2023年01月13日
2016年05月31日
日本一終発の早い駅で売り出そうしている新十津川駅
新十津川町のルーツは奈良県吉野郡十津川村にあり、1889年同村の大水害を被災した人々がこの地に入植し新十津川と称した。札沼線の終着駅で、2016年3月に午前中の1往復になったため、日本一終発の早い駅となり、これを逆手に取り駅を鉄道ファンに売り込もうとしている。その他にも駅の隣にある空知中央病院の保育所の園児が雨天を除き、駅舎前で毎日列車の送迎を行っている。送迎時には法被姿の園児と保母さんが太鼓を鳴らして、歓迎の仕草をする。北側方向に列車止めが見え、ここが札沼線の終りであることを確認する。(2012.9.22 撮影)
2016年05月27日
駅前の松に反語の「迎客松」を連想する下徳富駅
中国黄山に「迎客松」の言葉で呼ばれる松がある。奇峰を背景に片側に枝を延ばす松の姿が客を迎えるように見えることからこの名前がついている。道内の昔の面影を残す駅には駅前に松の木が植えられていて、その松が大きな木になっているのを見かける。下徳富駅もそんな駅の例で、客が出入りするところにある松なので「迎客松」の言葉を連想する。しかし、1日往復2便の列車を利用する乗降客がこの駅を利用するとも思われず、松が客を見ることはない。松の木だけは年々大きくなって、ホームから眺める駅舎の屋根を越えて見える。(2012.9.22 撮影)
2016年05月24日
待合所が撤去されホームだけの南下徳富駅
地名の「徳富」はアイヌ語の「トックプト(隆起した川の入口)」に漢字を当てはめた説がある。しかし、「徳富」を「とっぷ」と読ませるのは難読地名である。水田の中に短いホームが少し見える駅なので、遠くからはここに駅があるとは気が付かない。古い図鑑本やネット情報の写真にはこの駅の待合所が写っているものがあるけれど、2012年に撤去されていて、その後の駅写真には待合所はない。パノラマ写真には駅の北側の踏切が写っているけれど、踏切近くにあった待合所は消えていて、時刻表や料金表はホームの上り口にある。(2012.9.22 撮影)
2016年05月22日
難読と難着の田園の中の於札内駅
難読駅にも入りそうな駅名に加えて、道路で行き着くのに迷う難着駅でもある。駅は田園地帯に囲まれてあり、農道と思われる道路を通って行く。駅は踏切の傍にあるけれど、遮断機も警報も無い踏切である。もっとも、2016年から朝の往復2 便に減便で、この駅を利用する客は居ないのではなかろうかと思われるので、この踏切で支障はなさそうである。プレコン製のホーム上に軽量鉄骨・鉄板の待合所がある。待合所の出入口の上に年季の入った錆びた駅名標が貼りつけられている。昔の駅名標を利用しているらしく、珍しかった。(2012.9.22 撮影)
2016年05月21日
ブランドのワイン名が頭に浮かぶ鶴沼駅
駅は浦臼町の国道275号に沿った鶴沼の集落の北端にある。稲の稔った田圃に囲まれて1面のホームがあり、ホーム下に鉄骨・鉄板造りの待合所がある。待合所の出入口からホームには階段で上る。ホームの西の方角に樺戸の山塊が遠望できる。その手前辺りの丘陵地帯に北海道ワインの鶴沼ワイナリーがあり、鶴沼の地名を高めている。ワイナリーの傍にはマンゴーを栽培している神内ファーム二十一もあり、こちらも名前が知られている。駅前は広場になっており、鶴沼改善センターの建物がある。国道沿いには道の駅「つるぬま」がある。(2012.9.22 撮影)
2016年05月20日
浦臼町の施設に駅舎が間借り状態の浦臼駅
札沼線は列車の本数(乗客数)からは3区間に分かれる。列車本数の多い札幌駅から北海道医療大学駅まで、石狩当別駅から浦臼駅まで、そして浦臼駅から新十津川駅までである。2016年3月からは浦臼駅と新十津川駅は1日1往復まで減便になった。この列車本数から、浦臼駅はある意味札沼線の拠点駅とも言える。ホームは1面の棒線である。ホームに接して駅舎らしい立派な建物がある。建物は浦臼町が建てた「ふれあいステーション」で、歯科医院が入居している。駅はこの建物を間借りしている状態で料金表や時刻表が壁にある。(2012.9.22 撮影)
2016年05月19日
近くに坂本龍馬縁の墓所のある札的駅
駅名の元になった地名の「札的内」はアイヌ語の「サッテク・ナイ」(痩せる川)に由来する。この駅から1.8 Kmで浦臼町の中心部にある浦臼駅になり、この近距離で集落の余り無いここに駅を設置した経緯がわからない。駅は踏切の近くにあり、ホームの西端に木造モルタルのトタン屋根の駅待合室がある。待合室から1面のホームには鉄板が渡されてつながっている。駅の西側に墓地があり、坂本龍馬の養嗣子の坂本直の妻の留と長男の直衛が、先に浦臼町札的に入植した龍馬の甥の坂本直寛を頼って来た経緯で、坂本家の墓がある。(2012.9.22 撮影)
2016年05月18日
最初は読み方の判らない難読駅名の晩生内駅
晩生内駅名は最初は読めない。漢字の音読みと訓読みを駅名(地名)の中に混用しているのが、この種の難読駅名の読みをさらに難しくしている。「晩」を「晩い」の訓読み、「生(き)」、「内(ない)」は音読みを採用している。函館本線の「納内(おさむない)」も最初は正しく読めない。留萌本線で廃止予定の「信砂(のぶしゃ)」駅もある。駅は国道275号に接するようにあっても、国道の北にある駅に直接行く道はない。札比内駅舎とそっくりな駅舎の前は広場があり、大きな松の木が目につく。ホームは1面で駅舎より少し高いところにある。(2012.9.22 撮影)
2016年05月17日
駅舎より横のトイレが立派な札比内駅
国道275号に接し、駅前広場と言えそうなスペースがあり、その奥に札比内駅がある。駅舎は、いかにも片側が切り取られたという格好をしている。駅舎の横に立派なトイレがある。駅舎よりトイレの方が重要で、利用価値があるというのをあからさまに示している。駅ホームに出て見ると、1面の棒線が延び、駅の西側の田園地帯が目に入る。駅東側の国道を越えても田園地帯となっていて、その東に石狩川が流れている。石狩川のさらに東側を函館本線が走り、美唄市を通過して行く。この両線は滝川市に向かってお互いに近づいてゆく。(2012.9.23 撮影)
2016年05月16日
秘境駅としての評価が高い豊ヶ岡駅
この駅は秘境駅に挙げられている。確かに林に囲まれ、国道275号からも離れ、駅への道が判り難くアクセスの悪い駅である。そこで自転車を列車に積んでこの駅で降り、ここから駅巡りをする。ホームは1面で棒線が延びている。ホームの東側で細い道と線路が交差しているけれど、遮断機とか警報機はなく踏切の扱いではないようだ。ホームの横に木造の待合所がある。下見板の外壁に「不審者注意」の看板があるけれど、ここまで客が来るとも思われない。待合所内には造り付けベンチとテーブルがあり、壁に鉄道の写真が貼ってある。(2012.9.23 撮影)
2016年05月15日
衝突防止のスタフ交換の行われる石狩月形駅
石狩月形駅は札沼線で列車交換の出来る最後の駅である。この駅から札沼線の終端の新十津川駅まで行った列車は折り返し運転となり、途中列車交換ができない。従って、石狩月形駅から下り方向には1列車しか走れないように、スタフと呼ばれる輪状の通行証を持った列車のみが路線の区間を走れるようにするスタク閉塞方式になっている。石狩月形駅では上りと下りの列車でこのスタフ交換が行われる。月形町は樺戸監獄の月形潔典獄の名前に由来する。駅から北に進む列窓から、樺戸監獄の後進に当たる月形刑務所の壁が見える。(2012.9.23 撮影)
2016年05月14日
田園の中の休息所のような知来乙駅
知来乙はアイヌ語の「チライ・オッ」(イトウ魚の多い所)に漢字を当てはめた地名である。知来乙駅は踏切の近くにあり、これは国道275号との交差点ではなく国道とつながる道道11号の踏切である。駅は田園地帯の中で道道と接している。ホームは1面1線で、ホーム西側の登り口の付近に小さな待合所がある。待合所の横が道路に続く広場のようになっていて、プランターに花が植えられている。待合所内も整理整頓が行き届いていて、ガラス窓越しに花が目に入り感じが良い。待合所外壁の「チカンに注意」の看板が似合わない。(2012.9.23 撮影)
2016年05月13日
ログハウス横のフクロウ飾りが目につく月ヶ岡駅
国道275号脇に月ヶ岡駅があり、駅前にパーキングのできる広場がある。広場の横にログハウスがありこれは月形町が建てた休息所で駅待合所も兼ね、土日祝日には農産物の直売所になる。ホームは1面でホームの北側に防風林と笹薮しか見えない。ホーム横のところの木の柱の上にふくろうの飾りが見える。ふくろうは当別町の町の鳥に指定されている。月ヶ岡駅は月形町にあり、隣町のシンボルが駅前にあるのは、当別町が名付けている275号線から当別町青山に抜ける「ふくろう街道」が駅前の国道からも行けるためかも知れない。(2012.9.23 撮影)
