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2010年03月31日

成都の教え子を訪ねてーその6

 四川大地震は5月12日で、間もなく地震発生から2周年を迎える。地震の震源地では復旧作業が行われていて、その様子がどんなものであるのか、見に行く。地震のすさまじさは、今も倒壊したままになっているビルから想像ができる。この倒壊した建物は地震博物館の展示として残すらしいと聞いた。震源地にあって、壊滅した村落の復旧作業が急ピッチで進められていた。

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 この大地震でも被害の出た都江堰まで行ってみる。莫君のお母さんの楊治敏さんと莫君の奥さんの鄒宏菁さんが同行してくれる。楊さんは四川省農業国際交流協会の会長の要職にある。都江堰は世界遺産に指定されていて、前3世紀頃、岷江の氾濫を防ぐため、李冰によって始められ、その息子にも引き継がれて以後数世紀にわたった治水事業の成果が現代に生きている場所である。

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 都江堰一帯は川に沿って公園になっていている。ガイド役の鄒宏菁さんと記念撮影である。鄒さんは北大の教育学部に大学院生として在籍していたことがあり、流ちょうな日本語を話す。華日東升で仕事をしていて、社員に対する日本語の教師役も務めている。

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 ホテルに莫君と鄒さんが送ってくれたので、宿泊しているホテルで記念写真に収まる。華日東升で共働きの夫妻には、忙しい最中、当方の接待をに時間を割いてもらって、恐縮している。莫君は明日は大連に出張で、毎週中国の各地に出向いての仕事で、企業を大きくして維持するのは、傍目からも大変そうである。健康に留意して、新しい世代の企業人で成功することを願っている。

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成都の教え子を訪ねてーその5

 侯進さんが面倒を見ている大学院生(修士生)は14名と聞いている。一人でこの人数の学生の指導は大変だろう。講演会に来ていた研究室のメンバーと記念撮影である。

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 研究室の研究はグループに分かれて行われていて、研究内容がパワーポイントで紹介された。膨大な画像データから所望の画像をデータベースを使って取り出す画像検索の研究、車のナンバーを画像中から取り出して認識したり、走行中の車の台数カウントする研究があり、モータリゼーション時代に突入した中国で必要とされる研究テーマが並んでいる。
 侯進さんは北大時代にアバターの研究を行っており、その研究を発展させていて、キャラクターに中国の各少数民族の衣裳を着せたアバターを披露してくれた。北大時代の研究が生かされているのを見るのは、研究指導者冥利に尽きる。

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 学生の研究を覗かせてもらったが、学生たちが一室にかたまってパソコンで研究を行っている。パソコンは各自が購入した個人のものである。部屋の広さとか設備面では北大の方が恵まれているけれど、中国の大学は指導教官の侯進さんが研究室に来るようにと学生に命じると、学生が研究室に集まって毎日研究を続けるそうで、この点はかつての我が研究室では考えられないことである。

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2010年03月30日

成都の教え子を訪ねてーその4

 西南交通大学へ招待されて、学生に向けての講義を行う仕事があった。修士の学生を対象にし、北大の研究室で行っていた研究成果と、北大及び札幌の紹介を行った。この講義は侯進さんの講義時間が当てられ、テーマは北大の研究室で行っていた研究と、北大及び札幌の紹介である。

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 通訳はもちろん侯進さんで、侯進さんが行っている講義は英語で工学系の論文を書く方法に関するもので、そのための教科書も出版している。英語、日本語と使い分けするその語学の才能には脱帽である。当方はメディア工学の研究の話に加えて、爪句なども持ち出し、中国流俳句(爪句)の話は結構受けたようである。 

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 学生の方は熱心に聴講で、講義が終わって質問の時間になると途切れることなく質問があったのには驚いた。昔は講義の後に中国人学生からの質問などはほとんどなかったのに、中国の学生は変わったものである(当方が変わったのか?)最後はこちらから質問を受けるのを切り上げて終っている。講義終了後は侯進さんの研究室の画像検索、アバター、ナンバープレート認識の研究などの紹介を聞いた。大学の研究テーマや研究室の雰囲気は、日中で似たものがあると感じた。

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成都の教え子を訪ねてーその3

 侯進さんは成都出身で、中国の大学で修士課程を修了し、北大で3年間博士課程に在学して博士号を取得している。3年近く前に故郷のこの大学に採用されて、現在副教授で研究と教育に従事している。侯進さんの研究室で講演をする前に、侯進さんに構内を案内してもらう。この大学のキャンパスは三つあって、泊まったホテルのあるキャンパスは大学院の学生のキャンパスである。大学院生が1万人ほど在籍しているそうで、大きな大学である。

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 キャンパスは大学と街が一緒になってある。教職員や学生(キャンパス内の寮に住んでいる)の生活に必要なものはすべてキャンパス内で調達できるようになっている。キャンパス内で生活していて、大学外に出なくても一向に困らないそうである。売店も軒を並べて、あちらこちらにある。教職員の退職者のための集会所・娯楽施設といったものもある。日本では考えられない。

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 キャンパス内で見かけた木花は八重桜のようである。札幌では一番最後に咲くこの桜を、成都で見て、早めの花見である。

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成都の教え子を訪ねてーその2

 莫舸舸君の会社の1Fは来客の対応の階になっていて、電子掲示板に当方の名前が流れていた。この階には華日通訊の免許状、表彰状、製品の展示が行われていて、企業が発展してきた歴史がわかる。

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 莫舸舸君は自社のパンフレットの最初に顔写真が掲載されていて、しっかりと北海道大学工学博士と書かれている。北大での経験が生かされて、日中のビジネス交流に役立ってほしいものだと思っている。

