折降る雨のせいか、宿泊中にはロビーからシマフクロウを見ることはできなかった。
2015年09月05日
北根室ランチウェイは中標津空港から開陽台を通過してルートが設定されている。我々は開陽台までは車で来て、ここから歩きの開始である。開陽台に三角点があり、点名は「武佐台」である。根室本線の「武佐駅」を思い出す。
点名は 武佐台とあり 開陽台
ランチウェイは開陽台から下る道となる。この辺りは道が整備されている。ここから牧場の縁を歩く道が続いている。牧場に入るところに靴底の消毒用の石灰が置かれた小屋があり、石灰を踏みつけてから歩き出す。
道下り ランチウェイの 開始なり
(パノラマ写真)
牧草地の縁を歩いて来て、防風林のところで一休みである。牧草地に点々とサイレージが転がっているのが見える。サイレージは牧場の風景からサイロを駆逐してしまった。
陽を避けて 防風林下 休みたり
開陽台からほぼ10 km歩いて佐伯農場につく。宿泊施設でもあるトレーラハウスがこの農場の目印の建物である。我々は牛舎を改造した宿泊施設に泊まる。
牧草を 運ぶ代わりに 人寝させ
佐伯農場で一泊することにして、夕食を同農場内のレストラン「牧舎」で摂る。注文したカレーライスの味は良かった。同じ食堂に居合わせた女性客Tさんは、中標津空港から歩いて来たとのことである。Tさんは3日間でランチウェイの全行程71.4 kmを完歩している。
牧場の レストラン名 牧舎なり
2015年09月04日
2015年09月03日
初登山 無霧の摩周 眼下なり
養老牛温泉の宿からタクシーで西別岳山小屋まで行く。ここから歩きとなり、西別岳山頂を経由して摩周湖第一展望台に向かう。西別岳山頂からは摩周湖が見え、“霧の”と修飾のつく摩周湖が晴れた空の下にあった。天気の神様の好意である。
2015年09月02日
石灰を 靴底につけ 歩きたり
佐伯牧場を出発して養老牛温泉まで北根室ランチウェイを歩く。ランチと言うのは昼食の意味ではなく牧場の意味で、中標津の広大な牧場の隅に設けられた道を歩く。横田牧場のランチウェイの入口のところに靴底の消毒用の石灰小屋がある。
2015年09月01日
青き色 摩周湖の水 湧き出たり
北根室ランチウェイを歩くため、中標津空港に降りる。同行者は一緒に山歩きをするSu氏、F氏、Sa氏である。空港までF氏の友人久保俊治氏が迎えに来てくれている。氏は「熊撃ち」の作者で。同氏の車で清里町の「神の子池」の見物となる。