2023年01月10日
2015年11月16日
S52稚内港北防波堤まで延びていた宗谷本線
北海道とサハリン(樺太)を結ぶ鉄道連絡船が運行していた時代、稚内駅から線路が稚内港の北防波堤まで延びていた。稚内駅の構内仮乗降場の扱いの「稚内桟橋駅」が設けられ、乗客は北防波堤のドームを歩いて連絡船に乗り込んだ。桟橋駅までの線路の記憶を留めるため、稚内駅舎の正面に線路と列車止めがある。列車止めの先を歩いて北防波堤のドームに達する。エンタシス状の柱40本に支えられた高さ14 m 、長さ427 mのドームは現在見ても圧巻である。宗谷本線を走ったSLの動輪がドーム近くに置かれている。
2015年11月15日
S52ガラス張りの駅舎の日本最北端の稚内駅
稚内駅は日本最北端の駅ということで、駅に降りるだけの目的で鉄道ファンが訪れる。ホームから改札口の通路入口に看板があり、北緯45度25分03秒の数字が見える。駅は赤道と北極のほぼ2等分の角度上にある。因みに日本最南端のモノレール駅は那覇市の赤嶺駅である。ホームは1面1線でこの先に線路は無く、ホームから線路の終端が見える。4代目の現駅舎「キタカラ」は2012年に全面開業している。ガラス張りのホールで旅行客が列車を待っている。ホールには流政之の彫刻「KANE POPPO」が新しく設置された。
S51稚内市の都心部にある南稚内駅
稚内市は稚内港を取り巻く細長い街である。その表玄関の駅が南稚内駅で、昔は駅の位置はずれてはいたけれど、ここが稚内駅であった。この駅の北に位置する現在の稚内駅は稚内港駅であった。日本最北端の駅として観光地になっている稚内駅の方が知名度が高いけれど、南稚内駅の方が本家の駅となる。有人駅で地元市民に良く利用されている雰囲気である。ホームに出てみると2面3線で跨線橋がある。島ホームは屋根付きである。ホームから駅の北側に抜ける出口はない。魚の形の木板に筆字の駅名看板が駅舎の壁にある。
2015年11月14日
S50海沿いと内陸部との線路の転換点の抜海駅
宗谷本線は抜海駅の付近で海に近づく。抜海駅から直線で西に1.5 kmほど行くとそこは日本海である。海に突き出した抜海岬に抜海漁港があり、抜海の集落は港の周囲にある。少し内陸に入る駅の周囲には集落はない。抜海駅と横書きの駅名看板のある駅舎の壁に「ようこそ抜海駅へ」の文字のある看板が見える。日本海からの強い風に対応して玄関に風除室がある。駅舎内は椅子4脚と一人用ソファーがあった。ホームは2面2線で列車交換可能駅である。映画「南極物語」のロケの駅であり、ホームのプランターの花に心が和む。
2015年11月13日
S49錆びた外壁でも小奇麗な室内の待合所の勇知駅
駅の所在地は稚内市抜海村上ユーチで最後の部分は片かな表記である。片かなの駅名は都合が悪かったのか、漢字の「勇知」表記にしてある。語源はアイヌ語の「イオチ(蛇の多いところ)」である。車掌車改造の待合所が設置されているものの、外壁の塗装が剥げ落ちてみっともない姿である。それを少しでも繕うかのようにプランターや鉢の花が並べられている。待合所内は掃除が行き届いており、ガラス窓に飾りが目に入る。ホームは土盛りの1面1線の棒線駅である。なお、現在は待合所の外壁は新しく塗り直されている。
S48ホームから兜沼が見える兜沼駅
駅名の兜沼は駅近くにある沼で、形が兜に似ていることから命名されている。しかし、航空写真で沼の形を見て、どう見ると兜の形なのか首を捻る。駅の西側の沼の近くに兜沼公園オートキャンプ場がある。駅舎正面右寄りに玄関があり、腰折れの三角形庇がある。兜をイメージしてこの形にしたのかもしれない。駅舎内には椅子が4脚あり掃除用具が置かれている。ホームは2面2線で構内踏切がある。ホームから兜沼が見えるのだが、伸びた夏草で沼の景色が遮られ、あまりよく見えない。駅近くに「兜沼郷土資料室」がある。
2015年11月12日
S47豊富の隣駅で語呂の良い徳満駅
徳満駅の辺りでは宗谷本線と国道40号は並行して北に延びる。駅は国道からわずかに西に入ったところにある。駅待合所はプレハブで、壁に掲げられている木の駅名看板がなければ工事現場の詰め所と間違う。待合所の傍にあるトイレも工事現場の仮設トイレの趣である。狭い待合所内には椅子が4つあり座布団も敷かれている。牛の置物があり、この辺りが酪農地帯であると教えているようだ。ホームは土盛りの1面1線で、真っ直ぐな線路が延びている。隣駅の「豊富」にこの「徳満」で有人駅時代には人気の乗車券であった。
S46原野と温泉郷の観光の町の豊富駅
豊富町の表玄関の駅である。町名は石炭や泥炭、石油や天然ガスの地下資源が豊富であることから命名された。地下資源には温泉もあり、わずかに油を含む泉質で「油風呂」とも呼ばれている。豊富温泉郷とサロベツ原野を組み合わせた観光の町である。駅前は広場になっており、玄関フードのある平屋の駅舎がある。駅舎内の観光案内所にサロベツ原野でロケが行われたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で使用された防寒具が飾ってある。ホームは2面2線でホーム間に跨線橋がある。ホームから駅の西側には出られない。
2015年11月11日
S45通過する特急を入れて撮影した下沼駅
駅名は地名からで、地名はアイヌ語の「パンケ・トウ(下の沼)」を意訳している。パンケトウは阿寒湖の近くにもある。車掌車改造待合所が置かれ、1面1線のホームがあり、この路線の同様な構造の他の駅と大きく異なる点が見つからない。時刻表から特急が通過する時刻に居合わせたので、特急を入れたパノラマ写真を撮ってみた。同様の写真撮影をしているカメラマンが写り込む。待合所内の時刻表には下りと上りでそれぞれ4便が記載されていて、この規模の駅では比較的多い本数である。テーブルに駅ノートがあった。
S44歴史的に道北鉄路の要衝だった幌延駅
2015年11月10日
S43過疎化が駅景観を似通わせる例の上幌延駅
上幌延駅は牧草地と原野の中に車掌車改造待合所があり、土を盛った1面1線のホームがある。似たような駅が何か所も現れてくると、異なる記述にするのが難しい。過疎化は風景を似たようなものに変えていく。車掌車待合所はどれも煙突がついている。待合所内に入って見ると、かつては使われた煙突の差し込み口がある。しかし、ストーブなどはもう使われていない。壁にある時刻表を見ると下り方面2便、上り方面3便しかなく、これでは暖房装置を取り付けことは考えられない。待合所の木製ベンチに駅ノートがあった。