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 会社訪問後は成都市のダウンタウンで、古い街並みを商店街に再開発した寛窄港子を歩いてみた。観光客で賑わっていて、洒落たレストランや喫茶店が並んでいて面白いところである。

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 寛窄港子のマンホールの写真も撮ってみた。

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2010年03月29日

成都の教え子を訪ねて

 四川省成都市には研究室の博士課程を修了した2名の元北大生がいる。一人は西南交通大学の副教授の侯進さんで、もう一人は華日東升の社長の莫舸舸君である。今回侯進さんの招待もあり、成都市を尋ねる機会が得られた。成都市での宿泊ホテルは西南交通大学構内にある鏡湖賓館である。

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 鏡湖賓館は同大学のキャンパス内の鏡湖の傍にあり、この湖の岸の八重桜に似た花が咲いている。しかし、この木花の名前ははっきりしない。藤の花も咲いていて、成都市は札幌より1か月以上季節が先を行っている。 

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 莫君と莫君のお父さんの経営する華日通訊は華日集団という企業グループを形成していて、2年前に6階建ての大きな自社ビルを建てている。その社屋前で記念撮影である。右より莫君、莫君のお父さん、筆者、莫君の奥さんである。この華日集団はさらに大きな社屋の建設計画を持っていて、中国の経済発展のすさまじさをこの目で確かめている。

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2010年03月28日

広い構内のある滝川駅

 滝川駅は函館本線と根室本線が分岐して行く駅で中空知の拠点駅である。単式ホーム1面、島式ホーム2面で計5線があり、旅客駅の南側にJR貨物駅もある関係上、構内は広い。広い構内に、出番を待つ列車が待機している。駅舎前はロータリーのある広場で、モニュメントも見える。しかし、雪の季節では雪野原のようである。駅前には商店街があり、かつての滝川の繁栄の名残を留める、美瑛軟石と推定の建材の太郎吉蔵も見ることができる。

出番待つ 列車の見えて 広き駅

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中空知 雪に埋もれて 駅舎あり

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異色のデザインの光珠内駅

 北海道の地名、つまり駅名は、たいていアイヌ語が基になっていて、それに漢字を当てはめるのが一般的である。光珠内は、アイヌ語「カウシュ・ナイ」(獣を捕る罠を仕掛ける沢)の漢字化である。しかし、どうしてこの漢字なのかは理解の及ぶところでない。音からまず思い浮かぶ漢字を、適当につなげたみたいである。この駅舎のデザインも変わっていて、壁柱の部分がどうして斜めの線で切り取った形にしてあるのか、これもわからない。

壁柱 駅舎デザイン 異色なり

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光珠内 使わぬ線路 雪被い

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2010年03月27日

一点透視図のような奈井江駅構内

 光珠内駅から砂川駅を過ぎた辺りまで、国道12号と、それに並行して走る線路は直線である。地図上でも、定規を当てて引いた線分のように、真っ直ぐに描かれている。国道12号のほうには、日本一長い直線道路が売りになっていて、その長さ29.2 kmの看板が出ている。奈井江駅はこの直線部分に組み込まれた駅で、プラットホームから上り方面を見ても、下り方面に目をやっても直線状の線路が延びているだけで、単調な線路景観が続く。

中空知 直線鉄路 南延び

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北見れば 一点透視 構内図

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北大博物館で

 昨日は、4月に出版予定の花散歩の本の記述のチェックを専門家にお願いしてあったので、北大博物館の高橋英樹教授のところに、修正箇所の打ち合わせに出向いた。そのついでに、博物館の売店を覗くと、豆本「爪句@私の札幌秘境」が売店のカウンターテーブルの上に載せてあるのを見つけた。ここまで販売のサービスをしてくれると、買ってみたくもなるけれど、そのようなサクラ行為はしなかった。

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 博物館の研究棟の廊下に禁逆マーク(筆者の定義の禁止逆マーク)をみつけたので、写真を撮ってみた。この後高橋先生に、短時間ではあったけれど、拙著に関連した花に関するお話を聞いて、これは大変参考になった。

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2010年03月26日

花散歩の本の校正作業

 朝日が昇る場所がかなり北にずれて来ている。日中の長さも長くなっている。居座っている雪も急速に解けてゆくだろう。春のエフェメラルも雪の下で出番を待っているだろう。今年は、なるべくこれらの花たちが遅く咲いてほしいものだと思っている。理由は、出版予定の花散歩の本が、これらの花と競争するかのような状況にあって、春の花の方が先に咲いてしまうような雲行きにあるからである。
 本の校正作業を続けていて、本の形が出来上がっているのだけれど、書店の店頭に並ぶのほはまだまだ先のことである。
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雪原の中の峰延駅

 峰延は美唄市、岩見沢市、三笠市の三市の接点の近くにあって、美唄市の町である。以前、札幌、江別、北広島市の接点を都市秘境の対象で調べたことが思い出される。峰延の駅を出るとそこは国道12号で、車の往来が激しい。しかし、普通列車しか停まらないこの駅の利用客は少なそうである。駅舎は国道に面した正面とホーム側が同じデザインである。この辺りは空知の田園地帯で、雪の季節に車窓からは、広がる雪原に農家が点々と見える。

デザインは 金太郎飴 出入り口

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峰延の 農地は今は 雪野原

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2010年03月25日

貨物駅が廃止された茶志内駅

 茶志内の名前はアイヌ語のチャシ(砦)とナイ(川)に由来する。無人駅となっている駅舎自体は大きなもので、この駅がかつて旅客列車の他に貨物列車の駅でもあったことによる。客として列車を利用していて、貨物輸送には目が行かないけれど、鉄道会社は旅客を運ぶ会社の他に、JR貨物という別会社がある。茶志内駅はJR貨物駅でもあったのが廃止され、そのため線路と跨線橋が不要になり、跨線橋の入口は板で塞がれ閉鎖されていた。

