2023年01月12日
2015年05月18日
SN26開駅100年を記念する網走駅
網走駅舎内には開駅100周年を記念するプレートがあり、小旗も吊り下げられている。国鉄の駅として1912(大正元)年に開業しているので、2012年には100周年となる。100年間の駅史には様々なことが加えられた。中湧別駅と網走駅をつなぐ湧網線が開業し、その後廃止された。貨物や荷物の取り扱いも廃止された。現在は観光客に期待を賭ける駅になっている。駅舎内に置かれてある駅スタンプを押してみる。「白銀の大地流氷の駅」の文句がある。乗り入れている2路線のうちの石北本線に属しているのがわかる。
スタンプの 流氷も見ず 車上客
駅史には 鉄路盛衰 1世紀
2015年05月17日
SN26乗り換え駅では日本最北端の網走駅
最初網走駅を訪れると、網走市の都心部から離れたところにあり、ホームは山裾にある。どうしてこんなところにあるのか疑問に思って調べると、元々は網走線の終着駅として都心部にあった。釧路方面の釧網線が網走駅から延びることになって、スイッチバックとなる不便さ解消のため、敷地を整備して現在の場所に駅を移転させたことが経緯としてある。網走線は石北本線に変わり、釧網本線もこの駅に乗り入れ、乗り換えのある駅としては日本最北端になる。跨線橋で結ばれたホームは、一部屋根付き2面3線である。
網走は 乗り換え駅で 最北端
2015年05月16日
SN25都会に在りながら山間駅のような桂台駅
網走市の都心部の最寄り駅で道道490号脇にある。道路より低いところにホームがあり、ホームには道路の歩道部分につながった階段を下りて行く。この階段の踊り場のようなところを駅待合室にしている。従って、駐車や駐輪のできるスペースは駅の周囲に無いので、車をどこかに停めてガードレールで分離された歩道を歩いて行かねばならない。桂台駅のホームは地形の関係でホームに立つと田舎の駅の雰囲気である。しかし、隣駅の網走駅との間に網走市の市街地が展開しており、都会に接している駅である。
駅表示 歩道にありて 桂台
2015年05月15日
SN24写真に残された旧駅舎の鱒浦駅
駅のある辺りはオホーツク海と高台の平野部の中間に線路が走っている。国道244号は線路から少し低いところにあり、国道から駅舎には石の階段を登っていく。近海に鱒の好漁場があったため、鱒浦の地名が付けられている。木造の駅舎は利用客数と比較して大きなものである。しかし、写真の駅舎は2015年に完成した規模の小さな駅舎に取って替わられもう見ることはできない。ホームは単式の1面1線で、ホームから国道と海を見下ろすようになる。オホーツクの冬の海が目の前にあり、波頭が迫って見える。
旧駅舎 過去の写真で 雪埋もれ
2015年05月14日
SN23昔の駅舎の面影を残す藻琴駅
藻琴駅は昔の面影を残す木造駅舎で、駅舎内で軽食喫茶店「トロッコ」が営業している。同様な造りのオホーツク海沿いの北浜駅や止別駅の駅舎内に軽食喫茶店があることが挙げられる。この路線では「海と食」を楽しむことが出来る。北浜駅や止別駅と比べると、店と待合室の仕切りがきちんとされ、駅舎内はすっきり感がある。ホームに出てみると単式の1面1線で、雪の中に線路が延びている。オホーツク海から少し離れた位置にあり、海は見えない。駅近くに藻琴湖があり、駅前で国道244号と道道102号が合流している。
今昔は 茶店看板 駅名標
SN22オホーツク海に一番近い駅の北浜駅
この駅は話題の多い駅である。駅が映画のロケに使われていて、鉄道ファンと映画ファンが訪れる駅になっている。邦画では「網走番外地」、中国映画では「狙った恋の落とし方」が挙げられる。駅舎内には訪れた旅行客の名刺等が壁から天井にかけて埋め尽されるように貼られている。軽食喫茶店「停車場」が駅舎内で営業している。ホームに出ると目の前にオホーツクの海が広がる。オホーツク海に一番近い駅のキャッチコピーも用意されている。駅舎の隣に流氷見学用の展望台があり、晴れていると遠く知床連山を望むことができる。
停車場は 軽食喫茶 駅舎内
2015年05月13日
SN21キタキツネが歩いている原生花園駅
駅名が示すように小清水原生花園への最寄り駅である。小清水原生花園はオホーツク海と濤弗湖とに挟まれた砂州に広がる。濤弗湖は多くの野鳥が飛来する場所でもある。この砂州を釧網本線が走っている。駅は5月1日から10月31日まで営業する臨時駅である。営業休止期間中は駅舎への道が雪で埋まり、国道244号から駅ホームに行くことになるとカンジキでもなければ難儀する。駅舎は冬期には閉め切られていて内に入ることができない。雪の季節で訪れる客も無い駅舎の周囲をキタキツネが悠々と歩いていた。
臨時駅 客はキツネで 閉鎖なり
2015年05月12日
SN20道の駅に間借りする浜小清水駅
ホームだけの駅というのは注意していないと見逃す。逆に大きな施設に取り込まれるようにしてある駅もすぐには見つけ出せない。国道244号沿いに道の駅「はなやか(葉菜野花)小清水」があり、建物の中のホームへの通路部分が駅舎である。道の駅に目を奪われるとどこにJRの駅舎があるのかわからない。建物の中に道の駅との共用の待合室があるけれど、鉄道駅の待合室の雰囲気からはほど遠い。建物を抜けてホームに出ると、相対式ホームの2線で、構内踏切がある。ホームの名所案内には網走国定公園の文字がある。
葉菜野花(はなやか)に 浜小清水駅 間借りなり
2015年05月11日
SN19駅舎内にラーメン喫茶店のある止別駅
この駅名も最初は正確に読めない。アイヌ語の「ヤム・ペッ(冷たい川)」に漢字を当てはめ、「やんべつ」と呼ばれる場合もある。釧網本線は知床斜里駅を過ぎる辺りからオホーツク海沿いを走ることになるけれど、止別駅からオホーツク海は見えない。木造駅舎の屋根に羽のある馬の飾りがあり、天馬なのだろう。「えきばしゃ」の店看板のある駅舎内に入るとラーメン喫茶店がある。店のメニューと時刻表が並んである。「年徳神」のお札が見える神棚があり、歳徳神を祭っているようだ。駅舎の内に神棚とは、少々違和感がある。
駅舎屋根 天馬が駆けて 止別駅
SN18観光地を意識した洒落た駅舎の知床斜里駅
開業時は「斜里駅」であったが、1998年に観光地として知名度の高い「知床」を駅名に加えている。知床は2005年には世界遺産リストに登録された。駅前広場にはアメリカ人彫刻家のロベルト・フォリオ・ベッシン氏の金属ワイヤーで作られたオジロワシの像がある。駅舎は斜里町の観光センターとの複合施設として改築され、外観も駅舎内も以前の駅舎に比べると格段に洒落たデザインになっている。夜間を除けば有人駅で、観光客への対応にも備えている。単式と島式のホームがあり、2面3線で跨線橋がある。
駅前に オジロワシ居て 洒落駅舎
2015年05月10日
SN17銀世界の中の白壁駅舎の中斜里駅
南斜里駅と中斜里駅間は2.2 kmしか離れていない。大都会の近郊駅ならともかく、中斜里の集落にある中斜里駅と農地の中にある南斜里の駅がこんなに近いところにある理由がわからない。中斜里駅舎は以前の写真では屋根がワインレッド色だったのが、黒く塗り直されている。駅舎内は清里町駅舎と似ていて、閉鎖された窓口の受け台のところに人形が並べられ、駅ノートもある。ホームに出ると、丁度快速「しれとこ」が入ってくる。釧路と網走を3時間で結んでいる。普通列車では3時間12~16分で余り変わらない。
「しれとこ」は 釧路網走 3時間