2016年05月12日
ホーム前で稲の刈り入れが見られる中小屋駅
中小屋駅辺りでは札沼線と国道275号は並行して延びる。国道275号に沿って中小屋の集落がある。木造の三角屋根の民家のような中小屋郵便局が国道を挟んで駅前広場から見える。車掌車改造駅待合所や駅の置かれている佇まいは本中小屋駅とそっくりである。「本」の字が付くと本中小屋駅が本家、中小屋駅が分家のような感じがするけれど、周囲の状況から逆のように感じられる。待合所内は椅子が4脚あり清掃が行き届いている。砂利が固められた1面のホームに棒線が延びている。ホーム前から稲の刈り入れ作業が見えている。(2012.9.23 撮影)
2016年05月10日
駅の東に田園地帯西に山地の本中小屋駅
中小屋の地名は、この辺りの道路開鑿ため樺戸集置監の受刑者を使った時、受刑者の泊まる小屋を設けたことによる。本中小屋は、その小屋に一番近い地区といった意味らしい。国道275号から西方向に車掌車改造駅舎が見える。駅待合所の前に自転車が置かれていて、列車の利用客のものだろう。駅前広場には建物が無く、駅東側に当別町の田園地帯が広がる。駅西側は山地となり、中小屋温泉への道が駅横から延びている。ホームは1面で棒線が延びている。ホームの西側は草丈の高い夏草に遮られ、民家の屋根が少し見えるだけである。(2012.9.23 撮影)
2016年05月09日
近くに「開拓ふくろふ乃湯」がある石狩金沢駅
北へ向かう札沼線は国道275号と並行している。石狩金沢駅は国道から行けず、線路を越えた西側にある旧国道から出入りする。ホームは1面の棒線で、ホームの外れに車掌車改造駅待合所がある。待合所に入ってみると据え付けの椅子があり、椅子の上の駅ノートが置かれていた。壁に「開拓ふくろふ乃湯」の看板が掲げられている。駅から徒歩3分とある。「金の沢天然温泉」の文字があり、金沢は金の産出したところのように読めるが、樺戸監獄の囚人を使って道路を開墾した時の看守長の出身地が「金沢」であったことに由来する。(2012.9.23 撮影)
2016年05月08日
鉄骨・鉄板造りの駅舎は現存しない北海道医療大学駅
札沼線は当駅までが学園都市線の愛称の実体で、学生や大学関係者の利用が多い。石狩当別発で当駅以北に行く列車はワンマン運転で極端に便数が少ない。駅名通り、駅の近くに北海道医療大学がある。乗降客はホームに直結し、道路を跨いで大学に続く渡り廊下を利用し、列車待ちもコンビニのある渡り廊下付近で、鉄骨・鉄板造りの駅舎があった当時から駅舎の方は利用されていなかった。その駅舎も撤去されてしまっていて、駅前広場からホームに上る階段があるだけである。かつての駅舎の内外の様子をパノラマ写真に撮り残している。(2012.9.23 撮影)
2016年05月07日
彫刻とステンドグラスのコンコースがある石狩当別駅
石狩郡当別町の表玄関の駅である。橋上駅で南口と北口を結ぶコンコースが線路を跨ぐ橋の上にある。南口は駅前広場があり道道366号が駅前から延びていて、道路の両側が当別町のオフィス街になっている。北口は町の施設と公園につながっている。橋上のコンコースは彫刻が並びステンドグラスがはめ込まれていて、ギャラリーの雰囲気である。ホームは2面3線で新十津川方面に向かう客はこの駅でワンマン運転の列車に乗り換えることになる。ただし、北海道医療大学駅までは通学客が多いので札幌駅からの直通電車が利用できる。(2012.9.22 撮影)
2016年05月06日
スウェーデンのイメージを呼び起こす石狩太美駅
駅名は変わっている。アイヌ語に漢字を当てはめた地名「当別太」と「美登江」から一文字ずつ取って命名。駅舎は時計塔のあるチョコレート色の木造駅舎で、窓枠などが白い縁取りになっていて印象に残る建物である。有人駅時代の窓口は閉鎖され、自動乗車券販売機が置かれている。チョコレート菓子の製造・販売の「ロイズ」の出店があったが閉鎖され、代わりに当別町が運営する観光情報プラザ「FIKA」が設置された。同町にスウェーデンヒルズがありスウェーデン語から取ったらしい。ホームは2面2線でホーム間に跨線橋がある。(2012.9.23 撮影)
2016年05月05日
ドームの有る洒落た駅舎のあいの里公園駅
大都会札幌市にもいくつか無人駅があり、あいの里公園駅もその一つである。当初釜谷臼駅として開業し、後に現駅名に変更された。ここで「あいの里」の名称はかつてこの地域で藍が生産されていたことに因んでいる。駅舎は中央にドームがあり、ドームは明かり取りのガラス張りの洒落たデザインである。駅舎内で全球パノラマ写真を撮るとドームの前と後ろの明り取り窓を同じ視野の中に見ることができる。ホームは相対式の2面2線で、ホーム間に跨線橋がある。桑園駅から北海道医療大学駅までの電化により電車が運行している。(2012.9.23 撮影)
2016年05月04日
新興団地内にある学府名駅あいの里教育大駅
駅名に北海道教育大学の名前が付いているけれど、大学のキャンパスは駅北口から北に1.5 kmほどのところにある。北口駅前は広場になっていて、その北側は商店街になっている。駅前広場に彫刻家國松明日香の鉄製のオブジェが置かれている。同作家の同じようなオブジェが隣駅のあいの里公園駅にもある。駅の北側と南側はフード付きの人道橋で結ばれる。業務委託駅で駅員が居りみどりの窓口がある。ホームは2面2線でホーム間に跨線橋がある。教育大学の学生が使うと思われる自転車が線路に沿った駐輪場に多数置かれている。(2016.4.24 撮影)
2016年05月03日
入学・入社の客に「おめでとう」と祝う拓北駅
札幌近郊の宅地化が進み、住宅街に造られた駅の典型である。衛星写真影周辺で見ても、線路の両側に住宅が並び、住宅は線路近くまで迫っている。駅周辺では線路は東西に延びている。南口と北口があり、北口に駅舎がある。駅舎の前にコンビニがあり、通勤・通学客が利用する店である。北口も南口も線路に沿って駐輪場があり、多くの自転車が並んでいる。業務委託駅で駅員が業務を行っていて、みどりの窓口がある。通勤・通学の時間帯には混み合う。ホームに出るのには階段を上る。相対式の2面2線でホーム間には跨線橋がある。(2016.4.24 撮影)
2016年05月02日
迎客松のある昔ながらの木造駅舎の篠路駅
札幌市は広くて函館本線、千歳線、札沼線(学園都市線)とあり駅も多いので、無人駅や年季の入った木造駅舎の駅もある。篠路駅は1934年に開業していて、木造駅舎は昔ながらの佇まいである。駅の東口が駅正面になり駅前広場に大きな松の木がある。駅前広場を囲むように軟石造りの倉庫があり、倉庫の裏手には篠路神社がある。駅西側は再開発が進み、西口の駅前広場が整備され、高層集合住宅が駅に迫っている。相対の2面のホームに2線の構造であり、ホーム間に跨線橋がある。有人駅で通勤・通学の時間帯には利用客で込み合う。(2012.1.21 撮影)
2016年05月01日
博覧会の臨時乗降場が駅となった百合が原駅
全国都市緑化フェア「’86さっぽろ花と緑の博覧会」が1986年開催され、会場の百合が原公園への観客の臨時乗降場として設置されたのが駅の始まりである。博覧会終了後、周囲の宅地化の進行も見越して駅に昇格した。道路面より少し高いところにプレハブの駅待合所があり夏には花で飾られる。雪の無い季節には通勤・通学客が駅まで乗って来る自転車が駅横に並ぶ。ホームは相対式2面の2線で、ホーム間には跨線橋がある。駅の東側には広場があり、駅東側が百合が原公園につながる。駅西側は住宅地が駅の傍まで迫っている。(2012.1.21 撮影)
2016年04月30日
平らな土地に太い発展を願う地名の太平駅
太平駅を通過する札沼線の南側は北51条の条丁目で、北側は太平の条丁目で住所が表示される。太平の地名は太平山信仰からのものかと思っていたら、地形が平らで太く大きく発展する願いを込めて、地元の決議で新しく地名にした。太平駅は住宅街の中にある駅で、無人駅である。駅前広場といったようなものは無く、線路に沿って駐輪場が設けられている。2面2線でホーム間に跨線橋がある。桑園駅から新琴似駅までは高架であったものが、太平駅からは地上の線路になり、駅の東側には踏切があり、ホームから人が通るのが見える。(2016.4.24 撮影)
2016年04月29日
「新ちゃん」の愛称の熊の石像のある新琴似駅
新琴似は屯田兵が入植した歴史ある土地で、新琴似屯田兵中隊本部が新琴似駅の西側近くに保存されている。高架駅で駅東側は駅前広場になっている。駅前広場を再開発した際に取り壊したレンガ造りの工場のレンガの一部を広場に残してある。有人の業務委託駅で通勤・通学客で賑わう。ガラス張りロビーの片隅に「新ちゃん」の愛称の石像の熊の像が置かれていて、イベントに合った衣装が着せられ、テレビでも報道された。高架のホームは相対2面2線となっている。2012年に電化され北海道医療大学駅まで学園都市線の愛称がある。(2012.4.1 撮影)
