「カミは偉大なり」と聞けば、普通には「神は偉大なり」ですね。いやとっさに「家(うち)のカミサン」だと思われる方もおられるかも知れない。ここでは「紙は偉大なり」なのです。
やっと「江別・北広島秘境100選」の最終校正(再校で切り上げなのですが)も終わり、色校が済めば印刷・製本の段階に進み、12月初めには出来上がる予定です。いろいろなことがありましたが、やっとここまで辿りついた、といったところです。
本の内容はこのブログにも投稿していますから、ブログで済ませておいてもよいのでは、という考えもあります。ブログで済ませると、本にする最大の難関、出版費用の工面に頭を使う必要がありません(自費出版か実質それに近い本の出版では持ち出し、つまりは赤字は言うまでもない常識です)。
ブログでは原稿ができれば即投稿で、それで終わりです。出版社に何度も通って、本作りに対する意見の違いをすり合わせてたり、校正を行ったり、の人を相手にした作業をする必要がありません。ブログは他の意見を取り入れる必要がなく(事後のコメントというものはありますが、これは仕事の一環というよりは、たわいのないおしゃべりのようなものです)、自己完結の世界です。
そもそも本を出すのは自己表現の一形態ですから、ブログでその場を求めてもよい訳です。ここで自己表現は曲者で、誰かが見てくれているという自己満足(暗示)ですから、別に紙の形式にしなくてもよい訳で、ブログでも目的は達成されます。ただ、本当に誰かが見てくれているのだろうか、と確証を得たいため、アクセス数だとか、コメントだとかを気にします。
本の場合にも同様なことはあって、どのくらい売れているとか、読者からのコメント(ハガキや手紙で来る)に一喜一憂します。しかし、売れるか売れないか、コメントが有るか無いかの評価を得るために本を出版する訳ではありません。では、何故出版するの、と聞かれると、最初の「紙は偉大なり」の言葉に集約されます。
でどうして「紙は偉大なり」なのかを語ると、ちょっとした生き方論(大袈裟にいえば人生論)やメディア論にも発展して、ブログの記事としてはそぐわない(ブログは読ませるというより、見せる性格だし、第一ちょっとメモしておこう、といった表現形式だろうと思うので)。で、ここで終わりです。まったく尻切れトンボとはこのことです。Hi