SN16雪原の中にホームだけがある南斜里駅
畑が雪で覆われた広い雪原の中に短いホームがある。遠くからならここに駅があるとは気が付かない。ホームの前に農家の施設らしい建物があり、遠くにも農家や酪農施設、工場の煙突が見え、秘境駅というには微妙なところである。しかし、この駅に停車する列車の本数が少なく、駅施設がホームだけとなると、秘境駅に組み込んでもよさそうである。「パノラマ写真で巡る北海道の駅」の表題の2015年のカレンダーを制作した時、この駅のパノラマ写真がカレンダーの表紙を飾ったこともあり、記憶に残る駅である。
雪原に ホームの在りて 駅と知る
2015年05月09日
SN15「町」の文字が駅名に入る清里町駅
開業時は上斜里村にあったので上斜里駅で、駅の所在地が町制施行で清里町になったのにともなって清里町駅に改名している。清里は小清水町と斜里町から一文字ずつ採って町名にしている。普通は何々町の駅は「町」を除いて駅名にするところ、この駅は「町」も入った駅名になっている。駅舎内には切符売場だった窓口があるけれど、使われてはおらず、受け台のところに人形などが置かれている。ホームに出てみると2面2線があり、跨線橋でつながっている。ホームでは作業員が雪かき作業を行っていた。
窓口に 人形客が 並びたり
2015年05月08日
SN14「鶴」から「弦」へと同音で名前を変えた札弦駅
開設当初「札鶴」駅であったものが同じ読みの「札弦」駅に改名している。駅近くにベニヤ工場があり、本社は札弦町にあり、「札鶴ベニヤ(株)」と社名は旧い駅名と同じである。アイヌ語の「サク(夏)・ル(通り道)」に漢字を当てている。宗谷本線に同じアイヌ語に漢字を当てはめた駅名に「咲来(さっくる)」駅がある。同じ語源でもこれほど異なる駅名になる。駅舎前に大きなイチイの木があり、電話ボックスも置かれている。広い駅前通があり道道1115号につながっている。ホームに出ると単式の1面1線である。
冬に撮る 「札弦」語源 夏の道
2015年05月07日
SN13緑が見えなくても「いんでない」緑駅
国鉄駅として開業時は「上札鶴駅」であった。駅の所在地が清里町緑町になったため町名を駅名としている。緑町の市街地は線路の東側で線路の西側は森になっている。三角屋根の玄関の造りが磯分内駅と似ていて兄弟駅のようである。駅前広場の横に看板があり「いんでない」の文字がある。「良い、それでいい」といった意味の北海道弁だと思われる。ホームは相対式の2面2線で、行き来は構内踏切を利用する。構内踏切だと雪の季節かなりの距離の除雪作業が必要で、そのために駅舎の前に小型の除雪機があった。
反復す 北海道弁 「いんでない」
2015年05月06日
SN12旅行客が足湯を楽しめる川湯温泉駅
見どころ、食べどころそして湯どころのある観光客の喜ぶ駅である。弟子屈町にある駅で、同町には御料地があった関係で駅舎内に貴賓室が設けられていた。この貴賓室は駅舎内のレストラン「オーチャードグラス」の一部となっていて、食事を摂ることができる。部屋の中央に格調の高い薪ストーブがあり、壁と棚には駅縁の品々が展示されている。駅舎と別棟の足湯の建物がホームに接してあり、無料で浸かることができる。相対式ホームの2面2線で構内踏切を利用する。ホームに熊が鮭を抱えた木彫りが置かれている。
足湯ある 温泉地駅 熊迎え
2015年05月05日
SN11児童の描く絵が駅舎壁にある美留和駅
駅名の元になったアイヌ語に関しては諸説あり、その一つに「ペル・ワアン・ペツ(泉がある川)」とネットにある。このアイヌ語の発音が美留和と表記されるには随分距離のある話である。名前もそうであるけれど、この駅が印象に残るのはリサイクル駅舎の車掌車の壁に美留和小学校の児童によって描かれた楽しい絵がある事による。駅正面側にはSLの絵が描かれ、この辺りで見かける動物や昆虫、花が描かれている。ホーム側の絵には湖と山が描かれていて、絵に摩周湖と読めなくもない文字が記されている。
児童描(か)く SL走り 駅舎壁
2015年05月04日
SN10駅横に足湯施設のある摩周駅
弟子屈町の中心駅で、元は弟子屈駅であった。町の観光振興の観点から、全国的に知名度の高い摩周湖の名前を駅名に拝借である。駅員の居る有人駅で、地域の商店が出店している売店があり、人気商品の摩周の豚丼が売られている。観光案内所があり、トイレもある比較的大きな駅舎である。単式と島式ホームの2面3線があり、跨線橋でホーム間を移動する。駅横には「ぽっぽゆ」と名付けられた源泉掛け流しの足湯施設がある。冬期間、積雪のすぐ傍で足湯に浸かれるのは、観光客や旅行客には魅力の駅になっている。
駅名は 有名湖名 借りるなり
2015年05月03日
SN9難読駅名が駅舎壁にある南弟子屈駅
弟子屈は難読である。町名になっているこの地名はアイヌ語の「テシカ・カ」(岩盤の上)に漢字を当てはめているのだが、何で音読みと訓読みの漢字を組み合わせたのかと疑問である。駅の住所は弟子屈町熊牛原野144で、熊と牛の居るところのようにも思えるけれど、これもアイヌ語で「クマ(魚を乾かす棚)・ウシ(場所)」で熊や牛とは関係がない。駅は牧草地に囲まれてあり、ホームに立つと雪の季節には雪原と酪農家の家が見える。車掌車のリサイクル待合所で、以前は2色で塗り分けられていたものが1色になっている。
弟子屈は 難読名なり 駅舎壁
2015年05月01日
SN7標津線の名残のある標茶駅
この駅はかつて標津線の起点駅であった。ホームは単式と島式の2面3線で、跨線橋で島式ホームに渡る。島式ホームに標茶町の木である楢を削って「標津線起点」と書かれた記念標識がある。レールを曲げて鐘を吊るした「C11171ふるさとの鐘」のモニュメントもあり、SL冬の湿原号が停まる駅でもある。業務委託駅であり窓口業務が行われている。駅舎の天井からはタンチョウの模型が吊り下げられており、釧路湿原観光の拠点駅をアッピールしている。列車を待つ地元客は頭上のタンチョウには目もくれない。
楢柱 ここが起点と 標津線
2015年04月30日
SN6船の容積が駅名になった五十石駅
この駅名は五十石船に由来する。弟子屈町にある硫黄山(アトサヌプリ)の硫黄搬出にあたって釧路川を利用した時代があり、標茶からこの駅の辺りまで五十石船で、さらにここから百石船に積み替えて釧路まで運ばれた史実に由来する。摩周国道(国道391号)沿いに駅があり、車掌車のリサイクル駅舎が置かれている。駅周囲に集落らしきものが見当たらず、誰が利用する駅なのだろうかと思ってしまう。ホームは1面1線で、除雪はきちんと行われている。駅舎の壁は以前の釧路川のデザインが二色塗り分けに変わった。
五十石 列車何両 船と汽車
2015年04月29日
SN5駅舎の内外でタンチョウ鶴が飛ぶ茅沼駅
ここはタンチョウ鶴の駅である。ログハウスの駅舎の入口のドアのところにタンチョウのデザインの飾りがあり、駅舎内にも天井からタンチョウの模型が吊り下げられている。タンチョウを撮った写真が壁にある。駅の近くにはタンチョウの人手による餌場があり、ホームからタンチョウを見るチャンスに恵まれる時もある。茅沼駅が有人駅だった頃に駅長がタンチョウに餌を与え、無人駅になってからも近くの住民による餌付けが行われているためである。駅の近くに本州の鉄道関係者が設置したSLの動輪がある。
茅沼は 客とタンチョウ 列車待ち
2015年04月28日
SN3釧路湿原を訪れる観光客が利用する細岡駅