茶志内は 駅舎のチャシが 雪の中

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廃線後 板で塞いで 跨線橋

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屋根付きホームのある勇払駅

 勇払駅は苫小牧工業団地の開発が進めば、団地の拠点駅として賑わうはずであった。しかし、この開発計画は頓挫した状態で、利用客も少なく、駅舎は閉鎖状態にある。駅舎からプラットホームまでは離れていて、ホームの周囲には枯れた雑草の空地が広がっている。駅名標の彼方に煙突が見え、これは海岸に接してある北電の火力発電所のものである。ホームには屋根のある部分があり、実質これが待合所の機能を果たしているようである。

ホーム屋根 駅舎遠くて 待合所

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苫東の 夢の果たせず 枯れ空地

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2010年03月24日

波しぶきの消えた浦河駅

 昔、浦河の駅は、コンクリートの防波堤でかろうじて線路と駅舎が太平洋の寄せる荒波から守られていた。風が強いと、波しぶきが駅構内まで飛んできた。今は、海岸の埋立てが進んで、昔砂浜と海だったところに国道235号が線路と並行に延び、駅舎は波しぶきの洗礼から免れている。しかし、昔、町の玄関だった駅に客の姿がない。車窓から見る、高校まで過ごした自宅の場所の景色も様変わりで、近くの向別川が、昔の面影を残している。

波しぶき 届かぬ駅に 客も消え

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この川で カジカを釣りし 堺町

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浦河高校への通学駅の東町駅

 東町駅近くになると車窓には大きな建物が二つ見えてくる。一つは浦河赤十字病院であり、もう一つは浦河高等学校である。半世紀にもなる昔、この高校の生徒であった。高校生であった当時、この駅は無かった。駅の開業年は1977(昭和52)年である。高校への通学は自転車で、片道約の3km道を、ペダルを踏んで3年間通い続けた。現在、この駅の利用客の大多数は浦高生なのだろう。当時も列車通学は行われていて、浦河駅を利用していた。

車窓から 母校の建屋 目で追いて

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生徒時に 東町(ひがしちょう)駅 駅の無く

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2010年03月23日

優駿のモニュメントのある静内駅

 静内町は2006年に三石町と合併して新ひだか町になった。駅名の方は昔からのもので、日高本線の拠点駅で有人駅である。新しく改築された駅舎には静内町観光情報センターも開設されている。駅前広場には新しい町名の表示と馬のモニュメントがある。同町ではトウショウボーイやオグリキャプといった名馬の産地としても知られている。二十間道路に8kmにわたって植えられた桜並木が有名で、駅のスタンプもこの桜並木のものである。

静内は 旧名残り 駅構内

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優駿の 里の駅前 馬の像

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日高28・日高本線終着駅の様似駅

 日高本線の終着駅の様似に着く。ここが終着駅であることは、駅名標の隣駅が片方しかないことで確認できる。線路の先まで行ってみると、建物があって線路の行く手を遮っている。建物の背景には、アポイ(810m)とピンネシリ(958m)が雪を戴いている。アポイ岳は標高千mを切る山であるけれど、高山植物の宝庫といわれている。その高山植物にはヒダカソウがあって、様似町の花になっている。町の木はヒダカゴヨウマツである。

駅名標 片駅語る 終着地

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視線向く 遮断建物 アポイ岳

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2010年03月22日

日高本線の終着様似駅前

 急行も走らず、支線がある訳でもない路線なので、日高本線と本線の呼称があるのがいつも軽い疑問で頭にある。苫小牧から始まり、日高支庁の海岸を縫うように走って終着様似駅で終わる。様似駅前にあったマンホールのデザインは同町の町木のヒダカゴヨウマツと町花のヒダカソウである。低い山にもかかわらず、ヒダカソウをはじめ高山植物の宝庫といわれるアポイ岳が、雪を戴いて駅前広場からよく見える。マンホールを写すと、駅舎にかかってその山容が少し顔を出している。

駅舎から アポイ岳見え 様似駅

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日高付く 松は町の木 花、町花

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秘境駅の風格の大狩部駅

 太平洋が迫る日高路の海岸の、わずかに開けた場所にへばりつくようにしてあるブロック造りの駅待合所を見ると、秘境駅の雰囲気である。ただ、線路と並行に国道235号が走り、駅から国道の下をくぐるトンネルを抜けると新冠町の小集落があるので、見た目ほどの秘境駅ではない。それにしても、テレビの撮影現場になったというだけで主演の女優や競演者の名前のある看板が立っている状況の方が、秘境駅を演出しているかのようである。

ホーム上 秘境演出 待合所

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看板に ロケ地紹介 秘境感

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2010年03月21日

一年経つと

 今日は、札幌は朝から荒れ模様で、外にも出ず、4月発売予定の花の本の校正刷りとにらめっこである。年度で言えば、3月の年度末に入り、年度変りである。1年経つと、変わるものあれば、以前の繰り返しもある。室内の胡蝶蘭は1年前咲いていたものが、花が落ち、又咲き始めた。花が新しく咲き出したので、変わったといえば、変わったのだが、年々歳々花相似たりで、以前と同じ繰り返しといえば、繰り返しかもしれない。
 ただ、1年前の胡蝶蘭を1テーマにした爪句集が4月には発刊されるので、新しい胡蝶蘭の花と爪句集のゲラ刷りを重ねて写真を撮ってみる。写真だけであれば、同じような花の写真をブログに並べるしかないけれど、本にした点でみれば、月日の経過を確認出来るものが残ったといえる。