2016年04月28日
ホームから三角山や手稲山の見える新川駅
札沼線駅は、人工の川の「新川」を越える辺りで北東方向にカーブし、直線で延びる。線路が高速道路の札幌自動車道を越える前に新川駅がある。高架駅で八軒駅と同じ構造の相対2面2線である。長いホームの端から見ると線路の彼方に西区の三角山が見える。さらに駅の西方向に手稲山が間近に迫って見える。駅周辺は住宅街で目立つ建物はなく、駅西側に新川中学校と新川中央小学校がある。業務委託の有人駅でみどりの窓口、キヨスクがある。駅舎内に3月26日に開業したばかりの北海道新幹線の宣伝があり大谷翔平投手の顔がある。(2016.4.13 撮影)
2016年04月27日
南北に延びる長いホームの高架駅の八軒駅
近場の駅はいつでも撮れるだろうと思って気が付くとデータが無い。八軒駅も改めて取材で、札幌駅発の札沼線に乗り二つ目の駅で降りる。札幌市街は南北に道路が延びて碁盤の目状になっているが、八軒地区は45°傾いた碁盤で線路は碁盤の対角線に延びる。高架駅で六両編成の電車が運行していてホームは長い。ホームは相対の2面2線で、ホーム間は線路下の通路で行き来する。電化されたのは比較的最近で2012年である。業務委託駅の有人駅で、みどりの窓口がある。ホームには階段、エスカレータ、エレベータとあり選択に迷う。(2016.4.13 撮影)
2016年04月15日
観光案内所が入居する教会風駅舎の夕張駅
石勝線の終端駅で1面のホームから単線の先に車両止めが見える。駅は1892年に開業しており、道内屈指の古さを誇る駅である。駅舎は移転、改築を重ね現在の場所になり駅舎は三代目である。時計塔のある三角屋根で教会風で洒落ている。玄関上部に「ゆうばり駅」の表示があっても、夕張市が管理する観光案内センターが入居していて駅業務は行われていない。駅舎内に夕張のマスコットキャラクター「メロン熊」のポスターがある。駅舎の横に「ホテルマウントレースイ」の大きな建物がある。毎年行われる映画祭で会場の一つとなる。(2014.4.24 撮影)
2016年04月14日
過去の繁栄を偲ばせる長い人道橋の見える鹿ノ谷駅
鹿ノ谷の集落は道道38号沿いにあり、駅は38号の東にある。駅から直接東側に行く道路は無い。鹿ノ谷駅が、かつては夕張鉄道線の接続駅として広い構内を持ち、石炭運搬の拠点駅として栄えたことが、今も構内に残る長い人道橋で推察できる。駅舎に接した1面のホームに棒線が南北に延びている。高倉健主演の映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地で有名になった場所は、上り方向の若菜地区に想い出広場として保存されている。無人駅の駅舎の壁に鉄道の写真や毛筆による句が貼られている。地区の簡易ギャラリーの雰囲気である。(2014.4.24 撮影)
2016年04月13日
「頑張れ夕張」の標語に反して無人化された清水沢駅
清水沢の集落は山間の細長いもので、駅の敷地の広さのところに家が並んでいる感じである。かつての駅は石炭運搬の拠点駅として栄えていたのがこの構内の広さに残っている。駅の南側で国道452号は直角に折れ、夕張川を堰き止めた巨大なシューパロダムへと続いている。国道から分かれた道路が駅前を通り、道道38号につながる。清水沢駅の駅舎の玄関部分は三角屋根付きで大きな駅名看板がある。しかし、駅前通りはシャッター街の様相を呈している。訪問した時はスペースのある有人駅だったが、2015年10月に無人化された。(2014.4.24 撮影)
2016年04月12日
地域の寄り合所の雰囲気の待合所がある南清水沢駅
南清水沢の集落は夕張川の西側にある。川の東側から北側は清水沢地区になっている。南清水沢地区では線路と国道452号が隣り合わせで南北に延びていて、駅は国道の東側沿いに国道に接するようにしてある。駅前の国道の西側にはスーパーマーケットがある。駅の南側に清水沢地区につながる道路が延び、線路と交差するところに踏切がある。単式ホームで棒線が真っ直ぐに延びているのが確かめられる。駅舎内はかつての切符販売の窓口のところに時計が置かれ、シャツや手袋がかけられているけれどこれは忘れ物なのかも知れない。(2014.4.24 撮影)
2016年04月11日
国道脇に在るレストランの一部かと見間違う沼ノ沢駅
新夕張駅からの石勝線支線は国道452と並行して延びる。沼ノ沢駅は国道沿いにあり、線路の南側に沼ノ沢の集落が広がる。駅が国道沿いにある立地を生かしてか、駅舎の旧事務所部分に「レストランおーやま」がテナントとして入居している。駅舎の半分以上はレストランで、駅看板がなければここが駅舎とは気が付かない。駅前にはシャッターが下りた店舗が並んでいて、財政破綻の夕張市の一端を垣間見せている。周囲は夕張メロンの主産地である。ホームに出てみると単式1面1線の棒線で、春を告げる福寿草の花が目に付いた。(2014.4.24 撮影)
2016年04月10日
彫刻が駅前広場を飾り洒落た駅舎の新得駅
新得駅が観光地の駅であることは駅前広場に立つと感じられる。時計塔のある三角屋根を乗せた玄関部分に半円形窓と格子窓を組み合わせたデザインの木造平屋の駅舎はいかにも外国風である。広場には「希望」と題されたハトを手にした裸婦像がある。その像の向い側に「火夫の像」があり、根室本線の駅でもあるこの駅から狩勝峠の難所で奮闘するSLの機関助手の投炭の姿が像になっている。社員配置駅でみどりの窓口やキオスクがある。駅舎内には立ち食いそば店がある。2面3線で島ホームは屋根付きで、ホーム間に跨線橋がある。(2014.9.5 撮影)
2016年04月09日
北海道一の高さで普通列車が運行していないトマム駅
土日祝日に2200円(後に2260円)で普通列車乗り放題の「一日散歩きっぷ」があり、札幌発で新得まで行けた(2016年に廃止)。新夕張-新得間は普通列車が走っていないので、この切符でトマム駅で乗降できた。トマム駅は標高538 mの北海道の最も高い駅で2面2線である。特急同士の待ち合わせ時間にホームに出ることができ、その時間を利用して写真を撮る。跨線橋があり、跨線橋につながるフード付きの人道橋を歩いて行くとJRトラベルセンターがあり、係りの人が居た。ここも2015年には廃止され完全な無人駅となる。
2016年04月08日
花壇に飾られた花の印象が残った占冠駅
新夕張を出ると石勝線の本線は新得方向を目指して東に延び、支線は北に延び夕張駅に達する。本線の方は夕張山地のトンネルをくぐり、占冠村の中心部から離れた畑に囲まれた場所に占冠駅がある。駅舎は比較的大きく、駅舎の壁に海抜348mのパネルがある。パネルがあっても北海道で最も高い駅という訳ではなく、標高が最高の駅は隣駅のトマム駅である。駅前広場が整備されていて物産館がある。占冠村が業務委託を行っている駅である。ホームは2面3線で、ホーム間に跨線橋がある。ホームの花壇は手入れが行き届いていた。(2014.9.5 撮影)
2016年04月07日
旧駅名「紅葉山」の駅名標が駅前広場に残る新夕張駅
夕張川が大きくS字を描いて蛇行するところに夕張市紅葉山地区があり、駅はこの地区の高台にある。北海道炭礦鉄道の駅として開業した当時は紅葉山駅で、その駅名標が駅広場に残されている。石勝線はこの駅のすぐ北で占冠に向かう本線と夕張駅に向かう支線に分かれる。駅舎は2階建てで、1階に改札口があり2階に上るとホームになる。高架駅ではなく、線路が市街地より高いところにある。2面5線で構内規模の大きな駅である。ホームに立つと上り方向にトンネルの入り口が見える。下り方向は夕張川を渡りトンネルとなる。(2014.9.5 撮影)
2016年04月06日
「富」に通じる名前だったのに信号所になった十三里駅
数字の駅名は珍しく、これは追分駅を起点として十三哩(マイル)標があったことに由来している。数字の13が付くとキリスト教国では忌み嫌われそうであるけれど、日本では「富」に通じる良い名前である。石勝線とこれに並行する国道274の間の狭いスペースに小屋があって、小屋壁の端に十三里駅の縦書きの駅名が見える。2面2線のホームへは階段を使って上る。ホーム間は跨線橋で行き来する。跨線橋の出入口のところに小さな待合所がある。東追分駅と同様、北海道新幹線営業に伴って2016年3月26日に、駅から信号所になっている。(2014.9.5 撮影)
2016年04月05日
名所「千鳥ヶ滝」のある滝の上公園近くの滝ノ上駅
国道274号と夕張川に挟まれるように石勝線が延び、駅舎は線路の北側の国道沿いにある。駅の南側近くに「滝の上公園」があり、夕張川が造り出す「千鳥ヶ滝」が名所となっている。駅舎は緩い勾配の平屋で、駅待合室はガラス窓の部分が多く、国道と跨線橋が目に入る。ガランとした待合室に火災予防運動のポスターが貼ってあり、女優の加藤あいの顔が見える。駅舎を貫く通路がありここを通って2面3線のホームに出る。跨線橋がありその出入り口に待合所が付け足されてある。線路の上り下り方向にスノーシェルターが見える。(2014.9.5 撮影)