自動車で細岡駅に行く場合、国道391号から折れて西に行く道を進み、達古武沼の岸に沿って駅に到達する。この道をさらに進むと釧路湿原駅となり道は終わる。細岡駅舎はそれほど年月の経っていないログハウスで、シーズンには列車で釧路湿原を訪れる観光客が利用する。駅の周囲にはこれといった施設はないけれど、観光地である証明のように観光案内の看板が目に付く。駅舎内には木製ベンチがあるだけで、丸太の壁の時刻表と料金表が駅舎であることを教えてくれる。トイレのドアには使用停止の貼り紙があった。
細岡は 客姿(きゃくすがた)無く オフシーズン
2015年04月27日
SN2雪の中にひっそりと佇む釧路湿原駅舎
釧網本線が釧路湿原の縁を延び、北上する辺りでは、蛇行する釧路川に沿って東側に線路がある。湿原は川の西側に広がっている。釧路湿原駅は林の中にあり、車で行くと駅近くの駐車場から線路伝いの細い道を歩いてゆく。駅舎はログハウスの立派なものである。利用客はほとんど観光客で、雪の季節には乗降客の姿を見ない。駅舎内はベンチとテーブルがあるだけで、これといって目に留まるものはなく、丸太の印象だけが残る。シーズン中は列車の利用客はこの駅からあるいて展望まで行き、広大な湿原の景観を楽しむ。
看板の 墨痕鮮やか 湿原駅
SN1洞爺駅と発音が紛らわしい遠矢駅
釧網本線は東釧路駅が起点で網走駅までとされている。東釧路駅は根室本線に含まれるので、重複を避けると、東釧路駅の隣駅の遠矢(とおや)駅からの取材となる。道内には似た発音の駅としては洞爺(とうや)駅がある。洞爺を「とおや」と発音する人も居て、これは紛らわしい。駅の西側は釧路市のベッドタウンの様相で、戸建ての住宅が並ぶ。駅の東側は森林地帯になっている。1面1線の駅ホームにワンマン列車の快速「しれとこ」が入ってくる。跨線橋があるのでここから写真を撮ると、白壁の駅舎が見えている。
「しれとこ」は ワンマン1両 釧網線
2015年04月26日
N68納沙布岬のデザインの根室駅スタンプ
根室駅の駅舎内にスタンプ台があって駅スタンプが置いてある。押してみると「朝日が一番早い納沙布岬の街」の文字に朝日が水平線の上に現れ、納沙布岬灯台がある図柄である。水平線のところに見える平らな島影は水晶島のようである。納沙布岬の灯台下で珸瑶瑁水道の海を臨んでパノラマ写真を撮ってみる。洋上が霞んでいるせいか写真では水晶島が写っていない。灯台は白塗りの円形の塔とドームの造りである。霧信号所(ダイヤフラムホーン)ト無線方位信号所が併設されていたが、現在は廃止されている。
納沙布の 灯台認め 駅の印
N68ホームでエトピリカが迎えてくれる根室駅
滝川駅を起点とすれば443.8 Kmが根室駅のキロ程となる。普通列車で滝川から釧路まで来て、釧路から花咲線の列車に乗り継ぐ列車の旅はさすがに長いだろう。有人駅では日本最東端の根室駅は、最果ての地に来た感じはそれほどしない。駅舎にはキオスクもあり、無人駅が続いていたので余計大きな駅の印象がある。ホームに出てみると、「ようこそ根室へ」の看板の大きな文字が見慣れない鳥のイラストと一緒に目に入る。根室市のユルリ島で繁殖するエトピリカだろう。釧路行きの列車が単式のホームに停車している。終着駅に着いた列車は折り返して始発の列車になる。まさにターミナルの駅である。
最果ての 駅にキオスク 大駅舎
2015年04月25日
N67日本最東端の駅の東根室駅
東経145°35′50″にある東根室駅が日本最東端の駅となる。この記録を記した碑が駅ホーム前に建てられている。因みに日本最北端駅は稚内駅である。駅前広場があっても駅待合室は無く、少し高いホームがあるだけである。ホームは板張りの1面で、カーブして延びる線路に沿ってある。ホームは高いところにあり、ホームから根室市の住宅街を見下ろせる。線路を越えてホームの反対側に出ることはできない。線路に向かって右手方向の下り路線はホーム先でカーブし西に向かい、根室本線の終端の根室駅に達する。
碑に刻む 誇示する記録 最東端
N66「鼻先」の意味を「花咲」として地名にした花咲駅
地名の解説では、アイヌ語で大きな岬と呼ばれている地形が顎のように海に突き出ていて、その「鼻先」の部分に当たる場所に「花咲」の字を当てたのに由来するとある。確かに「鼻先」よりは「花咲」の方が感じがよい。釧路から根室までの花咲線の愛称が採られた駅である。待合室は車掌車のリサイクルで、以前は花咲漁港が近いこともあってか、簡単な魚のデザインが描かれていたのが、二色に塗り分けられたものになっている。1面1線のホームがあり、駅の周囲には人家も見えず、原野が広がっている。
停車する 列車ドア先 待合所
2015年04月24日
N65屯田兵の歴史を名に残す西和田駅
西和田駅の辺りで線路は道道142号と並んでいるので、駅は道道の傍にある。根室半島のこの地は和田屯田兵村が開拓を行った。和田とは屯田兵村の大隊長の姓である。兵村は西と東にあり、西和田駅の名前につながっている。駅の周辺は酪農家が点在するだけで見るべきものもない。ただ、駅の近くに和田屯田兵村の被服庫の建物が残っている。車掌車リサイクルの駅待合所が、乗降客の利用が期待できないような状況の中にある。以前は待合所の壁に簡単な絵が描かれていたけれど、それも塗りつぶされてしまっている。
駅名に 屯田兵村 歴史跡
2015年04月23日
N64昆布の語源を思い起こさせてくれる昆布盛駅
駅名はアイヌ語の「コンプ・モイ(昆布の採れる湾)」に由来する。すると昆布の名前はアイヌ語から来ていることになる。その真偽はともかくとして、昆布が盛り沢山あるという意味では、アイヌ語の音を漢字に直して意味も通じている。単式1面のホームと1線があり、ホーム近くに小さな待合所がある。駅の上り方向で昆布盛漁港に通じる道が線路を横切り、踏切が設置されている。踏切から下り方向を見るとホームは右側にあり、上り方向に向かう列車の車内からはホームが右側に見えることになる。
車内から これがホームと 昆布盛
2015年04月22日
N63下りで列車交換可能な最後の駅の落石駅
2015年04月21日
N61駅舎へのアクセスの難しい初田牛駅
衛星写真で根室本線を下っていくと原野と森林の中に初田牛駅がある。道道142号の根室浜中釧路線に沿って線路が延びており、初田牛駅は道路の北側にある。しかし、142号から小道を折れて初田牛駅に行くと、駅舎は線路の向こう側にある。この駅に行くには線路の北側の道を行くしかなく、アクセスの難しい駅で秘境駅の条件を満たしている。ホームから見る限り人家は目に入ってこない。周囲の状況から乗降客が居るとも思えない駅舎を写真に収める。駅名に付く「牛(「ウシ」」はアイヌ語の「…の所」の意味である。
待合所 線路の向こう 初田牛
2015年04月20日
N60旧標津線の起点駅だった厚床駅
厚床駅は1989(平成元)年まで旧標津線の起点駅であった。駅ホームにその歴史を示す標識と説明が置かれてある。旧標津線は厚床から中標津経由で根室標津までと、標茶から中標津、根室標津までの路線で随分長い路線が無くなっている。旧標津線廃止後、バスが運行され、駅舎は建て替えられバスの待合所となっている。無人駅であるけれど、バスの乗車券を取り扱う窓口がある。標津線が無くなっても厚床駅はこの地方の交通の要衝である。ホームは2面2線で構内踏切がある。列車交換の出来る駅である。
標識に 駅史記されて 標津線
N59三姉妹駅の一つの姉別駅