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北方圏センター「エチュード」像

 本郷新制作のこの彫刻は、北方圏センターのロビーにあって、「エチュード」の作品名がついている。ここでエチュードとは、彫刻の制作過程における習作のことである。音楽や演劇でも用いられる言葉で、技巧の向上のための基礎訓練をいっている。基礎訓練でも、本番と同じく精魂を込めて行う。彫刻でも同様に、真剣に作品作りを行うので、特定のテーマを決めずに制作した彫刻といった意味なのか。あるいはエチュードの所作のモデルを作品化したのか、どちらかはっきりしない。

各国の 贈り物横 裸婦の像

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エチュードは モデルの所作か 基礎訓練

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2010年03月20日

秘境駅の要素を備える美々駅

 漢字の表意性が強くて、駅名の漢字からイメージを膨らませることがある。美々と聞くと、美しい土地柄によるのだろうか、と漠然とした先入観念に取り付かれる。しかし、この名前はアイヌ語の「ベツ(川)」を重ねたベツ・ベツに漢字を当てはめていて、美しさとは無関係である。直線距離では千歳空港に近いけれど、降りてしまうと、次の列車を捕まえるのが困難で、秘境駅の要素を備えている。二面のホームに三線で、無人の駅舎がある。

三線路 二面のホーム 確かめて

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西日差す 美々の駅舎に 人の無く

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新しい跨線橋のある栗山駅

 栗山町には鳩山神社があり、鳩山由紀夫首相誕生で、この神社が話題になっている。神社は栗山駅の北東3kmあまりのところにある。栗山駅は「くりやまカルチャープラザ」の中にあり、ホーム側から見ると跨線橋につながる駅舎の階段部分が見え、立派である。二面のホームで、2番ホームに行くには駅舎につながる跨線橋を渡る必要がある。この跨線橋を通る道が長いために線路の横断があるのか、跨線橋の下に線路横断禁止の看板があった。

町文化 駅舎巻き込み 栗山町

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通路下 線路横断 禁止見え

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2010年03月19日

不思議の駅の栗沢駅

 栗沢町は2006年に岩見沢市に編入合併されている。したがって、岩見沢の市街地からかなり離れた場所にあっても、ここは岩見沢市内である。無人駅なのに、降りた客がすぐ駅舎に吸い込まれていくところを見ると、自動ドアのようである。駅舎の写真を後で見ると、窓に人の影が写っているのだが、絵のようにも見え、不自然である。跨線橋があっても、一面のプラットホームでは不要なもので、これも周囲の状況が見えないと不思議である。

駅舎窓 人の影見え 不思議なり

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跨線橋 ホームをつながず 不思議なり

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洒落た建物に同居する浦臼駅

 浦臼町は農業の町で、畑地が広がり、駅周辺の軟石の倉庫は農産物の貯蔵のためのものなのだろう。農業の町でも、浦臼の地名は川から来ていて、アイヌ語のウラ・ウシ・ナイ(簗(やな)のある川)に漢字を当てはめたとの説がある。無人の浦臼駅は、町が建てた「ふれあいステーション」に同居している。この建物は木造で、一部レンガタイル張りで、洒落ている。雪に覆われた線路は、浦臼の集落を貫き、ほぼ南北に真っ直ぐに伸びている。

無人駅 洒落た建屋の 店子なり

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南には 薄い日のあり 線路延び

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2010年03月18日

本格駅舎の下徳富駅

 地図で札沼線を見ていると、下徳富駅と新十津川駅の間に中徳富駅を見つけた。しかし、実際には下徳富駅の次は終点の新十津川駅である。地図の発行年を見ると2006年で、この年に中徳富駅は廃止され、下徳富駅が札沼線の終着駅の一つ手前の駅になっている。無人駅になっているこの駅舎は、かつて盛んに利用されただろう面影を残し、小屋のような待合所が続く札沼線の他の駅とは、駅舎の点で違っている。プラットホームのバックミラーには、一両のワンマン列車が映っている。

無人でも 本格駅舎 下徳富

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鏡中に 客姿無く 下徳富

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南下徳富駅

 新十津川町を流れて石狩川と合流する川に徳富(とっぷ)川がある。合流地点辺りがアイヌ語でトック・プトと呼ばれ、トックは突起物、プトは川の入り口を意味しており、徳富はこれに由来する説明を読んだ。南下徳富駅の待合所は道路の横に、プラットホームの端にある。下見板の木造の建物は、農作業用の小屋のように見える。新十津川町では、札沼線は水田や畑の中に延び、車窓からは一面に広がる雪原の中に点々と農家が見えている。

木のデッキ 端に赤屋根 待合所

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雪原に 人家点々 徳富の地

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2010年03月17日

雪野原にある於札内(おさつない)駅

 駅名の地名はアイヌ語のオ・サツ・ナイからで、意味は川尻が乾く川とのことである。於札内をはじめ、札沼線沿いの地名は、川に関するアイヌ語に漢字を当てはめたものが多い。雪の季節には、この駅に通じる自動車道が閉鎖され、駅までは徒歩しかない。冬には、この駅の利用者は皆無ではなかろうか。プラットホームに接して待合室があり、その横に駅名標がある。駅名標には学園都市線と表記されている。待合室の壁に、錆付いた鉄板の国鉄時代の駅名標が取り付けられてあった。

雪野原 どこを通るか 徒歩の客

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新旧の 駅名標が 並びおり

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物置小屋風の待合所の鶴沼駅

 駅に乗降客が居ないと、列車は駅に着くとすぐに出発するので、駅舎が上手い具合に収まった写真を撮るのが難しい。待合所の付近に雪山があったりすると、小屋のような待合所なら雪山に隠れてしまった写真しか撮れないことがある。鶴沼駅の待合所を正面に見て撮った写真では、これは物置小屋である。この待合所の傍には浦臼町役場鶴沼改善センターの立派な建物があるとのことだが、列車から離れる訳にはいかないので、見てはいない。