2016年04月04日
営業停止のパークゴルフ&レストランの客車が見える川端駅
川端駅は夕張川の西側で国道274号が直角に折れるところにある。駅前広場に「砂金の話」と題されたパネルがあり、夕張川が砂金の産地であった史実が書かれている。北海道炭礦鉄道の駅だったものが国有化され、JR北海道に継承されている。駅の北側に川端の集落があり、駅前に広場がある。広場には花壇があり手入れされている。駅舎内の時刻表の下に「ふるさとの心で使おう川端駅」の標語が見える。ホームは2面3線で、ホーム間に跨線橋がある。駅の南側に客車2台がパークゴルフ場の使用中止の建物を挟むように置かれている。(2014.9.5 撮影)
2016年04月03日
駅から信号場になったかつての秘境駅東追分駅
東追分駅は2016年3月26日に駅が廃止され信号場になった。その廃止日に特急「スーパーとかち」でこの信号場を通過している。同日は北海道新幹線開業日で、前日飛行機で鹿児島に飛び、指宿市の山川駅から列車を乗り継ぎ、1日で帯広駅に行く途中でのことである。暗闇で信号場の様子は窺い知れない。ホームは2面2線で跨線橋があり、跨線橋の出入口が待合所になっていた。駅の周囲は畑が広がり、駅への道が分かり難く、駅の周辺には農家が数軒ある程度である。秘境駅の表現が当てはまる駅だったが、利用客が見込めず廃止された。(2014.9.5 撮影)
2016年04月02日
過去の繁栄の記憶につながる広い構内の追分駅
追分の地名は各地にあり、これは「牛馬を追い、分ける」のに適した分かれ道に付けられた名前で、線路の分岐がある現安平町の追分が駅名になった。室蘭本線の駅でもある。かつては石炭の輸送の拠点駅で、機関区もあった駅史から構内の規模が大きく、有人駅でもある。跨線橋のある2面4線で、ホームに停まっているワンマン列車は「岩見沢-苫小牧」のプレートが見え、室蘭本線である。南千歳駅起点の石勝線では当駅のキロ程は17.6 Kmで長万部起点の室蘭本線では170.8 Kmとなる。駅舎内には北海道新幹線のポスターがあった。
2016年04月01日
石勝線「0キロ標」がホームにある南千歳駅
石勝線はこの駅から始まる。それを示す石勝線「0キロ標」が3、4ホームのところにある。北海道を象った黒御影石に石勝線の営業キロ数132.4 Kmの文字が刻まれている。石標の横に花のプランターが置かれ「Rera」の文字が見える。駅の北口から歩いて行ける商業施設である。2面4線で駅は橋上駅となっている。千歳空港のターミナルビルが駅に隣接していた頃には旅行客駅から国道36号を跨ぐ人道橋を利用した。ターミナルビルが移動して新千歳空港駅まで支線が延びた。従って、駅の南口は国道に出る通路だけで施設は無い。
2016年03月31日
ラベンダーの色帯の列車が停まっている富良野駅
観光地富良野の名前がアイヌ語の「フラ・ヌイ」(臭いがするところ)であると知ると、漢字名と語源の落差に戸惑う。ここで臭いとは十勝岳に起因する硫黄の臭いである。富良野線はこの駅が始終着駅となるが、駅は根室線に属していて両線の分岐駅になっている。富良野にはラベンダーの咲く景観を求めて内外の観光客がやってくる。列車の車体に描かれた帯もラベンダーの紫と葉の緑の組み合わせになっている。ホームは2面4線で、ホーム間に跨線橋がある。外国人客のため観光案内所では英語、中国語、ハングルの表記が並ぶ。(2013.6.23 撮影)
2016年03月30日
駅名になった地名が札幌農学校に由来する学田駅
学田とは「学」に関係した名前と類推できる。事実、駅のある場所付近にはかつて札幌農学校の演習農場があり、名前はそれに由来する。因みに学田山、学田川、学田橋といった地名もあり、教育や学術に何らかの関係がある。学田駅は木製ホームの上に鉄骨と鉄板の待合所がある。待合所のドアは無く木製ベンチがあり、ベンチの上に駅ノートが置かれている。直線状の棒線の駅は田園に囲まれてあり、ホームからの見晴しが良い。駅の東側に線路と並行して国道237号が延びていて、畑より少し高くなった国道を行き来する車が見えている。(2013.6.23 撮影)
2016年03月27日
キリスト教の教会を連想させる待合所の鹿討駅
駅名の鹿討を目にして、アイヌ語への当て字、鹿狩りの地等を予想したが、これはこの辺りにあった鹿討農場の名前に由来する。農場主の鹿討豊太郎は札幌農学校の出身者である。木製デッキの登り口(ホームの富良野駅方面側)のところに一見キリスト教の教会を連想させるような待合所がある。待合所の屋根には明かり採りの塔状の造りがあり、待合所の中で見上げると四方の窓から光が咲き込んでいる。ホームにはプランターが置かれた1面1線の棒線駅である。2両編成の列車ではホームに納まり切らず、踏切へはみ出して停車する。(2013.6.23 撮影)
2016年03月26日
イメージキャラクター「ラベンダーの妖精」の居る中富良野駅
中富良野の市街地は富良野川の西側に広がり、国道237号が市街地を貫いている。国道と並行して国道西側に富良野線が延び、国道と直角に交わる道道705号の終点に中富良野駅がある。駅舎内にショーケースがあり特産品が並んでいる。やはりラベンダーに関係したものが多いが、「法螺吹」の銘柄の地酒も飾ってある。ホームに出てみると2面2線で上富良野方向に構内踏切がある。富良野方向にはフード付きの人道橋が線路を跨いでいる。中富良野町のイメージキャラクター「ラベンダーの妖精」の看板がホームに置かれている。(2013.6.23 撮影)
2016年03月25日
観光列車「ノロッコ号」が停まる臨時駅のラベンダー畑駅
上富良野駅を過ぎ学田駅駅まで富良野線は直線で、ラベンダー畑駅はその直線区間の中間辺りにある。名の通りラベンダー畑を訪れる観光客のための臨時駅で、毎年6月~10月に営業する。ラベンダー畑のファーム富田の最寄り駅で、客は駅と同ファームの間を歩いて往復する。観光列車「富良野・美瑛ノロッコ号」が停車する駅で、シーズンにはノロッコ号が停車すると木製デッキのホームは客で混雑する。田園地帯に囲まれた駅で、ホームの両側に水田が迫る。外国人観光客のためホームには英語、中国語、韓国語の注意書きが見える。(2013.6.23 撮影)
木製デッキのホームから十勝連峰が望める西中駅
中富良野を突き抜ける国道237号で、西中小学校のところを西に折れる道を進むと富良野線を横切る。その踏切のところは西中駅がある。木製デッキのホームで、ホームへの上りスロープのところに1枚ドアの木製小屋の待合室がある。駅の周囲は空地になっていて、夏場はライダーの休息地のようである。ホームに上ると1面1線の棒線駅で、ベゴニアのプランターが置かれていて、観光路線の雰囲気を出している。ホームからの見晴しは良く、富良野盆地を囲む十勝の連山が見える。線路の傍まで水田が迫って来て、田園の中の駅である。(2013.6.23 撮影)
2016年03月24日
富良野線の観光路線部分の一駅の上富良野駅
上富良野駅は富良野線に乗った観光客がふらりと降りてみる駅である。ラベンダー畑は富良野駅から上富良野駅の路線の周辺にあり、列車を利用して景観を楽しもうとする観光客は富良野駅から乗車して上富良野駅で折り返す客が多そうである。石段のある駅舎で、委託駅の有人駅である。観光路線の駅だけあって、駅舎の壁はポスターで埋まっている。駅舎内には観光案内所もある。ホームは2面2線で、跨線橋がある。観光列車のノロッコ号がホームに停車している。跨線橋の北側に駅の東西をつなぐ中央部が青空天井の人道橋がある。(2013.6.23 撮影)
2016年03月23日
赤い屋根が目立つ駅舎の美馬牛駅
「美馬牛」はアイヌ語の「ビバ・ウシ」(沼貝の居るところ)が語源で「美唄」も同じ意味のアイヌ語に当て字をしている。駅前は広場になっており赤い屋根の駅舎がある。駅舎の横には駐輪小屋が設置されている。駅舎の玄関のところにリースの飾りが掲げられているのは観光路線を意識してのことだろう。駅名板も木製の手の込んだものである。2面2線のホームは千鳥式になっていて、構内踏切がある。東側のホームに接するように洒落た二階建が見える。「ポストカードギャラリー&ブックカフェ絵葉描館」で観光スポットでもある。(2014.8.1 撮影)
2016年03月22日
軟石造りの駅舎も観光資源の美瑛駅
美瑛は北海道らしい田園風景に接するため観光客が訪れる。駅も観光に一役買っていて、駅舎や駅周辺も写真の対象になる。駅舎は美瑛軟石を使ったもので、有人駅である。駅前はロータリーになっていて店舗が取り囲む。駅舎内には富良野と美瑛を結ぶ観光列車のノロッコ号の案内看板が掲げられ、観光客と思しき人の姿がある。「ノロッコ」とは「ノロノロ」と「トロッコ」の合成造語である。ホームは2面2線で、駅舎西側にホーム間をつなぐ跨線橋がある。駅舎東側に駅の南北を行き来する自由通路があり、三角屋根の通路の塔が目につく。(2014.8.1 撮影)