この駅名にも「別」の漢字がついていて、アイヌ語の「川」の入った地名に由来する。根室本線にはそっくりさんの駅があり、この姉別駅舎に新吉野駅舎と初田牛駅舎を加えると三兄弟の駅舎になる。多分造られた時期が同じで、同じ設計図が利用されたのだろう。駅の周囲に姉別の集落があるけれど、大きなものではない。駅舎内には浜中町の他の駅同様ルパン三世のキャラクターの看板がある。ホームに回ってみるとこの看板がはっきり認められる。ホームは1面で1線が上り下りに利用されている。
姉別と 姉妹駅あり 根室線
2015年04月19日
N58大楽毛駅と語源が同じの浜中駅
根室本線には大楽毛駅がある。大楽毛駅と浜中駅とは名前の上では何の共通性もないものと思っていた。しかし、両駅ともアイヌ語のオタノシケからの命名である。オタノシケの音に漢字を当てはめたのが前者、言葉の意味の「浜の中央」の意訳を用いたのが後者の浜中駅となっている。駅舎の切妻部分に景観絵のステンドグラスがあり、停止中の切符売場に「峰不二子」の絵があってチグハグな感じである。単式1面1線のホームの名所案内の横もルパン三世の看板があり、浜中町の見どころを説明しているようだ。
景観絵 アニメ絵に負け 駅舎内
2015年04月18日
N57ルパン三世が駅前に立っている茶内駅
浜中町には茶内、浜中、姉別の三駅がある。これら三駅の共通点はルパン三世で、このアニメ(漫画)のキャラクターが駅舎内に描かれたり、立て看板になったりしている。これはこのアニメの作者のモンキー・パンチが浜中町出身であることによっている。茶内駅では駅舎の玄関横にルパン三世の看板が、ホーム側には銭形警部の看板がある。駅舎内にはオールスター勢ぞろいのポスターがある。駅の北西方向に市街地が広がっている。ホームは相対式2面で2線となっている。ホーム間には構内踏切がある。
駅舎壁 アニメのスター 勢ぞろい
2015年04月17日
N56従来駅舎が新駅舎に変わる糸魚沢駅
駅は国道44号に沿ってあり、駅近くに少しばかりの集落はあるものの、原野と林に囲まれた駅である。駅名にある「糸魚」とは巨大な淡水魚のイトウのことで、「糸のように細い魚」の表現は実体に合っていない。アイヌ語で「イトウのいる川」を和訳してこの名前になっている。駅舎は切妻で明り取りのために段差のある構造になっている。この駅舎は取り壊され、新駅舎に建て替えられる予定で、既に工事が始まっている。ホームは1面で1線が利用されている。線路が春先の荒涼とした原野の中に延びている。
糸魚とは イトウと知りて 駅名(えきな)かな
N55駅員の姿が見える有人の厚岸駅
厚岸の町は厚岸湖と厚岸湾が狭い海水部分でつながる周囲の陸地に広がる。駅の南に歩いて行くとすぐ厚岸湾に出る。東側に行くと厚岸湖に達する。東西に長い造りの平屋の駅舎は大きく、有人駅である。駅舎内にはキオスクもある。駅スタンプを押すと厚岸湾を背景にカキとあやめが描かれ「カキとあやめの街」の文字がある。ホームに出てみると駅舎側の単式と島ホームを使った2線である。ホーム間に跨線橋がある。跨線橋と並行して駅の南北をつなぐ連絡橋もある。ホームの使われない部分に厚い雪があった。
島ホーム 雪を乗せたり 冬厚岸
2015年04月16日
N54喫茶店かと間違う造りの門静駅
門静駅は国道44号沿いにある。駅舎は2003年に建て替えられたもので新築の感じが残っている。角材を用いた茶店と間違いそうなこじんまりした建物で、以前の駅舎の写真と比べると全くの別物である。駅舎は段差と車椅子対応の緩やかなスロープがあり、待合室に入らなくてもすぐホームに出られる造りになっている。ホームは1面1線である。海に近い駅であるけれど、駅からは海は見えない。衛星写真では線路に接して駅の南側に整備された広い広場があるけれど、耕作地でもなさそうで疑問が残った。
門静は 茶店風なり 小駅舎
2015年04月15日
N52駅舎内に駅の模型が置かれている上尾幌駅
上尾幌駅は尾幌川の上流にあることから名づけられており、駅の所在地の厚岸町大字苫多村に尾幌の地名は含まれていない。上尾幌駅の周辺には集落があり、かつては炭鉱の町として栄えた歴史がある。駅舎は大きく、一部が待合室として使われている。この待合室内に駅舎全体の模型が置かれている。2面2線の単式と島ホームがあり構内踏切で行き来する。駅の北側には厚岸町の「きのこ菌床センター」の建物があり、生椎茸栽培用の菌床の供給販売が行われている。線路を越えてこのセンターに抜ける道はない。
駅舎内 駅を縮めた 模型あり
N51アイヌ語で「小川」を意味する“別保”駅
別保とは耳慣れない地名である。これもアイヌ語が語源で「ペッ(川)ポ(小)」で別保川を指している。別保駅は国道44号沿いにあり、外壁が白く、駅舎内は黒い壁になっている。窓が多く内に居ても開放感のある駅舎である。壁に「別保駅」という歌詞が額入りで飾ってある。地元のバンドが歌っている歌で、歌詞の中には「釧路駅から210円」がリフレインになっている。今は消費税アップで220円となる。ホームに出てみると、1面1線である。駅の南北をつなぐ連絡橋がホームの頭上にあり、錆が目立つ。
白壁に ゴシック文字で 駅舎かな
2015年04月14日
N50花咲線を遠望できる連絡橋のある武佐駅
釧路のベッドタウンにある武佐駅に車で行くと迷う。国道44号から離れ、武佐川と別保川が合流する複雑な地形に団地が形成され、その外れに駅がある。目印になる建物は駅前の集合住宅ぐらいである。駅待合所は無く、高床のホームに階段で上り、片持ち式屋根の所で乗客は列車を待つ。1面1線である。駅の上り方向に住宅地を結ぶ連絡橋があるので、橋の上で写真を撮ると丁度1両の釧路駅に向かう上りのワンマン列車が入ってくる。駅の北側と東側は原野と武佐の森緑地と呼ばれる林地帯が広がっている。
ワンマンカー 近づくホームに 人の見え
N49根室本線と釧網本線が乗り入れる東釧路駅
東釧路駅には根室本線と釧網本線の二線路が乗り入れている。駅の所属はこの2路線の内根室本線であるけれど、釧網本線の起点駅となっている。複数の路線が接続する駅としては日本最東端となる。島ホームの2面2線が利用されていて、駅舎から構内踏切でホームに渡る。釧路駅方向に連絡橋があり、この上から前記2路線が分岐して行く方向を眺めてみる。線路を跨ぐ道路があり、その下を通過した線路が北と東に分かれていく。駅の北側にスーパーマーケットがあり、大きな駐車場が駅に隣接してある。
二路線の 乗り入れ駅が 橋の下
2015年04月13日
N48 SL冬の湿原号の始終点駅の釧路駅
北海道の路線では鉄道ファンや観光客ためにSLの臨時列車を走らせてきた。SL函館大沼号、SLはこだてクリスマスファンタジー号、SLニセコ号は人気があったが、北海道新幹線開業準備のため、これらのSL臨時列車は2014年で廃止された。唯一残ったのがSL冬の湿原号である。この臨時列車は釧路-標茶駅・川湯温泉駅間を往復する。2014年はSLが二台連結した最後の重連であった。朝釧路駅を出発し、途中摩周駅で石炭と水を補給して釧路に戻ってきた。釧路駅では雪の降る中、鉄道ファンが集まって写真を撮っていた。
雪の中 ホームにファンの カメラ列
N48ホームに湿原の鐘のある釧路駅
滝川-釧路間が普通列車で行ける道内最長路線である。根室本線は釧路-根室区間もあり、こちらは花咲線の愛称で呼ばれている。釧路から網走に向かう釧網本線も釧路駅発となる。釧路駅の2番線ホームにはSL冬の湿原号運行に合わせて湿原の鐘が設置された。半円形に曲げられたレールに鐘が吊り下げられている。同ホームには釧路沖約6 Km、海面下-600 mで掘り出された太平洋炭礦の海底炭塊が展示されている。同炭鉱は釧路コールマインに引き継がれ、現在でも石炭が掘られ、太平洋石炭販売輸送臨港線で運ばれている。