停車位置 雪山隠す 待合所

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正面は 物置小屋の 駅施設

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坂本竜馬家の墓のある札的(さってき)の地

 札的の地名は、アイヌ語のサッテク・ナイ(やせる川)が基になっている。札的駅の待合所は外壁がモルタル仕上げで、待合所からプラットホームには鉄板が渡され、客はここを通る。浦臼町の札的墓地には坂本竜馬家の墓があり、坂本竜馬の養嗣子・直の妻の留と次男直衛の墓がある。これは坂本直の死後、浦臼に入植していた竜馬の甥の坂本直寛を頼って、留と直衛が浦臼に来たことによる。地名の札的が、歴史的人物と結びついている。

列車待ち 鉄板渡り 客となり

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札的は 坂本竜馬家 墓のあり

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2010年03月16日

雪に埋もれた札比内(さっぴない)駅

 札比内とは、アイヌ語のサッ・ピ・ナイで、意味は「乾いた石ころだらけの川」である。地図を見ると、札比内駅の両側に川が流れていて、線路を横切ってそれぞれ石狩川に流れ込む。北側にある川が札比内川で南側が中小屋川となっている。石狩川に沿って、西側に札沼線、東側に函館本線が走っている。札比内駅は雪に埋まった感じで、駅名の表札が積雪の上に顔を出すようにあった。駅舎は晩生内駅舎と左右が逆の、同じ造りの建物である。

駅名が 雪上顔出し 札比内

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札比内 駅舎兄弟 晩生内

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道道の起点傍の知来乙(ちらいおつ)駅

 道道11号は月形熱田線の名前の通り、月形町から石狩市厚田区までを結ぶ。その起点はこの駅横の国道275号で、終点は厚田区の国道231号への接続点である。国道脇にぽつんとある待合所の壁に「チカン・変質者に注意」の看板が見える。しかし、チカンもチカンの被害者もこの待合所に居合わせることがあるのかという疑問も湧いてくる。駅の線路の前方に、道道11号が線路を横切る踏切が見える。なお、知来乙はアイヌ語チライ・オッでイトウが沢山居る所の意味である。

待合所 横に道道 起点あり

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踏切を 道道横切り 知来乙

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2010年03月15日

梟の見張る月ヶ岡駅

 月ヶ岡駅は雪の壁の向こうにある。ログハウスの駅で、梟の飾りが目を惹いた。梟は当別町が制定した町の鳥で、あちらこちらに顔を出す。当別町を貫いて、札沼線の西側を走る道道28号の一部はふくろう街道と名づけられている。雪が消えると、この駅舎は野菜の直売所にもなるとのことである。雪で覆われたプラットホームに、列車の運転用のバックミラーがあって、ワンマン列車の運転手がホームの状態を監視できるようになっている。

梟(ふくろう)が 駅舎を見張り 町の鳥

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バックミラー 映る客あり 月ヶ岡

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雪の中で鉄錆びを見せる中小屋駅

 石狩金沢駅、本中小屋駅に続いて中小屋駅の待合所も廃貨車を再利用している。これらの3駅のうち、中小屋駅のものが一番錆びが目に付く。線路が無ければ、この待合所は、廃車になった貨車が置かれているだけにしか見えない。この錆びでは、中小屋に鉄小屋と洒落ても、洒落の雰囲気から遠い。札沼線は国道275号と並んでいて、国道沿いに集落がある。本中小屋から中小屋の間に車窓から見た集落には、お寺もあって雪に埋もれていた。

中小屋は 錆びた鉄小屋 雪の中

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車窓見る 寺も人家も 雪埋もれ

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2010年03月14日

名所案内のある本中小屋駅

 中小屋駅の待合所も廃貨車の再利用である。出来立ての頃はペンキも鮮やかだったろうに、その後ペンキ塗りも行われず放っておかれているようで、ペンキも薄れ、貨車に錆が浮いてきている。何もないプラットホームに名所案内板が立っている。この地の名所は中小屋温泉と中小屋スキー場である。温泉の方は1904(明治37)年開湯というから、道内では老舗の温泉に入るだろう。スキー場の方は当別町営で、駅から歩いて行ける距離にある。

貨車駅は 錆の浮き出て 年季物

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名所あり ホームに立って 案内板

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枯れた実、新しい芽

 雪の山道を歩いていると、枯れた実や実の抜け殻が目につく。それらを接写で撮ってみる。

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 新しい冬芽もある。これが何の冬芽なのかわからない。春になれば、花開くものであれば確認できるのだが、同じ場所で、同じ木を目にできるかどうか、これ又わからない。

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 ツリバナの実の抜け殻が枝にぶら下がっている。

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 春早々に爪句集の出版予定で、こちらには秋のツリバナの写真を載せてある。

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2010年03月13日

廃貨車利用の石狩金沢駅

 札沼線が学園都市線と呼ばれ、大都市近郊の路線の名目を保っているのは、この駅の札幌方向の隣駅の北海道医療大学駅までである。札沼線の終着の駅新十津川には、一日3往復しかない札沼線の名残の路線は、この駅から始まるといってもよい。駅舎は廃貨車を利用している。申し訳程度のプラットホームに利用客の足跡が残る。足跡は一人分で、このまま当分足跡が残りそうである。車窓に流れるこの辺りの雪景色には集落も写っていて、そこに住む人が利用しているのだろう。