2015年11月09日
S42道北の夏の景観の中にある南幌延駅
南幌延駅付近では宗谷本線と道道256号が近くで並行に走っている。256号から分かれて線路に直角の道が延び、踏切がある。踏切のところから木製のスロープとデッキのホームがつながる。道路を挟んで上り方向に待合所がある。待合所があるのでそちらに時刻表や料金表があり、1面1線のホームには駅名看板のみで駅施設としては最小限である。ホームから赤い屋根の建物が見え、この建物横には獣魂碑があった。待合所内は板張り板敷で木製ベンチがあり除雪用具などが置かれてある。木製の除雪用具が目に留まった。
S41塗装が剥げて無残な姿の駅待合所の安牛駅
駅名(地名)に漢字の「牛」が付くのを見かける。アイヌ語の「ウシ(所)」に漢字の「牛」を当てはめている。駅名にある「安」の方はアイヌ語の「ヤシ」(網引き)で、近くの天塩川に遡るサケを捕る網引きを言っている。駅前に道道256号から分かれた道路はあるものの人家はなく、牧草地と原野のなかに安牛駅の車掌車改造待合所がある。待合所の塗装は剥がれ、無残な姿を晒している。この手の待合所は外見も内部も似たり寄ったりで、待合所内の壁にある時刻表を見ると上り3便、下り3便である。ホームは1面1線である。
2015年11月08日
物置と間違うプレハブ待合室のある糠南駅
糠南駅は牧草地と原野の中にあり、周囲に人家は見えない。中問寒糠南線踏切から上り方向に木製デッキのホームの駅が見える。踏切から線路に沿って少し歩き木製スロープを上り1面1線のホームに立つ。ホームに物置かと思えるプレハブ小屋がある。戸を開くと、待合室になっている。除雪用具やスコップ、ゴミ箱と並んで座る場所があるけれど、人一人が座れば満室状態の待合室である。ご本尊のような時刻表があるので見ると、上り方面2便、下り方面3便で、停車しない普通列車が多い。この駅は秘境駅の名前に値する。
2015年11月07日
S37宗谷本線の典型的な車掌車改造待合所の歌内駅
宗谷本線は北に行くにつれて車掌車改造待合所が多くなる。車掌車はヨ3500形で、歌内駅と隣駅の問寒別駅の例では塗装も同じである。駅の構造も似ているとなれば、句も文章も同工異曲にならざるを得ない。駅名は異なるので駅名の由来にこだわると、旧駅名はアイヌ語の「ウッ・ナイ(細い脇川)」に「宇戸内」の漢字が当てはめられ、似た音の「歌内」となったらしい。旧駅舎が取り壊されてそのコンクリート基礎の上に待合所が置かれている。ホームは1面1線である。待合所内にトイレがありドアに「便所」の文字がある。
2015年11月06日
S36化石のデザインのマンホール蓋から見える天塩中川駅
中川町の表玄関になる天塩中川駅は道路から東に少し入ったところにある。駅を正面に見る道路にマンホールがあって、蓋のデザインに首長竜とアンモナイトが描かれている。中川町で見つかった化石で、化石で町の知名度を高めようとしている。町名に天塩を冠して駅名にしているのは、奥羽本線に中川駅が既に存在したことによる。木造平屋の駅舎内は大きな石油ストーブを囲んで据え付け椅子がある。化石に関する展示等を期待したが見当たらない。ホームは2面2線の列車交換可能駅で、ホームの南側に構内踏切がある。
S35中川町の資料館と一体になった駅舎の佐久駅
中川町佐久の集落は宗谷本線と天塩川に挟まれてほぼ南北に広がっている。駅前の通りを西に2区画行くとそこは天塩川となる。佐久はアイヌ語の「サク(夏)」に当て字をしていて、咲来駅と同様、この辺りは夏が生活に深くかかわっていたようだ。駅舎は中川町の施設「佐久ふるさと伝承館」と一緒になっている。古い生活用具や農器具、馬橇などが展示されている。大きな鉄釜と木製蒸留装置があり、これはハッカの生産に用いられた。ホームに出てみると2面2線で列車交換が出来る駅で、ホームの南側に構内踏切がある。
2015年11月05日
S34彫刻家砂澤ビッキと縁の深い筬島駅
2015年11月04日
S33天北線の記憶の残る音威子府駅
S32夏の通り道に由来する難読駅名の咲来駅
2015年11月03日
S31変わった形の屋根の待合所の天塩川温泉駅
駅の住所は中川郡音威子府村字咲来(さっくる)で、1956年の開業時は南咲来仮乗降場だった。乗降場から徒歩約10分の天塩川温泉があったので、仮乗降場名を天塩川温泉として、駅昇格で現在の駅名になった。木製デッキのホームの1面1線の駅である。線路と交差する道路があり、その踏切近くからホームへのスロープがある。スロープを上ったところに変わった形の屋根の駅待合室がある。待合室には8脚の椅子と小上がりのような部分があり、横にもなれる造りである。温泉に入浴した後の休み処といった感じである。
待合所 温泉文字の 目立ちたり
S30秘境駅の分類にいれてもよい豊清水駅
周囲に人家の無い、牧草畑の近くにある駅である。国道40号から分かれた道路を行くと駅前に通じる短い道路があり、道路の先の高いところに階段付きの駅舎がある。秘境駅の表現が当てはまる駅である。駅舎壁に縦書きの駅名板がある。駅舎の一部分が区切られていて狭い待合室になっている。木製ベンチがありトイレもある。秘境駅なら鉄道ファンのための駅ノートがあるかと見回してもそれらしきものはない。ホームに出てみると島式ホームの1面2線である。列車交換が行われる駅で、そのため冬期間は保線要員が常駐する。
2015年11月02日
S29天塩川の蛇行地内に位置する恩根内駅
蛇行した天塩川が取り囲む土地に恩根内の集落があり、集落の東端に恩根内駅がある。駅のすぐ東に線路と並行して国道40号が延びる。しかし、駅から直接国道につながる道路はない。かつての木造駅舎が取り壊され、車掌車改造駅舎が置かれ、さらに簡易駅舎に変遷して来ている。駅舎はマンサード風の屋根の四角の建屋で、駅名がなければ駅舎とは思われない。駅舎とホームの間には砂利敷の広場があり、紋穂内駅と同様木材の出荷駅として機能していた頃は規模の大きな駅だった名残である。駅舎内に役者絵が貼ってあった。
S28外壁の塗装の傷みが激しい紋穂内駅待合所
紋穂内とは変わった地名である。アイヌ語の「モム ポ ナイ(川尻に原野のある川)」が転訛したと言われている。林業が盛んだった時代には、周辺で産出した木材の出荷駅として規模が大きく、木造駅舎もあった。現在は車掌車改造の待合所がかつての駅舎跡に置かれている。ホームは1面の1線のみである。待合所の外壁は塗装がひび割れていて保守の手抜きが伺える。それでも待合所内は整理整頓が見て取れる。木製ベンチがあっても、駅ノートは置かれていなかった。ここから稚内駅まで似た車掌車改造待合所が現れる。