鐘鳴らし 出発SL 湿原号
2015年04月12日
N47道東で富士山を連想する名の新富士駅
駅名を聞くと静岡県富士市あたりの駅を連想する。事実、JR東海の東海道新幹線の駅として同名の駅がある。同じ名前の駅で不都合ではないかと思うけれど、JR北海道とJR東海は別会社なので問題は無いのだろう。北海道の方の駅名は大正期に創業した「富士製紙(現日本製紙釧路工場)」に由来している。駅舎は無く、道路に面した跨線橋に駅名が掲げられている。跨線橋を通ってホームに出てみると待合室がある。釧路貨物駅と共用の構内は広く、コンテナが置かれ、コンテナ車が長いホームに待機している。
道東に 富士の名の駅 コンテナ車
N46釧路近郊の新興地にある新大楽毛駅
大楽毛駅から東に1.8 Km 行くと新大楽毛駅となる。この辺りは住宅や専門学校、自動車教習場などがあり、釧路の郊外の新開発地域である。駅待合所は無く、片持ち屋根のあるホームが待合所の役目をしている。ホームは1面の1線のみで上下線として共用されている。コンクリート製のホームは長く、上り方向の端から踏切のある道路に降りて行ける。大楽毛から新大楽毛に至る線路の近くを国道38号が並行しており、道東の交通の大動脈が走る地域となっている。駅から南に少し行くと釧路の海に出る。
列車撮る ホームの鏡 我が姿
2015年04月11日
N45駅前に釧路種の馬の像のある大楽毛駅
大楽毛の駅名を「おたのしけ」と正確に読むのは、最初は無理だろう。この駅名(地名)はアイヌ語の浜(オタ)の中央(ノシケ)に漢字を当てはめている。駅舎と施設がつながった建物の中央部分が待合所で、向かって右側が釧路市の支所、左側が食堂となっている。無人駅でも駅待合室は広い。駅前に釧路種の銘板のある馬のブロンズ像があり、これは戦前この地で軍馬が育成され、駅から運ばれたことによっている。ホームに出てみると跨線橋があり、島ホームにつながっていて、このホームが利用されている。
釧路種の 軍馬像あり 大楽毛
N44直線線路が東に延びる庶路駅
駅前に駅の由来が記された石碑がある。碑文を読むと、アイヌ語で滝(ソ)に向かっている道「ソオロル」から庶路と名付けられ、明治期には馬産地として知られた。釧路線の工事として明治期に釧路、大楽毛、白糠の各駅と同時に完成した。駅前を走る国道38号より少し高いところに駅舎があり、階段がついている。ホームは単式1面1線で、島式ホームへの跨線橋があるが、これはホームに行くためのものではなく駅の南北の連絡橋となっている。庶路駅から下り方向の隣駅大楽毛駅に直線の線路が東に延びている。
駅名標 壁飾りにし 小駅舎
2015年04月10日
N43ホームにキロ程看板のある西庶路駅
西庶路駅は屋根の構造が複雑で、屋根も緩い勾配で、多雪・豪雪地帯では見られない。この辺りでは雪が少ないのでこのような造りとなったのだろう。駅前に公衆電話ボックスがあるけれど、これはほとんど使われないのではなかろうか。以前は簡易委託駅であったが、現在は無人駅である。島式ホーム1面2線が使われていて、屋根無し跨線橋で島ホームに渡る。跨線橋とは別に連絡橋もあり、これは白糠駅と同じ配置である。ホームに「289」のキロ程の看板があり、起点の滝川駅から289 Km来たことを示している。
複雑な 屋根構造や 少雪地
N42駒踊りデザインの駅スタンプのある白糠駅
白糠について聞かれても「白糠は知らぬかった」と駄洒落を返す程度が精いっぱいである。有人駅で駅員が詰めている。駅スタンプには白糠駒踊りがデザインされていて、これは白糠村に開設されていた陸軍軍馬補充部釧路支部が発祥といわれている。駅舎内は広く、3月中旬の訪問時には大きな石油ストーブがあった。たこ焼の店「駅の家ハッピー」はシャッターを下ろしていた。ホームに出てみると島式・単式2面3線で、ホーム間の跨線橋が上り方向にある。下り方向には駅の南北をつなぐ人道橋が見える。
たこ焼きは 閉店日なり 食べ損ね
2015年04月09日
N41 上り下りのホームが異常に遠い古瀬駅
海沿いの線路が内陸部に入ったところに古瀬駅がある。車で探して行くのにはすんなりと辿り着かない古瀬駅の第一印象は、この駅を利用する乗降客が居るのだろうか、というものである。この秘境駅の不思議な点は、二面あるホームが異常に離れている事である。斜め対面ホームどころではなく、片方のホームの先から相手のホームが遠くに見える。ホーム間は線路に沿った小道を歩いて、ホーム間にある踏切を利用する。ホーム近くに信号所の建物があるだけで、待合所はない。運賃表はホームにあり駅舎の機能を兼ねている。
警笛を 鳴らし特急 瞬時去り
N40貨車用の長いホームのある音別駅
釧路市と飛び地合併をする前の音別町の玄関駅で、現在も有人駅で近隣の駅では最も規模が大きい。2面2線の相対式ホームで構内踏切がある。この駅は貨物駅でもあるので、構内は広く、比較的ながい連絡橋が線路を跨いである。旅客駅の南側のコンテナホームは全長約200 m と長いもので、パノラマ写真撮影時にもコンテナ列車が停まっていた。JR北海道の子会社がデータ捏造の大きな記事が新聞第1面記事になり、地図入りで音別駅が出ていた。取材した時のパノラマ写真を見てこの駅の記憶を新たにした。
ワンマン車 釧路方面 向かいたり
2015年04月08日
N39尺別鉄道の資料が掲示されている尺別駅舎
下り方向に直別、尺別、音別と「別」三兄弟駅が続く。「別」はアイヌ語の「ペツ(川)」に漢字を当てており、道内には「別」のつく駅名(地名)は多い。駅周辺は人家も少なく寂れた感じである。尺別駅は運炭のための雄別炭礦尺別炭礦鉄道から尺別鉄道となった路線の起点駅でもあった。据え付け椅子があるだけで、他になにもない駅舎内の壁に、尺別鉄道の写真や説明が壁に張ってある。相対式ホームがあり跨線橋で連絡である。屋根なし跨線橋の上からは海が見える。ホームでは作業員が除雪作業を行っていた。
駅名板 「別」の三駅 表示あり
N38近くにキナシベツ湿原のある直別駅
山小屋風の直別駅舎の横にベンチがある。ベンチにキナシベツ湿原の文字があり、近くに湿原が広がっているのを教えてくれる。地図では駅は直別原野にあり、付近にキナシベツの文字があるので、駅の周囲がもう湿原になっているのかも知れない。ホームに出て見ると斜め対面のホームで、2線が利用されている。ホーム間に屋根なし跨線橋が架かっている。直別駅は釧路市音別町の駅で、浦幌町との境界にある。音別町は白糠町が間に挟まって飛び地で釧路市と合併したため、尺別、音別と釧路市の駅が続き白糠町に入る。
駅舎横 ベンチ文字あり キナシベツ
2015年04月07日
N37跨線橋から海の見える厚内駅
N36時間が止まってしまったような上厚内駅
上厚内駅に着いた時は陽が落ちかかっていたことも手伝って秘境駅の雰囲気である。駅周辺の民家は廃屋の無残な姿を晒している。駅舎は道路から少し高いところにあり、緩やかな坂を登っていく。ここに客姿があるのを想像できない駅舎内を通ってホームに出る。対面式ホームで2線ある。列車交換のためなのだろう、ホームは長い。青空跨線橋でホームを行き来する。沈みゆく陽に照らされた木造駅舎は、もう見ることの少なくなったかつての典型的駅舎のようで、ここでは時間が止まってしまったかと錯覚する。