貨車駅舎 雪の踏み跡 残りおり

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雪原に 人家まばらで 列車行き

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スタフ交換のある石狩月形駅

 昔、列車が駅に停まるたびに、駅長と運転手が円形の輪に小さなカバン状のものがついたものを交換していた。これはスタフ(通表)交換といって、スタフを持たない列車は駅を通さないようにして、駅の間で列車の重複運行を避ける閉塞方式により、列車同士の衝突を防いでいた。石狩月形駅で、このスタフ交換が行われているのを目にした。月形町は樺戸集治鑑の典獄であった月形潔の名前が町の名前になっている歴史があり、現在も月形刑務所があり、車窓から眺めることができる。

昔見た スタフ交換 今に見て

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刑務所が 車窓に迫り 月形町

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2010年03月12日

ウィスキーの宣伝のある余市駅

 余市にはニッカウヰスキーの工場がある。駅舎に掲げられた同社の看板を見ると、会社の正式名は「イ」ではなく「ヰ」であることがわかる。たまに「井」の字が使われたりする。ニッカの名前は、元の会社名が「大日本果汁」で短縮した「日果」からきている。駅のプラットホームにウィスキーの熟成用樽が展示されていて、「ようこそ!果実・ウィスキーの里よいちへ」の文字が見える。雪の中に延びる線路を見ながら、ウィスキーの原酒がこの雪の中で眠っている事に思いを馳せる。

会社名 ヰの文字のあり 余市駅

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この雪に 埋もれて眠る ウィスキー

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散歩道での遭遇

 冬は運動不足で、異所脂肪がつくのも困るので、散歩に出かける。自宅兼レストランに犬をデザインした看板が出ている。ここの夫婦が大型犬の散歩のため、4匹ほど引き連れて我が家の前を通るけれど、これが看板にあるベアデッド・コリーと呼ばれる犬であるのを、看板の文字から初めて知った。

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 林の中では色々な物に出会う。宇宙人との遭遇なんかもある。白樺の飛行船に乗って現れた。

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 何の鳥かは同定できないけれど、鳥も飛んでいる。

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 海中の泡の中に居るクリオネなんかも目にする。こんなものを見て歩いていると、雪道に膝まで埋まってしまうこともある。雪の下はもう地面が春の準備をしているようである。

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2010年03月11日

温泉施設に隣接する昆布駅

 駅名が昆布でも、山間で海草の昆布とは関係がない。アイヌ語でコンボ・ヌプリといわれた山に昆布岳の漢字を当てはめたことから昆布が地名として使われたらしい。昆布川もあり、駅舎の近くには昆布川温泉の町営温泉施設がある。このため、駅舎が無人駅にしては立派なデザインになっている。プラットホームにフード付の立派な跨線橋の出入り口が見えていて、これは駅から温泉施設に行くためのものである。昆布温泉もあり、蘭越町、ニセコ町一帯にニセコ温泉郷が広がっている。

山間で 昆布の響き 耳残り

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フード付 跨線橋かと 無人駅

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カタカナ名のニセコ駅

 ニセコ駅は全国で初のカタカナ表示の駅名である。町名が狩太町からニセコ町とカタカナ表記に変わったためである。道内でカタカナ表記の駅名はトマム駅がある。近年はオーストラリアから滞在型のスキー旅行客で賑わっているので、カタカナの町名が一層似合っている。プラットホームの駅名看板を撮った線路の前方に、道道66号が線路を跨ぐためのアーチ橋が見えている。ニセコ駅に近づく時に、車窓から見える羊蹄山をカメラに収めると、窓の枠が額になった羊蹄が写っている。

カタカタ名 先に道道 アーチ橋

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列車窓 切り取る額に 羊蹄山

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2010年03月10日

ブナの木のある黒松内駅

 黒松内はブナの北限の地であることは予備知識を持っていた。ブナは高さが30mにもなる落葉樹である。白神山地のブナ林は世界遺産に登録されている。現在は無人駅になっている黒松内駅のプラットホームに、ブナの木が置かれてある。ブナの最北限林は黒松内町の北に位置する寿都町にあるのだが、黒松内町の方がブナの北限の地としての知名度がある。黒松内は松に関した命名かと思っていると、アイヌ語のクル・マツ・ナイ、和人に女のいる沢、であるとは思いもよらなかった。

南北へ 鉄路を通し 無人駅

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駅舎には ブナの木のあり 黒松内

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秘境駅に仲間入りの豊ヶ岡(とよがおか)駅

 駅の分類に、秘境駅というのがある。駅の周囲の景観や駅の雰囲気のような主観的評価と、列車や車で行く場合の難易度のような客観的なものを総合して決めるらしい。全国の秘境駅の順位付のあるサイトで、豊ヶ岡駅は二十位あたりにランクされているのをネットで見つけた。雪の季節に列車で通過しただけの豊ヶ岡駅の駅舎は、線路から少し離れたところにあった。葉の落ちて見通しの良くなった鉄道林のなかに、物置小屋風の駅舎が建っていて、これが秘境の駅かという感じである。