2015年11月01日
S27宗谷本線の田園地帯の典型的な駅の初野駅
市街地を離れると宗谷本線は似たような駅が多い。田園地帯に、木製デッキのホーム1面の棒線駅であり、真っ直ぐな線路が延びる。駅の周囲には鉄道防風雪林があり、直線道路が線路を横切る踏切近くに駅がある。初野駅はそんな典型的な駅の一つである。駅待合所がそれぞれ異なるのでパノラマ写真を見て駅を当てるような場合、駅名標を除けば待合所が有力な手がかりとなる。初野駅の待合所は木製ホームの下り方向(北側)の端近くの道路に面したプレハブ小屋である。待合所のドアからホームへの木製スロープが見える。
S26美幸線を記憶する時計塔のある美深駅
美深駅舎は名士バスのバスターミナルと同居する立派な建物である。建物の中央に鐘付きの時計塔があり、「美幸の鐘」の文字が見える。これは美深駅がかつて美幸線の起点駅であったことを記憶するものである。美幸線は全線が開通する前に廃止となった。有人駅で駅舎内には物産品販売コーナーや「美深町交通ターミナル文庫」と銘打たれた図書コーナーがある。ホームに出ると2面2線でホーム間の移動は跨線橋を利用する。丁度列車が入って来たところで列車と駅舎を撮る。この角度では高い時計塔が隠れて写らない。
2015年10月31日
S25駅の字が抜けた待合所のある南美深駅
士別市を過ぎ稚内方向に向かう宗谷本線は、同様に北に向かって流れる天塩川の下流に向かって右側(東か北)に線路があり、一度も天塩川を越えることはない。線路の南側を流れる天塩川への支流を越え、道路と交差する踏切の傍に南美深駅がある。木製デッキのホームの棒線駅で、この辺りの駅は大体同じような造りである。踏切の傍に外壁が緑色に塗られた鉄板張りで、内壁が板張りベニヤ板の床の待合所がある。「南美深待合所」と駅の字が抜けた看板の待合所内にベンチは無く、丸椅子が2脚申訳け程度に置かれている。
S24鉄道ファンの訪れることのなさそうな智北駅
智北駅は田園地帯にある駅で、同様な両隣駅の智恵文駅、南美深駅とはそれぞれ2.1 km、2.3 kmの距離である。集落の無いところで区間距離の短い駅を設けた理由が不明である。駅名は智恵文の北にあることに由来する。道道252号が宗谷本線を横切る踏切の近くに駅がある。プレコンのデッキのホームの棒線駅である。ホームの上にプレハブの待合所がある。待合所の内には木製ベンチがあり、ごみ箱や除雪用具も置かれ、清掃が行き届いている。駅ノートがなかったので、鉄道ファンが訪れることはあまりないようである。
2015年10月30日
S23駅前にレンタサイクルが置かれた智恵文駅
停車場線は駅前の道路で大抵短い。道道292号智恵文停車場線は道道252号美深名寄線交点から智恵文駅までの長さ100 mの道路である。道路の行き当たりに智恵文駅の車掌車改造待合室がある。土を盛ったホーム1面の棒線駅で、旧駅舎を取り壊したコンクリート跡がある。ホームの名所案内に智恵文沼つり場が駅の北1kmのとこにあると書かれている。沼は天塩川の蛇行部分が取り残されたものらしい。待合所内はベンチがあり、暖房用のヒータも備え付けられていて、トイレもある。駅前にレンタサイクルが置かれている。
2015年10月29日
S22待合所壁に人目を惹く年代物の看板がある北星駅
日進駅を過ぎると宗谷本線は天塩川に沿うように延びる。北星駅は天塩川の東で森林が迫ってくる辺りにある。線路を横切る道路の踏切からホームが見えるのだが、道路から駅に行く道に迷う。道路からホームへの砂利道の途中に、草丈のあるヒマワリや夏草に隠れるように駅待合所がある。かなり年季物の木造待合所で、「毛織の北紡」の赤地に白文字の看板が壁にあって目を惹く。ホームは下り方面にスロープのある木製デッキで、棒線駅である。駅名になっている北星は、地形等に関わる特段の理由で命名されてはいない。
2015年10月28日
S21「日進月歩」からの命名地名が駅名になった日進駅
木製デッキのホームの棒線駅である。少し高いホームと地面の間のスロープが上り(名寄)方向にある。ホームにプランターの花が並べられていて、駅近くの住民が手入れしているようである。駅待合所は上り方向の踏切の近くにある。待合所の中は砂利敷で木製の長いベンチが壁に造り付けである。その他目に留まるものは壁の時刻表やポスター、除雪のためのママさんダンプしかない。駅ノートが壁に吊り下げられていて、鉄ちゃんが訪れるようである。駅名になっている地名は「日進月歩」から採られているとは特色ある命名である。
S20マンサード風飾り屋根の駅舎の名寄駅
名寄市の国道40号(大通)南7丁目の交差点から東側の道に入ると名寄駅前広場になる。駅舎は変わったデザインで、マンサード風の飾り屋根があり中央は時計塔になっている。かつては名寄本線、深名線の起点駅でもあったが、両線とも廃止され、宗谷本線の拠点駅のみとして残った。駅員が配置されており、窓口業務が行われている。ホームに出てみると単式と島式の2面3線である。ホーム間を移動する跨線橋がある。駅舎につながる単式ホームには屋根が架けられている。島式ホームの跨線橋出口のところに風除室がある。
2015年10月27日
S19停車車両で図る2両余りのホーム長の東風連駅
風連駅から北東方向に位置する東風連駅は田畑に囲まれた駅である。ホームはプレコンのデッキで下り(稚内)方向の端にホームに上がる階段がある。写真撮影の時丁度1両のワンマン列車がホームに入ってきて停まる。写真で見るとホームの長さは列車2両分ぐらいである。ホームからプレハブの待合所が見える。待合所は造り付けの木製ベンチがあり、座布団も用意されている。待合所に取り付けられている時刻表には往復8便の時刻が記されている。待合所の前に自転車が置かれていて、列車の利用客のものだろう。
S18「風夢」くんが駅前広場のマンホールの蓋にある風連駅
国道40号から折れ総延長70 mの道道328号風連停車場線の突き当りに風連駅がある。駅前は広場になっていて、マンホールの蓋が目に付く。デザインは風連町のマスコット「風夢」くんで夢の風を運ぶ少年である。現在は名寄市と合併しているので、このマスコットキャラクターは地区のものである。駅舎は玄関上に明り取りのアーチがあり、壁に風連駅の大文字がある。ホームに出て見ると2面2線で跨線橋がある。跨線橋と並行して駅の東西をつなぐ人道橋がある。人道橋から駅構内の様子がわかりパノラマ写真を撮る。
2015年10月26日
S17米どころに合った名前の瑞穂駅
