雪まつりのすすきの会場には氷像が並ぶ。今年(2011年)は雪ミクの氷像が初登場である。札幌生まれのボーカロイド・キャラクター初音ミクを札幌市が応援していて、その雪まつり用のキャラクターである。雪まつりの人気のキャラクターに成長していて、大雪像をはじめ、雪像は年毎に異なったものが造られるのに対して、雪ミクは毎年同じキャラクターが作られ続ければ、雪まつりの看板キャラクターに成長しそうである。氷で出来た雪ミク(氷ミクか)は照明に透き通っていた。
すすきので 初デビューなり 氷ミク
雪ミクを ケータイ狙い 人気なり
追記と雑感:
ブログ子の、いつもの定型的なブログは原稿なのである。後での手直しが面倒なので、写真2枚、文字数220字程度にまとめてある。よって、余分な写真も載せなければ、冗長な感想も書かない。しかし、雪ミクについては少々感想を書きたくなった。
追記最後に載せた写真は何だと思いますか。繁華街のビルの周りを人の行列ができている。商業ビルは開店(「かいてん」と入力してかな漢字変換が「かい」と「てん」から漢字を選ばなければならない馬鹿げた状況でワードを使っている。このパソコンもどこかがおかしくなっている)前である。祝日とはいえ、開店が11時なのである。多分夜中までやっているからこの開店時間なのであろう。夜昼がかなりずれた世界である。
本題の戻って、この行列、雪ミクの印刷された札幌地下鉄の乗車カードを買う行列なのである。他にもフィギュアの販売もあるらしい。小学生の子供でもあるまいし、キャラクターの人形を並んで買いたがる気持ちがわからない。
何でまたそんな現場に行って写真を撮っているかというと、白状すれば新聞に案内の出ていたこの地下鉄乗車カードを、最初買いたかったこともある(ブログネタにもなるし)。しかし、この行列を見て、さらに同じ日に見たNHKのスペシャル番組「無縁社会」を見て、一言書きたくなった。
雪ミク(これは民間生まれの人気のキャラクターに便乗した行政の観光・産業政策の一環である)の行列が出来ないようにする方法はある。充分な数のカードを通年発行すれば、行列なんかあっという間になくなる。しかし、行列を作らせるようにするところが・・・。人気(というこの訳のわからないもの)を作りあげるところにビジネスの要点がある。雪ミクは初音ミクの人気の投影である。初音ミクの人気は、消費者(利用者)が自分がメディアの創造者(との思い込みの部分もあるけれど)になりうる仕組みが受け入れられたこと(用語ではConsumer Generated Media)にある。電子書籍の出版に通じるものがある。
この現象を裏返せば、PC相手にネットの世界でボーカロイド(ロボット歌手)を操作したり、そのCG画像を描いたりする素人(素人と玄人の境目がなくなっているのも技術を介して世界で起こっている現象ではあるけれど)の人口がかくも増えているのである。PCやデジカメを売っている大型販売店を見ていると、あの規模の店を維持できるほどの人口の消費者が居るのかな、と疑問に思うけれど、やはり居るのである。世の中は変化している。
前述のテレビ番組では、世間とのつながりをインターネットのみに頼って(頼らざるを得なくて)、なかには四六時中カメラで自分の個室をネットに動画で流して、自らをネットのつながりの監視のなかに置いている人もいる。寝るとき、百人の見ず知らずの相手とネットで「お休み」の言葉を交わす。ブログ子だけでなく、この異常さに驚いた視聴者は多かったと思われる。
この異常さと隣り合わせで、雪ミクが描かれた乗車カードを買い求める行列ができる。物事は見方である。この行列を見て、技術で生み出され、世に受け入れられた人気製品の成功的派生効果と見るか、消費社会・無縁社会に内在する病理と断じるか、認識者の立場による。
見方=関数(立場)の式が成り立つ。立場という変数で、関数値である見方が変わる。ブログ子だって、乗車カードが直ぐに買えたら、民間生まれの技術が、敷居の高い市(交通局)を動かして乗車カードをつくらせるまでになった、とコメントするかもしれない。最初から買うのをあきらめさせるような行列を見れば、この長い感想にもなる。
それにしても、頭に浮かぶことを次々の書くと、このぐらいの記事にはなる。これは220文字に限定して書くのに比べると、えらくエネルギーを必要とすると思われるかも知れない。しかし、落書きみたいなものであるので、それほどでもない。読む方がこの長さを見て、最初から読む気をなくすることはあっても。