沈みゆく 陽にシルエット 秘境駅
2015年04月06日
N35ホームにランプ用油貯蔵庫の残る浦幌駅
浦幌駅前は再開発が行われ、ロータリが囲むコスミック広場と銘打たれた広場があり、駅前通が延びている。通りに面し町の多目的施設のコスミックホールがある。駅は有人で駅舎はこの辺りでは規模が大きい。対面式のホームがあり跨線橋でつながっている。豊幌町、音別町、白糠町を通る根室本線はおおまかに東西に延びる路線であるけれど、浦幌駅では南北に線路が延びる。ホームにはレンガ造りの小屋があり、明治時代に建てられた、灯りためのランプ用油を貯蔵していたもので、パノラマ写真に写っている。
駅名の 赤文字映える 駅舎なり
N34吉野桜の名前を採った新吉野駅
新吉野駅は広い畑が広がる平野部に位置している。線路と国道38号間に集落があるけれど、衛星写真で見るとこの集落も畑の一画という感じである。吉野桜からの命名の駅の待合所が線路脇にある。外壁を塗り直しているようで、ネット等に載っている以前の駅舎の庇や柱部分が赤茶色であったものが、鶯色になっている。駅舎前のホームの他に島式ホームがあり2面2線の構成である。島ホームへの構内踏切でパノラマ写真を撮ってみると、上り方向には直線線路が下り方向は線路先がカーブしている。
桜花名に 鶯色と 色合わせ
2015年04月05日
N33人道橋の迂回路で島ホームに行く豊頃駅
豊頃の名前を聞いても思い出すものがない。町の地勢は東西に浦幌町と大樹町があり、海にも面し丘陵地帯が広がっている。豊頃町を通過する根室本線は東隣の浦幌町厚内駅で海と出合う。二宮尊徳の孫の尊親が豊頃町の開拓の祖であるけれど、駅を訪れただけではその歴史に触れるものは無い。駅舎の壁に「2番ホームでご乗車の方は、必ず人道橋を渡りお乗りください。」の注意看板がある。駅舎に入ってホームに出てみると、確かに島式ホームの2番線に行く構内踏切が無く、人道橋を利用して迂回するしかない。
駅舎壁 ホーム道順 指示のあり
N32十ドル紙幣の看板のある十弗駅
駅ホームの看板の印象が強く、後々まで記憶に残った。すぐ10ドル紙幣を連想するデザインに「十弗は10$駅」の文字と列車アニメキャラが描かれ、十弗駅を含む根室本線の路線図もある。漢字の「弗」の字形が「$」に似ていることからドル記号の代用にされたのを援用しているが、「弗」は本来元素の弗素を意味している。駅の地名は豊頃町十弗宝町とこちらも縁起の良さそうな地名である。JR北海道の釧路支社がアイディアを出したようで、ルパン三世ラッピングトレインも同支社が手掛けている。
10ドルの 印象強く 十弗駅
2015年04月04日
N31ワイン色を駅舎に取り込んだ池田駅
池田町は何といってもワインである。町営のブドウ畑とワイン城醸造所があり、全国的に知られた観光施設のワイン城がある。ワイン観光の影響は駅舎にも及び、駅舎はワイン・レッドで縁取りされ、屋根も同色である。駅横のオブジェは巨大なワインのコルク抜きである。コルク抜きの螺旋の方向が普通のものと逆になっていて、これは左利き用のものであるとの結論に至った。池田駅と北見駅を結ぶ池北線を引き継いで、北海道ちほく高原鉄道が運営していた「ふるさと銀河線」は2006年に廃止された。
駅前の オブジェに映る 我を撮り
N30市街地と畑地の境目にある利別駅
駅の南側の広場から池田町利別の市街地が続いていて、駅北側には畑地が広がっている。緩い勾配屋根の駅舎の一部が駅待合室になっている。閑散とした待合室で、壁のところに木製のベンチが据え付けられている。駅の案内関連のポスターの他には指名手配の顔写真のポスターが目に付く程度で殺風景な駅舎内である。島式ホームで2面2線があり、ホームには構内踏切で渡る。ホームに立って見渡すと、雪で覆われた畑地が広がっているのが一望にでき、雪が解ければ農業王国十勝の春の農作業が始まる。
ホームから 雪の畑地の 一望撮
2015年04月03日
N29パークゴルフ発祥の地の幕別駅
幕別駅前の空き地にクラブを振って遊んでいる人のブロンズ像が残雪の中にある。幕別町が発祥のパークゴルフに興じている姿の像である。北海道発祥のスポーツとしては芽室町のゲートボールもあり、半年近く雪で覆われるグリーンの上でのスポーツが十勝の地で生まれ、全国に広まったとは驚きである。有人の駅舎内にはストーブがあって、客がストーブの近くに座っている。駅ホームに出てみると、単式と島式のホームがあり、3線が利用されているようだ。島式ホームから「パークゴルフのまち幕別町」の看板が見える。
興ずるは パークゴルフなり 雪の上
N28荒廃が極度に進んだ駅舎残骸のある稲士別駅
根室本線と並行で走る町道幕別札内線に面して稲士別駅のホームがある。ホームは道路より高いところにあり、板で出来たスロープを登ると板敷のホームになる。ホームからみると真っ直ぐな単線が延びている。ホームに待合室はない。ホームの下の道路横に駅舎の残骸があるけれど、雪解け水の溜まった室内は荒れ果て、時刻表も料金表も掲示されていないので、待合室でもない。費用の問題そのままにしてあるようだ。木製の長椅子のところに駅ノートが置かれてあり、秘境駅の雰囲気を感じたい鉄道ファンが寄るようである。
秘境駅 駅舎残骸 加勢なり
2015年04月02日
N27連絡橋と構内踏切が上下にある札内駅
駅名の漢字を知らずに「さつない」と聞くと「札無い」を連想するのは懐に余裕が無いせいか。「さつあり」の駅名だったら縁起物で乗車券が売れただろう。帯広駅の隣駅であるけれど、駅は幕別町にある。十勝の農業地帯にあり、駅前にはJAのオフィスのある建物が見え、駅前通りの商店街が延びている。駅のホームからも馬鈴薯集荷貯蔵所の建物が見え、かつては農産物の貨物が運ばれた。現在は日本貨物鉄道の駅が廃止され、貨物の取り扱いはなくなった。ホーム間に構内踏切があり、線路を跨ぐ連絡橋もある。
駅広場 陽の低くなり 駅舎影
N26彫刻の鹿が遊ぶ帯広駅前北口広場
帯広駅の北口は彫刻やオブジェが配置されている。坂坦道の群像彫刻「大地」は駅が高架になる以前からあった。駅が高架になり駅前が整備された時に置かれたオブジェに「夢つむぐ3つの手」がある。彫刻の鹿が3頭遊んでいる。これは米国の女性彫刻家グイン・メリルさん制作のものである。同じ彫刻家による鹿の像が他に4体市内に置かれている。駅舎の北口は高架のホーム部分がガラス張りになっていて、横に広がりのある空間を演出している。駅南口もあり、こちらには彫刻やオブジェは見られない。
雪の中 遊ぶ鹿撮り 駅取材
2015年04月01日
N26乗降客を避けて撮る帯広駅舎内
帯広駅の現駅舎は4代目で、出入り口は北口と南口がある。南北の出口をつなぐコンコースは東と西にあり、両コンコースを結ぶ通路がある。改札口はこの連絡通路の中央部にあり、乗り場のホームは2階部分にある高架式になっている。ホームは島式の2面4線がある。ホームの部分がガラス張りになっていて、開放感がある。現在は根室本線だけの駅であるが、かつては帯広-広尾間の広尾線、帯広-十勝三股間の士幌線が帯広を始点駅としていた。駅舎内一階のコンコースや通路に面して商店や各種施設がある。
人通り 避けて撮りたり 駅舎朝
N25乗降機能だけの都会の駅の柏林台駅
