Search


Archives

2014年12月31日

シリーズ1573・「パノラマ写真」ここはどこ

 かつて村の駅であったのが、合併で町の駅になりました。さて、ここはどこの駅。


1573E%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9EW%E7%99%BD%E6%BB%9D%E9%A7%85%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%ABA.jpg

comments

コメントを入力してください
15年前の想い出深い駅です。
この村は、世界でも屈指の黒曜石鉱床が有名で、裏大雪を源流とする自前の水力発電所とか、流域の農地から生産されたジャガイモは白滝産の銘柄で全量本州送りされ、乳牛の大規模肥育でも注目されておりました。
この村も、高齢化が進み、耕作放棄され国に移管された膨大な農地を荒廃させずに維持する上で収益を挙げてはならないとの委託に取り組んでいた地元のD建設会は、農地を荒廃から護り、収益を挙げずに活性化する難題に最適の作物として、緑肥効果の大きいひまわりに着目し、農業土木機能を駆使して苦も無く広大なひまわり畑を仕上げ専用の観光車両を購入し準備を進めて居りました。
この頃、北電相談役故戸田一夫氏は下川町の町興しに尽力されており、D社から広大なひまわり畑を観光面に活用するべく相談受けた戸田氏は、私が北龍町でひまわり花粉採取に成功し、ひまわり花粉は花粉症とは無関係であり、15年前から原子力発電所事故を想定して、ひまわり花粉の優れた放射線耐性について、北電と原子力安全委員会へ提案していた矢先でありましたので、早速私の自宅へ白滝へ出向き実地指導する要請を頂きました。^白滝村へは、急行オホーツクが停車する有利さもありますが、ひまわりの共同開発者でもある弟の車でも3年間に亙り往復致しました。
  (ひまわり花粉の原子力発電所建屋事故発生時の救急薬剤開発   は、安全神話で凝り固まっていた発電事業者としては、事故を前   提とした対応は、到底容認し難いとの見解から陽に目は見ること   はありませんでしたが、開発の現実性が不可能ならば、別の安 
   全対策が開発された筈との知人関係者の指摘と後悔です。)

  • 伊東
  • 2014年12月31日 13:52

 それは思い出深い駅ですね。S駅は特急が止まるのに無人駅とは、乗降客が少ないのですかね。

  • ブログ子
  • 2014年12月31日 15:07
comment form
comment form