2020年01月31日
夕張鉄道線の名残
今や財政再建団体で全国に知れ渡っている夕張市は、かつては北海道における最大の炭都として、日本のエネルギーを支えていた時代があった。掘り出されて石炭は列車で運ばれ、そのための夕張鉄道線が1926年夕張、栗山間の30.2 kmで開通している。さらに1930年には栗山と野幌間23kmが開通し、石炭ばかりではなく農産物の輸送も担った。旅客列車も運行され、夕張から従来の国鉄を利用するよりは短縮された距離で札幌、小樽、旭川方面へ行くことが可能となった。
しかし、石炭の減産がこの鉄道の撤退をもたらし、1974年には旅客列車の廃止、1975年には全面的廃止に追い込まれた。線路跡は農道となり、その後自動車道として整備されて現在に至っている。JR函館線の野幌駅近くの夕張鉄道線路跡に昔の腕木式の信号機が残っている。丁度腕を伸ばした手に持った旗を上げ下げするような信号機で、今から考えると実に素朴な信号機である。
この信号機は現在のJR函館本線から野幌駅を通過した辺りで昔の夕張鉄道線へと分かれていくところに設置されていて、現在は空知南部広域農道の名前になっている自動車道の始点(終点)付近の脇に立っている。信号機のあるところから道路を越えたところにはマンション群があり、その反対側の信号機ある側には工場の敷地が隣接している。この工場は北海鋼機の工場で、かつては野幌駅から始まる夕張鉄道線の「北海鋼機駅」のあったところである。次の駅は「上江別」、さらに「下ノ月」駅と続いてゆく。
雪の消えた頃、この自動車道を車で走って夕張鉄道線の車窓から見えたであろう景色を想像するのも、都市秘境探検上必要かな、と思っている。