駅周り 鉄道林の 透けて見え

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小屋駅舎 秘境の駅で 豊ヶ岡

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2010年03月09日

教えることは学ぶこと

 何かを学ぼうとすれば、先生について、というのが普通のやり方。これで上手くゆくとよいのだが、上手く行かない場合もあるだろう。そこで矛盾するようだけれど、何かを学びたいと思えば、最初から、その学びの対象の先生の立場に立つようするのがよい。何せ先生は生徒の何倍も勉強しなければならないから、先生である立場と、生徒の立場では、進歩の度合いがえらく違う。
 教える事も持ち合わせていないのに、教えるなんて、というのももっともである。物事によっては何年も師の真似せねばならない場合もあろう。しかし、研究とか物事を創り出していく作業は、元々先生がいない状況に置かれている場合が多い。そのような状況では、何かすることが即他人に教えるてもよい状況をつくり出す場合もある。
 何かをする時に先生を求めたり、教科書に頼ったりする例を普通に見るけれど、これは最初から生徒になって学ぼうとする極めてノーマルなやり方である。真面目な人ほどこのノーマルなやり方をしている。
 あまり真面目でない当方は、教えることの蓄積もないのに、文化センターの講座の講師をしている。講師なのだが、これまで学び取ったものをベースに教えている訳でもなく、生徒が最初から先生役になっている。しかし、先生役なので、生徒(かえってこちらの方に先生役になってもよい人がいる)よりは勉強する。
 とまあこんな状況で、4月からの講座(もし生徒が集まればの話ではあるけれど)の下調べをしている。訪ねてみたい史跡がバーの中にあって、その店の名前は、とみているとBAR COMとなっている。店のガラス窓にアットマーク@のaがbになったものが描かれている。BARとアドレスのドットCOMからの洒落なのだろう。こういうのを発見(というほどのことでもないけれど)しては、話のネタにするのである。この店の中に何の史跡があるかといえば、写真に写っているように、店の名前の頭に赤い星マークがあって、これに関係している。

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リサイクル車両の蕨岱駅舎

 蕨岱(わらびたい)はアイヌ語のワルムベ・フル(蕨の丘)から命名されている。現在は長万部町字蕨岱である。蕨岱といい長万部といい、漢字を最初に見た時には、何と発音してよいかわからない。待合所と表現したほうがよい駅舎は、車両のリサイクルで作られている。車両の駅舎で列車を待つ間で居眠りをしていて、列車に乗っていると錯覚することがないのだろうか。遠ざかっていく駅舎の周囲には何もなく、線路と平行に走る国道5号と、赤い鳥居の神社が目についただけである。

リサイクル 車両の生きて 駅舎なり

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遠ざかる 蕨岱駅 雪垣根

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当別町を拓いた伊達邦直主従

 当別町は伊達邦直率いる亘理伊達家臣団が開拓を行った。家臣団が最初に開拓を行ったのは石狩浜に近い聚富の地で、ここは砂地で農業には向いていなかった。そこで、内陸の当別を目指して移動し、この地を開墾して現在の当別町の基礎が築かれた。この歴史があり、当別町の中央通で見たマンホールには甲冑姿の伊達邦直がデザインされている。雪の残る季節で、蓋が雪で濡れていて、黒ずんだマンホールの向こうに、道道366号と道道81号の接続点での道路標識が見えている。

甲冑で 伊達邦直が 威を正し

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標識は つながる道道 この地点

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2010年03月08日

民宿を兼ねる比羅夫駅舎

 この駅舎は駅の宿・ひらふ、という民宿施設でもある。全国でも駅舎が民宿を兼ねているのはここだけである。宿屋の紹介をインターネットで見ると、丸木風呂や、駅のホームでのバーベキューの写真があったりする。駅は単なる通過地点と思っていたら、宿泊する場所でもあったのだ。比羅夫から倶知安へ向かう車内から、羊蹄山が雪原の向こうに見える。雪を戴いた羊蹄の勇姿を写真に収めてみるが、頂上が雲に隠れていて心残りであった。

降りる客 駅舎泊まるか 比羅夫駅

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羊蹄は 雲が予約で 込む山頂

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メインストリートの見える仁木駅

 仁木は果樹園の広がる町である。雪の季節には、雪に埋もれたリンゴやブドウの木が、列車の窓に流れて行く。町の名前は、この地に徳島県から入植し、開拓に貢献した仁木竹吉の名前から採られている。駅前から町のメインストリートが延びていて、駅舎の窓ガラス越しに町並みが見えてくる。プラットホームから上り方向を見ると、雪の中に単線の線路がカーブしている。かつて駅構内が複線であった名残である。現在は、引き込み線がないので、折り返しは隣駅の然別で行われる。

ガラス越し 町並みの見え 仁木の駅

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単線に 引き込み線の 曲がり跡

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NANMOSA STOVE

 ニューオータニ・ホテル横の歩道に接して空間があり、ここに流政之の「NANMOSA STOVE」と題された作品がある。NANMOSAとは、北海道で、「気にしていない」とか「大したことでない」といった気持ちを相手に伝える時に口に出す言葉である。流の作品名には、このような地方色のある言葉を使ったものがよく見られる。ストーブはかつて使われただるまストーブである。ストーブの球体の向こうに飲食店の看板が見え、こちらは札幌時計台を平面にして壁に閉じ込めている。

NANMOSAは なんもなんもの ストーブ名

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石の球 彼方平面 時計台

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2010年03月07日

貨車車両の二股駅

 二股の地名は時々目にする。大抵道が二股に分かれている場所に付けられている。現在、二股駅と並行して国道5号が走り、蕨岱駅方向で道道842号が別れて行く。分岐点に二股橋が地図に記されていて、昔ここで道が二股に分かれていて、そこからの命名なのかな、と推測する。842号に沿って二股渓谷が続き、ラジウム温泉宿がある。駅舎の方は貨車を作り変えたもので、乗降客も見あたらない。小樽からの普通列車の終着の長万部駅はこの駅の隣駅で、林を貫く線路の先にある。

二股を 名乗る駅舎の 貨車車両

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終着は 線路の先の 長万部

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石狩当別駅南口前歩道

 石狩当別駅の南口に道道366号が延びている。しかし、この道道は総距離600mしかない。他の道道を調べていないので確定した事は言えないが、距離の最も少ない道道ではないだろうか。この道道に沿った歩道にあったマンホールで、背景に石狩当別駅舎が見えている。デザインは石狩川、石狩川を跨いで当別町と札幌市を結ぶ札幌大橋、小説「石狩川」を書いた本字睦夫の文学碑、当別の特産品の稲である。文学碑石狩川の当別側の土手のところにあり、碑の場所から札幌大橋が見える。