2016年03月21日
短いホームと小さな待合所の北美瑛駅
北美瑛駅は国道237号と道道213号をつなぐ道路が富良野線を横切る踏切の傍にある。駅は田園地帯に囲まれてあり、駅の近くに下宇莫別(しもうばくべつ)の集落と神社がある。富良野線は駅付近で大きくカーブして南下していく。木製デッキの短いホームとホームの上に待合所がある。富良野駅から美瑛駅までは観光路線で、シーズンには観光客を多く見かける。しかし、美瑛から北上したこの駅になると観光の雰囲気は薄れる。小さな待合所ではパノラマ写真につなぎ合わせる処理が上手くゆかず、所々ずれた写真になってしまった。(2014.8.1 撮影)
2016年03月20日
開拓時代からの巨木に護られた千代ヶ岡駅
千代ヶ岡の地名は、かつて御料地があった事に因み、国歌にもある「千代に八千代に」のフレーズから採られた。駅は国道237号に面し、国道と駅の間に空地がある。この空き地にヤチダモとハルニレの巨樹があり指定保存樹になっている。駅舎と線路は国道より少し高いところにあり、これは水害対策のためのようである。駅舎正面玄関上の大きく駅名があるので、周囲に駅を連想させるものがなくても駅であることがわかる。駅舎内には据付けの椅子があるだけで簡素である。ガラス戸越しに2面2線のホームが見え、構内踏切がある。(2014.11.8 撮影)
2016年03月18日
田園地帯の真ん中にある短いホームの西聖和駅
国道237号と並んで直線で延びる富良野線は、西神楽駅から少し南下した所で国道から離れる。車では、聖和小学校のある聖和の集落辺りで国道から道道48号に折れ東に行くと、田園地帯の真ん中に西聖和駅がある。聖和の地名はかつて皇太子の行啓があったことからの命名のようだ。聖和小学校は2016年3月に閉校となった。コンクリート製の短いホームの上に鉄骨フレームの待合所がある。同じ造りの西瑞穂駅の待合所の床がコンクリート仕上げなのに対して西聖和は鉄板製である。ドアの無い入口から駅の北側の風景が見える。(2014.11.8 撮影)
2016年03月17日
跨線橋のある列車交換可能駅の西神楽駅
西神楽駅は国道237号に面し、国道の東側にある。駅舎は少し高くなっていて、駅舎前に石の階段がある。駅舎はがらんとしていて、3方にガラス戸とガラス窓があり明るい。窓際に椅子が16脚並んでいる。駅舎内には自動乗車券販売器と、花瓶台がある。花の活けられた花瓶台に「お帰りなさい きょうも一日 ご苦労さまでした」と書かれていて、初めて見ると印象に残る。ホームは2面2線で列車交換可能駅である。ホームは跨線橋でつながっている。撮影中1両のワンマン列車が入って来て、乗客を乗せて旭川方面に去って行った。(2014.11.8 撮影)
2016年03月16日
直線線路の他に見るべきものが無い西瑞穂駅
神楽岡駅から西神楽駅までは富良野線は直線線路である。線路西側に寄りそう国道237号もまた直線である。西瑞穂駅傍の踏切からパノラマ写真に撮ると、上り下り方向に線路が直線状に延びているのが分かる。駅の周囲は田園地帯がひろがっている。駅の南側に道立林産試験場がある。駅ホームはスロープのあるプレコン製で、ホームの中央に西御料駅と同様な待合所がある。鉄骨、鉄板で囲まれた待合所には鉄製で板張りの長いベンチがあり、座布団が置かれている。ホームの東側は機材の会社の敷地で、工場の建物が見えている。(2014.11.8 撮影)
2016年03月15日
地域史的な名前の付いた西御料駅
地名にある「御料」は天皇家の財産だった御料地があったことに由来する。駅名の他にも「御料地小学校」や「ごりょう公園」に地域史的な名前が残っている。駅は旭川市の市街地と田園地帯の境目にある。駅は踏切の横にあって、見落してしまいそうである。駅横の空き地に駐輪されていた多数の自転車は、通勤・通学者のものだろう。プレコンのホームの上に軽量鉄骨造りの小屋の待合所がある。待合所は四方にドアと窓があり、見晴が利く。駅と並行した国道237号が待合所内からも見え、車が並んで走っている交通量の多い幹線道路である。(2014.11.8 撮影)
2016年03月14日
駅寄進者の名前が掲げられた請願駅の緑が丘駅
この駅は地域の企業や町内会の請願によって設置された請願駅である。プレコンのホームの上に待合所があり、室内の窓の上に「緑が駅新設寄進」の看板が掲げられている。寄進者の企業や町内会が名前を連ねている。駅の周囲の開発が進み、駅新設の必要性に迫られたためであろう。駅近くに旭川南高校、旭川工業高校があり、旭川医科大学への最寄り駅でもある。富良野から来た二両編成のワンマン列車がホームに停車する。車体にはラベンダーの紫色と緑の線があり、ラベンダー畑を通ってくる富良野線の緑が丘駅で、丁度色が揃っている。(2014.11.8 撮影)
2016年03月13日
富良野国道と線路が並び始める地点の神楽岡駅
「神楽」の地名はアイヌ語を意訳して付けられた。旭川駅から南下する富良野線は忠別川を越え、神楽岡公園の西を通り緩やかなカーブを描く辺りに神楽岡駅がある。駅の付近で国道237号が線路の西側を並行して走るようになる。ホームはアスファルトで固められた1面の棒線駅である。近くに大きな集合住宅が見え、通勤や通学者が利用する駅の雰囲気である。ホームの上に外壁はサイディング張り、内側は板張りの待合所がある。かなり横長でコンクリート土間に据え付けの椅子があり、通勤・通学時に利用される待合所のようである。(2014.11.8 撮影)
2016年03月11日
廃駅予定で訪問する鉄道ファンの増えている増毛駅
留萌本線の終着駅である。2016年に留萌-増毛間の路線が廃止予定の報道があってから、ここを訪れる鉄道ファンの数が増加している。増毛とは変わった地名で、アイヌ語の「マシ・ケ」(カモメの(居る)所)が語源である。小樽市の郊外に毛無山があり、晴れていれば山から石狩湾を越え増毛方向が見える。「晴れてれば(禿げてれば) 増毛を望む 毛無かな」の一句を自著「小樽・石狩秘境100選」(2007)に書いたことが思い出される。駅舎内は土産物店とテーブルに椅子がある。出入り口に時刻表と路線図があるので駅舎であると判る。(2014.8.22 撮影)
2016年03月10日
地形に沿ってカーブする線路の途中にある箸別駅
増毛町は日本海が北側から陸地に入り込む湾の傍に市街地が広がり、湾の東側に飛び出した岬状のところに箸別の集落がある。箸別川が南から北に流れ海に注いでいる。箸別川のすぐ西側に箸別駅がある。駅前は広場になっていて、ホームが西側に待合所が東側にある。ホームは木製デッキで、少し高いところにあるため、ホームから人家の屋根越しに海が見える。西の増毛駅に向かう線路がカーブしているのがホームの上から見える。線路脇にある待合所は朱文別駅と同じ造りだが、土間がセメント敷になっている。駅は海抜10 mにある。(2014.8.22 撮影)
2016年03月01日
海の近くにあって海の見えない朱文別駅
朱文別の地名はアイヌ語の「シュフンペッ」(ウグイ川)から来ているとネットで知る。グーグルの衛星写真で駅近くにある川を探してみると駅に北側に小さな川がある。しかし、地名になった川かどうか定かでない。ホームは木製デッキで北側からホームに上がる。棒線が北から南に延びる。駅待合所が駅北側の線路脇にある。ベニヤ板張りの待合所は砂利の土間で、木製ベンチがあり、ベンチの隅に駅ノートがある。ゴミ箱用の一斗缶には深川運転所の文字が見える。壁の津波避難所場所の看板を見ると、駅の海抜は6 mで舎熊駅と同じである。(2014.8.22 撮影)
2016年02月29日
アイヌ語が語源の珍しい名前の舎熊駅
舎熊という名前も、いかにもアイヌ語の地名に漢字を当てはめた雰囲気である。アイヌ語の「イ・サッケ・クマ」(魚を干す竿)が転訛した「サックマ」が語源だといわれている。これが「舎熊」になるのはかなり飛躍である。舎熊駅は車掌車改造駅舎で外壁が白く塗装されている。駅前から国道231号のすぐ傍まで迫っている海が見える。舎熊の集落は国道と留萌本線の間の細長い土地につながって延びる。駅舎内には津波避難場所の掲示板があり、駅の海抜は6mとある。避難場所の舎熊小学校は海抜8 m で、高さはほとんど同じである。(2014.8.22 撮影)
2016年02月28日
標高11 mの表示が待合所にある信砂駅
深川市と増毛町を結ぶ道道94号が留萌本線と交差する所に信砂駅がある。信砂の名前の由来は諸説あり、松浦武四郎の日記に「ノブシャ」と記載されたアイヌ語地名に「信」「砂」の漢字が当てはめられたようだ。道道から駅に入り、木製デッキのホームに上る。真っ直ぐな線路がホームに沿って延びている。駅の周辺には信砂の集落がある。待合所がホームに接してある。待合所内に津波避難場所が掲示されていて海寄りの舎熊小学校になっている。海岸線に沿った平らな土地にある標高11 m駅で、もし津波が来たら避難は大変である。(2014.8.22 撮影)