瑞穂駅は士別市多寄町にある駅である。士別市は米作りが盛んなところで、北海道を代表する「きらら」、「ほしのゆめ」、「ななつぼし」等の品種が生産されている。瑞穂とはみずみずしい稲穂を意味するから、ここにこの名前の駅があるのは場所柄に合っている。木製デッキの1面ホームの棒線駅で、ホームの南側に待合所がある。待合所の前に、地域の住民が手入れしているのであろう、比較的大きな花壇がある。待合所からも見え地域の気配りが感じられる。待合所の駅名標が白地に青文字で、通常のものと逆の色配置である。
S16屋根のデザインが目を惹く待合所のある多寄駅
名寄の地名が知られているので、多寄も正しく読めるが、名寄を知らないと多寄を正確に発音できるかどうか。アイヌ語の「タイ・オロ・オマ・ペツ」(森の中に入る川)が転訛したものとネットで知る。この川とは天塩川のことだろうか。天塩川の東側に道道850号、さらにその東に国道40号が直線状に延びていて、下士別、多寄、瑞穂をつなぐ宗谷本線も南北に直線で延びる。駅の西側に多寄の集落があり、駅から見通せる。プレコンのホームの1面1線の棒線駅で、ホーム傍に造り付け4席の椅子のある待合所がある。
2015年10月25日
S15寛げる雰囲気の待合所のある下士別駅
下士別駅は単式ホーム1面の棒線駅で、東六線駅や北剣淵駅と同じ造りである。ただ、ホームが木製デッキではなくコンクリート板を並べたプレコン製である。ホームの多寄(稚内)方向の端にスロープがあり、スロープを降りたところに駅待合所がある。木造の待合所は板敷の床で、ベンチが三方の壁に取り付けられてある。ベンチには座布団があり、横になって休むこともできる。待合所内は整理整頓が行き届いていて、これは近隣の住民が行っているのだろう。待合所の壁に駅ノートがビニール袋に入れられ吊る下がっていた。
S14顔の黒い羊サホークが迎えてくれる士別駅
士別市は「羊のまち」として名が通っている。「羊と雲の丘」や「めん羊牧場」の観光施設がある。国道40号から西に分かれる長さ0.4 km道道297号の突き当りに士別市の表玄関士別駅がある。この道道の士別駅が見える歩道のところに彩色のマンホールの蓋があり、肉用のサホークがデザインされている。士別駅は有人駅で規模が大きい。ホームに出てみると単式と島式の2面3線である。跨線橋でホーム間を移動する。駅舎の壁やホーム看板にサホークの絵があり「羊のまちサホークランド」の看板文字が目に入ってくる。
2015年10月24日
S13モノクロ写真で待合所の寂れが強調される北剣淵駅
宗谷本線は剣淵駅から士別駅までほぼ北方向に延びる直線線路で、両駅のほぼ等距離のところに北剣淵駅がある。駅の周辺には水田と畑が広がる。北剣淵駅は木製デッキのホームに棒線の1線のみの駅である。ホームの周囲は鉄道防風雪林になっている。駅待合所は士別(稚内)方向のホームのスロープを降りたところにある。傷み方が相当進んだ待合所である。木の長椅子が取り付けられていて、板壁に時刻表と料金表、ポスター等が貼られている。カメラの設定が狂って白黒写真になったため待合所の寂れ方が強調されて写る。
S12「絵本の里」で知られる町の表玄関の剣淵駅
剣淵駅は剣淵町の表玄関の駅である。剣淵町は「絵本の里」を標榜しており、絵本の館の施設がある。駅前の通りのマンホールの蓋には物語りの情景がデザインされている。駅舎前の広場が駐車場になっており、駅舎横に駐輪場もあり、かなりの台数の自転車が駐輪している。駅舎内は玄関からホームへの通路部分と待合室があるけれど、これといって目を惹くものもない。ホームは対面式の2面2線で跨線橋がある。ホームには駅名板と並んで観光案内の看板があり、絵本の館、剣淵温泉、レークサイド桜岡の文字が見える。
2015年10月23日
S11鉄道防風雪林に囲まれた木製デッキホームの東六線駅
駅名から地名に東六線があるかと思っていたらこれは旧地名で、現在の駅住所は剣淵町東町である。以前は基線があり、その東側六線と言われていたようである。駅ホームは木製デッキの1面で棒線である。ホームからは鉄道防風雪林が目隠しになっていて周囲が見渡せないけれど、農耕地帯の中にある駅である。プレハブ小屋の駅待合所が踏切の近くにある。待合所の入口上部に「東六線乗降場 待合室」の駅名板が取り付けられていて、駅に昇格する前の乗降場の名残を留めている。鉄道ファンが待合所の写真を撮っていた。
2015年10月22日
S10裏表、左右対称の造りの和寒駅
和寒とはアイヌ語で「アツ・サム」(ニレの木の傍)に由来する。その和寒町の市街地で道道48号と99号がV字形でつながっている。V字の底から直線を延ばしY字を形作る道路が国道90号の下をくぐって和寒駅に達する。駅舎は正面とホーム側が対称で半円のアーチ状の明り取りがある。駅舎内には据え付けの椅子があるだけで、設備らしいものは無い。ホームに出てみると2面3線で、跨線橋がある。跨線橋とは別に駅の東西をつなぐ人道橋が跨線橋と並行してある。和寒駅から隣駅の東六線駅までは直線線路である。
左右花 対称形の 駅舎なり
2015年10月21日
S9三浦綾子の小説で知られる塩狩駅
三浦綾子の小説「塩狩峠」に描かれた、当時の鉄道院職員長野雅夫の殉職の駅で知られている。キリスト教徒の長野は、駅近くの塩狩峠で連結器が外れ暴走しかかった客車の下に身を投げて列車を止めた。駅近くに長野の顕彰碑と塩狩峠記念館・文学碑がある。駅構内は千鳥式の2面2線で、駅舎前のホーム部分は線路面と同じ高さで、駅舎が階段付きで高くなっている。何かの理由で駅舎前のホームが削り取られたように見える。駅舎内は中央に四角のベンチがあるだけで、天井の煙突があっても客のストーブ用ではないようだ。
S8シンプルなデザインの駅舎の蘭留駅
この駅(地区)の名前もアイヌ語から来ている。アイヌ語の「ラン ル」(下る道)に漢字を当てはめている。国道40号から折れ西の道の行き止まりに駅がある。駅舎を正面から見ると、長方形の中央部にガラス戸の玄関を設け、その上に庇を取り付けた形である。線路に沿った鉄道林の緑を背景に、駅舎の白い壁が浮き出して見える。ホームは千鳥式の2面2線である。ずれたホームの間に構内踏切がある。上り方向に旭川紋別自動車道の陸橋が見えている。この自動車道は線路を過ぎた所の比布JCTで道央自動車道とつながる。
蘭留駅 緑に浮き出 白四角
2015年10月20日
S7廃屋のような待合所のあった北比布駅
2015年10月19日
S6ピップエレキバンのCMで有名になった比布駅