雪歩道 駅舎の見えて 当別町

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足元に 流れる大河 文学碑

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2010年03月06日

春は未だ

 昨日(5日)は朝から雪である。最近の陽気で道路の雪が解けていると思っていたら、また冬に逆戻りのような感じである。しかし、今年は雪の少ない年のようで、窓の外の積雪も例年ほどではない。

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 春に出版を予定している爪句集にも採り上げているように、例年は積雪が家に迫ってくる。その迫り方が今年は勢いがないように思える。この爪句集は庭の「春夏秋冬」の写真を並べていて、毎年同じような光景が繰り返されているのが改めてわかる。

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 この日は北大にも行っており、構内は枯れ木に雪の花が咲いていた。

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雪の羊蹄山とニセコアンヌプリの見える蘭越駅

 列車待ちの時間があったので、蘭越駅のプラットホームから周囲の景観を眺めて写真に収める。この時期、雪を抱く山が眼前に広がり、山頂が平らな富士山のような山は蝦夷富士の別名もある羊蹄山である。羊蹄山と並ぶようにして見えるのはニセコアンヌプリだろう。蘭越駅は倶知安駅管理の簡易委託駅であり、朝に札幌行きの快速ニセコライナーが一本あり、その出発駅である。ほとんど見られなくなった硬券乗車券が手に入る駅でもある。

羊蹄も ニセコの山も 雪帽子

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硬券を 得たく思えど 時間なく

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2010年03月05日

雪の中のログハウスの目名駅

 この駅は1904(明治37)年に磯谷駅として開業し、翌年には目名駅に名前を変えた。目名は町の名前でもあり、現在は蘭越町目名町である。函館本線でも単線が続き、目名駅に入るところで行き違いのために複線になる。一両のワンマン列車の前方の窓から、単線が複線になっていくところを目で確かめ、写真に撮る。プラットホームには客も見当たらず、ログハウスの駅舎が雪の中にある。蘭越、目名、熱郛と駅が単線の線路でつながっていく。

人影の 無き駅舎見え 線路先

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目名の駅 雪景色中(なか) ログハウス

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2010年03月04日

84難読駅名の熱郛駅

 熱郛(ねっぷ)とは難読の地名である。アイヌ語のクンネネッベツ(黒い漂木のある川)からきているという説がある。元は歌棄(うたすつ)郡熱郛村であったものが、1955(昭和30)年に黒松内村、樽岸村の一部と合併し、三和村となり、その後黒松内町となっている。歌棄は、今はその名が消えているけれど、江差追分に「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」と歌われている。熱郛ホールの文字が読める駅舎が線路脇にあった。

熱郛(ねっぷ)とは 難読地名 駅の名に

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歌にある 歌棄の地に 線路延び



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(パノラマ写真)

2010年03月03日

秘境の花?校正

 本のタイトルも決まっていないのに、校正刷りの方は手元に回ってきて、それををチェックしている。原稿を見ていて、北海道文化放送(uhb)局舎内の彫刻を採り上げているので、これは許諾を得ておかねば、と同社のS社長にメールを出すと、原稿にあるプランターについてコメントをいただいた。
 同社の社屋前の、フクシアの花のあるプランターは、どこかの業者が用意したものかと思っていると、同社のテレビ番組「里田まいのふわふわミニョン」で、女の子4人組がガーデニングに挑戦というコーナーで手がけたものだそうで、指導は、あの富良野「風のガーデン」の設計で名を馳せた旭川の上野砂由紀さんとのことである。いや、物事いろいろと奥があるものである。さて、このコメント、元の文章を削って、本に書き込めるかどうか、頭を使う。頭を使うので、息抜きにブログの書き込みに手を出したりしている。

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雪景色に溶け込む然別駅

 然別と聞くと、大抵の人は十勝にある然別湖を真っ先に思い浮かべるだろう。アイヌ語で、「シ・カリ・ペツ」(自分が回る川、つまり曲がる川)に由来する。この駅は歴史があり、北海道鉄道の駅として開業したのが1902(明治35)年である。現在は無人駅ながら、保線用の引き込み線とこの駅発着の列車があると聞くと、歴史ある駅であることの証明に思える。駅舎は雪景色に溶け込んでいて、線路が無ければ、スキー小屋のようである。

駅名は アイヌ語由来 然別

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線路横 スキー小屋風 歴史駅

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2010年03月02日

冬の早朝の砂川駅

 雪の季節の早朝に、砂川駅前に車を停めて駅舎やプラットホームの写真を撮ってみる。砂川行きの目的は引越しの手伝いで、ついでに国道12号沿いにある駅の周囲で写真の被写体になりそうなものを探したが、これといったものがない。駅前の広場に大きな看板があり、「ようこそ公園都市砂川へ」の文字が見える。しかし、駅前の雰囲気から公園都市のイメージが湧いてこない。この街を囲んで公園が多い、といった意味の惹句なのだろう。

早朝の 朝日で赤く 列車行き

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逆光で 駅舎を撮りて 空の抜け

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2010年03月01日

長万部駅前のアヤメ

 アヤメは長万部の町の花に指定されている。長万部にはあやめ公園があり、50種類、7万株のアヤメが咲く。このアヤメが同町のマンホールにデザインされていて、長万部駅前の歩道にあったのを写真に撮ってみた。2月も終わりの日で、雪解け水がマンホールの蓋の上に流れていて、雨に濡れたアヤメである。前日チリで起きた大地震で、1日かかって津波が日本にも押し寄せるらしく、長万部を通過する太平洋沿岸を走る列車が全て運休するとの緊急情報が駅構内に張り出されていた。

駅舎前 アヤメ地に咲き 長万部

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雪解けで アヤメ濡れたり 長万

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影響は この地伝わり チリ地震

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