廃校となった阿分小学校を見下ろす阿分駅
留萌駅から増毛駅までの区間は変わった駅名のオンパレードである。阿分駅もその一つで、アイヌ語の「アフン」(入り込んでいる)に由来するとある。木製デッキのホームで棒線駅である。ホームから少し低いところに阿分小学校がある。この小学校は2015年の3月に閉校となった。開校130年を超える小学校も過疎化、少子化の激流には抗す術がなかったようである。ホームへの上り口のところに小さな待合所がある。待合所内の管理責任者の掲示には阿分「乗降場」と記されている。津波避難所場所は阿分小学校と掲示されている。(2014.8.22 撮影)
2016年02月27日
国道231号オロロンラインの脇にある礼受駅
国道231号、別称オロロンラインの東側に礼受駅がある。礼受はアイヌ語の「レウケ・プ」(曲がっている所)に由来すると解説があるけれど、地図を見てこの辺りの海岸線に曲がった所を見つけることができない。駅前は広場になっていて、ここから日本海を遠望できる。車掌車改造駅舎がかつての駅舎の土台跡に置かれている。駅の東側は小高い丘になっていて、礼受の集落は線路と海岸に挟まれた狭い土地に長く延びている。駅舎内にはベンチの他にはゴミ箱があるくらいである。ホームは1面1線で真っ直ぐな線路が延びている。(2014.8.22 撮影)
海水浴客のための乗降場が出自の瀬越駅
留萌本線は留萌駅を越して西に延び、日本海に突き当たる辺りから方向を南に変える。留萌市街の海岸に沿って線路が少し南下したところに瀬越駅がある。駅から西に少し歩くと海水浴場となる。海水浴客のために季節営業をする仮乗降場が昇格して駅になった。駅は海岸より少し高いところにあり周囲に高い建物がないのでホームからの見晴しが良い。1面1線のホームの上に小さな待合所がある。待合所の内には安楽椅子が1個置かれてあった。2016年度留萌増毛間の路線の廃止予定の報道があり、この路線の瀬越駅も無くなるのだろう。(2014.8.22 撮影)
2016年02月26日
日本一夕陽の美しい留萌駅
二階建ての留萌駅舎の正面の壁に看板があり、「日本一夕陽の美しい駅」のキャッチコピーが目に入る。留萌駅から西の方向には留萌港があり、さらにその西にある黄金岬から日本海が広がっている。駅から日本海に落ちる陽を望むことができ、それが日本一の夕陽との駅自慢である。かつては国鉄羽幌線、天塩炭鉱鉄道の分岐駅で規模の大きな駅であった名残を駅舎や構内に感じる。社員が駅業務を行い、みどりの窓口もある。待合室内に立ち食いそば屋やキオスクがある。ホームは2面2線で跨線橋を利用する。駅の北に抜ける道はない。(2013.2.8 撮影)
2016年02月25日
国道の脇にあっても直接行けない大和田駅
大和田駅は国道233号の脇にあっても、駅舎と国道の間に線路があり、車で駅に行くためには遠回りして線路を横切る必要がある。駅の成り立ちが大和田炭鉱にあり、運炭のため炭鉱所有者の大和田荘七の寄付により設置された。駅舎は幌糠駅と同じく車掌車改造駅舎である。外側のデザインも同じで兄弟駅といったところである。駅舎内は造り付けのベンチがあり、円形の座布団も置かれている。駅ノートがベンチの隅にあった。雪のホームに出てみると、1面1線でホーム中央に駅名標だけがある。線路の北側の国道の看板が見えている。(2013.2.8 撮影)
2016年02月24日
雪をイメージする白壁駅舎の藤山駅
国道233号のすぐ南側に藤山駅がある。駅前は広場でも冬期は雪で埋まっている。駅舎は白壁の建物で、雪の季節には周囲の積雪に壁がつながっていくようで、印象に残る外観の駅である。駅名の藤山も人の名前のようであると思っていると、事実駅が設けられたのが牧場内で牧場主が藤山姓であったことに由来している。駅舎玄関上にある板に筆文字の駅名看板も味わいのあるものだ。駅舎内は壁に取り付けられた長い木製ベンチがあるだけで、壁は白一色に塗られていて、ここも雪のイメージである。ホームは1面1線の棒線である。
2016年02月23日
雪深い里に車掌車改造駅舎のある幌糠駅
深川―留萌間唯一の列車交換のできる峠下駅
グーグルマップの衛星写真で恵比島駅から峠下駅間の線路をスクロールしながら見て行くと、途中トンネルが二つあるのがわかる。一方線路と同様恵比島峠を越える道道549号にはトンネルは無い。道道は峠下駅のすぐ西で国道233号に合流する。有人駅時代の名残の駅舎は規模が大きく、駅舎の一部が区切られて待合室になっている。ホームへの出口のところに1番ホームと2番ホームの行き先表示があり、2面2線の駅で深川、留萌間で唯一列車交換のできる駅である。千鳥式の相対ホームでホーム間は線路を横切って往来する。(2013.2.8 撮影)
2016年02月22日
テレビドラマ用の明日萌駅と並ぶ恵比島駅
平野部を走ってきた留萌本線が恵比島峠のある山間部に入る手前に恵比島駅がある。この辺りから道道549号が線路と並んで山越えをする。線路沿いの木造の建物を最初恵比島駅舎と思っていると、これはテレビドラマ用に当時の様子を模して建てた駅舎である。実際の駅舎はこの建物の横にある車掌車改造のものである。駅舎内は長いベンチがあるだけで、目ぼしいものは無い。雪かき用具があり、雪深い土地柄を思わせる。ホームは1面の棒線である。ドラマのセット用の駅名看板「明日萌(あしもい)」横でTV番組の取材が行われた。(2013.2.7 撮影)
2016年02月21日
秘境駅の雰囲気を醸し出す雪中の真布駅
真布駅は東側に丘陵地帯が迫り、西側に田園地帯とさらにその西に丘陵地帯が続く地形の中に位置する。この丘陵地帯の間に川が流れていて「シルトマップ川」と呼ばれ、「真布」の地名の語源になっている。雪原の中に真っ直ぐに伸びた単線線路の踏切の近くに真布駅がある。板張りの小屋然とした待合室が木製ホームの上にある。北秩父別駅に似た秘境の雰囲気の駅である。待合室の中は3方の壁に造り付けベンチがあり、壁に筋交いが加えられている。時刻表、料金表の待合所必須の掲示の下に駅ノートが人待ち風に置かれている。(2013.2.8 撮影)
2016年02月20日
かつては札沼線の分岐駅だった石狩沼田駅
現在でも使われている札沼線の呼称は、かつて札幌駅と石狩沼田駅間の路線の名残である。現在は当駅と新十津川の間の路線は無くなっている。駅舎は横長の四角い箱状であり、風雪を防ぐためか駅舎前面にフードがついている。駅舎内はスペースがあり、椅子が置かれていて、トイレもある。自動販売機の他に目に付くものとしては額入りの古びた写真がある。これは日本最古のSLの「クラウス号」で、実物は沼田町指定文化財として保存されている。ホームは1面1線で、向い側にある利用されなくなった島式ホームは積雪に下である。(2013.2.8 撮影)
2016年02月19日
雪原が広がる中にある北秩父別駅
グーグルマップで北秩父別駅付近の衛星写真をみると、駅の周囲に集落は無く、田園地帯に囲まれて駅がある。冬になるとこの平な大地を雪が覆い、風が強いと地吹雪となって先が見えない。こんな状況では駅近くの踏切の遮断機が正確に動作するかの保守作業は重要で、駅を訪れた時に作業員が居て点検を行っていた。駅待合所は年季の入った木造でホームの上にある。消えそうになった手書きの駅名看板が待合所の壁にある。真っ直ぐな棒線が雪原を貫いている。待合所内は三方の壁に長い木製ベンチがあり、除雪用具が隅に置かれていた。(2013.2.8 撮影)
2016年02月18日
通学時の混雑が想像できない雪の中の秩父別駅
秩父別の駅舎の屋根付き玄関のところに筆文字の駅名看板が掲げられている。JRのロゴマークが無いところをみると、あるいは国鉄からJR北海道に継承される以前からの看板なのかな、と思ってしまう。駅舎内にはストーブを囲むようにして据え付けの椅子がある。乗客は深川の高校への通学生が多いようで、通学時間帯には混むようである。1両のワンマン列車でこの駅で生徒が全員乗ることが出来なかった事件がネットに載っている。ホームは1面の棒線で、線路の西側に秩父別の市街地が、東側には田園地帯が雪の中に広がっている。(2013.2.8 撮影)
2016年02月17日
難読と紛らわしい漢字の駅名の北一已駅
この駅名は難読と字形を間違いやすい点では最右翼に来るものである。アイヌ語の「イ・チャン」(鮭が産卵する場所)に「已然形」の「已」の文字を当てはめている。「巳(み)」でもなく「己(こ)」でもない漢字で紛らわしい。駅名標には「きたいちやん」とあるが「きたいっちゃん」と発音することも多い。木造の駅舎は造り付けのベンチと長椅子、棚があるだけで冬の暖房は無い。駅舎を出ると階段付きのホームがあり棒線が延びている。STVテレビの番組「Do!アンビシャス」出演時にテレビ局のスタッフとこの駅を取材した。(2013.2.7 撮影)
2016年02月16日
客の流れが絶えない札幌の表玄関札幌駅