柏林台駅は外観だけを見ると大きな駅舎かと見間違う。高架の駅でホームへの階段部分とホームが駅となる。待合所のようなところはなく、乗降機能だけの駅である。ホームは1面のみの単線で、遮音壁があって視界を遮り殺風景である。駅名は地名からのもので、柏林というからには昔は柏の林があっての命名かな、と思う。線路と並行に走る国道38号脇に街路樹が植えられているけれど、大木になる柏とも思えない。駅前の空き地に何も無い駅周囲を少しでも飾るためのような花壇があり、丁度コスモスが咲いていた。
コスモスが 招く階段 駅舎なり
2015年03月31日
N24ホームへの行き方を覚えていない西帯広駅
パノラマ写真の利点は、後で写真を回転、拡大させながら撮影当時の状況を思い出すことができることである。しかし、パノラマ写真でも状況を思い出せない場合もある。西帯広駅のパノラマ写真には駅舎からホームへ行く通路や構内踏切が写っていない。二面のホームを結ぶ跨線橋はあっても、駅舎からホームへどのように行ったかの記憶が無い。駅の南北をつなぐ連絡橋を利用したのだろうと思うが、連絡橋と跨線橋の関連が思い出せない。大都会近郊の駅で、利用客のものだろう、自転車が駅横に駐輪されていた。
デザインの 簡素が生きて 都市駅舎
N23通学高校生に似合った名前の大成駅
芽室高校生の通学のための駅といってもよい。駅名は地名を採っていて、高校生が大成するようにとの命名ではない。駅は農地や雑木林に囲まれており、駅付近には何もない殺風景な場所である。駅前に大きなフードがあり、これは雨風の強い時に多くの通学生が利用できるようにとの配慮なのだろう。ホームは板張りの1面だけで、通学時間帯ではこのホームは生徒で溢れそうである。そんなラッシュ時間帯でなかったので、ホームには利用客も見当たらず、オオアワダチソウがホームにはみ出しているのを写真に撮る。
ホーム客 アワダチソウで 模擬したり
2015年03月30日
N22芸術の薫りのする芽室駅周辺
芽室駅の駅舎は時計塔とからくり時計のある洒落たものである。駅舎の壁にある「msg」は芽室ステーションギャラリーの頭文字で、駅舎にギャラリーが併設されている。駅前広場には「ゆめポスト」と呼ばれるモニュメントがある。開町100年を記念して1999年に設置されたもので、タイムカプセルにもなっている。駅前通には彫刻が設置されて芸術の薫りが感じられる。その中にはコロポックルがフクロウに話しかけている彫刻がある。彫刻の彼方に芽室駅舎が見えている。芽室はゲートボールの発祥の町でもある。
フクロウに 何を尋ねる コロポックル
N21駅前広場に大きな盆栽松のある御影駅
御影駅と初対面の時印象に残るものがあった。駅に通じる駅前通りから駅前広場に通じる中央部分に松の木が植えられている。あまり大きくはなく、移植されてそれほど年月が経っているようには思えない。何か大きな盆栽松が駅前にあるようだ。開業当初の駅名は「佐念頃」でその後この地域で産する花崗岩に因んで現在の駅名になった。駅ホームに出てみると、列車が停車していた。滝川行きの普通列車で特急を待ち合わせているようである。相対式の2面2線があり跨線橋でホーム間を行き来する。
駅広場 盆栽鉢なり 手入れ松
2015年03月29日
N20特急が一瞬消してしまう羽帯駅
十勝清水駅の下り方向の隣駅が羽帯駅で、続いて御影駅となる。羽帯駅の周囲には集落が無く、普通列車も通過するので、秘境駅の部類に入れてもよいかもしれない。車でこの駅に行くのは少し迷う。国道38号から折れ道道55号方向に向かったところの鉄道林の傍にコンクリート板を並べたホームがある。ホームの上にプレハブ小屋のような待合所があり、整頓されているけれどここを利用する客はいるのかと思われるほどである。駅全体の写真を撮ろうとしていると特急が通過して行き、小さな駅全体は特急に消される。
特急と 重なり駅が 消える一瞬(とき)
N19特急の停まる十勝清水駅
十勝清水駅は上川郡清水町にある。上川郡と聞くと行政区分の上川支庁を思い出すけれど、清水町は十勝国の上川郡で、上川支庁は石狩国の上川郡を管轄している。十勝清水駅のホームで写真を撮っていると特急が停まる。この駅では特急「スーパーとかち」は全便が、「スーパーおおぞら」が上りと下りで停まる便がある。駅舎は商業施設と併設されていたようだが、この商業施設は撤退したみたいである。駅前に花壇があり、駅の東側が駅前通りで街が広がっている。駅の西側は雑木林の草地で、ホームからの道はない。
特急の 停まる駅なり 十勝国
2015年03月28日
N18駅前に火夫の像がある新得駅
新得駅に観光列車「ノロッコ号」が停車している。「ノロッコ」とはトロッコ(列車)と「のろい(ゆっくりした)」を組み合わせた造語である。新得は観光地であり、駅舎の外観は洒落ている。駅前広場も整備されていて、「火夫の像」などがある。火夫とはSLで石炭を釜に投げ入れる役の乗務員で、SLには難所の狩勝峠越えでは大役を担った。この像は元新得中校長の横田裕美氏制作で、「正観」と読める俳人の「火夫像や 雪の難所を 負ひし駅」の句がある。新得駅は南千歳から始まる石勝線の終着駅でもある。
火夫像を 撮る視線先 洒落駅舎
N17雪止めのある赤いトタン屋根の落合駅舎
新狩勝トンネルが出来て根室本線の列車がこのトンネルを通過するようになる前は、急こう配の狩勝峠を越えなければならぬ列車の難所を目の前にした駅である。トンネルが出来る以前には落合駅と新得駅の間には狩勝信号所と新内駅があったが、現在は廃止されている。落合駅のホームからは狩勝峠の絶景は伺い知れない。ホームには跨線橋があり、釧路方面行の列車にはこの跨線橋を渡って乗り込む。釧路行きホームの前方に国道38号(狩勝国道)を線路がくぐるトンネルの入り口が見えている。新狩勝トンネルはその先である。
トンネルは 新狩勝名 線路先
2015年03月27日
N16高倉健の駅長霊が居るような幌舞駅舎内
幾寅駅でロケが行われた映画は「鉄道員(ほっぽや)」で、映画のため改装した駅舎が「幌舞駅」として登場する。高倉健演じる駅長が、末広涼子演じる幼くして病死し、年頃の娘に成長した霊と再会した後、ホームで殉職するという浅田次郎原作の物語の映画化である。評判だった映画で、映画のセットの駅舎や周囲の食堂、理容店などが観光のため保存され、山間の駅に観光客が訪れる。線路より少し低い所に駅舎がある。駅舎内には高倉健の写っている大きなポスターが貼られている。その「健さん」も昨年(2014年)には亡くなった。
コスモスが 幌舞の駅 客迎え
N16ロケ駅舎に母屋を取られたような幾寅駅
かなやま湖の東端近くに幾寅駅がある。漢字表記では一風変わった駅名である。アイヌ語の「ユク・トラシ・ベツ」(鹿の上る川)に漢字を当てはめたといわれている。駅舎を改装して映画のロケに用いたため、駅舎の入口正面には映画になった「幌舞駅」の大きな看板が掲げられている。本来の駅舎名はどこにあるかとパノラマ写真で探すと、駅舎の建物の壁の端のところに小さく取り付けられている。さすがに幌舞駅にはJRのロゴは使用されていない。ホーム側の駅舎の出入口には大きな幾寅駅の看板が掲げられている。
真正の 駅名掲げ ロケ駅舎
2015年03月26日
N15イトウの魚拓が飾られている東鹿越駅舎内
金山ダムによって出来たかなやま湖が駅前に広がっている。線路はこの湖に沿って延びる。駅の近くには石灰岩の処理工場があり、砂糖の製造過程で利用される石灰岩の輸送列車が運行されていたが、現在は廃止されている。この経緯がありホームには大きな石灰岩の塊が置かれている。駅舎内で撮ったパノラマ写真に、窓の外にこの岩塊が写っている。駅舎の入口の引き戸の上に魚拓が飾ってあり、これはイトウである。蝶やその他の昆虫の標本も飾ってあり、鉄道関係者に昆虫集めの愛好家がいて寄贈したものらしい。