比布駅はピップエレキバンのテレビCMで全国的に知られた。2015年に同駅舎を建替えるニュースが流れ、前記CMに出演した樹木希林の名残を惜しむコメントが新聞やテレビで報道された。アイヌ語のピプあるいはピピ(沼あるいは石の多いところ)が語源と言われている。木造平屋で壁が薄桃色に塗られていた駅舎は解体されてしまった。駅前広場があり、特産品のイチゴをデザインしたトイレがあり、観光で町を盛り立てて行こうという意図が見える。ホームは2面2線で跨線橋がある。列車交換が行われる駅である。
2015年10月18日
S5旧待合所は解体されてしまった南比布駅
宗谷本線は北永山駅を過ぎ石狩川を越える辺りからほぼ北に直線で延びる。その直線線路の南から南比布駅、比布駅、北比布駅と続いている。これら三駅の駅舎や待合所は2014年に解体されていて、以前の姿を見ることはできない。南比布駅の待合所はホームの南端横にある木造、トタン屋根の小屋で、2013年8月の取材時には既に傾いていた。待合所は2014年10月30日に解体された。板デッキのホームと棒線1線の駅である。駅の北側に国道40号があり、線路は国道の下を通過する。駅の周囲には水田地帯が広がる。
2015年10月17日
S4稔った稲穂の水田の中の北永山駅
水田地帯が広がる永山町に北永山駅のホームがある。駅施設としては木製デッキのホームに1線の棒線が通過している。ホーム上に待合所があり、三脚とカメラを持った先客が居る。鉄道写真を撮っているようだ。パノラマ写真で待合所内部全体を写したい旨を言って、しばらく待合所の外に出てもらい撮影する。待合所は造り付けの木製ベンチがあり、三方に大きな窓があり、広がる畑を窓越しに見ることができる。ホームに出ると旭川方面には石狩川の支流に架かる鉄橋が見え、稚内方面には線路を横切る道路の踏切がある。
2015年10月16日
S3ホームに電子閉そく表示看板がある永山駅
国道39号の永山2条20丁目の交差点から永山駅までの200 mが永山停車場線(道道331号)で、この短い道路を遮るように永山駅舎がある。駅舎は古い木造平屋の建物で、玄関上部の板の駅名看板が目立つ。ホームは相対式の2面2線で、跨線橋がある。パノラマ写真を拡大して行くと、2番乗り場の跨線橋の傍に「電子閉そく開始」の赤文字の看板があるのが確認できる。永山駅以北(下り方向)は特殊自動閉塞式(電子閉塞)であることの表示である。スタフ(通表)交換による閉塞方式はほとんど見られなくなった。
道塞ぎ 道道起点 駅舎なり
2015年10月15日
S2回送電車のみの電化駅の新旭川駅
札幌の副都心の駅の新札幌と同様の地位を新旭川駅が占めているかと思っていると、そうではないようだ。一応、旭川と新旭川間は電化されているが、電車で客を運ぶことはなく、回送電車のみが運行している。駅舎は古い木造のもので、駅前に自転車と自動車が置かれてあり、通勤や通学者のもののようである。駅舎前の道路のマンホールの蓋に、旭川の市の木「ななかまど」と市章がデザインされている。ホームは2面3線で跨線橋がある。この駅から北に路線を進行すると、政和小学校付近で宗谷本線と石北本線に分岐する。
駅舎前 マンホール蓋に ナナカマド
2015年10月14日
S1高架下に駅待合室のある旭川四条駅
国道12号は札幌市北1条西3丁目から始まり、旭川市4条通6丁目・7丁目交差点で終わる。その終点から国道39号が始まり4条通を18丁目まで進むと宗谷本線の高架下を抜ける。高架下に大きな駅名の看板がある旭川四条駅の待合室がある。待合室には据え付けの椅子がかなり並べられてある。高架のホームは対面式の2面2線である。市街地の高架駅であるため、ホームは目隠し防音壁で囲まれ、見晴しが利かず殺風景である。駅待合室の向かいに「ぽっぽや」の看板の鉄道グッズの店がある。鉄ちゃん経営の店らしい。
JR(じぇいあーる) ロゴを付けずに 駅看板
2015年10月13日
S0道内最多の乗入路線のある新装の旭川駅
2015年10月12日
SH39石北本線と釧網本線の始終点駅の網走駅
石北本線はここで終わり釧網線がここから始まる、あるいはその逆の表現にもなる駅である。オホーツク観光の拠点駅であり、この駅で降りて観光名所の「博物館網走監獄」を訪れる客も居るだろう。駅舎前の広場の階段のところに網走駅の縦書きの大きな看板がある。看板の横に網走刑務所長の説明文があり、「この縦書き看板のように、横路にそれることなく、まっすぐに歩んで生きて行って欲しい。」とある。ホームは単式・島式の2面3線で。島ホームは一部屋根付きで跨線橋がある。駅南側は林で抜ける道はない。
SH38網走湖の形が語源の「呼人」駅
国道39号が呼人の集落に入ったところの信号を東に折れると呼人駅がある。駅前に広場があるけれど、これといって目につくものはない。駅舎前に自転車が置かれてあって、列車の利用客のものだろう。ホームに出てみると相対式ホームで2面2線である。ホーム間の往来は跨線橋を利用する。ホームの東側は林でここを抜ける道はない。網走湖が駅の西側にあり、呼人の町は南北に延びる石北線と網走湖の間に広がっている。なお、呼人は網走湖の地形を言ったアイヌ語の「イ・オピ・ト」(別れ出ている湖)が語源とされている。
2015年10月10日
SH36女満別空港近くの秘境駅の西女満別駅
地図で見ると西女満別駅は女満別空港の近くにある。駅から空港まで直線距離で1km程度で、歩いても行ける。しかし、この駅を利用して空港を行き来する客は皆無だろう。駅は防風林に囲まれてあり、車で行くにも道が入り組んでいて秘境駅の趣である。ホームは単式1線で、駅から空港側に抜ける道は無い。小さな待合所があり、作り付けの木製長椅子がある他には何もない。壁に煙突の差し込み口があるけれど、無人駅で利用客もほとんどいないようなので、ストーブは使われていないだろう。長椅子に駅ノートがあった。
何も無い 待合室に 駅ノート
2015年10月09日
SH35「君の名」のロケ駅で知られる美幌駅
美幌駅舎は時計塔のある美幌観光物産協会の「物産館ぽっぽ屋」の建物と併設されている。人気を博したラジオドラマ「君の名は」のロケ駅で、社員配置駅である。2016年には道内の路線や駅の廃止、駅の無人化が予定されていて美幌駅も無人化移行と報道されている。ホームは1面2線でホームには跨線で渡る。現在使われている番線と3番線のホームには大きな屋根が架けられていて、雨が降っても乗降客が濡れることはない。駅舎側の1番線はかつてあった美幌駅と北見相生駅を結んでいた相生線用のものであったが、相生線の廃止と共に線路も撤去されている。ホームに美幌観光の名所摩周湖の写真があった。