道都札幌の表玄関の駅である。函館本線、千歳線、札沼線の始終点駅である。高架駅の5面10線ではあっても、2030年度に北海道新幹線が札幌まで延伸になると、新幹線用のホームを新設せねばならず、今から対策が論じられている。ホームでは色々なイベントが行われ、2014~2015年度には、引退した寝台特急のトワイライトエキスプレス、カシオペア、北斗星や711系赤電車、SLニセコ号などの引退セレモニーがあり、ホームは鉄道ファンで埋まった。改札階はいつも旅行客で混雑していて、商業施設や地下鉄への客の流れが絶えない。(2016.2.11 撮影)
2016年02月15日
数年後には移転が予定されている苗穂駅
現在苗穂地区の再開発が進められている。再開発の目玉の一つは苗穂駅の移転と駅舎の橋上化である。現在の苗穂駅北側にはJR北海道苗穂工場が隣接していて、駅の南側から北側に抜ける道がない。そこで駅を西側に300 m移動して橋上駅にし、南北の自由通路を設ける案である。後2,3年もすれば苗穂駅は一変する。2面4線のホームに立って見ると、年季の入った横長の木造駅舎に、北海道新幹線の営業開始を伝える看板がある。駅の北側に列車の停まった苗穂工場が見える。跨線橋には3番から6番までの乗り場が示されている。(2016.2.11 撮影)
2016年02月14日
整備事業が進み橋上駅になった白石駅
駅に姉妹駅というのがあるのを白石駅で知った。宮城県白石市にある東北本線の白石駅と札幌市白石区にある函館本線の白石駅が同名ということで姉妹駅提携をしている。白石駅は駅舎の整備事業が進み、南口と北口を結ぶ自由通路が出来、通路に接して新しく橋上駅舎になっている。改札口を入った跨線橋上の広場からガラス張りを通して線路の東側の眺望が望め、客が列車を待っている。ここからホームに降りると2面4線がある。函館本線の他に千歳線が乗り入れていて、千歳線の終点駅であるが、列車は札幌駅が起終点駅となる。(2016.2.11 撮影)
2016年02月13日
地上と橋上の二つの駅舎がある厚別駅
厚別駅は南口が表玄関で駅員が配置されている。駅前はロータリーで、モニュメントのある緑地がある。駅舎の西側に駅北側に抜ける人道橋があり、人道橋に接して駅の西口がある。西口は跨線橋上にある橋上駅舎になっていて、業務委託駅で人が配置されている。ホームは単式と島式の2面3線である。ホームの線路に沿った線をほぼ東に延ばしていくと北海道百年記念塔に達し、ホームの東側に立つと塔が見える。厚別の西隣に位置する平和駅は函館本線が通過しても停まらない。平和駅に行くには白石駅で千歳線に乗り換える必要がある。(2016年2月11日撮影)
2016年02月12日
ホームから北海道百年記念塔の見える森林公園駅
名前の通り野幌森林公園の最寄り駅で、札幌市内のJR駅ではわずかに上野幌駅に最東端駅の座を譲る。森林公園には北海道百年記念塔が建っていて、付近のランドマークになっている。駅のホームからも塔が見える。ホームは相対式の2面2線である。ホーム間は線路下の通路がある。駅西口にステンドグラスがあり、野幌森林公園をイメージしたデザインになっている。西口広場はロータリーで駅周辺に高層集合住宅が並んでいる。東口から東に行くと野幌森林公園に達する。百年記念塔は札幌市厚別区にあるが、森林公園は江別市にある。(2016年2月6日撮影)
2016年02月11日
文教地区の最寄り駅で学生が利用する大麻駅
本州の人ならこの駅名を「たいま」と発音するかもしれない。多分麻の産地に由来する名前だろう。読みを「おおあさ」にして印象を良くしている。北口と南口があり、江別市の公共施設や住宅街に行くのは北口を利用する。北口前広場はロータリーになっていて、バスやタクシーの乗り場がある。南口は国道12号に面していて、国道沿いは文教地区で大学や道立図書館の最寄り駅である。駅ホームに競うようにある大学の宣伝看板が目に留まり、いかにも大学生のための通学用駅の雰囲気が感じられる。ホームは2面2線で跨線橋がある。(2016年2月6日撮影)
2016年02月10日
赤を基調にしたデザインの駅舎内とホームの野幌駅
野幌駅は2006年から2011年にかけて行われた高架化により様相が一変した。以前の駅は南と北に改札口があり跨線橋でつながっていた。高架化により駅舎内の通路で南北両出入り口につながる。駅舎内の壁は赤タイルで椅子も赤い。ホームは2面2線でホームの柱や駅名標まで赤地に白文字である。野幌はレンガの生産地の歴史があり、赤レンガを意識して赤を基調にした駅舎造りになったと推測される。高架前には野幌駅の近くにあるレンガ工場跡のレンガの煙突が車窓から見えていたが、高架を走る列車からは見え難くなった。
2016年02月09日
自由通路を利用してホーム間を移動する高砂駅
高砂駅の外観は三角形で構成された四角錐の屋根の塔が線路の両側にあり特徴的な建物である。塔は線路を跨ぐ自由通路と地上を結ぶエレベータ塔になっている。ホームは2面2線で、ホーム間に跨線橋も構内踏切も無く、札幌駅方面は南口改札から、岩見沢方面は北改札口から乗り込む。北口と南口は屋根付きの自由通路でつながる。業務委託駅で駅員が配置されており、みどりの窓口もある。線路の北側に防風林があり、それを突き切り北西方向に行くと国道12号に出て、さらに北西方向に江別市役所があり、市役所の最寄り駅である。(2012.9.8 撮影)
2016年02月08日
特急の停まらない市の表玄関の江別駅
江別駅は江別市の表玄関の駅である。しかし、この駅には特急は停まらない。江別市内の駅では野幌駅や大麻駅の方が賑わいがある。駅の規模は比較的大きく単式と島式ホームの2面4線がある。乗り場は駅舎より遠いところから1番から順番に4番になり、4番乗り場は切欠きホームである。ホーム間には跨線橋がある。駅の北口前は広場になっており、広場の緑地帯にレンガ造りのモニュメント「ふれあいの滝」がある。駅前広場に接して江別市役所水道部のレンガ造りの建物があり、建物横に佐藤忠良作のブロンズ像が設置されている。
2016年02月07日
ローマ字駅名ロゴとステンドグラスが印象的な豊幌駅
江別市にはJRの駅が4駅あり、そのうち豊幌駅が最北端、最東端駅となる。駅舎の壁の一部は赤レンガ造りになっている。駅前の電話ボックスは全体が赤レンガ造りで、これは江別市にレンガ工場があり、レンガの街を標榜しているためである。駅舎の正面とホーム側は対称の造りで、大きなローマ字で駅名が記されている。駅舎内には人の詰め所があるけれど、駅の業務をしているようには見えない。玄関の上部にステンドグラスがはめ込まれていて洒落ている。ホームは2面2線で、ホーム間に構内踏切がある。線路は駅舎の北側にある。(2014.12.12 撮影)
2016年02月06日
札幌のベッドタウンの駅の機能を持つ幌向駅
幌向駅は上幌向駅と同じような造りになっていて、跨線橋上の橋上駅である。駅の北口から南口に自由通路があり、通路は国道12号を跨いで幌向の市街地につながっている。幌向駅はフラグステーションとして設置されたのが始まりで、名の通り客や荷物がある時のみ旗(フラグ)が立てられ列車が停車した。幌向は岩見沢市であるけれど、札幌のベッドタウン化が進み、札幌を往復する乗客が多い。業務委託駅でみどりの窓口がある。対面式と島式ホームの2面3線があり、雪の日には白一色の化粧である。(2014.12.12 撮影)
2016年02月05日
有人駅から無人駅に移行した上幌向駅
上幌向駅から豊幌駅にかけて函館本線と国道12号は隣り合わせで延びる。そのためもあり、上幌向駅では橋上駅舎からの人道橋が線路の上のみならず国道の上も跨いでいる。ホームの北側は防風雪林となっており、ホームの南側に国道とさらにその南に市街地が広がっている。ホームは島式1面で2線ある。乗降客は跨線橋につながる駅舎と駅通路になっている人道橋を利用する。上幌向は岩見沢市の郊外で、札幌圏のベッドタウンで通勤・通学客が多く、みどりの窓口のある有人駅であった。その駅も2015年には無人化に移行した。(2014.12.12 撮影)
2016年02月04日
ホームに大きな輓馬のブロンズ像のある岩見沢駅
岩見沢駅は道内最古の鉄道幌内鉄道の主要駅として開業した古い歴史がある。現在は室蘭本線の終点駅を兼ねた函館本線の拠点駅である。4代目になる現駅舎は2007年に開業しており、2009年度グッドデザイン賞を受賞している。駅構内は広く3面5線ある。改札口から直接つながる長い跨線橋があり、1番から7番(2、5番欠番)ホームがある。島ホームの3・4番ホームに橇を曳く輓馬のブロンズ像があり、岩見沢駅のシンボルの一つである。以前岩見沢市に競馬場があり、鉄製の橇を曳かせて競うばんえい競馬が行われていた。
2016年02月03日
美唄市、岩見沢市、三笠市三市境界近くの峰延駅