駅舎屋根 周囲に合わせ 緑なり
2015年03月25日
N14砂金産出を伝えている駅名の金山駅
地名の金山は文字通り金の産出を意味している。駅は南富良野町にあり、金山の名前は砂金が採れたことに由来している。この地域の開拓は砂金採取で始まっていると言われている。駅舎内には固定椅子があるだけで、壁に「全中部北海道ナンバーワン入選」の文字いりの賞の鏡があるけれど、何のコンテストかわからない。主催団体と思われる新聞社「北海タイムス社」は今は無い。山間部にある駅の駅舎は比較的大きい。この駅から線路と国道は分かれ、根室本線は東に向かい、国道237号は南に向かう。
金山は 砂金採取の 白昼夢
2015年03月24日
N13山に囲まれた砂利ホームの下金山駅
自転車を用いて駅取材を行う時がある。土日祝日のみの普通列車乗り放題の「一日散歩きっぷ」を利用する。ただ、この切符札幌から根室本線なら新得駅までで、下金山駅は利用可能範囲内である。携行バックに入れた自転車と共に下金山駅ホームに降りる。島式ホームになっているけれど、駅舎側の線路は使われていない。広く感じるホームの両側近くまで山が迫ってきている。駅舎は鉄骨が壁の外に出た、この辺りの駅舎とは変わっているデザインである。駅舎の東側を走る国道237号で山部駅に向かって自転車を走らせる。
鉄骨が 壁に突き出て 駅舎なり
N12山岳観光地にあるロッジ風駅舎の山部駅
山部駅は芦別岳(1727 m)登山口への最寄り駅であることにもよるのだろう、駅舎の外観はステックスタイルのロッジ風のものである。駅舎内に太い梁が見え、無人駅にしては立派な造りである。壁に書が飾ってあるけれど、「旅」の文字しか読めない。ホームに出てみると上り下りのホームが離れていて、構内踏切で行き来する。駅舎前の1番ホームにレンガ造りの小屋があり、1911(明治44)年に造られた汽車で使うランプ用の油を補完した倉庫だそうで、この駅の歴史の古さを感じさせてくれる。
登山客 似合う駅なり 山部駅
2015年03月23日
N11ドラマ「北の国から」の聖地布部駅
布部駅は国道38号・237号からすこし外れたところにある。駅舎の前に大きな松の木があり、その横に木製の看板がある。看板に「北の国 此処に始まる 倉本聡」と記されている。テレビドラマ「北の国から」の初回の舞台になった駅で、ドラマの聖地の位置付けである。この聖地を訪れる鉄道ファンのため、駅舎内にはドラマに関係した写真が展示され、出演者の若かりし頃の顔がある。駅舎から構内踏切を通って島ホームに渡り列車に乗る。ホームからは富良野の田園地帯が山間部につながっていく景色が眺められる。
北の国 ドラマの聖地 布部駅
N10観光客で賑わう富良野駅
富良野は観光地で、近年は台湾、中国、タイ等の国からの観光客が多い。駅もそれに対応して美化や観光地の宣伝に努めている。富良野は北海道の中心の“へそ”に位置することから“へそ踊り”が行われていて、その人形がホームに置かれている。富良野駅は富良野線と根室本線の分かれる駅で、観光客はラベンダー畑を見ることの出来る富良野線に流れる。花のシーズン中だけの臨時駅「ラベンダー畑駅」は富良野駅から富良野線で4つ目の駅である。富良野線を走る観光列車ノロッコ号が人気である。
観光地 花で飾りて 駅ホーム
2015年03月22日
N9停車する列車の少ない島ノ下駅
富良野から国道が二手に分かれる。一方は田園地帯を突き抜け旭川方向への国道237号、片方は山間部を通り芦別方向への38号である。国道237号は富良野線に沿っており、国道38号はダム湖の滝里湖の北側を通り、根室本線は同湖の南側にあるトンネルを抜ける。このトンネルの富良野側の出入口のところに島ノ下駅がある。国道38号から少し離れた島ノ下駅に自転車で訪れた時、駅への道で少し迷った。駅周辺に民家はあるものの、これと言って見るところはなく、自転車を畳んで客の居ないホームで列車を待った。
駅ホーム 愛車畳(たた)みて 島ノ下
2015年03月21日
N7星座のデザインのマンホールのある上芦別駅前
上芦別駅は近隣に炭鉱を抱え、運炭で賑わった。炭鉱の撤退とともに芦別市が観光を施策に取り入れ「星の降る里」をキャッチコピーにして星空をセールスポイントにした。採炭の地底から見上げる夜空への転換である。芦別市のマンホールの蓋には星座がデザインされていて、上芦別駅前のものはさそり座であった。駅舎の一部が待合室になっていて、据え付けの椅子がならんでいる。無人駅であるけれど、切符売場の窓口が残っていて、簡易委託駅であった名残である。駅舎内の貼り紙から富良野駅の管轄化にあると知る。
駅前に 天の蠍(さとり)が 構え居り
N6五重塔が目を惹く芦別駅舎前
芦別駅前には五重塔が建っている。五重塔といっても電話BOXと待合所を兼ねた建物の上部に五重塔の大きなミニチュアを乗せている。芦別近隣の炭鉱が撤退する中、地域産業が観光に舵を切り「北の京芦別」のホテルとして建築された五重塔をモデルにしている。このホテル施設には巨大な北海道大観音像も並んであるが、所有者が次々と変わり、現在は宗教法人が所有している。運炭の基地でもあったことから、駅舎は大きく構内も広い。しかし、現在は根室本線の通過駅といった他に特筆するものがない。
柱には 星の降る里 駅名標
2015年03月20日
N5上り下り方向にホームの長い平岸駅
ネットで単に「平岸駅」として検索すると出てくるのは札幌地下鉄南北線の平岸駅ばかりである。改めて「JR平岸駅」で検索して駅史をみる。1913(大正2)年開業とあるから1世紀を超した駅である。この駅も炭鉱からの石炭の運び出しで栄え、炭鉱の閉山とともに荷物の取り扱いを廃止し、無人駅となっている。駅舎外観は赤を基調にしたカラフルなものである。駅舎突き抜けの通路を通ってホームに出ると、跨線橋があり、上り下り方向の分かれたホームの距離が長く、貨物列車が行き来していた頃の面影を残している。
平岸名(な) 札都地下鉄 駅浮かび
N4何も無いがらんどう駅舎の茂尻駅
茂尻駅は線路と並んで走る国道38号より少し高いところにある。階段を登り駅舎内に入ると、がらんどうの駅舎内には椅子一つ無い。これほど何も無い駅舎も珍しい。壁には番の丹頂鶴と松の大木の絵が床の間のようなところに飾ってある。駅舎内の造りとしてはこれも珍しい。他の壁には油絵が掛かっていて、これにはズリ山と石炭の運搬車らしいものが描かれている。絵には雄別茂尻炭鉱風景と説明が書かれている。この炭鉱は大規模なガス爆発で1970年閉山に追い込まれた。ホームに出てみるとワンマン列車が停車していた。
客姿(きゃくし)無く ワンマン列車 停まりたり
2015年03月19日
N3見上げる建物に駅舎がある赤平駅
赤平駅を列車で通過するとホームに面した駅舎の大きさと豪華さが印象に残る。駅舎は「赤平市交流センターみらい」の一部になっていて、駅以外にセンター関連施設が建物内にある。外側から見ると6階建の建物で、駅舎のある玄関ホールは2階までの吹き抜けの贅沢な空間を造り出している。赤平は炭鉱で栄えた町で、炭鉱閉山と共にこの駅から石炭が運ばれることは無くなった。往時石炭を運んだSLのC58の模型がホール内に飾られていて、パノラマ写真を拡大すると見えてくる。駅にワンマン列車が着くと、豪華な建物から乗客が出て来て列車に乗り込んでゆく。
豪華駅 吐き出た客が 列車内
2015年03月18日