待ち合わせ 「君の名」の駅 時計塔
2015年10月07日
SH34赤色が目に飛び込んで来る緋牛内駅舎
周囲を牧草畑に囲まれ、北見市端野町の緋牛内の小集落がある。道道556号から折れて南方向に延びる駅前通の先に緋牛内駅がある。駅舎は少々変わったデザインで玄関の片流れの屋根が地面のところまで達している。壁に大きな駅名があるので、駅舎であることはすぐわかる。駅舎の外観のデザインは駅正面とホーム側とが相似形になっている。待合室には据え付けの椅子が三つある狭いものである。駅舎内にはトイレもある。ホームは相対式の2面2線で、構内踏切がある。ホームに立つとルピナスの花が目についた。
赤ポスト 赤駅舎壁 緋牛内
2015年10月06日
SH33メルヘンチックな駅舎の端野駅
駅舎は外国風のメルヘンチックなものである。建物は駅舎の他に「きたみ市商工会」の物産センターが併設された複合施設である。端野町は北見市と合併したため、駅舎に北見市の施設がある。駅前広場に「シンフォニー」と題された彫像があり、駅舎の雰囲気に合わせている。駅待合室内に大きな端野自治区のイラストマップがある。ホームに出ると相対式の2面2線である。ホーム間に構内踏切がある。駅の出入口は線路の東側にあり、線路を越えて西側に国道39号が延びている。しかし、駅から直接西側へ渡る道は無い。
端野駅 メルヘンチックな 駅舎なり
2015年10月05日
SH32公募で決められた駅名の愛し野駅
この駅名はいかにも公募で選んだ名前の感じがする。事実、北見市と合併する前の旧端野町が公募によって決めた駅名である。愛野駅は静岡県、長崎県にあるけれど、読み方は「あいの」である。近くに北見商業高校があり、生徒達が通学のために利用する駅である。ホームは1面1線で、かなり長いホームは通学時の混雑に対処するためのようである。ホームの上にログ風の待合室があり、待合所内に同校の生徒が制作したポスターが貼られている。ホームから駅に隣接する診療所や空き地の向こうにあるアパートが目に入る。
愛し野は 駅待合所 ホーム上
2015年10月04日
SH31日本最東端・最北端高架駅の柏陽駅
北見市街地にある高架駅で、駅の近くに駐車場がない。そのため自動車で駅を訪問すると、駐車は駅近くの商業施設となる。待合所は無く、ホームと階段部分が駅施設となる。1面1線のホームに時刻表と運賃表があり、駅としての最低の機能は保持している。高架駅ということもあり、ホームからの見晴しは良い。北見は周囲を山で囲まれているのがホームに立ってみるとわかる。駅の近くに北見柏陽高校があり、生徒の利用する駅でもあり、登下校時は混むようだ。高架駅としては日本最北端、最東端であるとネットで知る。
高架下 ここが駅舎と 気づきたり
2015年10月03日
SH30三角屋根に看板の目立つ北見駅
北見駅は網走線(後の網走本線)の終着駅の野付牛駅(のっけうし)として開業し、北見市の市制施行で現駅名に改称している。池田駅から北見駅までの池北線が「ふるさと銀河線」となり、その始終点駅でもあった。銀河線は2006年廃止となる。駅舎正面中央に三角屋根の造りがあり、両側に商業施設や鉄道警察の施設などがある。駅舎の北側に連絡通路があり、連絡通路で駅の東側の広場に出ることができる。ホームは単式と島式からなる2面3線で跨線橋がある。ホームは雪止めのある屋根付きで真っ直ぐな線路が延びている。
看板の 多き駅なり 北見駅
2015年10月02日
SH29タマネギをモチーフにデザインした西北見駅
道道943号が石北本線の下をくぐるところに駅がある。都会のベットタウンにある駅で、1面1線のホームにコンクリートの打ちっぱなしの待合室がある。いかにも機能だけの駅のように見えるけれど、待合室は半円形の壁に木製椅子が取り付けられていて、この円形は北見の特産のタマネギをデザインのモチーフにしている。ガラスブロックも用いられていて、コンクリート壁にアクセントをつけている。板張りのホームにベニヤ板の壁が設置されているけれど、これは柵代わりのようで、デザインの方は一顧だにしていない。
2015年10月01日
SH28ホームからソーラーパネルの見える東相内駅
国道39号の東相ノ内郵便局の交差点から折れ北に行くと東相内駅に至る。郵便局名と駅名の表記が「ノ」の有無で異なっていて、他所者には少し不便そうに見える。駅前広場はスペースがあり自転車が置かれている。通学生の良く利用する駅のようで生徒のものかもしれない。駅舎は平屋の年季が入ったもののようで、玄関の駅名縦看板も年代物のようである。ホームは2面2線で構内踏切で島ホームに渡る。ホームからの眺めは見晴しが良く、大きなソーラーパネルが目に付く。北見は日照時間が長く太陽光発電の適地である。
2015年09月30日
SH27駅名の読み方に戸惑う相内駅
湧別軽便線の開通時に上相ノ内駅として開業し、次に相ノ内駅に改称、さらに現駅名になっている。従って、駅名の読みには「の」が入る。新しく見える駅舎と並んで、屋根付きの立派な駐輪場がある。駅舎と駅前広場には少し段差があり、正面玄関への直接の階段はなく、駅舎横にスロープと階段が設けられている。外壁に取り付けられた駅名がすっきりとしている。ホームは単式と島式からなる2面2線で、構内踏切がある。駅の北側に国道39号が延び、駅前通りでつながっている。駅の南側は資材置き場で抜ける道はない。
駅名は 「の」を入れて読み 相内(あいのない)
2015年09月29日
SH26高浜虚子の歌碑のある留辺蘂駅
「留辺蘂」は難読名の部類に入るだろう。アイヌ語の越え下っていく道の意味の「ルペシペ」が転訛したものといわれている。平屋の駅舎の屋根に「温根湯温泉郷」への歓迎看板があるので、温泉の客も利用するのだろう。JR北海道の社員配置駅であり、ホームに出ると島式ホームも含めた2面3線である。跨線橋があり特急「オホーツク」も停車する。駅前横に高浜虚子の歌碑があり、「皆降りて 北見富士見え 旅の秋」の句が見える。北見富士は駅の北西方向に見える1306 mの山である。虚子はこの夜阿寒湖に泊まる。
北見富士 どこに見えるか 虚子の歌碑
2015年09月28日
SH25留辺蘂高校生の通学用に利用される西留辺蘂駅
遠軽駅から南に延びる石北本線は金華駅を過ぎ西留辺蘂駅付近で方向を90度東方向に変え、北見駅方向に向かう。北見市と合併した留辺蘂町の市街部には二つの駅があり、西側が西留辺蘂駅、東側が留辺蘂である。短い距離に二つの駅があり、西留辺蘂駅が2000年開業と新しいのは、留辺蘂高校の生徒の通学駅として設置された経緯によるようだ。通学時間帯には列車の編成を増やしている。1面1線でホームに待合室がある。通学時間帯を外せばワンマン運転の列車が停まり、取材時に休み中の生徒と思しき姿があった。