峰延駅は美唄市の市境にあり、駅近くで美唄市、岩見沢市、三笠市が接している。函館本線の東側で線路と並行に走る国道12号の峰延町本町の交差点を西に折れると駅に行き着く。駅前は広場になっており、広場の中央にオンコの木が一本ある。駅舎は左右、前後対象でガラス戸の玄関上に駅名が大きく出ている。駅待合室は壁に固定された椅子が17脚ある他には設備らしいものは無い。掲示板が1面あっても貼り紙はない。ホームに出ると2面2線で跨線橋がある。駅の西側は田園が広がっていて、駅から西側に抜ける道はない。(2014.10.8 撮影)
2016年02月02日
人目を惹くデザインの駅舎の光珠内駅
美唄市光珠内町の集落は函館本線の東側にあり、線路の西側は畑が広がる。線路の東に線路と並行に延びる国道12号から西に折れると光珠内駅に達する。駅前広場に「開駅三十年記念碑」が設置されている。駅舎は玄関部分に三角形の庇と飾り壁があり変わったデザインである。ホームは単式、島式でホーム間をつなぐ跨線橋があり。2面3線である。ホームからは畑と集落の家が見えるだけで、これといったものがない。ただ、駅近くに北海道では唯一発見された隕石の落下地点があり、光珠内隕石として美唄市指定文化財になっている。(2014.10.8撮影)
2016年02月01日
石川啄木の歌碑と安田侃氏の作品のある美唄駅
美唄の語源はアイヌ語の「ピパ(カラス貝)イ(いる所)」といわれている。漢字の駅名の語感に惹かれたか、この駅を通過した石川啄木は「石狩の美国といへる停車場の 柵に乾してありし 赤き布片(きれ)かな」の歌を残しており、ホーム看板や駅東口広場の石碑に印されている。橋上駅で西口と東口を結ぶ広い通路には安田侃氏の石彫が置かれている。以前は同氏の「生棒」と題された彫刻がホームにあったが今は無くなっている。社員配置駅で、みどりの窓口がある。屋根付きの2面2線で、改札口から上り下りのホームにつながる。(2012.9.8.撮影)
2016年01月31日
駅名語源から跨線橋をチャシ(砦)に見立ててみる茶志内駅
2016年01月30日
町文化ホールと隣接する無人化移行予定の奈井江駅
奈井江はアイヌ語の「ナイ(谷川)」が語源の説がある。奈井江駅前はロータリーになっており、道道529号の終点でもある。駅広場に奈井江町文化ホールが隣接しており、グランドピアノのオブジェが置かれていて写真撮影の対象になる。駅舎前が駐輪場になっていて、かなりの数の自転車が置かれている。現在駅員が配置されている業務委託駅でも、利用者減少で2016年には無人化が予定されている。ホームは2面3線で跨線橋がある。ホームの仕切り塀に描かれた町観光協会の絵に、日本最長の直線道路の中間点が奈井江町とある。(2014・10・8 撮影)
2016年01月29日
高床で国道に背を向けた駅舎の豊沼駅
砂川市から美唄市まで函館本線と国道12号は並行に延びる。国道12号の滝川から美唄までの29 kmの区間は日本最長の直線道路である。函館本線の西側にある国道12号沿いに市街地が広がる関係もあり、直線道路沿いの駅はどれも国道側に面している。例外が豊沼駅で、国道から駅舎に行くには線路を越えて回り道をする。駅前は広場になっていて、高床の駅舎がある。これは水害対策で、線路もやはり築堤の上にある。駅舎内には造り付け椅子と乗車駅証明書発行機があるだけでガランとしている。2面2線でホーム間に跨線橋がある。
(2014.10.8 撮影)
2016年01月28日
公園都市を標榜する砂川市の表玄関砂川駅
砂川駅は歴史的には夕張と空知の炭鉱開発のための拠点駅だった時代があり、函館本線上砂川支線、歌志内線の分岐駅であった。この両線は現在廃止されている。駅前の看板に「ようこそ公園都市砂川へ」の文字が見える。砂川の市街地は駅の西側に広がっており、街の最大の施設の新砂川病院が駅からそれほど遠くないところにある。相対式と島式の2面3線を有し、ホーム間は跨線橋を利用する。跨線橋と並行して駅の東側に通じる自由通路があり、上砂川支線跡地に2007年にオープンした地域交流センター「ゆう」につながっている。(2014.10.8 撮影)
2016年01月27日
根室本線始点駅で大規模な構内を有する滝川駅
2016年01月26日
菜の花とリンゴのデザインが見られる江部乙駅
江部乙駅の辺りでは函館本線はほぼ南北に延びる。線路の東側に江部乙の市街地が広がり、現在は滝川市と合併して滝川市江部乙町になっている。線路の西側は田園地帯で、年毎に場所を変えながら菜の花が作付されていて、季節になると2面3線のホームから菜の花の黄色い絨毯を見ることができる年もある。ホーム間には跨線橋がある。駅舎は道路より階段で5,6段高いところにあり、駅舎に向かって左側にリンゴの木が、右側の屋根近くにリンゴの絵に駅名を重ねた看板がある。江部乙がリンゴの産地であることを示している。(2012・5・20撮影)
2016年01月25日
箱型駅舎の前に駅前広場のある妹背牛駅
駅名(地名)に牛のついたところが目に付く。妹背牛駅もその例の一つである。アイヌ語で「所」を意味する「ウシ」に漢字の牛を当てはめたためである。アイヌ語の「モセ ウシ」(イラクサのある所)が駅名の語源である。線路の東側には田園地帯で、妹背牛の市街地は線路の西側に広がっている。駅前は広場になっていて、庇のある玄関の箱のような駅舎がある。駅舎内は地域住民の作品展示場の趣である。駅ノートもある。ホームは相対式・島式の2面2線で跨線橋がある。跨線橋の裏側で写真を撮るとヒヨドリソウが咲いていた。(2014・10・8撮影)
2016年01月24日
駅舎内で名物菓子「ウロコダンゴ」が売られている深川駅
深川駅は函館本線の他に留萌本線の始終着駅でJRの要衝の駅である。廃線となった深川-名寄間の深名線の名残もあって、規模の大きな駅である。有人駅で駅舎内にキオスクがある。駅舎内の売店で売られている「ウロコダンゴ」は深川駅の土産物の名物で、これがお目当ての旅行客も居る。「ういろう」に似た食感の団子で、かつて貨車で運ばれた鰊の鱗に因んだ命名であると伝えられる。ホームは3面4線で跨線橋があり、跨線橋と並行して駅の南北をつなぐ人道橋がある。屋根付きのホームに一両のワンマン列車が停まっていた。(駅舎内 2013・2・28撮影、 ホーム 2012・10・7撮影)
2016年01月23日
深川市の施設と同居する時計塔のある駅舎の納内駅
函館本線は伊納の駅を過ぎて大小のトンネルを通過して神居古潭の近くから深川市の平野部に出る。田園地帯にある納内の市街地に納内駅がある。駅舎は時計塔のある1999年に新築されたもので、「納内時計プラザ」の名称があり、深川市役所納内支所や多目的ホールと同居している。駅横の歩道にあるマンホールの蓋も入れて写真を撮る。蓋には屯田兵、リンゴ、稲穂がデザインしてあり、深川市の歴史と産物を表している。ホームに出てみると2面2線で、ホーム間は跨線橋で移動する。ホームに旭川行きの普通列車が停車していた。(2014・11・8撮影)
2016年01月22日
秘境駅の雰囲気の漂う伊納駅
車で伊納駅に初めて行くのは迷いそうになる。国道12号で台場2条1丁目の交差点から西に折れ、石狩川を越えた線路沿いの道の西側にある。周囲に集落はないので、この駅で乗降客があるとも思えない。以前は車掌車待合所が2カ所並んであったのが、取材時には1カ所しかなかった。待合所内は長椅子やゴミ箱とストーブがある程度の簡素なもので駅ノートがあった。線路は高いところにあり階段でホームに上る。2面2線で青空跨線橋がホーム間をつないでいる。ホームの西側に線路があるコピー構造のホームが二つ並んでいる。(2014・11・8撮影)
2016年01月21日
玄関両側の自販機が目立つ駅舎の近文駅
函館本線は旭川駅から忠別川と並行に北西方向に延び、近文駅は忠別川が石狩川と合流する近くある。駅の北側に旭川の緑町地区が広がる。駅の南側は石狩・忠別川で倉庫群があるだけで市街地にはなっていない。駅舎屋根の上の駅名看板が目立ち、駅舎であると判る。駅名の「近文」はアイヌ語の「チカプ ウニ」(鷹の巣)に漢字を当てはめている。駅舎玄関両脇に自販機が2台あり、通勤・通学時に利用されているのだろう。島式2線のホームには青空跨線橋で渡る。ホームに明治後期建築の古い待合室があり利用できる。(2014・11・8撮影)
2016年01月20日
広いコンコースと7線のホームを有する旭川駅
旭川駅は高架駅となり2011年11月に現在の駅舎が全面開業している。初代の駅舎から数えて4代目となる。北口と南口があり、東西と中央に玄関がある。玄関の南北をつなぐ広いコンコースがあり、西コンコースの南玄関の近くに安田侃の大きな石彫が設置されている。乗降客が少ないと、広々としたコンコースはアリーナのようにも見えてくる。地上階から3階のホーム階に上がると1番から7番ホームまである。1,2番は富良野線、3,4番は函館本線、5,6番が宗谷本線と石北本線に割り当てられていてホームにキヨスクがある。(コンコース:2014・11・8撮影 ホーム2012・9・16撮影)