スマホ見る 生徒の居たり 駅ホーム
2015年09月26日
SH24廃駅予定で鉄道カレンダーに採用した金華駅
JR北海道が2016年に予定している廃駅に金華駅も含まれる。予定の廃駅や既に運行停止の列車のパノラマ写真を使ったカレンダー「パノラマ写真で記憶する北海道の鉄道」を2015年に作成した。金華駅と生田原駅間の常紋トンネルの工事殉難者追悼碑が金華駅から歩いて行ける小高いところにある。この碑のパノラマ写真もカレンダーに刷り込んでいる。国道242号から折れた東向きの道の突き当りに木造駅舎がある。この道の両側に廃屋が並らぶ。ホームは2面2線で、北見駅に折り返す列車がホームに停まっている。
金華は 暦に姿 留めたり
2015年09月24日
H23オホーツク文学館・図書館と併設の生田原駅
野付牛駅(北見駅)から湧別駅までの湧別軽便線開通に際して開設された駅で、その後軌道が762ミリから1067ミリに改軌道され、石北本線の開通に伴い同本線の駅になっている。駅舎は新しくオホーツク文学館と図書館との併設になっていて、正面から見ると駅舎には見えない。ガラス張りの建物の前に「オホーツクの風」と題された女性がモデルの彫刻がある。建物の駅通路を抜けてホームに出ると、2面2線で構内踏切がある。ホームから「オホーツク炭化センター」の建物と煙突が見えるがこの協同組合は破産している。
駅名と 文学館の 名が並び
2015年09月23日
SH22農地に囲まれたホームだけの生野駅
石北本線は生野駅を通過する辺りでは南北に直線状で延びている。駅待合所も無く、ホームだけの駅である。ホームからは牧草地と農家の建物が見えるだけである。周囲を山並みが取り囲んでいて、盆地状に開けたところに駅がある。駅周囲の状況から乗降客は期待できないようで、一部の普通列車は通過する。ホームを見上げるようにして撮ってみると、黄色い花が一面に咲いているのが写り込む。タンポポモドキ(ブタナ)かエゾコウゾリナの花のようである。上り下り方向で地形に沿って線路はカーブして隣駅に至る。
ホーム下 ブタナの咲いて 生野駅
2015年09月16日
SH21「木のおもちゃ王国」のある安国駅
北海道の駅の多くがアイヌ語に漢字を当てはめたものであるのに対して、安国とは和名そのものの駅である。実際下生田原駅として開業し、地域名が安国に改名したのに従って駅名も変更された。「安国」は祝詞にある言葉を拝借で、和名そのものである。現在は遠軽町の駅で、遠軽町の産業に林業があり、駅舎も木造である。2面2線のホームにから駅舎のショーウィンドウを見ることができ、「木のおもちゃ王国」の看板が駅舎壁にある。遠軽町には木製玩具を集めた「ちゃちゃワールド」があり、その分館の雰囲気である。
駅名は 安らかな国 祝詞なり
2015年09月15日
SH20スイッチバック運行の遠軽駅
遠軽町の中心の駅である。遠軽の市街は駅(線路)の東側の南北に広がっている。石北本線は駅構内の北側で途切れスイッチバック運行となり、旭川方面と網走方面では列車の進行方向が逆転する。気動車であれば進行方向を変えるのは運転手の移動で済むが、SLであれば機関車全体の方向を変える必要がある。駅構内にはかつて使われたSL用の転車台が残っている。駅構内からも眺められる遠軽のシンボルは地上約78 mの瞰望岩で、アイヌ語で「インカルシ」(見張りをする場所)と呼ばれ、これが遠軽の名になった。
高台で 見晴しの良き 駅舎なり
2015年09月14日
SH19三角形の庇のある箱型駅舎の瀬戸瀬駅
瀬戸瀬駅は国道333号から折れて南に延びる駅前通の突き当りにある。駅周辺にわずかばかりの集落があり、国道沿いには郵便局もある。駅舎の正面の玄関部分は、三角屋根が腰折れ状態で地上に達するデザインで、ホーム側には三角屋根の雨除け庇が設けられた全体が箱型のシンプルな建物である。ホームは2面2線で跨線橋がある。現在は丸瀬布-瀬戸瀬-遠軽と駅が続いているけれど、かつては丸瀬布、瀬戸瀬間には伊奈牛駅が、瀬戸瀬、遠軽間には新栄野駅があった。遠軽-白滝間で普通列車が運行して駅に停車する。
客の無き 駅をつないで 列車行き
2015年09月12日
SH18巨大な蝶のデザインの建物がある丸瀬布駅
丸瀬布駅は1面2線のホームがあり、使われていない側線に沿って塔の外壁に蝶をデザインした大きな建物が見える。この建物は丸瀬布生涯学習センターであり、図書室や託児所が入居している。この建物の風除室が駅待合室になっている。建物に蝶のデザインがあるのは、遠軽町丸瀬布に昆虫生態館があり、昆虫を同町の観光に役立てようとしているためである。特急「オホーツク」の1往復を除けば、全ての列車が停まる駅である。ホームでパノラマ写真撮影をしている時、丁度「オホーツク」が停車したのでこれを撮る。(2014.6.20)
離れ行く 特急オホーツク 丸瀬布
2015年09月11日
SH17駅前に牛小屋が並ぶ下白滝駅
白滝シリーズの駅の東端に位置するのが下白滝駅である。駅舎はあるものの、駅近くに集落はなく、この駅での乗降客はほとんどないだろう。そのため2016年には廃駅予定に組み込まれている。のホームに出てみると2面2線である。この駅で印象に残ったのは人ではなく牛であった。駅前に牛を育てている農家があり、牛小屋が並んでいて、子牛が狭い箱の中に入っている。まるで養鶏のようで、身動きの自由があまりきかないところで餌だけを与えられ育てられている。効率はよいだろうが、牧場のイメージからほど遠い。(2014.6.20)
2015年09月10日
SH16「旧」の字が付く珍しい名の旧白滝駅
鉄道ファンには「白滝シリーズ」なる言葉で白滝の地名の入った4駅を表現する場合があるようだ。上白滝、白滝、下白滝は土地のつながりで理解できるとして、旧白滝が時の流れに関係していて、シリーズの名前の付け方では異質である。駅名なら新旧があっても不思議ではないけれど、駅名になった土地に旧の字が付いているのは、住民がこの土地を捨てた歴史があるようだ。ホームに待合室の小屋と駅名標があるだけで、乗降客を想像できない場所である。利用客はほとんど無さそうで2016年には廃駅に予定されている。(2014.6.20)
ワンマンカー 停まることなく 離れ行き
2015年09月09日
SH15風見鶏のある駅舎の白滝駅
石北本線が湧別川に沿って延びる山間部に、白滝の地名を冠した駅が4駅も連続してあるのは、駅名という点で見ると珍しい。廃駅の荒しで、4駅中白滝駅だけが残りそうである。白滝の地は黒曜石の露頭があることでも知られていて、黒曜石の石器が作られていた史跡がある。広い駅前広場に面した駅舎は時計塔のあるすっきりとしたデザインである。ホームに出てみると2面3線で、3線とも利用されている。跨線橋は無く、ホーム間に構内踏切がある。島ホームにも待合室があり、雨や吹雪の日には利用されるのだろう。(2014.6.20)
廃駅の 風の止むかと 風見鶏
2015年08月17日
廃止を予告されている上白滝駅
7月22日の道新記事に石北本線の金華駅に続いて追加の廃止駅の記事が出た。追加駅は上白滝駅、旧白滝駅、下白滝駅の3駅で、来年(2016年)3月で廃線を予定していると報じられた。その上白滝駅の周囲には農家が点在するだけで、集落といったものは無い。駅舎は古い木造で年季が入っている。ホームに出てみると1面1線である。停車する列車は1日上下各1便で、時刻表には2便の列車の時刻が記された他は何の記載もない。珍しいこの時刻表を撮るために立ち寄る鉄道ファンもいてネットに時刻表が載っている。
2015年08月14日
大雪山層雲峡観光の拠点の上川駅
上川町は大雪山系の北側の盆地に開けた町である。石北本線は上川駅から東に山間部を縫うように延びて行く。上川町から南東に向かう国道39号は層雲峡を抜けて行く。有人駅の上川駅舎は大雪山観光もあってなかなかなものである。この地の出身のスキージャンプの高梨沙羅選手の応援横断幕が駅舎の壁にある。ホームに出てみると単式・島式の複合ホームで2面3線の構成である。島式ホームには片屋根構造の雨と日よけがあり、洒落たデザインである。ホームの駅舎壁には層雲峡の黒岳ロープウェイの案内がある。
沙羅選手 上川駅の 顔となり
2015年08月13日
駅に行くのに迷うホーム駅の東雲駅
東雲の読みは「しののめ」が普通である。小樽の東雲町、釧路の東雲小学校等々と読みは「しののめ」である。しかし、石北線のこの駅は「とううん」駅である。駅は国道39号の横にありホームだけの駅である。以前はホーム横に待合所があったけれど、取材時には撤去されていた。従って、ホームに時刻表と料金表が掲示されている。ホームの出入口は線路を挟んで国道と反対側にあり、国道から迂回して行く必要がある。ホーム横の上川駅寄りに国道に抜ける小道があり、遮断機も警報機もない踏切でパノラマ写真を撮る。
東雲は 見落としそうな ホーム駅
2015年08月12日
駅舎壁に難読駅名のある安足間駅
この駅名は漢字だけからは正確に読めない。アイヌ語の「アンタル・オマ・プ」が「あんたるま」と訛り、漢字が当てはめられた。駅舎を正面から見ると片側の屋根が二重になっている。玄関の雨除けの屋根を別に設けたデザインである。駅舎の内でパノラマ写真を撮る。ガラス戸の出入口から駅正面とホームの景色が見える。両側の壁には計8名分の椅子が固定されてあるけれど、これらの椅子が埋まるほどの客が乗る時もあるのだろうか。ホームに出ると2面2線で跨線橋がある。普通列車は全列車駅舎寄りの1番線に停車する。
難読の 壁の駅名 安足間(あんたろま)
2015年08月11日
田圃に囲まれてホームがある愛山駅
2015年08月10日
駅舎の形が山を連想させる中愛別駅
中愛別駅は国道39号(大雪国道)のすぐ北側にある。国道の南側には石狩川が流れている。国道沿いの中愛別郵便局から折れると駅前通りになり、突き当りに特徴のある駅舎がある。山をイメージしてか三角形を基調にして、正面玄関部分は屋根の合掌部分が地面まで延びたものになっている。駅前側とホーム側は同じ造りである。ホームは相対2面の2線で、ホーム間には跨線橋がある。駅は水田に囲まれてあり、駅周囲にまとまった集落は無い。新旭川駅を起点にして32 Kmにある駅で、愛別町字中央が駅住所である。
青空を 突き抜く山の 駅舎なり
2015年08月03日
玄関前に長距離自然歩道の標識のある愛別駅
2015年08月02日
ホームにネジバナを見つけた伊香牛駅
2015年08月01日
永山武四郎将軍の駅名が由来する将軍山駅
石北本線は当麻駅から伊香牛駅まで田園地帯を南北に延びるほぼ直線線路である。この区間では西側に南北に延びる宗谷本線と並行している。将軍山駅はこの直線線路の中間点に位置している。コンクリート板を並べたホームに立って見ると、単線の線路が直線状に延びている。駅名の将軍山は屯田兵の生みの親と称された永山武四郎将軍に由来している。駅近くに又遠くに小高い場所があるけれど、これが将軍山かどうかわからない。線路を横切る道路脇にブロック造りの駅待合所があるけれど、建物に駅名はない。
将軍山(しょうぐんざん) 勇ましき名に 屯田史
2015年07月30日
駅前公園に二匹の蟠龍の彫刻がある当麻駅
2015年07月27日
田園地帯の真ん中にある洒落た外観の桜岡駅
2015年07月26日
ハンゴンソウの黄色に囲まれたホームの北日ノ出駅
2015年07月25日
シンプル駅舎と砂利敷きホームの東旭川駅
石狩川の支流の牛朱別川を横切って東に延びる石北線は東旭川駅辺りでは川と並行しており、線路の南側に東旭川の市街地が、北側には牛朱別川の両岸に畑が広がっている。駅の南東方向に旭山動物園があり、駅と動物園を結ぶパスもある。こじんまりしたシンプルな形の駅舎で、ホームには砂利が敷かれている。相対式ホームの2線で、ホーム間は構内踏切で行き来する。駅舎横に保線用と思われる退避線があって雑草に覆われている。ビロードモウズイカの花が目についたので、これと駅舎を重ねて撮ってみる。
(パノラマ写真 2014.8.23)
使われぬ 線路に咲きて モウズイカ
2015年07月24日
コスモスの花が咲いていた夏の南永山駅
2015年04月28日
SN4「湿原に出会える駅」の看板のある塘路駅
アイヌ語の「ト・オロ(沼のある場所)」に漢字「塘路」を当てはめて駅名(地名)になっている。ここで、沼と言っているものは塘路湖で、駅の東に南北に細長い状態で延びている。駅の西側には釧路川と釧路湿原が広がっている。駅舎に掲げられた看板「湿原に出会える塘路駅」の文字通りの位置にある。駅の周囲にはアウトドア観光のための施設があり、シーズンには観光客が訪れる。駅舎内にも喫茶店「ノロッコ&8001」があり、観光客が立ち寄っている。ホームは相対式の2面2線でホーム間には構内踏切がある。
駅舎内 茶店もありて 塘路駅